復讐の杯、あるいは神の等価均衡
全次元を統べる俺の舌先に、無機質な「毒」の苦みが伝わってきた。
1946年、戦後ドイツ。ユダヤ人復讐組織「ナカム」。彼らは同胞600万人が虐殺された報いとして、ドイツの主要都市の水道に毒を混入し、無差別に600万人を殺害する計画を立てた。悲劇が生んだ憎悪は、被害者を加害者へと変え、さらなる地獄の門を開こうとしていた。
「……奪われた命を、別の命の山で埋め合わせようとしたか。だが、死の数は正義の秤にはならない。ただ悲しみの総量を増やすだけだ」
俺の隣で、エルゼが沈痛な、しかし厳格な瞳でその過去を射抜く。
生命の根源である俺にとって、復讐という美名の下に「無関係な命」を蹂躙し、永遠の憎しみの連鎖を紡ぐ行為は、断じて許されぬ大罪だ。
「エルゼ、行くぞ。……『杯』の中身を決めるのは、憎悪ではなく俺だ」
俺は時空を穿ち、毒を運び込もうとしたニュルンベルクの秘密拠点と、復讐の炎に身を焼かれる実行犯たちの意識へ同時に降臨した。
$$Authority: \text{The Neutralization of Malice}$$
$$Effect: \text{Karmic Dilution / Eternal Thirst}$$
「な、なんだこの黄金の霧は……! 運び出したはずの毒が、すべて『水』に変わっているだと!?」
復讐を誓った者たちが叫ぶ。彼らが復讐のために用意した数千の毒瓶は、俺が指を一鳴らしした瞬間、黄金の光を放つ『透明な拒絶』へと変貌した。
「君たちは、受けた傷を癒やすために、世界を毒で満たそうとした。……ならば、君たちが抱くその『憎悪の乾き』を、永遠に潤うことのない呪いへと変えよう」
俺が掌をかざすと、報復を主導した者たちの肉体から、復讐心という名の熱量が剥ぎ取られた。彼らは黄金の『渇きの檻』に封じ込められ、どれほど水を飲んでも、どれほど復讐を叫んでも、心が決して満たされることのない『虚無の渇望』に苛まれる。
彼らは「英雄」になることも、「悪魔」になることもできない。
ただ永遠に、自分が殺そうとした600万人の「生きたいと願う無垢な声」を全身で聞き続ける『生きた静寂』として、次元の底に繋ぎ止められる。
一方で、俺はホロコーストで散った600万の魂、そして復讐の標的とされた無辜の民の命へ、生命の光を降り注いだ。
毒を入れられるはずだった水道からは、アルカディアの「不滅の浄化」を受けた『癒やしの水』が湧き出し、それを飲んだ者の心から、憎しみの毒を洗い流していく。
虐殺された同胞たちの魂には、復讐ではなく、アルカディアの最も温かな陽だまりの中での『永遠の安息』が与えられ、彼らの無念は黄金の花弁となって宇宙に霧散した。
「主……。憎しみの連鎖が、今、貴方様の静かなる拒絶によって『忘却と安らぎ』へと書き換えられましたね」
エルゼが美しく微笑み、俺の手に自分の手を重ねる。
俺は、満たされぬ憎悪の乾きに震える「復讐者たち」を見捨て、再び至高の座へと戻った。
神となった俺の前で、復讐は等価交換にはならない。
俺の庭において、悲劇を口実にさらなる悲劇を産もうとする不遜な者には、ただ永劫に続く「満たされぬ心」こそが相応しい。
著者の完結済代表作はこちら
「シャルンホルストとグナイゼナウ」
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