さよならです
どれだけ世界を嫌っても、向こうから寄って来られてはどうしようもなかった。
今ほど、自分の非力さを呪いたくなる。
聞いてしまったら全てが終わる。
そんな気がして唇を押さえつけられてたが、自然と開いてしまった。
「時間切れ……葵さん、どういうこと?」
宗田の心臓は制御を失ったかのよう、騒がしく音を立て続ける。
「ふふふっ。それは、さよならってことなんですよ〜」
とびっきりの悲しい笑顔を宗田に向けて首を傾げた。
そして、下を向いたと思ったら、葵がぶつぶつと何かを呟き出す。
宗田が一歩近づいた。
「嫌だ……やだよ。消えたくない……せっかく……やだやだ」
子どもの癇癪のような呟きは、何かに抵抗するように見えた。
「葵さん……?」
宗田の手が肩に触れようとした時――
「――やだよーっ! やだ、お願い、消えたくない。宗田さん助け……て」
両腕を掴まれて、血走った瞳が宗田を映す。
宗田の肺が一気にすぼみ、喉が圧迫されて空気が押し出された。
指先は人のものとは思えないくらい熱く、骨に食い込み軋むくらい強く掴まれ、宗田は離れることができなかった。
「どうし……て、私。あぁ、宗田さ、ん。唯ちゃんと……仲良く……ね」
――ブチリ
葵の瞳がぐるりと一回転して裏返る。
がくりと首が垂れ、宗田から両手が離れた。
「なにが……いったい」
宗田は彼女をただ見つめることしかできなかった。
声も出せず、息を吸い込むのがやっと。
――はは
葵から声が漏れると、体が小刻みに揺れ出す。
「……葵さん」
振り絞って出した宗田の声は、すぐに消えてなくなった。
「あはははっ! もう、最高!」
顔を上げて笑う葵の皮膚の裏に、何かが蠢くように筋が浮かぶ。
目から丸いものが落ちて転がると、葵はその片方を踏みつけた。
そして、骨が折れたように手足がぎごちなく曲がり、葵は瞳を閉じる。
葵がピタリと動きを止めると、激しく暴れた空気は静まるが、その奥には深淵が潜みこちらを狙ってるかのように見えた。
――葵の体がぶるりと震える。
瞳をゆっくりと開ける姿は怪物のように異様な雰囲気を醸し出していた。
「人の最後の絶望……美味、本当に美味っ!」
瞳の変わりに収められた宝石のような蒼色の双眼を細めて、葵の声で笑う。
ケタケタと肩を揺らすたびに、目から伸びた赤い筋が雨のように床に滴り落ちる。
「あはははっ! はじめまして――人間」
歪んだ口角がふっと戻ると、そいつは宗田を見つめ返した。
「色欲の王――アスエラ。お見知りおきを」
自分をアスエラと名乗ると、足を一本引き腹に手を当て、貴族のようにお辞儀をした。
その紳士的振る舞いとは裏腹に、威圧感に宗田は瞬きすらできないほど固まった。
「あら? どうしたのかしら? 怯えて声も出せないの?」
アスエラが宗田を見る。
それだけなのに、心臓をくり抜かれたように体が冷たく感じられる。
「……葵さんを……どうした」
がしゃりと潰れたような声が出た。
唇が小刻みに震え、言葉を出すだけでも激しく息が切れる。
「うふふ。私ですか〜? ここにいるじゃないですか〜」
嘲るように葵の話し方を真似するアスエラは、楽しそうに笑みを見せる。
「……や……めろっ」
「なんですか〜? 宗田さん、聞こえませんよ〜」
次の瞬間、頭の中で何かが千切れ飛ぶ。
「――やめろって言ってるだろうがっ! 葵さんをどうした! 返せっ!」
怒りが恐怖を上回ると、宗田は叫んだ。
「あら、怖いですこと。彼女はね〜食べちゃいました」
アスエラがわざとらしく腹を擦る。
「まだ、腹の底で暴れてますが……もう、消えそうですわね」
ようやくちゃんと葵さんのことを理解してあげられたのに――
「なんでだよ……なんで――いつもこうなるんだよ!」
宗田が叫ぶ。
――イメージは銃
「アアァァァッッ! 喰らえよっ! 炎弾――フルオート」
ありったけの魔力を注ぎ込んで放った赤い玉を放つと、葵に全て命中する。
至近距離での魔法の更新に、宗田は反動で窓から落下した。
「――かはぁっ!」
強い衝撃が背中を突き抜けて、肺を突き破るように中身を外に押し出した。
明滅を繰り返す視界が、落ちた窓を見上げるがアスエラの姿は見えない。
宗田は転げ落ちるように下に落ちる。
「……やったか?」
「――自分の仲間をあっけなく殺そうとするなんて、見どころがあるじゃない」
「――なっ!」
頭上から聞こえた声に頭を向けると、漆黒の翼が見える。
宗田は恐る恐る視線を動かす。
「ところで……今の、なに? 魔法……いや、そんなんじゃないわね」
空に浮くアスエラは何かぶつぶつと呟いている。
頭の上の方に降り立つと、気配が目の前まで迫っていた。
「ねぇ、あなた――今のもう一度見せてよ」
アスエラが呟くと同時に、体を浮遊感が襲う。
彼女が手招きするように鋭く尖った人差し指を曲げると、それに従うように近くに引き寄せられる。
「早くして」
青い双眼が宗田の瞳を覗き込む。
「へー……答えないの。いいわ……これなんだ分かる?」
そう言うと、アスエラの背後から宗田が葵にあげたサバイバルナイフが現れる。
それを彼女が掴むと、刃先を包んだ記憶商店の紙が朽ち果てるように、ボロボロと剥がれだした。
鉄色の刃先が剥き出しになると、アスエラが側面をベロリと舐める。
「あの子、これで死ぬつもりだったのに残念ね〜。躊躇しないで、死ねば良かったのに」
「ど、どう言うことだ?」
葵さんがそんなことを?
「あら? ようやく口を聞いてくれるようになったかしら? まっ、あなた今から死ぬんだから、教えてあげる」




