第五十一話「二度目のパンダ」
二〇二六年(令和八年)六月八日、月曜日。
都立桜丘高校、三年四組。
「美月! 今日またパンダなんでしょ?」
朝の教室で、莉子が美月の机に近づいてきた。
「……うん。土曜日に、また見たいって言ってくれた人がいたから」
「やった! あれ可愛かったもん!」
「……ふふ。ありがとう」
そこへ茜がやってきた。
「ねえねえ、美月!」
「……おはよう、茜」
「おはよ! あのさ、今度は違う衣装とかも着てみたら?」
「……違う衣装?」
「そう! ウサギとか猫とか! 美月、そういうの絶対似合うじゃん!」
「……ええ?」
「てか、いろんな格好する配信って面白そうじゃない?」
莉子も頷いた。
「あー、確かに! 毎回違う衣装とか楽しそう!」
「でしょ!?」
茜は美月の顔を覗き込んだ。
「どう? 美月!」
「……うーん」
美月は少し考えた。
「……そういうのも、いいかも」
「ほらー!」
「でも、今日はパンダでしょ?」
「……うん」
莉子が笑った。
「じゃあ、今日も見に行くね!」
「……ありがとう」
茜も手を振る。
「私もー! 楽しみにしてる!」
二人が自分の席へ戻ると、美月は鞄から教科書を取り出した。
その横に置いたスマートフォンの画面には、土曜日に投稿した配信告知が残っている。
《月曜日は、またパンダで配信します!》
美月は画面を消し、教科書を開いた。
◇
午後九時。
「……こんばんは。なでしこです」
画面に、白と黒のパンダのルームウェアを着た美月が映った。
《パンダ復活!》
《待ってた!》
《おかえりパンダ!》
《今日もかわいい!》
「……ふふ。ありがとうございます」
美月はフードの耳を軽く触った。
「今日は、前にも着たパンダをもう一度着てみました」
《やっぱり似合う》
《この格好好き》
《耳がかわいいw》
「……耳、人気ですね」
美月が首を傾げると、丸い耳が揺れた。
《動いたw》
《かわいい!》
「……ふふ」
美月は笑って手を振った。
「……じゃあ、今日もよろしくお願いします」
配信は、いつもどおり雑談から始まった。
週末に食べたもの。
最近気になっているお菓子。
学校帰りに見つけた、小さな花屋のこと。
《花屋さん?》
「……はい。帰り道にあるんですけど、今の時期はいろんな色のお花が並んでて」
《花の名前わかる?》
「……あんまり詳しくないです」
《そこは詳しくないんだw》
「……詳しくなりたいとは思ってるんですよ?」
《勉強配信しようw》
「……ええ? お花の勉強ですか?」
《なでしこ植物図鑑》
《似合いそうw》
美月は口元を押さえて笑った。
「……それ、ちょっと楽しそうですね」
画面のコメントを追いながら、話題を広げていく。
視聴者からも質問が届いた。
《なでしこは花なら何色が好き?》
「……白とか、淡いピンクとか」
《パンダも白黒だし白が好きなの?》
「……それは関係ないと思います」
《言い切ったw》
「……ふふ」
会話は途切れなかった。
美月は手元のメモを伏せ、次のコメントを読んだ。
《そういえば、次は違う衣装も見たい!》
「……違う衣装?」
《猫耳とか!》
《ウサギも似合いそう》
《メイド服とかどう?》
「……メイド服?」
美月は画面に顔を近づけた。
「……ええ? 私に似合いますかね?」
《絶対似合う!》
《なでしこのメイドさん見たい》
《お帰りなさいませって言ってほしいw》
「……それは、ちょっと恥ずかしいです」
《そこをなんとか!》
《似合うと思うけどなー》
「……ふふ。ありがとうございます」
美月はフードの耳を指でつまんだ。
「……でも、いろんな衣装っていうのも面白そうですね」
《衣装企画やろう!》
《楽しみ!》
「……考えてみますね」
美月はコメントを読み進めた。
ふと、画面の端に視線が動く。
登録者数は九千八百人台のままだった。
「…………」
《なでしこ、次の話題は?》
「あ……そうですね」
美月は手元のメモを開いた。
