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懐かしい気持ち

 「あっ! きたきた! お兄さん、遅いよーっ!」

 先に下に降りていたベリルが、アパートの駐車の死体が散らばる中央から、こっちに向かって手を振っていた。

 そこに急いで駆け寄ると、腐った臭いが灼熱に蒸されて絡みついてくる。


 「おま……たせ」

 口を開くと、その臭いが味に変換されて胃を痙攣させるには十分だった。

 「気分、悪そうですけど、大丈夫ですか?」

 涙ぐむ瞳を手で擦り、唯の顔を見るとその表情はいつもと変わらず、むしろ自分を心配するように眉を寄せて覗き込んでいた。


 「げほっ……いや、この……臭い、やばく……ね?」

 言葉が途切れながらどうにか言い終えたが、目を刺すような痛みに半分くらい閉じてしまう。

 

 「確かに臭いですけど……言うほどじゃ」

 「お兄さん、弱々ー!」

 ベリルも唯もこの世界に馴染んだように、平然としている。

 宗田は激しい嗚咽に耐えながら、どうにか駐車場を後にすると肺に溜まった汚染された空気を上書きするように息を吸い込む。


 「……はぁ……死ぬかと思った」

 ため息をひとつ吐き出して、言葉を吐き捨てるとようやく、ちゃんと目を開くことができた。

 

 「大丈夫ですか?」

 唯の問いかけに手を小さく上げて返事を返す。

 そして、もう一度だけ新鮮な空気を吸い込み、ベリルと唯を見た。

 

 「いや、二人ともなんかごめんね。あの臭いは、俺はだめかも……」

 宗田は正直な感想を口にする。

 今後は死体の処理についても考えないと、きついかもしれないと思う。


 「良かったです。それに……なんか朝よりスッキリした顔になりましたね」

 唯が安心したように微笑みかけてくると、宗田の瞳を覗き込むようにしてそう言ってきた。

 

 「そうかな? ちょっと、家を出る前にケジメ? みたいなのを付けたからさ。それのせいかも」

 「ケジメですか? んー、気になりますけど、元気になったなら良かったです」

 彼女は深くは追求しないで、宗田の身だけを案じてくれた。


 「早く行くよー!」

 唯と宗田が話し込んでいると、遠くの方からベリルの声がする。

 「ベリルちゃん、危ないから離れちゃだめ――」

 「――うわっ!」

 言っている傍から、横道から現れたゾンビにベリルが捕まった。


 「あが……あぁぁぁああっ」

 地の底から聞こえる唸り声は、今でも足をすくませるには十分な効果があるようだった。

 わずかに魔法を構築するタイミングが遅れてしまう。

 すると


 「――出ろ」

 すぐ後にいた唯の低い声が耳に届く。


 「えいっ!」

 力を込めた掛け声と共に、すぐ横を大きな影が通り過ぎる。

 その瞬間、


 ――ゴトッ

 

 と言う音と共に、今にも噛み付こうとしていたゾンビの頭が転がった。


 「もう! ダメだよ! 勝手に離れちゃっ! めっ!」

 ベリルの傍に駆け寄った唯が、子供を叱りつけるように言い放つ。

 「よっと……」

 唯は道路に食い込んだ斧を軽々と持ち上げる。

 

 「ご、ごめんなさい……お姉さんも、斧は投げるもんじゃないと思うんだよな〜……はははっ」

 ベリルの口元はガタガタと震え、唇が青ざめている。

 返り血が頬を赤く染め、瞳には恐怖の色が浮かんでいた。

 

 「そんなに怖かったら離れないんだよ! もう!」

 ベリルが激しく、何度も頭を縦に振る。

 「いや、ゾンビが怖いとかじゃないんだけどさ……」

 ベリルは乾いた笑みをこぼして、宗田の方へとゆっくりと近づいた。

 

 「近い!」

 ベッタリとくっつくベリルを押しのけて進もうとすると、転がったゾンビの頭が目に入る。

 

 「こいつ……まだ、生きてるの?」

 頭だけになっても噛み付こうと、口を何度も動かして歯を鳴らせている。

 ただ、体が無くなった今となってはそれは叶うこともなく、惨めに音だけが響いていた。


 「かわいそうに……眠ってくれ」

 宗田がそう言うと、足を頭に乗せて踏み潰す。

 足の裏から伝わる不快な感触が、現実の世界に戻ってきたことを実感させるには十分だった。

 亡骸となったゾンビを見ると全身が強張り、自然と頭のスイッチが戦闘モードへと切り替わった気がする。


 ――――


 「到着しましたね……まだ、剛くんとアリスちゃんは来てないみたいです」

 赤らんでいた空はいつの間にか、完全に闇に飲まれいつもの夜が顔を出していた。

 

 「う……おう、そ、そうだな」

 そこかしこに、戦闘の痕跡が残っている。

 塀や家の壁は紫色に染まり、肉片は至る所に飛び散っていた。

 下半身だけとなったグールの体が、民家の塀にきれいに引っかかり、何かのオブジェクトのような様相をしている。


 ただ、そんな光景よりも宗田にとっては臭いがきつい。

 離れてるけれど、それでも風によって運ばれる臭いはアパートの時よりはマシだけど、普段の何倍も強烈で胃を裏返そうとしてくる。


 可能な限りギリギリまで壁側に寄っているが、それもたいしたことなく、早くあの二人が来てくれることを願うばかり。

 そう思って待っていると、遠くから足音と快活な声がする。

 「――おーいっ!」

 それはアリスの声だった。


 「アリス、大きな声は出しちゃだめですよ」

 アリスを注意する声が風に乗って、かすかに宗田の鼓膜を揺らす。

 それは、知らない声なのにどこか懐かしい気持ちになるような声音だった。

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