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第五十話「減っていく数字」

 二〇二六年(令和八年)六月五日、金曜日。


 都立桜丘高校、三年四組。


「美月ーっ!」


 教室に入ったばかりの高瀬美月へ、橘莉子が駆け寄ってきた。


「一万人、おめでとう!!」


「……あ、ありがとう」


「昨日すごかったね! コメントもめっちゃ流れてたし!」


「……うん。私もびっくりしちゃった」


「ていうか、あのパンダ! 超可愛かった!」


「……ふふ。ありがとう」


 美月が自分の席へ鞄を置くと、三浦茜もやってきた。


「美月、おめでとー!」


「……ありがとう、茜」


「私、昨日ずっと見てたんだけどさ! 一万人いった瞬間、思わず叫んじゃった!」


「えっ……本当に?」


「本当! お母さんにうるさいって怒られたもん!」


「ちょっと茜、何やってんの!」


 莉子が吹き出した。


「いや、だってすごくない!? 一万人だよ!?」


 茜は美月の机に両手をついた。


「次は二万人じゃない!?」


「ちょっと、気が早いって!」


「えー! でも美月ならいけそうじゃん!」


「……ふふ。ありがとう」


「次も見るからね!」


「私も! またパンダ着るの?」


「……次は普通の服かな」


「そっか! どっちも楽しみ!」


 莉子と茜は、まだ楽しそうに話しながら自分たちの席へ戻っていった。


 美月が鞄から教科書を取り出していると、傍らから小さな声がした。


「……あの、高瀬さん」


「……あ、水瀬さん。おはよう」


「おはよう」


 結衣は少し声を落とした。


「……実は私も、昨日の配信、見てたんだ」


「……えっ? 本当?」


「うん。前にも何度か見てたんだけど……」


「……そうだったんだ」


「昨日のパンダ、すごく似合ってたよ。一万人、おめでとう」


「……ありがとう、水瀬さん!」


「……これからも、楽しみにしてるね」


「……うん!」


 美月が笑うと、結衣も小さく微笑んだ。


 そのとき、教室の扉が開いた。


『おはよう!』


 凛が教室へ入ってきた。


 生徒たちが挨拶を返す中、茜が勢いよく手を挙げた。


「リン先生!」


『ん? どうした、茜』


「聞いてくださいよ! 美月、昨日登録者一万人いったんですよ!」


『一万人!?』


 凛は目を丸くした。


『それは、美月のことを一万人の人が見たいと思っているということか?』


「そういうことです!」


 茜が大きく頷いた。


『……それはすごいな!』


 凛は美月へ顔を向けた。


『美月、おめでとう!』


「……ありがとうございます」


「先生、もっと驚いていいですよ! 一万人って本当にすごいんですから!」


 莉子が言うと、凛は笑った。


『十分驚いているぞ!』


「いやいや、先生! 一万人ですよ!? 学校の生徒何人分だと思ってるんですか!」


『そう言われると、ますますすごいな……』


 凛は腕を組んだ。


『一万人もの人を集めるなんて、私には想像もつかないよ』


「先生も配信してみます?」


 茜が尋ねる。


『私が?』


「そう! 空手とか教えたら人気出そうじゃないですか?」


『空手か……』


 凛は少し考えた。


『だが、画面の向こうの相手にどう教えればいいんだ?』


「そこから!?」


 莉子が吹き出した。


『むっ。難しいことを言うな』


 教室に笑い声が広がる。


 凛は改めて美月へ向き直った。


『それだけ多くの人が、お前の配信を楽しみにしているんだな。大したものだ』


「……はい」


 美月は小さく頷いた。


『これからも、自分が楽しむことを忘れずにな』


「……ありがとうございます、先生」


 予鈴が鳴った。


『さあ、席についてくれ!』


 生徒たちがそれぞれの席へ戻っていく。


 美月は鞄から教科書を取り出し、机の端へスマートフォンを置いた。


 画面には、昨夜届いたお祝いのメッセージが残っていた。


     ◇


 翌日、六月六日、土曜日。


 午後八時五十分。


 美月は自室の机で配信の準備をしていた。


 淡い色のカーディガンに、いつもの部屋着。


 マイクを確認し、手元のメモを整える。


 今日は学校の図書室で見つけた、動物の写真集について話すつもりだった。


 午後九時。


「……こんばんは。なでしこです」


《こんばんはー!》


《今日も楽しみ!》


《一万人おめでとう!》


「……ありがとうございます」


 美月は画面へ手を振った。


「今日は、最近読んだ本のお話をしようと思ってます」


《何の本?》


《気になる》


「……動物の写真がいっぱい載ってる本なんですけど」


 美月はメモを見ながら話し始めた。


 青い羽を持つ鳥のこと。


 光の当たり方によって、羽の色が違って見えること。


 写真なのに、今にも動き出しそうだったこと。


《へえー》


《綺麗そう》


《なんて鳥?》


「……名前、ちょっと待ってくださいね」


