家
唯が駆け寄って来たのが見えるが、その口がせわしなく動いているだけで、宗田の耳に言葉が届くことはなかった。
――補助プログラムの終了、実行。
――解放率、一パーセント未満に低下。
――斎藤宗田の創作物「"過去の遺物"」。
――侵食率、九十九。
――破壊、実行。
――肉体の損傷の再生「深層修復」、実行。
変わりに聞こえた声は、意味の分からないことを話している。
ただ、戦いの中で急に力が湧いてきたのは、この声がきっかけだったことを覚えている。
敵ではない。そのことに恐怖はないが――
――君は誰?
と、問いかけても返事はなかった。
「……さん。……田さん、……宗田さん!」
耳の骨を滑るように中の膜が一気に震えると、朧げだった意識が急激に目を覚ました。
変わりに何かが遠のいていく。
「良かったー。ずっと名前を呼んでも反応ないし……それにを治そうとしたら、勝手に……」
「え? 傷?」
そう言えばあいつの攻撃で。
あれ、ない? 肩も……治ってる。
下に顔を向けるが、破れた服から見えたのはいつもの自分の肌。
肩を指先で触れても痛みがなかった。
「あっ、剣は……」
右手にはまだ、あの異様な剣の感触が確かにある。
しかし、次の瞬間には、剣が歪に波打ち始める。
思わず手を離してしまったが、それは地面に落ちることはなく、ぐにゃりと渦を描かように形を変えた。
そして吸い込まれるように、一点に収束し始めると世界に飲み込まれるように消失した。
「……消えた? どこに」
残ったのは静寂だけ。
その出来事に唯も言葉を失うだけだった。
「あれ〜。なくなっちゃいましたね。せっかくのかっこいい剣が。もったいないです〜」
宗田と唯が口を閉ざしていると、変わりに葵が言葉を発した。
一点を見つめる彼女の瞳は、大切な何かをなくしたように悲しげが浮いている気がした。
「もったいない」
もう一度、葵が呟く。
その言葉の意味が、頭に入ってこない。
「――あががか……あ、あぁぁぁ」
空気を切り裂く声がすぐ傍で鳴いた。
この、戦いの音に釣られてきたのだろう。
「二人とも!」
宗田が声をかけると、唯と葵が反応を示す。
白い怪物との戦いで吹き飛ばされた武器を拾いあげ、その場から駆け出した。
「宗田さん、唯ちゃん、こっちです〜」
四方をゾンビに囲まれ、逃げ道が少しずつなくなっていく。
また、戦闘を余儀なくされるかと思った時、葵が俺達を手招きしてきた。
唯と目を合わせると、頷いて葵についていく。
すると一件の民家の前に立ち止まり、ポケットから鍵を取り出した。
「この中です〜」
玄関を開けると、葵に中に入るように促される。
その言葉に従い中へと入った。
「ここ、は……?」
外の騒がしさを断ち切るように、家の中は静かだった。
「ここは、私の家ですよ〜。二人ともそんなところに立ってないで中へどうぞ」
「えっと……お邪魔します」
靴を脱ぐ時の擦れた音が妙に耳に残る。
薄暗く人の気配がない家の中は不気味に感じてしまう。
ただ、どこかで嗅いたことがあるような、生ゴミを煮詰めたような感じに、その臭いの先を目で追った。
二階へと続く階段の先は、ぽっかりと大きな口を開けて獲物を待っているように見える。
それが、蛇のように這い寄り、宗田の首筋に巻きついた。
唯も気づいたらしく、鋭い目でその先を射抜いていた。
すると、そこで立ち尽くしていた葵が声をかけてくる。
「どうしたんですか〜? こっちですよ?」
葵の元へ歩みよる間も、二階に何があるか、それに意識が向いていた。
後を突いてくる唯も、呼吸が細く、あきらかにいつもと違う。
そして、案内された部屋はどこにでもある普通のリビング。
ソファーにテレビ。この世界になってから、まったく形を変えずにそこに残っていた。
「わぁ〜。流石にホコリ、凄いですね」
葵は二階の異変には気づいてないだろうか? 多少は薄まっても、死の臭いがこの家の中を満たしている。
ゾンビの集団から逃れたけれど、体の緊張はそのまま続いていた。
「葵さん……ご家族は」
口を開いたのは唯。その視線は葵ではなく、飾られた写真に向けられている。
「わからないんです〜……こうなってから、初めて家に」
わずかに顔を伏せてそう言った葵に、少しだけ腹の奥が重たくなったのを感じた。
「そうですか。無事だといいです、ね」
唯が言葉をかけたが、その声は沈んでいた。
自分達の家族のことを思い出したようだ。それは、葵だけじゃなく宗田もだった。
連絡も取れず、生死は分からない。ずっと避けていた言葉は、心を乱れさせるには十分すぎた。
「でも、きっと無事ですよ」
唯の声色は戻っていない。わずかに言葉の端が震えているように聞こえる。
すると、自然と手が伸びて唯の手を握っていた。
「――えっ? あの、宗田さん」
予想外のできごとに唯は明らかに動揺する。
宗田の名前を呼んだ声がさっきとは違い、上ずっていた。
「わぁ〜。二人と仲良しですね。うらやましい。いいな〜」
ほっこりとした笑みを見せる葵の姿があった。
「私、お邪魔かしら〜。うふふっ。ちょっと"二階"にでも退散しますね」