「……皆さん、最近何か新しく始めたことってありますか?」
《筋トレ!》
《料理始めた》
《英語の勉強》
「……料理、いいですね。何を作るんですか?」
コメントを読み上げ、美月はまた話し始めた。
◇
午後十時を少し過ぎた頃。
「……そろそろ、終わりにしますね」
《お疲れさま!》
《今日も楽しかった!》
《また木曜日!》
《次はメイドさん期待w》
「……ふふ。まだ決まってませんよ?」
《待ってる!》
「……ありがとうございます」
美月は画面へ手を振った。
「今日も来てくださって、ありがとうございました。おやすみなさい」
配信を終了し、マイクを切る。
続けてチャンネルの管理画面を開いた。
九千八百十二人。
「……十二人」
美月は数字を見つめた。
土曜日の九千八百人から、十二人増えている。
「……増えた、けど」
画面を更新する。
九千八百十二人。
「……パンダなのに」
美月は椅子に座り直した。
前の木曜日には、同じ服で一万人を超えた。
今夜も、みんなは喜んでくれた。
それなのに、数字はほとんど変わらない。
「…………」
美月は過去の配信記録を開いた。
最初にパンダを着た日の記録。
土曜日の私服配信。
そして、今日。
画面に並んだ数字を、上から順番に見ていく。
「……何が違うんだろう」
机の上には、今日使ったメモが置いてある。
話題はいつもより多く用意した。
コメントにもできるだけ返事をした。
パンダの衣装も着た。
美月はメモを閉じた。
そのとき、朝の茜の声を思い出した。
「今度は違う衣装とかも着てみたら?」
続いて、今夜のコメント。
《メイド服とかどう?》
「……メイド服」
美月はスマートフォンを手に取った。
通販サイトを開き、検索欄を押す。
入力したのは、四文字。
『メイド服』
検索結果が表示された。
「……わあ」
白と黒を基調にしたもの。
フリルの多いもの。
落ち着いたデザインのもの。
思っていたより種類が多かった。
美月は画面をスクロールした。
「……これは、ちょっと派手かな」
一着を開いて、すぐに戻る。
別の商品を選ぶ。
「……こっちは可愛いかも」
黒を基調としたワンピースに、白いエプロンを合わせた衣装だった。
襟元や袖には小さなフリルがついている。
美月は商品写真を何枚か確認した。
「……これなら、着られるかな」
サイズを確認する。
値段も、手の届かないものではない。
ただ、もう一つ気になることがあった。
配送予定日。
『六月十日(水)』
「……水曜日」
次の配信は木曜日。
間に合う。
美月は買い物かごへ商品を入れた。
そして、そこで一度指を止めた。
「…………」
服を買うだけなら、何もおかしなことはない。
けれど、どうして今、こんなに急いでいるのだろう。
美月は注文画面を閉じかけた。
そのとき、今夜のコメントがまた頭に浮かんだ。
《なでしこのメイドさん見たい》
《絶対似合う!》
美月は再び画面を開いた。
「……せっかくだし」
小さく呟く。
「……新しいこと、やってみたいな」
購入手続きを進めた。
配送先。
支払い方法。
注文内容。
すべて確認し、最後のボタンを押す。
『ご注文ありがとうございます』
画面が切り替わった。
「……買っちゃった」
美月はスマートフォンを机に置いた。
少しして、もう一度手に取る。
注文履歴には、六月十日到着予定と表示されていた。
家に届く荷物については、母に聞かれたら服を買ったと答えればいい。
配信のことまで話す必要はない。
美月は配送通知を確認できるよう設定し、通販サイトを閉じた。
次に開いたのは、チャンネルの管理画面だった。
九千八百十二人。
数字は変わっていなかった。
美月はしばらく画面を見つめたあと、スマートフォンを伏せた。
「……今度こそ」
机の上には、木曜日の配信予定を書いたメモがある。
美月はペンを取り、その横に新しく書き加えた。
『メイド服』
そして、もう一度だけ呟いた。
「……一万人、戻れるかな」