 美月はメモをめくった。


「……あ、ありました」


 名前を読み上げる。


《初めて聞いた》


《調べてみようかな》


「……ぜひ。すごく綺麗なんですよ」


 美月は笑った。


 しばらくコメントが流れない。


「……あの、皆さんは好きな鳥っていますか?」


《ペンギン!》


《文鳥飼ってるよ》


《フクロウ!》


「……文鳥、可愛いですよね。フクロウも好きです」


 いつもどおり、一つずつ返事をしていく。


 ふと、画面の端へ目を向けた。


 同時視聴者数。


 木曜日より少なかった。


「…………」


《なでしこ?》


「あっ……ごめんなさい」


 美月はメモへ目を戻した。


「……そういえば、写真集に載ってた動物でもう一つ気になったのがあって」


 別の話題を始める。


     ◇


 配信開始から三十分ほどが経った。


《今日はパンダじゃないんだね》


「あ……はい」


 美月は自分のカーディガンへ目を落とした。


「今日は、いつもの格好です」


《それも似合ってるよ》


《またパンダ見たいな》


「……ふふ。ありがとうございます」


《木曜日はすごい盛り上がりだったよね》


「……そうですね。私もびっくりしました」


《あの日、人多かったなあ》


《パンダめっちゃ可愛かった》


《また着てほしい!》


「……ありがとうございます。また機会があったら」


 美月は笑って手を振った。


 コメント欄が静かになる。


 画面の端へ視線を動かす。


 同時視聴者数は、先ほどより少し減っていた。


「……あの、皆さん」


《ん?》


「最近、何か面白いことありましたか?」


《今日は買い物行った!》


《ずっと寝てたw》


《仕事だったー》


「……お仕事だったんですね。お疲れさまです」


 美月は返事をしながら、また数字を見た。


《なでしこ、今日ちょっと疲れてる?》


「……え?」


《無理しないでね》


「……いえ、大丈夫ですよ!」


 美月は背筋を伸ばした。


「……あ、そうだ。皆さんに聞いてみたいことがあって」


 用意していた次の話題へ移る。


 コメントが届く。


 美月が返事をする。


 また画面の端を見る。


 そして、メモへ視線を戻した。


     ◇


 午後十時過ぎ。


「……では、今日はこの辺りで終わりにしますね」


《お疲れさま!》


《今日も楽しかった!》


《また月曜日!》


《おやすみー》


「……はい。皆さん、おやすみなさい」


 美月は手を振った。


「……今日もありがとうございました」


 配信終了のボタンを押す。


 マイクの電源を切り、チャンネルの管理画面を開いた。


 九千八百人。


「…………え?」


 美月は画面を見つめた。


「……九千、八百?」


 もう一度、表示を更新する。


 九千八百人。


 数字は変わらなかった。


「……一万人、超えてたのに」


 美月は木曜日の配信記録を開いた。


 同時視聴者数。


 コメント数。


 どちらも、今日より多い。


「…………」


 美月はスマートフォンを持ったまま、ベッドへ腰を下ろした。


 昨日の教室。


 莉子も、茜も、結衣も。


 リン先生まで、自分のことを褒めてくれた。


『それは、美月のことを一万人の人が見たいと思っているということか?』


「……先生」


 美月は登録者数へ目を戻した。


 九千八百人。


「……もう、一万人じゃない」


 配信終了後に届いたコメントを開く。


《今日もありがとう!》


《ゆっくり話せて楽しかった》


《また月曜日にね》


 美月は返信を打った。


《こちらこそ、ありがとうございました!》


 送信する。


 それから、再び管理画面を開いた。


 九千八百人。


 美月はしばらく数字を見つめていた。


「……何が違ったんだろう」


 木曜日と、今日。


 話した内容。


 配信した時間。


 見に来てくれた人たち。


 いろいろ考えてみる。


 けれど、はっきりした理由は分からなかった。


 そのとき、配信中のコメントが頭に浮かんだ。


《またパンダ見たいな》


「……パンダ」


 美月はクローゼットへ目を向けた。


 あのルームウェアは、洗濯して畳んである。


 月曜日の配信。


 もう一度、あれを着てみようか。


「……見たいって、言ってくれてたし」


 美月はスマートフォンで次回の配信予定を開いた。


 少し迷ってから、告知文を入力する。


《月曜日は、またパンダで配信します!》


 送信。


 すぐに反応が届いた。


《やった!》


《楽しみにしてる!》


《パンダ再登場!》


「……ふふ」


 美月は笑った。


 そして、もう一度だけ登録者数を確認した。


 九千八百人。


「……月曜日は、増えるかな」


 美月はスマートフォンを伏せ、クローゼットの扉を開いた。

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