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不穏な影

 そっぽを向いた唯が振り返った時には、彼女は"人"に戻っていた。 

 まだ、むすっとした顔で宗田を見たが、その頬は少し赤らんでいる。 

 それに、宗田は胸を撫で下ろし、締め付けられた喉元が解放されたのを感じると、ようやく呼吸が軽くなった気がした。

 喉元にへばり付いた、重くて粘り気のある空気が取れると、ようやく体に体温が戻ってくる。


 宗田は唯に視線を戻す。

 彼女は頬を少し膨らませて、こちらを見上げてくる。

 血に汚れた顔だったが、血に濡れておぞましさと、可愛らしさが融合したような姿に、宗田の背筋がぞわりと波立つ。

 

 すると、唯の口がかすかに開く。

 そこから、出てきた言葉は子供が駄々をこねるような、可愛らしい文句だった。


 「もう! もう! もうっ! もうですっ!」

 言葉の最後のセリフは、なにかを諦めたように唯の声がワントーン高くなった。

 宗田は彼女に乾いた笑いを返し、バツが悪そうに視線が上に逃げると、ベリルの声がした。

 

 視線を戻しベリルを見ると、その瞼が大きく開かれ中の真紅の瞳がより強調される。


 「お姉さん! お疲れっ! すごい格好よかったよ!」

 ベリルの口から出た言葉は、唯を褒める一言。

 「いえーい! タッチ!」

 唯の手が血に汚れていることも気にした様子もなく、手を取って何度もタッチを繰り返す。

 一瞬見せた、人の形をしたベリルの姿と、今の普通の子供の姿が重なって見える。

 まだ、頭の中にベリルから言われた一言がこびりついて離れず、棘を刺すように心がチクリと痛い。


 ただ、二人の自然なやり取りを見て、ようやく全てが終わったんだと宗田が悟ると、張り詰めた糸が切れ、自然と肩のラインが緩くなる。

 

 すると、視界の端っこで影が見えた。

 その方向に意識を向けると、屋根の上に一体、白い怪物が身を伏せているのが見える。 

 こちらを襲うでもなく様子を伺うように、こっちに顔を向けていた。


 無機質な丸くて赤い水晶のように硬質な瞳の奥に、かすかに知性のかけらが見えた気がする。

 何とも知れない不安感が腹の奥に沈み込むと、考えるより先に、魔法の詠唱を初めていた。


 「――イメージは銃……」

 宗田は一つの火球を前方に浮かべると、魔法をそいつに撃ち込もうとした。


 「……逃げた?」

 白い怪物が身を翻し視界から消える。

 「宗田さん?」

 宗田の行動に唯が反応すると、不思議そうな顔で、こっちを見た。

 「今、アイツがそこの屋根にいたんだ」

 指をさすと唯が勢いよく振り向く。


 「もう逃げた……みたいだよ」

 背中を向けた唯に宗田が声をかける。

 「逃げたんですね……それなら良かったです」

 ゆっくりと唯が宗田の方へと向き直り、伸びた背筋が緩くなる。

 染まりかけた緋色の瞳は元に戻り、ほっと息を漏らした。


 ただ、どうしてもあの怪物の見せた行動に違和感を感じていた。

 常に食欲に突き動かされるそいつが、撤退を選んだ。

 まるで、"誰か"に統率されているよう――


 そう思うと、突然――

 

 ――パンパカパンパンパーン!

 ――ファンファンファンッ!


 いつもより、盛大な音楽が空から振ってくる。


 ――おめでとうございます。

 ――エクストラクエスト達成!

 ――「白き軍団」を完了致しました。


 「また、"神の声"……」

 後ろで怯えきっていた、アリスと呼ばれた女から囁くような声が聞こえた。

 

 ――報酬:「ポーション製造機」

 ――贈呈開始。


 金色の光が闇を振り払うと、唯の足元がよりいっそう輝きが増す。

 そこから、少しずつ形を作るよう一つの機械のような物が姿を見せる。


 ――報酬の受け取りを確認。

 ――報酬の引き渡しが終了しましたので、現在地から半径百メートルを十分間、安全領域と指定します。

 ――それでは、良い一日をお過ごしください。


 空からの声唐突になると、現れた報酬を見て唯がポツリと呟いた。

 「これは……ドリンクバー?」


 ――――


 「えっと、その……怪我とかありませんか?」

 唯が二人に近づいて、恐る恐る声をかけた。

 まだ、恐怖が節々に残っているのか、動きがどことなくぎこちない。


 「んっ……!」

 言葉の変わりにアリスがぶんぶんと頭を上下させる。

 大きく頭が振られると、後で一つにまとめられた長い髪が、犬の尻尾のように揺れていた。


 「あ、その……なんだ。助かった」

 (つよし)と呼ばれた大男は青ざめた顔で、言葉をふり絞るように口を開く。

 彼が言葉を話すたび、分厚い胸板がヒクリと動く。

 筋肉の固まりのような大きな体躯の持ち主と、唯が並ぶと大人と子供のように見えた。


 爽やかに切り揃えられた髪の隙間から、汗が溢れるように吹き出し、剛の体は唯を前にして萎縮するように小さくなる。

 それでもどうにか威厳を保とうと、顎に生やした無精ひげを何度も撫でるが、鋭い目つきをした瞳は今にも逃げ出しそうに泳いでいた。


 「うん。それなら、良かったです! あっ、怪我してる」

 タンクトップ姿の二人の腕には擦り傷や噛み跡のような傷が見え、それに気づいた唯が反応する。

 「じっとしててください――"治れ"」

 唯の魔法が発動すると、二人の体を緑の光が包んだ。


 「わっ! 何これっ!? 温かくて気持ちぃ〜」

 唯の魔法に、アリスのくっきりした目が見開かれ、温かさを堪能するように、両手を広げた。

 「俺の傷……治ってる。すげぇ」

 剛は、自分の傷が治ったことに感嘆の声を上げ、体のあちこちを見ている。


 「その、えっと……ありがとう!」

 アリスの快活な声には混じり気のない、感謝の色が見て取れた。

 それに合わせて剛もハリのある声で「すまん。助かった」と言葉にする。

 唯が二人に笑いかける。

 

 「どういたしましてです!」

 腕まくりをして、力こぶを作って見せている。

 幼い子供のような仕草を見せた彼女は、二人に軽くお辞儀をすると小走りで戻ってきた。


 「二人とも大丈夫みたいですよ」

 唯がそう言った。

 「それは良かったよ。いろいろとありがとう。本当に、助かった」

 宗田がお礼を述べると、手を後に組みながら嬉しそうに、微笑んだ。

  

 「ふふふっ! いえいえ! 宗田さんが喜ぶと思って――ついでに、二人の傷も治しておきました」


 その言葉に宗田は息を飲む。

 二人を助けたのは善意ではなく、自分のためだと言い切ったその独善的な言葉に、体中の毛穴が一気に開いた。

 そして、ベリルが吐き捨てた"化け物"と言う言葉が脳裏に蘇り、目の前の小柄な彼女が怪物に見える。

 唯の狂気が宗田の首元に巻き付いて圧迫するかのように息苦しく、口が勝手にと開くと、喉の入口が乾燥して熱い。

 

 だけど、心の中ではこの世界に染まって、感情のまま自分を曝け出す彼女が羨ましいと思えてしまう。

 それが愛しくて、恐怖よりも快感に近い、甘美で熱い感覚が体の中に侵入して、広がる感覚がした。 

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