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月を照らす(6)

 朝昼に通ってきたばかりの森猫の小道を一人で戻る。

 道のりには物音もなく、やけに静かな場所に感じた。


『よいのか小僧。人なんぞ簡単に滅びるぞ』

「それを願ったやつがほざくな」


 左腕が不愉快にあざけ笑ってくる。

 泥女がいても、にぎやかさの足しにはならない。


『クックク。予が率いていれば、下等種だろうと糧を滅ぼすなどありえんのにな』

「人を食料扱いするな。化け物が」

『ほう。貴様らも動物を殺して食らうじゃろ? 我らが人を食うのとなにが違う』

「っ、それは、人には自我が……」


 口が止まる。とっさに答えられなかった。

 そこには明確な線引きがあるはずなのに、思想は曖昧だった。


『動物にだって自我はあろうに。植物にだってな。それらは愚かな貴様らが都合よく解釈しているだけに過ぎない。己らが線を引いたのは、耐えがたき飢餓を慰撫するための言い訳と、獲物らが怨恨を抱いて牙を剥いてくるか否かのみぞ。ゆえに予は害されたから害する。それだけじゃ。我らと貴様らに違いなどあるまい』


 動揺から、むき身のまま腰に差した星鉄の鋭刃を岩壁に当ててしまう。

 隘路に硬質な音が反響する。言葉は返せない。それを泥女が嘲笑してくる。


『我が怨敵たる鉄屑を操ったのは古き都人よ。今となっては遠き時代。予も永久の生で赦しくらいは考えた。じゃが貴様ら新しき都人もまた、蒙昧に我らを害し続けた。互いの由縁も尋ねず、一方的に悪と罵り、正義の御旗を掲げたと信ずる。滑稽じゃの。予が輝く夜を望み、取り戻さんとするのも、すべては奪われたためぞ』


 泥女の言は、人知れぬ歴史に触れている気がした。

 けれど、聞いているのは俺だけ。世に捨てられ、捨て返した俺だけ。

 ひも解かれた真実を正しく編纂したい学者など、暗がりの隘路にはいやしない。


『ククッ。反論もできぬか。まったく、いつの世も人とは嗤える生き袋よのう』

「ッ、黙れ。殺すぞ」


 泥女にも言い分がある。それは理解できた。けれど納得はしてやらない。それこそが人の傲慢とそしられようと、互いの憎悪はもう解けないほどに絡み合った。


『そもそも、こたびの滅亡の引き金を引いたのは小僧、貴様じゃ』

「……なんだと?」

『貴様と僭称の娘が予を討ったことで、我ら一族は陣頭を欠いた。残った五つ首の公は脳の腐りきったマヌケ。貢ぐことしか考えず、いまだ予の肉体を求める下賎なる下種よ。ゆえにあやつらは衝動だけで動く。こうなって当然じゃ』


 コロコロと笑い声を立てる。泥女には珍しく、純粋に笑っている。

 どこか説教にも似た口調で、俺の自業自得であったと責めてくる。


 あのとき、俺とアージェは間違えたのだろうか。泥女を倒さず、セイヴたちも巻き添えにして、みんなして殺されていたほうがよかったのだろうか。俺たちが素直に死んでいれば、少なくともこうはならなかった。そう言われた気がした。


 ……バカバカしい。泥まみれの負け犬女が吠えてるだけだ。

 今の状況はセイヴの、引いては聖防国の自滅でしかない。やつが舵取りを誤っただけのこと。俺は俺に与えられたことをしただけだ。背負うべき咎などない。


 そう思いたいのに。人々を破滅に導いたと告げられた心身は酷く重苦しい。


『とはいえ、ようやくじゃ。下種どもの滅びは予の念願でもあるからな。そうじゃ小僧、あまねく生命が果てた現に一人残されるのもツラかろう? どうじゃ、貴様も彼奴らとともに死んではみりゃせんか? あの脳足らずの小娘にも言うとったじゃろ。死ねば誉れ高き英雄になれるとな、ククッ』


