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じゅるじゅる

 あの後、泥のように眠って目が覚めたら、昨日の戦いで蓄積した疲労が体を動かそうとする意志を阻害してきた。


 どうにか布団の誘惑に勝って起き上がれば、唯が肩まで伸びた長い髪を後ろで纏めている姿が目に入る。

 「おはようございます」と、髪を結びながら微笑んできた。

 宗田は、目を空けきろうとするのを邪魔する目やにを何度か瞬きを繰り返し引き剥がしてから、唯に挨拶する。


 「ふぁ〜……はぁ〜」

 大きな欠伸が漏れると唯がくすりと声を出して笑う。

 宗田もはにかんでから、立ち上がろうと床に手を伸ばすと、ざらついた感触としっとりとした肌に吸い付くような感触がする。

 なんだろうかと、指を動かせばねちゃりと生ぬるい液体が指先に触れる。


 「じゅるじゅるじゅる」

 なにかを啜るような音が聞こえたのと同時に、人差し指が吸い取られるような感覚がする。

 ざらついた何かが指先を這い回り、寝起きの気だるさと相まって不快感が増幅されると、背中が勝手にぶるっと震えた。


 「うわっ! 汚ねぇ!」

 美少女がだらしなく涎を垂らして、鼻からは提灯が出来上がっている。

 人の指を食べ物のように吸い続け、ようやく解放されると口がにへらと笑い出した。

 「殴るか?」

 こっちの気持ちも知らずに幸せそうに眠るベリルに妙に腹が立ち、拳を握るがすっとそれを下げる。

 「これ、使いますか? 喉を狙えば一撃で仕留められると思いますよ」

 唯に包丁を手渡され、宗田が強く握り絞めたところで。


 「へぇあ?」

 と、間抜けな声を上げてベリルが起きやがった。

 「――ちっ!」

 思わず舌打ちが出る。

 「はぇ? なになに? 二人して? って、包丁! なに、僕料理されちゃうの!」

 状況が掴めないベリルが二人の顔を何度も交互に見る。

 

 「……惜しかったですね」

 唯が宗田から包丁を受け取り静かにキッチンへ姿を消す。

 宗田もそっと立ち上がり、顔を洗うために浴室に消えていった。


 「へぇ? 本当にどう言うこと?」

 ベリルだけがその場に取り残され、キョトンとした表情を浮かべている。

 「……もしかして、危なかった?」

 その呟きは部屋の中に溶けて消えていく。


 ――――

 

 朝から事件が起きそうだったが、未然に防がれて支度を済ませると、早速学校へと向うために家を後にする。

 アパートの扉を戻すと、民家の玄関を開けた。


 その瞬間、眩しい光と鳥のさえずりが出迎えて、真夏よりも少し乾いた空気が湿った肌を撫でてくる。

 すうっと深呼吸をすれば、新鮮な腐敗臭が鼻を突き、現実が再び戻ってきたと実感できた。


 「あ、ゾン――」

 玄関を開けてすぐに、ゾンビが横切ろうとしていた。

 宗田にとっては見慣れた光景で、近所の人を見かけたくらいの気分だった。

 挨拶をするように、ゾンビの名前を呼ぼうとすれば、颯爽と横を影が通り過ぎて、Tシャツ姿のゾンビの頭が弾け飛んでいた。


 「……ビ。あ、唯……魔石ありがとう」

 あっと言う間のできごとに、宗田は置いていかれてしまう。

 気づいたら唯が心臓を抉りだして、それを地面に叩きつけてから魔石を取り出していた。

 そして、宗田の手に小さい魔石が置かれると、唯は満足そうに頷いている。


 「家賃、払わないとですよ!」

 そう言い放った唯の表情はどこか鬼気迫るものがあった。

 ゾンビと初めて出会った時のことが懐かしく、あの怯えて泣いていた神崎唯と今の彼女は別人なんじゃないかと思えるくらい、立派な成長を遂げている。

 

 「他にゾンビはいないの!?」

 獲物を探すようにギラついた瞳で、敷地を出ると顔をキョロキョロとさせてゾンビの姿を探していた。


 「――いたっ!」

 そう言った瞬間、唯の姿は宗田の視界から消えていて、気づけば魔石を握って帰ってくる。

 

 「全然足りない! 宗田さんも手伝ってください!」

 紫苑に会いに行く予定が、唯の中ではゾンビ狩りに変わってしまったようで、宗田が宥めるように唯に言葉をかける。


 「ほら、唯。落ち着いて。一旦、紫苑の所に行こうね」

 宗田の言葉を聞いた唯は、はっとした表情を見せて肩から力が抜ける。

 「そうでした……つい、家のことが不安になって……私ったら……」

 胸の前で手をもじもじさせると、白いTシャツが赤く色付く。

 部分的に染まっていた両手も、気づけば血が広がり殺人を起こしてきた人間のように、肌色と赤が混ざった色になっている。


 ――イメージは水


 宗田が魔法の言葉を呟くと、水の球体が空中に出現し、ふわふわと漂うよう唯の前で静止する。

 「と、とりあえず、手を洗おうか」

 唯が汚れた手を差し出すと、宗田は球体からゆっくり水を出す。

 最初は錆のような色をした水が道路に吸い込まれたが、次第に透明に変わり、球体が消える頃には唯の白い肌に戻っていた。


 「お兄さんもだいぶ魔法に慣れたね」

 ベリルが近づいてくると、宗田の魔法の残響を確認するように視線を水球が通った所に向ける。

 ポンコツそうで、でも中身は二人以上の怪物かもしれない彼女はどうしても掴みどころがなかった。

 助けられてるのも事実だし、無下にできないが自称凄い精霊の正体は今も分からない。


 三人で並ぶように歩くと、学校の正門が視界に入る。

 "人類領域"のおかげか、学校周辺のゾンビ達の姿は少なかったが、発動した時に内部に残っていたゾンビが数体、バリケードの前で立っている。


 ――イメージは炎弾


 宗田の周囲に浮かび上がった"五つ"の火球から、炎の弾丸が放たれると、ゾンビの頭が弾け飛ぶ。

 アドゥルバの戦闘で大きくレベルが上がり、魔力の威力と操作の精度、そのどちらも飛躍的に向上していると実感が湧いてくる。

 

 「……魔石」

 学校の入口に入ろうとすると、唯がゾンビの死体へと名残惜しそうに目を向ける。

 手が汚れるからダメだよ、と宗田が言うと唯はようやく諦めてくれた。 

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