権能
宗田の頭の中の紐の絡まりが解けなくなるくらいごちゃごちゃになってから、それを断ち切ろうとするように、シーリスと名乗った声が再び言葉を紡いだ。
――マスター? 返事がありませんが大丈夫でしょうか?
抑揚や人としての感情は見えないが、その言葉には自分を案ずる意味が込められていた。
宗田は覚悟を決めて口を開く。
「少し……混乱してる。生存用プログラムって?」
そう質問すると、すぐにシーリスは答えてくれた。
――はい。私は■■■に作られたプログラム。マスターの命を途絶えることを防ぐために創られました。
シーリスの声の一部は、ベリルとの会話でもあったように一部が"理解"できない。
――これは、失礼いたしました。まだ、マスターには届かないようで。ただ、私はマスターの味方には変わりませんので、安心してください。
こちらの心を読み取ったかのように、シーリスが言う。
自分に今のところ害意はない。
過去にも自分がピンチになれば助けてくれた経緯もある。
まだ、警戒心が完全に消えていないが、宗田は少しだけ肩から力が抜ける。
今回も、この状況から脱するきっかけをくれるのだろうか?
それについて聞いてみることにした。
「つまり、シーリス……君は味方。この状況をどうにかしてくれるのか?」
そう話すと、すぐに頭の中で声がする。
――イエス、マスター。今回、私がコンタクトしたのはそこにあります。
マスターの位階レベルが三十に到達しました。
それにより、一部の権能が解除されます。
一つ目は『深層修復』
二つ目が『強欲の手』
三つ目が『模倣』
――これらが今回解除され、その説明をするために伺いました。
シーリスが話た三つの権能と呼ばれるものは、宗田も聞き覚えがあるものが含まれていた。
『深層修復』はグールに二回目に出会った時に、傷を回復させてくれて、二つ目の『強欲の手』はアスエラとの戦いで、拘束を解除してくれた魔法。
ただ、『模倣』に関しては初めて聞いた。
「早く、使い方を教えてくれ」
今はその能力に関してとやかく考えている暇はない。
すぐにでも唯を助けないと。
――落ち着いてください。ここは、マスターの精神世界。
外の時間は止まっています。
正確には少しずつ動いてはいますが、止まっているのと変わらないくらいゆっくりです。
シーリスの言葉を聞いて、宗田はほっと息を吐き出した。
よく見れば、目に映っていたアドゥルバの影が固まって動かない。
唯の頭を噛みちぎろうとして、そこで止まっていた。
――それでは説明致します。深層回帰に関しては、超回復と思っていただければ、問題ありません。
それこそ、ご自身の魔力がある限り、即死でなければどんな傷をも回復。
傷の程度で、消費魔力は変わりますが、今の怪我くらいなら簡単に治ります。
唯の『治癒』に負けず劣らずの性能だと思う。
自身の怪我しか治せないが、この世界では必須ではないだろうか。
――二つ目の『強欲の手』。それは、魔力吸収です。
位階レベルが三十では、触れたものしか魔力を吸い上げられませんが、位階レベルが上がれば離れた場所からも、吸い取れる量も大幅に増加します。
これはアスエラの拘束を解いた魔法。
魔力を吸収と言うことは、あの時の拘束していた魔力を自身の物に変換して吸収したと言うことになるのだろう。
まだ、触れたもの限定だが、魔力依存の自分にとってはありがたい。
――最後に三つ目の『模倣』に関してです。
これが、今回の本命だと思う。
この窮地を脱するために使えるか……どうか。
仮にだめだったらば潔く諦めることができるだろうか?
