二人で
「ごめん」
乾いた声を喉を振り絞るようにして出した。これで何度目だろうか。
彼女の説教が耳の奥をやすりのように削る。
床に音に落とした視線は、ただ木目の線を数え意識を閉じ込めた。
「――もうっ! 次は許しませんからね」
「……はい。二度と……」
終わりの見えない唯の怒りに、ようやく光が浮かび上がった。
ため息を一つ。そして、空気が落ち着くと唇がわずかに沈みもう一度開く。
「今回は許します。だから代わりに……」
唇が止まり、瞳がさまよい明らかに動揺していることが見て取れた。
「代わりに? 何でもするから言っていいよ」
続きを促すと、わずかに唇が震える。
「あの、そのですね。今度から、”唯”って呼んでください……ほら、あれです。文字数、そう文字数です。神崎さん、だと五文字ですが、唯なら二文字で済みます。咄嗟の時に、短い方がいいですし……」
一気にまくしたてるが、最後の方は消え入りそうだった。
目を丸くして彼女を見たが、表情を緩めて頷いた。
「あー、分かった。これからは気をつけるよ、その……唯」
その程度ならいいかと名前を呼んでみたが、気恥ずかしく視線を逸らした。
唯もそっと目を伏せると、騒がしかった部屋が静まり返る。
「あっ、そ、そう言えば、これ見て」
まだ残っていた気恥ずかしさを散らすように、宗田は下を向く。
その手には、昨夜の水の球体がふわりと浮かんでいた。
彼女が声に反応してこちらを向いた。
次の瞬間、驚きに瞼が大きく開く。
「え? これって、凄い!」
揺れる球体を食い入るように見つめ唯は、声がわずかに上ずった。
「一応さ、その、レベルアップしたから、試したらできんだ」
食い入るように見る唯の横顔に、宗田は胸の奥がじんわり熱くなる。
我慢しきれず口元がわずかに上がった。
「なんか、一人だけパワーアップしててずるい」
頬をわずかに膨らませた唯が、ぱっちりとした目を細くして宗田を見た。
「ははは……」
その視線に耐えられず、そっと目を逸らした。
「あっ、その手……痛そう」
宗田の掌を見た唯は、小さく声を漏らす。
そっと手を添えて優しく包む。
彼女の手の暖かさに、指先が思わず動いた。
「治って」
潰れた豆とめくれた皮の残る掌を緑の光が包む。
数秒それが続くと、時間が逆再生したかのように傷が治った。
「凄い、な」
視線の先で、唯がほっと息をついた。
「少しでも宗田さんの役に立てて嬉しいです。でも、無理はしないでください」
「分かってるよ。次からは神崎さ……いや、唯にもちゃんと相談するからさ」
彼女の名前を呼ぶとき顔が違う方向を向いてしまう。
まだ、慣れてないのか宗田は頬をかき、唇が揺れ乾いた声を出す。
「お願いしますね」
微笑みを返す唯に、宗田は小さく頷きを返す。
太陽が寝て、闇が完全に姿を見せるとき、二人の影が月明かりに照らされる。
「星、きれいですね。こんなに綺麗なの初めて見ました」
空を見上げながら呟いた唯の視線の先を宗田も追いかける。
「あぁ、本当に」
唯の瞳を覗けば綺麗な星たちが並んでいる。
しかし、宗田の目は、星を見ているようでどこか遠くを見ていた。
「唯……本当にやるのか?」
「はい。覚悟は出来ています。私だけ……いつまでも頼りっぱなしは嫌です」
目を伏せもう一度こちらを見る瞳は迷いがなく、宗田を真ん中に捉えていた。
「……分かった。でも、唯も無理だけはしないで欲しい」
「分かってます」
宗田が小さく頷き、夜の街へと歩き出した。
「そう言えば、他の人はどこに消えたんでしょうね?」
きょろきょろと周りを見ながら、唯が口を開く。
「それねー……俺も思ったんだけど分からないんだ。アパートも全然、人の気配ないだろ。どうなってるんだか」
日常が朽ち果ててからのことを思い出しているが、アパートから物音一つ聞こえたことはなかった。
しいて言えばゾンビの声が遠くから聞こえたくらいか。
まるで、置き去りにされてしまったようで、孤独が体の中で騒ぎ出した。
「どれくらい寝てたんだろうな――俺達さ」
ぼそりと呟くと、横を歩いていた唯の足が止まる。
「でも、私は……宗田さんがいてくればそれだけで」
その言葉にゆっくりと宗田が振り向くと、唯が下を向き体をもぞもぞと動かしている。
優しく微笑みかけると、
「ありがとう……俺もさ――」
話を遮るように、腐った臭いが強くなる。
甘い空気は汚染され、体が石のように固くなった。
「この臭いって」
声を出さずに頷きを返す。
「すごい臭い。うっ……」
二人の視線の先は暗闇が続くばかりだった。
それなのに嗅いだことのないような悪臭は唯の顔に影を落とす。
「帰ろうか?」
宗田が声をかけるが、唯は首を横に振りそれを断った。
漂っていた臭いが強烈になると鼻孔を刺し、唯の瞳には涙が滲んでいる。
宗田も慣れたと思っていたが、思わず腕を鼻に押し当てた。
「近い。気をつけて」
住宅街の曲がり角からそっと顔を出すと、人の姿が見えた。
公園で見たゾンビのようにその場から動かず、風に揺られた木のように体を揺らしている。
「あれが……ゾンビ」
ゾンビを初めて見た唯は思わず言葉が漏れる。
宗田は頷きを返すと、手に持っていた金槌を渡す。
「俺が魔法で先に攻撃するから、唯は頭を狙って欲しい。できそう?」
「……はい。宗田さんが一緒なら、できます」
金槌を握る手は震えていたが、その瞳には意思の強さを感じることができた。
その言葉を信じ、宗田は魔法の言葉を口にする。
――イメージは蛇。
――うねりを上げて地面を這う。
――獲物に巻き付き離さない。
――蛇の束縛。
宗田が言い終えると、一筋の雷がとぐろを巻くようにゾンビに絡みつく。
体が硬直し小刻みに震えると、膝から崩れ落ちた。
初めてゾンビに対して使用した魔法が成功すると、小さく拳を握り息を吐いた。
「――すごい」
「唯、今だ!」
彼女が言った通りだった。頭の中で思ったことが、現実に具現化した。
たが、その感動に浸っている暇はなく、すぐさま彼女に指示を出す。
「は、はいっ!」
その言葉を聞いた唯は、ゾンビとの距離を一気に詰める。
そして、頭に向かって手を大きく振り上げた。




