私にとって
意識をどうにか保つことができた宗田は、深く息を吐き出す。
壁に手を付き足に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。
「あっ、もう立ち上がって大丈夫ですか?」
「普通に動く分には……なんとか」
不安そうに眉を寄せて見上げる唯に声をかける。
新しい魔法が使えるようになったけど、これもまた癖が強い。
あんなので魔力なくなるなんて……。
机の中心に置いてある影に視線が吸い込まれると、さっき魔法で出したナイフが置かれていた。
その奥に、顔を寄せ目を輝かせる葵の姿が映る。
「葵さん……なに、そんなに見てるの?」
「あ、宗田さん。元気になりましたか〜?」
「まぁ……一応ね。それでさ――」
「うふふふっ。ふふっ。ふふふふっ」
宗田の声を遮るように笑い続ける葵は壊れてしまったようだ。
「さっきから、こうなんですよ。話しかけても、ずっと笑ってるんでほっときました」
つまり、意識が朦朧としてる間、葵はナイフにずっと微笑んでいたってことか。
「葵さーん。おーい」
「…………。ふふ」
だめだ。反応がない。
それならば、その要因を取り除けばいい。
慎重に手を伸ばしナイフの持ち手を握った時だった。
「――ひぃっ!」
疾風の如く飛んできた葵の手が宗田の手首を掴む。
予想外の出来事に、短い悲鳴が漏れた。
葵の目が妙に真剣で、思わず固まる。
それでも口元は笑い続け、その不気味な迫力に手を離してしまった。
「……怖かった」
無意識に口が開いてしまう。
葵はまたナイフをずっと凝視し続けている。
「あー、そのナイフ、欲しい――」
「――はい。ありがとうございます」
いつものふんわりとした雰囲気はどこかに消え、宗田の声を遮ると、ナイフをすぐに手に取った。
視線の置き場がなくなり彷徨っていると、唯と目が合い、お互いに肩を竦める。
「け、怪我しないようにね」
とりあえず注意だけしておくことにした。
「これからどうします?」
ナイフをうっとりと眺める葵を無視して、宗田と唯は話を進めることにした。
魔力は少し回復したけど、可能であればあまり行動したくない。
「今日はこのまま引きこもろうか」
宗田が唯にそう言うと、小さく頷きを返す。
「ちょっと外の様子、見てくるよ」
今は文明の記憶の部屋だからゾンビに襲われる可能性は低いが、出口は玄関しかない。
窓から脱出も不可能だ。
逃げ道は玄関のみ。
となると、このままゾンビの襲撃に遭うのは非常に危険だ。
「あ、私も一緒に行きます」
宗田に合わせるように唯も立ち上がる。
「葵さんはー……」
「彼女は今、自分の世界にいる。唯、そっとしとこう」
「んーー、外の空気……美味しくない」
外に出ると唯が鼻から勢いよく空気を吸い込み、両手を上げ背伸びをした。
「本当に、な」
そう返すと、宗田の眉間にわずかにシワが寄る
「どうしてこんなことになっちゃったんでしょうね?」
不意に唯がそんなことを尋ねてくる。
「さあね……それもこれも、俺達がこうなったのも魔王のせいだよ」
「そうですね……魔王か。本当に居るんでしょうか?」
「分からないけど、否定しても現実は変わらないからね」
「もし、こんなことになってなかったら……私達どうなってたんでしょう?」
唯の何気ない言葉に、宗田は板が外れた天井を何気なく眺める。
あまりに急な展開で、そう言うことを考える暇もなかったが、改めて考えてみるがこれと言った答えは浮かばなかった。
しいて言えば……。
「いつもと変わらないんじゃないかな? 仕事してゲームして、また仕事。そして、たまに唯とご飯食べたり話したりね」
そう答えると、唯が下を向くのが見えた。
「そうですよね……。てことは、こうやってずっと宗田さんの傍に居られるのは魔王の"おかげ"。そこだけは感謝しないとですね」
「まぁ、そうだな。辛いことたくさんある。本当は家族のことも探したいけど、生きることで精一杯だし。でも、本当に――一人じゃなくて良かった」
それは、心の底からの本音だった。
唯が居なければ、自分も怪物の群の一員だったと思っている。
こうして、三人でふざけた話をできるのも唯がいたからこそ。
「嬉しいこといいますね。私もです。宗田さんは私にとって――世界なんです。なんだって、できちゃいますよっ」
唯の優しさに触れると、口元が自然と綻んだ。
ただ――
「えっと……私にとってなんだって?」
「えー、恥ずかしいからもういいませんよ。だめでーす」
「そ、そうか」
聞き間違いじゃない。
そのフレーズに魔王が現れる前に見た変な夢が記憶から呼び起こされる。
これは――私の世界です。
暗闇で生首を持つ女性と唯が被さって見える。
ただの夢のはずがどうも割り切れない。
唯、君は……。
今は彼女の優しさが鋭い刃のように危険に見えてしまっていた。
「どうしたんですか?」
呆ける宗田を覗くように唯が顔を近づける。
焦点が唯の大きな瞳で埋め尽くされ、鼻腔を花のような香りが撫でる。
「ちょっ、近すぎるって」
自分の心を悟られないようにと、自然と返すが心臓の鼓動がいつもより大きく聞こえた。
ドクンと脈うつたびに鼓膜が揺らされ、唯に聞こえてるのではないかと汗が背中を伝う。
「あ、ついでにフライパンとか調味料も持って行こう」
話題を強引に変え、唯から距離を置くことにした。




