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怒ってます

 宗田の横で何かを踏み潰す音と共に、顔の右半分にヘドロのような粘性のある液体を浴びると、強烈な悪臭が鼻の奥を串刺しにして、目が強制的に開かれた。


 「宗田さん……後で、お話ししましょうね」

 にっこりと微笑んだ瞳には明らかに怒気が込められており、瞳孔がどす黒い赤に染められていた。


 「はいはーい。お兄さんの手、ちょっと貸してね」

 ぷにぷにとした小さい手が、動かすことのできない手に被さった。

 「ふむふむ。完全に魔力切れだね。ちょっと、待ってね」

 視界の隅で銀色の髪がはらりと舞うと、手の平が異様に熱くなる。


 「これで、少し良くなったでしょ! 後でご褒美ちょうだい」

 ベリルの言葉通に鉛のように重かった体から、重さがすっと消える。

 「にしても、普通はこうなるようにリミッターがかかるのに、お兄さんも十分、"狂ってる"んじゃない」


 体を起こすと怪訝そうな表情で宗田を見ている、ベリルの姿があった。

 「どうして……ここに?」

 家で寝てるはずのベリルと唯の姿に、宗田が口を開くと、ベリルが目で唯を見た。


 「お姉さん……やばいね。マジで……」

 こちらに背を向けて立っている唯の背中が震え、赤黒いオーラが吹き出しているように見える。

 こちらには向けられていないはずなのに、それでも体が縮こまりそうなほど、純粋な殺意を感じた。


 それに気圧されたように、白い怪物達もその場から動けず、唸り声を上げるばかりだった。


 「……許さない」

 唯が呟くと、世界が震える。


 「宗田さんは、私だけの――見るなっ! 近づくなっ! 触れるなっ!」

 彼女が叫ぶと肩まで伸びた茶色の髪がぶわりと浮かぶ。

 白い怪物が震える足を一歩前に踏み出した瞬間には、頭が消し飛んでいた。


 「気持ち……いい。あは、あははっ」

 唯の手にはベッタリと怪物の血がこびりつき、その手で大切なものを撫でるように、うっとりとした表情で自分の頬を撫でる。

 悪鬼と化した唯は、充満する死の空気に酔いしれるように笑う。


 その場の誰もが息の吸い方を忘れたように静まり返り、その光景から目を逸らすことすら許されない。

 味方のはずが、仲間ですら威圧する彼女はこの場を圧倒的に支配している。


 「ちょいちょい。お兄さんも呆けてないで、もう一度手を貸して」

 その空気をものともぜず、ベリルは宗田の肩をつついて、手を出すように促してくる。

 「あ、あぁ……」

 手を出すと、ベリルは再び宗田の手を握る。


 「あ〜、やっぱり。僕の封印が少し上書きされてるじゃん」

 ベリルが眉を潜めると、口もとがぼそぼそと動く。

 「これで、よしっ! アスエラっちとの戦いでは、禍々しいなって程度にしか思わなかったけど……お家でちゃんと"お兄さんの中"を見といて良かった」


 アスエラとの戦いで何かの力を封印されたが、それを破ろうとしたのが、あの気分の高まりだったのだろうか。

 ベリルが何やら言葉を紡いでから、少しだけ胸が軽くなった気がする。


 「お兄さんも無茶しないでね。――お姉さんなんかよりもよっぽどヤバイやついるんだからさ。僕が気づかなかったら……とんでもないことになってたんだから」


 最後に「魔石、ちょうだいね〜」と言って、手を離すとベリルも、唯の方へと振り向く。

 自分の中に何がいるのか。

 そう思い、視線を落とし自分の胸を見たり、軽く触ってみるが、その内側までは見ることができなかった。

 宗田は前を向くと、唯が変わらず白い怪物の前に立ちはだかる。

 素手であいつを葬るほど力が強いが、何か武器があれば……。

 そう思うと、報酬でもらった斧のことを思い出し、すぐに唯に伝える。

 

 「唯! それっ!」

 宗田が指をさして、唯に声をかけると血のように濁った瞳がこちらを見た。


 「――ひぃっ!」 

 その瞬間、後にいるアリスと剛から短い悲鳴が漏れる。

 こちらに敵意はないが、関係ない二人が気圧されるほどの殺気が放たれていた。

 その悲鳴に反応するように、唯が軽く視線を上げて宗田の背後を見る。


 「――っ!」

 声にならない音が聞こえると、宗田も顔をわずかに向けてた。

 アリスの膝から力が抜けるようにへたり込み、剛の顔は青ざめて、今にも気を失いそうなほど体がぐらついている。


 顔を唯に向けると、彼女もこちらを見て口元が綻んだ。

 そして、地面に横たわる斧に視線が止まる。


 「これは……宗田さんから……プレゼント?」

 「そうだよ。手、痛いだろ?」

 赤らんだ拳からは、怪物の血液とは違った色が混じっている。

 それを唯は一瞥すると、宗田に微笑みかけた。


 「心配してくれて、嬉しいです!」

 まとった雰囲気は鬼神のように猛々しいが、口から出た声音は恋を煩った乙女のようだった。

 白い怪物などに目もくれず、弾むように唯が斧に近づく。


 「――唯! 後ろっ!」

 宗田が叫ぶ。


 「――大丈夫ですよ。宗田さんからの、プレゼントがあればこんな奴らなんて」

 無防備な唯に飛びかかった怪物は、縦に切り裂かれ悲鳴を上げる慈悲もなく地面に二つに別れて落ちた。

 宗田が両手で持ち上げるのがやっとだった斧を、唯は軽々と片手で持ち上げる。


 重力を無視したように重さを感じさせず、軽く振れば空気が唸り、それが刃として飛んでいきそうなくらいだった。

 それを肩に担ぐと、唯が重心を少し下に下げる。

 大きく息を吸い込み上がった肩が落ちた瞬間、アスファルトがめくり上がり、唯は魔物達の中心へと走り出す。

  

 「あはははっ」

 笑いながら唯が横に斧を振ると、怪物の上半身と下半身が二つに別れて、崩れ落ちるよりも早く頭を真っ二つにする。


 「――いいいいっっ!」

 唯を押しつぶそうと三体が同時に飛びかかるが、唯は上を向いて笑うばかり。

 逃げ道を塞ぐように他の怪物が迫るが――


 「――あはははっ」


 腹の底から吐き出された笑いと同時に、全てが細切れになった。


 「すごい! すごいよっ! 宗田さんからプレゼントされたこれ……楽しい! 楽しい! 邪魔なら奴らがこんなに簡単に――あは、ははははっ!」


 怪物にとって唯は死神に見えただろう。

 凄惨な惨劇が目の前で繰り広げられ、宗田はただ見ていることしかできなかった。


 「お姉さん、すごいよね」

 ベリルが横に並ぶと、宗田を見上げて口を開いた。

 その瞳の奥には興奮したような熱気がこもっているように見える。

 

 「すごい……本当にすごい! おかしいよ! こんなのありえない! お姉さんは世界にとっての"バグ"だよ! 初めてだ!」

 鼻息荒くベリルが叫ぶ。


 ベリルの瞼を見開いて、真紅の瞳が唯から離れない。

 テレビに熱中する子供のように、唯の戦いを食い入るように見ていた。


 すると突然、ぐるりとベリルの顔が回転するように宗田を見た。

 瞳孔が完全に開かれた顔は、人間のそれとずれている。

 作られたような口が開くと、そこから人の言葉が発せられた。

 

 「お兄さんはお姉さんが怖いかい?」

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