コンタクト
唯を助けるために放った魔法によって、指先一つ動かすことができない。
ざらついた地面の感触は遠の昔に失われて、残った温度を検知する触覚も、もう少しで全てが消えていく。
普段よりだいぶ狭まった視界の端に、アドゥルバの足が見えると、宗田は死期を悟ったように目を瞑る。
覚悟を決めるように意識を闇に溶かして、最後の瞬間を迎えようとした時、耳の奥が少し震えた気がした。
「――……さん!」
ほとんど聞こえなくなった耳に残った意識を集中すると、何かがぶつかり合うような音がした気がした。
ぴったりと閉じた瞼は言うことを聞いてくれない。
薄っぺらい皮の塊が、鉄の塊を持ち上げるくらい重たかった。
それを少しだけどうにかこじ開けて、視線を上に向ければ、小柄な女の影がアドゥルバと相対している姿が見える。
宗田は傷だらけの唇を開いて動かすが、喉から出てくるのは弱りきった音だけだった。
単身で突っ込んできた唯も、傷こそはなかったが足が震えているように見える。
それとも自分の瞳が震えていたのかもしれない。
ただ、それでも彼女の姿は満身創痍に映った。
赤い瞳をギョロリと開いて、アドゥルバに向かって自分の身長より大きな斧を構える。
感情のこもらない瞳が鋭く射抜くと、アドゥルバの肩がケタケタと上下していた。
なにやら会話をしているのかもしれないが、不意に二人を包む空気の色が変わると、唯の姿がブレた。
次の瞬間、弾けるように唯が飛び出してアドゥルバに斬りかかると、奴は避ける素振りすら見せず、全身で受け止める。
腹を裂かれて血が吹き出すと、小規模な爆発が起きて唯は後方に弾かれた。
その爆発で宗田の体もふわりと浮いて、転がるように仰向けになると、視界が開ける。
「……げろ」
その言葉を放つのが限界だった。
それも彼女に向かって言ったつもりが、すべて空に飲み込まれていく。
唯……伝えない、と。
宗田は顔に力を込めると、少しだけ横に動く。
その先には学校が植えた名前の分からない低木と、大きな一本の木が見える。
そこに影が映ると、アドゥルバの影が伸びていた。
手の先には首を鷲掴みにされてもがく人型の姿が。
ジタバタと暴れているが、少しずつ力なく手足がだらりと垂れ下がる。
それが、神崎唯だと気づくのに時間がかかった。
唯……嫌だ……。
頼む、頼むから辞めてくれ。
宗田は心で何度も懇願するが、アドゥルバの影が大きく口を開いて唯の顔に迫っていく。
そんな……。
唯を失ったら……。
自分は壊れるだろう。
心の軋みが大きくなり、乾燥して脆くなった泥が砕けていくように、破片が腹の奥に溜まっていく。
それが積み重なって内臓が圧迫されて、焦燥が浮き上がり喉元を締め付けた。
消え入りそうな自分の生命を再び点火させようと、もがいても、気持ちばかり逸るだけで、体だけが死んでいる。
目の前に映し出された絶望に、宗田の瞳に映る色が全て赤く染まった。
力が……欲しい。
自分がどれだけ日常から乖離しても、"狂っても"、彼女のためなら全てをくれてやる。
葛藤と言う膜を、断ち切るように、神崎唯が生きることだけを思う。
――二人で生きよう。
そう、決意したあの時から変わってしまった自分が――憎い。
彼女が、彼女のために。
彼女が欲しい。
あれは――俺だけのものなんだ。
その瞬間、不意に遠くに放った槍の魔力が消えたような気がした。
「――レベル……アップ……した」
こんな死にかけの状態でも、胸のゾクゾクは変わらなかった。
気分を高揚させて、次第に魔力が回復していくのが感じられる。
足りない。
これじゃ、足りない。
もっと、もっと――力を寄越せよ。
その瞬間――世界から気配が消えた。
――ザァ……
それは頭に声が入ってくる直前に、よく起こるノイズ。
宗田の心臓がトクンっと軽く跳ねる。
――魂の位階レベルが三十に到達しました。
頭の中で何かスイッチが入る時に聞こえる声、そのものだった。
機械的な声色で、男でも女でもない。
抑揚がなく、例えるならスマホで文字を読み上げる時に使う音声。
それも、かなり昔のもの。
なにが起きてるか理解できない。
今、起きている出来事に宗田は追いつこうとするが、それよりも先に声の主が次の言葉発する。
――コンタクト、開始。
これまでにない内容だった。
自分が覚えているかぎりでは、こうやって接触をしようとすることはなかったのだ。
宗田は息を潜めるように、自分の思考を停止させる。
――聞こえますか? マイ、マスター。
声の問いかけに、宗田は反応していいのか分からず少しだけ間が空いてしまう。
だけど、この窮地を脱することができる可能性もあると思えた。
恐る恐る、心の中で口を開く。
「……誰だ?」
そう言葉にすると、そいつからすぐに返事がくる。
――声が届いて良かったです。
――私は、あなたを"生かす"存在。
――斎藤宗田、"生存用プログラム『シーリス』"
――改めて、よろしくお願い致します。