 どこまでも。人を舐め腐るクズだ。


「黙れ。殺すぞ」

『クックク。そう萎れるでない。予はこれでも貴様を好いとるぞ? クククッ!』


 泥女がさえずるなか、口を閉じて無心で足を動かした。メアとキオがいない道中は進みが早い。疲労は重いが、一日足らずで森猫の小道の半分に達せた。


 四方八方が暗がりで埋め尽くされた断崖天壁で、崖肌に背を預けて目を閉じる。

 食事を済ませても、思考にまとわりつく泥は拭えていない。


 俺は姉さんを死なせた。アージェも死なせた。聖王を脅かし、聖防国まで破滅に追い込んだ。星護りに望まれたことなど、なにひとつ成し遂げられなかった。


 そもそも俺は星護りじゃない。星護りを騙っただけだ。

 偉大なあの役目に憧れた理由も、メアのそれより稚拙だった。

 そんなやつの志など程度が知れている。


「…………帰りたい」

 早く。月海に。アージェのところに。


 三勢力の衝突まではまだ半月かかると、エリゼティスが言っていた。

 それでも今夜を大事にする者は、きっと多い。



 二日目は、朝から日暮れまで休むことなく歩き続けた。肉体的にも精神的にも疲労が重くのしかかるが、早く帰りたい。その一心で足を動かし続けた。


 森猫の小道の出口が見えてきたのは、夜の帳に月明かりが差し込むころだった。

 たぶんもう二度と、この小道にも、この先にも踏み入ることはない。


 もしも聖防国が滅びて、汚泥魔や奇怪機が押し寄せてきたとしても。

 俺が死ぬなら、月海がいい。


「――ギギャガ! グギゴギガガガギガ!」

「っっ⁉ なんだ、急に」

 突然の異音に吃驚した。背筋に怖気が走る。目を見開いたのも恐怖のせいだ。


 細い小道の出口。そこから激しい衝突音が響いていた。

 先ほどまで明るかったはずの道の先、大玉荒野がなぜか黒く染まって見える。

 こちらに向かって鳴いている、出口をふさいでいる巨大な黒い存在によって。


「ギギャガガ! ガガギ!」

 蠢く闇の壁。落ち着いて目をこらすと、それがなんだか分かった。

「……なんだよ。泥団子かよ。なにしてんだよあいつ」


 汚泥をまとった真っ黒な巨大な球体。虫のような無数の足。昔なじみの泥団子の姿だ。数日前と同様、小道をめがけ、せまい入口に巨体をぶつけて暴れている。


 崖への当たりも強くなっている。獰猛な生物のように見えるほどだ。仮にあいつが汚泥魔ではなく人だったなら、血走る目で怒っているように見えるのかも。


『……合点がいったぞ。あの不細工め。よもや匂いを消し、予を狙っておったか』

 どうやって帰ろうか悩んでいると、泥女が意味深につぶやいた。


「……? なにを言ってる。あいつも汚泥魔だろ」

『阿呆め。ありゃ汚泥を被ってるだけのプリエンプティブ・ヴァンガードじゃ』

 知らない言葉。うまく聞き取れなかった。泥女は無い口で舌打ちする。


『あやつは貴様らの言う奇怪機……古き都人が宙に放りよった、対惑星自律型強襲兵器の尖兵よ。生物を惨殺するためだけに生まれた、凶人らの結晶じゃ』

 兵器で尖兵。それ以外の解釈は諦め、神経を前方に集中させる。


 泥団子の巨体は、ほそぼそとした森猫の小道にはどうあっても侵入できない。それでもなお、無数の虫足であがき、崖を傷つけ、体をねじ込もうとしている。

 長く短い時間、こちらからは手出しをせずに様子を見続けた。

 出口の直上に浮かぶ欠け月が傾き、また断崖の背に隠れるまで待ち続けた。

 

 ようやくといったころ。泥団子が落ち着いた。急に冷静になった人のように、小道からは見えない方角へとバタバタ走っていく。

 すぐには出口に近寄らない。時間を置いてから忍び足で歩き、出口から大玉荒野を見渡す。円の欠けた月はいつもよりも明るい。荒野も十分に照らされている。


 目に見える範囲に、泥団子の姿はなかった。

 だが、明らかな異常事態だけに警戒は怠らない。


「泥女。おまえが狙われてると言ったか」

『おそらくな。プロトコルの更新がないと見られる。都人どもの自滅のせいよの』

「ワケの分からないことを。おまえを殺せば、泥団子の溜飲も下がるのか?」

『賭ける価値はあるぞ。予の愛しさゆえの心中を恐れなんだらな、ククッ』


 死なばもろともか。手に負えない。

 実際、左腕を強制的に支配されれば、なす術もなく自滅させられかねない。


「……行くしかないか」

 ここから月海の村の森まで走って二刻。弱音は言っていられないか。


 泥団子の虫足は速い。障害のない荒野で追われたら、あっという間に追いつかれる。森猫の小道で明日を待つのも手ではある。しかし、荷物になるだろうと食料を消費しきってしまった直後だ。停滞は得策とは言えない。

 なにより、あんな化け物に見張られている場所で休む気にはなれない。


「隠れているとしたら、壁際か」

 断崖天壁の壁面には凹凸が多い。そこに身を潜められたら視認も難しい。

 そうと分かっていても、選ぶなら先手。足音を殺して森猫の小道から飛び出る。


 前方と左右。荒野にはなにもいない。後方には黒一色の壁しか見えない。

 泥団子の姿は見つからない。いなくなった。不穏でしかないが、足は止めない。

 再度、全周囲を見回してから全速で駆けた。重苦しい手足の抗議は気力でねじ伏せる。すると一刻を無事に走りきれた。荒野の半分を踏破できた。


「――ギギャガ!」


 その直後だった。遠い後方で異音が響いた。言語には聞こえない。不快な雑音に近い。それだって、音の発生源がなにかは明確だった。

 額から垂れる汗を手の甲で拭い飛ばす。期待と願望を捨てるために、後ろを振り返る。見えたのは真っ黒な断崖天壁――だけではない。


 黒一色の断崖天壁から、一粒の黒点が欠けるようにして荒野に躍り出た。


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