帰宅
「あ、ああ……がぎ……ギィィッ――ィ」
サラリーマンと思われるスーツを着た男が、断末魔を残して地に伏せる。
体からはみ出た紐が地面ついてから、重たい音がした。
最初の頃ほど不快感はないが、まだ口の中が異様に渇き、胃の中で胃酸が放出されると胸焼けのように熱くなる。
ゾンビを一体倒してから、少しすると別種の腹の真ん中当たりが熱を帯びた。
「レベルアップしたか。なんか……こういうのなれてきた、な」
少しずつ、自分が人間じゃなくなっているみたいだ。
嫌悪感が遠くに行ってしまい、ゾンビを殺すことが作業のように感じられると、自分の中に別の人格が生まれたような錯覚に陥ってしまう。
今の頭の中は凄く静かだ。
手の震えも無く、血の臭いも、肉の腐った臭いも日常に溶け込んでいるように自然だった。
それよりも、拾ったロープ止めが使えたことに嬉しさの方が強く感じてしまう。
意識を死体から離し、前を向くと宗田はアパートへ向かって歩きだした。
「なんとか……ここまで来れた」
頬を垂れる汗を拭うと、肺に溜まった空気を吐き出した。
遠くを見れば数体、影が見えたがこの距離なら気づかれないと、アパートの階段まで一気に走る。
階段の目の前に到達すると、他にいないか周囲を確認したがゾンビの気配はない。
足を一歩踏み出し階段を昇る。
一歩登るごとに、唯が戻っているか心配になり、胸が押され、呼吸が浅くなる。
最悪のことを考えてしまうと、指先が震える。
それを逆の手で押さえて、呼吸を整えるようにわざと深く吐き出した。
そして、ドアの前に到着する。
ポケットから鍵を取り出して穴に差し込もうとするが、上手く入らない。
両手でどうにか差し込んで、鍵を回した。
「あれ? 開いてる……」
唯に合鍵を渡していたから部屋の中にいるかもしれない。
でも、だからと扉を空けっ放しにする理由は見つからなかった。
いろんな考えが頭を駆け巡り、心臓が肋を激しく叩きつけてくる。
「唯いるのか……?」
ドアノブを回し、隙間から顔を覗かせて唯の名前を呼ぶ。
「この臭いは血……」
玄関にも臭ってくるような、かすかな生臭さが鼻腔を刺激すると、宗田の表情が一気に険しくなる。
靴を脱ぐ時間すら焦れったく感じて、土足のまま中に入ると、急いで奥の扉を開ける。
「あ、えっ? ゆ……い?」
壁に持たれるように座り込んだ唯の姿があった。
その惨状に、頭の天辺から血の気が逃げ出して、産毛が総毛立つ。
座り込む唯はドス黒い血液に染められ、噛み跡まついていた。
指の一部が欠損しており、そこには乱雑に布が巻かれている。
「そんな……唯まで、俺はどうしたらいいんだ」
呆然と声を漏らし唯に近づくと、膝から崩れ無意識に抱きしめた。
唯の冷え切った体が、宗田の肌に刺さる。
甘い匂いが腐った臭いに変わってしまったが、それでも宗田は唯を離さなかった。
「俺……守るって、約束したのにさ」
震えた声でそう言った。
「なのに――」
「――約束、守ってくれて……ありがとうございます」
唯の呟きが鼓膜を撫でる、肩に埋めた顔を離す。
「ずっと……どこに行ってたんですか」
息を切らしたように唯が声を出す。
「唯……良かった、生きて」
「あの……痛いです」
声は弱々しかったが生きていることに、目尻が熱をもつ。
「あ、待ってくださいね。――治れ」
唯の治癒魔法の凄さを改めて実感する。
宗田の使った"グランドヒール"よりも早く、傷が復元しているように見えた。
まるで時間の逆行。その神秘のおかげでいつもの彼女の姿に戻る。
「あー、痛かったです」
「痛かったですって、凄い心配したんだ――」
「――それは、こっちのセリフですよ! 十日もどこに行ってたんですか? ずっと、ずっと探してたんですよ!」
嘘だろ? 十日? そんな……はず。それに、ずっと屋上にいたはずじゃ。
「あの後、すぐに屋上に戻ったんですが、宗田さんいなくて……ずっと、ずーっと探してたんです」
ありえない。
唯の言葉に思考がショートし、目の前が歪みだすとつられて体が自然と傾いしまう。
「宗田さん!」
彼女の名前を呼ぶ声に我に返ると、朧げな視界で唯を真っ直ぐに見つめた。
次第に視界が鮮明になると、彼女の瞳が映る。
怒っているような、悲しいような、混沌として白目の血管が赤く浮き出ていた。
唯の切羽詰まったような雰囲気に、混乱した頭が落ち着きを取り出し宗田は口を開く。
「その、ごめんね。帰ってきたからさ」
そっと呟いた。
「はい、おかえりなさい」
唯の声が宗田の心に染みわたり、口が自然に開いて、「ただいま」と返事をした。
ようやく彼女に会えたことで、張りつめたものが弾け宗田の全身から力が抜ける。
「あ、ところで、嬉しいのは分かるんですが、離れてください」
辛辣に言い放つ彼女は両手で肩を抱えそう言った。
「え……?」
「それは、お風呂……ないから」
唯は視線を落とす。
「ん? 聞こえないよ」
「もう! 嫌いです! 宗田さん嫌い! デリカシーはないんですか! 私は水の魔法が使えないんですよ! もう!」
まくし立てる唯の姿が面白くて、つい笑ってしまう。
だけど、それが嬉しくてたまらなかったし、笑うのが久しぶりに感じた。
でも……確かに汚――
「――何か?」
どうやら、心を読まれてしまったようだ。
宗田は立ち上がると、急いで浴室に向かう。