いや、一度希望を抱いてしまったことで、再び死を選択することはできない。
自分だけ助かっても、唯が死んでしまったら壊れてしまう自信がある。
――模倣、これは選択した対処の能力を使用可能となります。
一度に選択できるのは一つだけ、リキャストタイムは十二時間。
また、二分で能力が強制終了されますので、ご注意ください。
シーリスの説明を聞き終えると、一つの可能性が頭に浮かんだと同時に、自分が執着していた"日常"から遠く離れてしまう気がした。
「シーリス……俺さ、普通の人間でいたいんだよ。いろんな魔法とか特殊な能力とか、憧れてた」
これまで胸に溜めたものが急激に溢れてくる。
「でも、今は違う。普通に戻りたいんだよ。朝起きて仕事して、ゲームして……そんな日常を送りたい」
溢れた感情が止まらない。
「だから、昔を知ってる神崎唯がいれば……まだ、戻れるかもしれないってすがるように執着してたんだ」
人でありたい。そう思うのはこの世界では罪なのだろうか?
「彼女が人間から離れれば離れるだけ、自分を見て正常だって安心できるんだよ。だから、彼女が傍からいなくなるのは嫌だ。怖いんだよ。自分が……どうなるか分からなくて――消えてしまいそうで怖いんだ」
だから、権能を使ってアドゥルバを倒した時、唯を越えてしまう。
だって、自分の方が異常者になっちゃうんだから。
「俺さ……権能を使っても普通の人間に――戻れるかな?」
腹の中に溜まったものを洗いざらい言い終えると、少しだけ楽になった。
――マスター……
シーリスが宗田を呼ぶ。
――世界が魔王に支配される前から、普通の人間ではないですよ。
そう告げられた時、頭の中が真っ白になった。
――詳しくは説明できませんが……普通の人間から見たら、マスターは――"化け物"です。それも凶悪な。
ここでも化け物と呼ばれるのか?
なんでだよ?
ただ、普通に生きたいだけなのにさ……。
――なので、日常とか普通とか、考える必要はありません。自分が生き残ることだけを考えましょう。
少し前から流行りだしたAIが空気を読まずにズカズカと言ってくるように、シーリスは心を抉り出した。
シーリスが言ったことが事実かどうか分からない。
ただ、これまで必死に日常にしがみついていた自分が馬鹿らしく思えた。
自分だけは普通の人間でいたい。
だから、必要最小限のことと、自分とは対照的な存在がいれば心を保てると考えていた。
だけど、それは今、真っ向から否定されて空から叩き落とされたようだった。
――マスター、大丈夫ですよ。あなたが化け物でも普通じゃなくても、斎藤宗田には変わらないです。
……うるさい――黙れ。
出来損ないのAIのように、無意味な理論を組み立てて、励ましてくるが、それは余計に神経を逆撫でしてくる。
無神経なそいつの言葉を頭の中から押しのけようとした時だった。
視界の隅でアドゥルバの指が微かに動いたのだ。
それが、少しだけ唯の首に食い込むと、口から苦しそうな声が漏れた。
「……なんで?」
止まっているんじゃないのか?
――申し訳ありません。マスターの精神が徐々に現実に引っ張られてるみたいで……
シーリスの声が遠くなる。
唯の顔が見えた。
それは傷だらけだった。
抵抗する気力もなく手がだらりと垂れ下がり、嬉しいとふにゃりと細まる瞳も力なく閉じている。
だけど、小さい呼吸が聞こえた。
まだ生きてる。
だけど、指の食い込みが強くなるたびに呼吸が弱くなる。
口を大きく広げたアドゥルバに引き寄せられて、このままなにもしなければ彼女は――死ぬ。
普通に戻りたかった。
ゲームをして、仕事して、布団に転がって。
だけど、その言葉は自分の口から出てきた言葉じゃないみたいに酷く遠かった。
無意識に名前を呼ぶ。
「シーリス」
――イエス、マスター
「権能を発動しろ。アイツを――殺す」
――はい。可能です。他の権能に関しても同様で大丈夫でしょうか?
「それで頼む」
――承知しました。私の後に言葉を続けてください。
シーリスに言われた通り、宗田はゆっくりと口を開く。
――イメージは『模倣』
――対象は神崎唯
――能力名『加速』
――トレース開始




