残酷な世界は許してくれないようだ
この世界は残酷だ。
死ねるかなと思ったが、まだそれを許してくれないらしい。
「――氷の精霊よ、我の願いを聞き入れたまへ。すべて凍れ、凍てつく大地が支配しろ。『フロストウォール』」
少しだけハスキーで女性にしては低い声色が、耳の奥に届いた。
皮膚を伝った汗の雫が一瞬にして凝固し、吐く息が白く染められる。
薄っすらと瞳を開ければ、グールの指先が後わずがのところで顔を引き裂くところだった。
横に目を逸らして、本体を見れば醜い彫像のように動きを止めている。
その瞳から生気は感じられず、宗田を襲おうとしてそのまま絶命していた。
「アリス、剛。宗君をお願いね」
「はいっす!」
元気いっぱいなアリスの声がすると、誰かに体を持ち上げられた。
「剛君、ここは真奈に任せて一旦離れるぞ」
「了解っす! 紫苑さん」
紫苑が剛に指示を出すと、振動が体に伝わってきた。
「お二人さんも大丈夫っすか?」
アリスが自分以外の誰かに声をかけていた。
「ねぇねぇ、筋肉ダルマ。ちょっとお兄さんを降ろしてもらっていいかな?」
「誰が筋肉ダルマだ! チビ助!」
軽い口喧嘩をするような声がして、ざらざらとした感触が尻に伝わってくる。
「お兄さんの頭のリミッターは、相変わらず壊れてるよね。はい、魔力渡すね」
小さい手が自分の手を握ると、そこから熱が体の中心に向かって流れ込んでくる。
「もう、少しだよ〜。って、本当にすっからかんじゃん。頑張りすぎ」
体温が全身に戻りつつある感覚に、少しずつ意識が覚醒すると、真紅の瞳が視界いっぱいに広がっていた。
「――うわっ! ベリル近い! っう! いてぇ!」
思わず頭を逸らしたら、コンクリートで出来た壁に後頭部を強打する。
「にひひっ! よし、完了! あー、魔力すっからかんだよ。このままじゃ、消えちゃうな〜」
悪戯な笑みを浮かべながら、ベリルがわざとらしく両手で肩を抱く。
「たく、部屋にある魔石持ってきて。――文明の記憶」
宗田がそう呟くと、床から生えるように扉が出現する。
「にゃっ!」
アリスの真横に出現したことで、驚いた彼女は変な悲鳴を上げながら横に飛び退いた。
「袋ごと持ってきてくれ」
「はーい! 魔石、魔石!」
リズミカルにそう言うと、ベリルはすっと扉の向こうに姿を消していった。
それを見届けてから、宗田がゆっくりと立ち上がる。
「……助かった」
素直に頭を下げる。
「助かったじゃないよ〜。宗くん、一人で突っ込んで行くんだもん! びっくりしちゃった」
アリスの言葉に申し訳なさそうに顔を伏せる。
「まったくですぜ!」
二人の言葉が心に突き刺さり、下唇を強く噛む。
「あ……あの……、あまり責めないであげてください」
小さい男の子の母親が恐る恐る小さく手を上げながら、会話に入ってくる。
彼女の言葉に全員の視線が向く。
「その……この方がいなければ、私も子も殺されてました。だから……その、責めないで欲しいんです」
その言葉に全員が押し黙ってしまう。
「にいちゃん! かっこよかったぜ! 俺もにいちゃんみたいなヒーローになりたい!」
母親の言葉に合わせるように、男の子がキラキラとした眼差しを向けてくる。
「握手してくれよ!」
そう言って手が差し出されて、握り返そうとしたが自分の手が酷く汚れていることに気づいた。
「そうだな……握手したいんだけど、手がこれだ。だから、みんな助かったら握手でもサインでもなんでもしてあげるよ」
「本当か? 約束だからな!」
怯えてた時と打って変わって、子供の声は元気いっぱいだった。
「ふむ……独断先行は許されないことにだけど、今回はそれで助かった命もある、か。むしろ、こっちが感謝しないとだな」
紫苑がツカツカと宗田の前まで歩いてくると、深々と頭を下げた。
「いや……そのなんだ? 気持ちだけで十分だ」
紫苑はいけ好かない奴だが、改めて面と向かって感謝されるとむず痒くてしょうがない。
だから、自分も一言だけ言って手打ちにしたいと思った。
「って、そんなことより真奈は?」
自分のために戦線を張っている彼女の方に目を向けると、宗田はその光景に思わず息を飲む。
「真奈さん、強いっすよ。だから、大丈夫っす!」
アリスが自慢気にそう言う理由が分かるくらいの光景がそこには広がっていた。
腰に下げた剣を抜き放ち、それを軽く振ればグールが簡単に引き裂かれる。
背中を見せた彼女に触れようと手を伸ばせば、その手はたちまち凍りつき、そのまま石像のように全身が凍りつく。
真奈の周囲が凍りの世界に覆われたかのように、隔絶されグールの大群はたちまち数を減らしていた。
「なっ、アニキもすごいけど、真奈さんはもっとヤバいんだぜ! 姉御にだって負けてないからよ」
剛が自慢気に突き出した胸をどんっと叩いて鼻を鳴らす。
宗田は真奈の戦いに吸い込まれていた。
そうこうしていると、最後の一体を紙を引き裂くように斬り捨てて刀を鞘に戻すと顔にかかった髪の毛を手で軽く払う。
そして、もう敵がいないことを確認してからゆっくりとこっちに体を向けた。
「へーい! お兄さん、お待ちかねの物ですぜ……って、どしたの?」
呆然とする宗田に向かって、ベリルが不思議そうに小首を傾げていた。




