救世主
「へっ――?」
アスエラの姿がブレると、一瞬で姿を消した。
「お待たせしました」
変わりに姿を見せたのは、悪魔と天使が混ざり合ったような、歪な気配を醸し出す唯だった。
満面の笑みの裏側には憎悪と愛が重なり、周囲の温度が急激に低下したように感じられる。
「私の宗田さんに……何してるの?」
小首を傾げるように、重たい言葉を唯は投げつけた。
それには歪んだ愛情が存分に込められて、宗田の全身に鳥肌が立ったが、何故か心が高まる感じがした。
真っ直ぐに見つ続ける唯の瞳には、宗田以外なにも映っていない。
澄んだ黒い瞳がどうしてか、真っ赤で血のような宝石に変わり、どんなものよりも怖く、残酷で冷たいが、こちらに向けられた思いは、熱い鉄を溶かすほどの熱を感じていた。
それに、宗田は魅入られるように吸い込まれ、無意識に唾を飲み込み喉がなる。
「なんで、勝手に宗田さんに触ってるんですか?」
唯が消えた。
すると今から腕を引きちぎって、血を啜り、肉を噛みしめ、骨を砕こうと、宗田の腕に手を伸ばす怪物の頭が突然爆散する。
瞬き一つの間に唯は元の位置に佇んでいた。
その場から動いた形跡のない彼女の拳には、怪物の肉片がこびりついている。
「宗田さんは……誰にも渡さない。細胞の一つまで――私のもの」
次の瞬間には、宗田を囲んだ怪物が全て宙を舞う。
血の雨が宗田と唯を濡らし、汚物のような生臭ささが鼻腔を刺した。
「お待たせしました。今、助けますからね」
唯がこちらに近寄ろうとすると――
「貴様ッッ! なんで、ここに――」
アスエラの叫びと共に、木の根が唯を突き刺そうと地面から現れた。
「私、宗田さんのところに行きたいの――邪魔しないでくれる?」
唯は避けることもせず、その根を掴み取ると強引に引きちぎる。
「お前……邪魔を……」
黒い羽を羽ばたかせて、降り立ったアスエラの顔の中心に大きな穴が空いていた。
辛うじて残った口の残骸が、食いしばるようにきつく閉じると、穴の中が蠢きだし、血が血管が神経が、結び合うように伸びて、中身が修復される。
そして、皮膚を削がれた顔に、真新しい皮が貼られると、アスエラの顔が完全に再生された。
顔の再構築している間も唯は一瞥することなく、アスエラはそれに忌々しそうに、舌打ちをして口を開く。
「神崎 唯って言ったわよね……聞いてもいいかしら?」
「葵さん……じゃないわいね。聞きたいこと? なに?」
「どうやって……あの部屋から出れたのかしら」
「――殴って壊したそれだけよ」
唯は聞かれた疑問に簡潔に返すと、アスエラの頬の肉が痙攣するように引きつり、後にわずかに後退する。
「ずっと、宗田さんの叫びが聞こえてて……早く助けに行きたかったのに変な壁に邪魔されて――それなら壊してしまえばいい。殴って殴って殴って殴って、手が壊れたら治して、私の宗田さんに対する気持ちが、邪魔なら殺せ殺せ殺せって、ずっと言ってたんです。――つまり、宗田さんの宗田さんの宗田さんの、その思いが、その思いだけが、私に――力をくれました」
まくし立てるように言い切ると、自分の手の平で顔を覆い、愛おしそうに撫で下ろし、人差し指をペロリと舐める。
「宗田さん――すぐに行きますからね」
宗田の名前を呼んでから、たっぷりと間を置いて次の言葉を口にして、唯が微笑かけてくる。
宗田は呆然と見ることしかできなかった。
二つの狂気がぶつかり合い、空気中の酸素が全て凍ってしまったかのように、呼吸をするたびに気管を冷やす。
だが、それでも葵を奪ったアスエラに対する憎悪は消えることはない。
どんな手を使っても――殺す。
すると、心臓がひとつ強く脈打った。
――だから、もっと力を寄越せ。
心の奥底の闇に手を伸ばして掴み取る。
――魂の位階レベル上昇。
――レベル、二十。
――解放率十%。
呼応するように声が告げると、内側から熱の固まりが体内を駆け巡った。
「――ははははっ!」
とても気分が良かった。
無限に湧き出るような力の本流に身を任せると、脳内のシナプスが激しく電気信号を送り出す。
快楽を司る脳を刺激すると、今から目の前の"女達"を殺せる幸福感に笑いが止まらない。
「えっ? 宗田さん? どうした……の?」
宗田の変化に唯が驚きを隠せない。
慌てて近寄ろうとするが、何かに押されるように近づくことができないようだった。
「あ、あぁ……やっぱり……」
アスエラは宗田の正体に何か気づいているのか、口元を震わせ体を縮こませると、顔から余裕が完全に消えた。
「――まずい、ですわ」
焦りを多分に含んだアスエラが黒羽を羽ばたか、空へと舞い上がる。
「どこに行く?」
宗田が軽く体を捩ると、ガラスが割れるような音と共に、体を押さえつけていたアスエラの魔法が砕け散った。
真っ黒に染まった聖剣を振るうと、黒い斬撃が彼女を追いかける。
それが右の羽を引き裂いて、バランスを崩したアスエラは墜落した。
「い、痛い……いえ、そんなことより、早くあいつから――ひっ」
羽を押さながら立ち上がったアスエラが、痛みで瞑った目を開くと、悲鳴をあげて怯えだす。
「なぁ、どこに行こうとしてるんだ?」
あぁ――愉快だ。




