絶体絶命
夜の街に跋扈するものは、蒸した空気と、虫の声。そして、蒸れて腐った肉の香りだった。
だけど、当に鼻はその役割をわすれたかのように、感覚が消えている。
今あるのは五感のうち四感だけだった。
消えた嗅覚に違和感はあったが、宗田達にとって悪臭が邪魔をすることが無くなり、ある意味では良かったのかもしれない。
だけど、それは敵の居場所を知らせる唯一の警告を、自ら捨て去ったのだと同義だった。
レベルアップによる高揚感が慢心を生み、唯の首元には黄ばんだ汚い歯が突き立てられようとしている。
「――唯っ!」
宗田の声も虚しくゾンビは動きを止めることがなかった。気付いた時には、すでに包囲されていた。ただ、それだけ。
一点突破を狙ったが、家の門に隠れていたゾンビに唯が組み付かれていた。
宗田は先を走っていたため難を逃れたが、不意打ちを食らった唯が組み敷かれた形となる。
その拍子に、唯一の武器の金槌は、唯から離れたところに転がった。
頭のリミッターが存在しないゾンビに両手を塞がれているのが致命的で、抵抗しても意味をなさなかった。
――調子に乗った末路がこれ。
宗田が下唇を噛み、唯を助けるために思考を加速させる。
――遠距離の武器が欲しい。
なら、作ればいい。魔法があるじゃないか。
そして、呼吸を置くこともなく、いつものフレーズを唱えた。
――イメージは銃。
――指先は銃口。
――打ち出すは炎の弾。
――敵の貫く一撃を放つ。
――炎弾。
唯に食らいつこうとするゾンビに焦点を合わせると、指先を頭に向けた。
「頼むよ」
そう願いを込めて頭の中のトリガーを引くと、炸裂音が耳を粉砕するかのように、闇にこだました。
吸い込まれるように頭へと命中すると、頭蓋の一部が抉れそれでも止まらず、アスファルトを焼いた。
肉の焦げた臭いが鼻孔をくすぐり、倒れた唯の顔は赤く染まりまるで仮面を被ったように目だけがぎょろりと浮かんでいた。
「ぐぅ……」
しかし、宗田の魔力も底をつきかけているのか、頭を押さえ、くの字に曲がる。
すると、もたれかかるように倒れていたゾンビを跳ねのけ、唯は宗田の元に駆け出していた。
爆発的な速度で宗田に迫った彼女の足元は、アスファルトに足跡が付くほどの凹みが出来ていた。
「――宗田さん!」
そっと体を支えると、宗田を軽々と持ち上げてしまう。
小柄な彼女に持ち上げられた宗田は、魔力切れによる苦痛と眠気に襲われながらも、一瞬だけ目が見開いたがすぐに限界が来る。
「……あれ? ここは?」
そこは見知らぬ部屋だった。
体を起こそうとすると、自分の体重が倍になったんじゃないかと思えるほど重たく、半身を起こすだけでも時間が必要だった。
どうにか体を起こすと、周囲の状況を確認するべく視線を巡らせる。
「唯……無事で良かった」
彼女が無事だったことで、安堵と生を強く実感すると、肺の空気が全て吐き出され肩がすっと丸みを帯びる。
壁にもたれかかったまま寝てしまった唯の姿は、血みどろでおぞましい物だったが、その寝顔は狂気の全てを忘れさせてくれるようだった。
数秒、唯を見つめているとコクリと頭が下がり、薄っすらと目を開ける。
「あ……宗田さん」
「良かった。無事で良かった」
「はい。守ってくれてありがとうございます。それと、私も守れて良かったです」
笑顔を見られただけで満足だった。
――もし、少し遅ければこの笑顔が二度と見られない。
だから――狂っていいんだ。
やってきたことは何も間違っていないと、言い聞かせるように飲み込むことにした。
「当たり前だろ。俺は守るって約束したんだ。でも、こっちこそありがとう」
また、一緒に居られることが心の底から嬉しくて、彼女は最高の相棒だと、自分が狂うための意味だとさらに自分の意思が強くなるのを感じた。
宗田の言葉に満面の笑みを見せると、乾いた血が塗料がめくれるようにはらりと落ちる。
「もう。誰かのせいで血だらけで、最悪です。あっ、金槌もしっかり回収しましたからね」
「いや、自分でも相当汚してたけどな」
そんな会話をしていると、多少魔力が回復したのかだいぶ楽になった。
すっと立ち上がると、両腕を高く上げ背筋を伸ばす。
「ところでここは?」
宗田が唯に問いかける。
「えっと、知らない人の家ですかね? とりあえず一旦隠れるのにたまたま鍵が開いてて」
「そっか。家の住人は……いなそうだね」
宗田の視界には整然と並んだ家族の写真があった。よく見ると、荷物がまとめられた痕跡があった。
生活の温度が消えた部屋をぐるりと見回すと、地獄のような世界でも生きていて欲しいと祈るように目を閉じた。
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