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月を照らす(5)

 三日目の昼時。森猫の小道に初めて、緑色の大地が映り込んだ。ようやくの出口だ。メアとキオだけでなく、俺まで小走りになってしまう。


 左右の黒い崖に支配されていた視界に、縦長に切り取られていた緑地が徐々に広がっていく。視界が数日ぶりに色を取り戻した気分だ。


「やっっ…………ったぁ! やっと帰ってこれたぁ!」

「メア、聖防国に着くまで気を抜いちゃダメだよ」

 そういうキオもあからさまに脱力している。わざわざ指摘するのは無粋か。


「リーアさんって、聖防国ではどこに住んでたんですか」

 なにをしていたのかは数日間ずっとはぐらかしてきた。ゆえの変わり手だろう。


「下層区だ」

「じゃあ一緒ですね。僕もメアも生まれてすぐ、白の教会に預けられたので」

「ふんっ。あんな場所もうすぐ出てってやるんだから!」

 メアは憤慨するが、キオの相づちで調子を崩す。


「こんなこと言ってますが、メアは聖女ヴァイライナさまが大好きなんですよ」

「はぁーっ⁉ んなっ、ななな、なぁに言ってんのよ‼ ぶっ飛ばすわよっ⁉」


 木々も少ない広い平原に、小さな打突音がこだまする。

 別れの間際にあって急に湧いてきたなじみ深さは、口内で噛み殺す。


 メアとキオは家名を名乗らなかった。

 そこに感づかなかったのは俺の落ち度だ。


 月海の村では個の在り方を尊重するため、家名による集団のくくりは設けられない。ゆえに母さんも姉さんも、聖防国生まれながら家名を捨てた父さんも、最後の最後は月海の民らしい、個としての在り方と望みを優先した。


 けれど、聖防国に生まれながらにして家名を持たぬ者は事情が異なる。

 それは孤児でしかありえない。


「教会の造園には、今も花が咲いてるのか」

「いっぱい咲いてるよー、って。リーアくんも孤児院のこと知ってるんだ?」

「すこしだけな」


 存在すら知らなかった二人を家族のように思ってしまったのが恥ずかしくて、顔は背けた。ヴァイライナも生きてるのか。セイヴは処刑はしなかったらしい。


 ただ、このぶんだと俺のことをメアに明かされてしまいそうだ。

 やはり住み家は変えよう。ヴァイライナと会うつもりもないのだ。


「リーアくん、今回のお礼に教会に泊めてあげてもいいよ? ついでに晩餐もね」

「いい。遠慮する」

「えー、なんでさぁ!」

「嫌いなんだ。あの場所も、あの国も」


 死ぬ前以来だろうか。この数日で味わったにぎやかさは、弱い心をほんのすこし温めてくれた。とはいえ、二人には俺に近づいてほしくない。


「俺は入城札を持ってないから、大城門での手続きにも時間がかかる。大橋で別れよう。こっちはどうせ食料を買うだけだ」

「あっ、じゃあ僕が安くておいしい干し肉と黒パンのお店を案内しますよ」

「ちょっと! キオだけズルい! 私も一緒に行くってば!」


 結局はつきまとわれてしまうのか。

 拒絶しきれず、許容してしまいそうな自分に苦笑する。

 アージェを失って絶望した俺も、この数日でもう一度死んだのかもしれない。


「あれ? なにあれ。もしかして東北方面軍……かなぁ?」


 聖防国を囲う外壁と、深い堀が遠くに見えてきたときだった。大きな歓声が聞こえてきた。転水の都の大城門から大橋へと、大量の人馬が流れ出ている。

 聖防騎士の騎馬兵。国家兵団の重装歩兵。見るからに軍勢の様相だった。


「うわ。なになになに。もしかして汚泥魔討滅?」

「……かもしれないね。僕ちょっと聞いてくる」


 キオはすかさず、大橋の前で立ち往生している商隊の一団へと近づいていった。

 その間、メアは歩きながら大口を開き、「すごいすごーい」と興奮していた。


 まもなく、キオが走って戻ってきた。

 焦った顔をして、手に持った包みをこちらに差し出してくる。


「リーアさん、すみませんが食料はこれで我慢してください」

「どういうことだ」

 静かに、キオが目を伏せた。


「…………汚泥魔と奇怪機が、かつてない大軍勢で侵攻してくるそうです」

「え、ウソ。じゃあこれ……もしかして戦争?」

「みたい。武装探検団も新人まで招集されてるって……総力戦、なんだって」

「なにそれ⁉ じゃあ行かなきゃじゃんっ」


 驚いた。従軍の可能性を耳にして、メアが怯えることなく目を輝かせることに。

 その反応はいやに不気味に思えた。思わず口をはさんでしまう。


「やめとけ。おまえらが行っても死ぬだけだ」

「大丈夫。戦わなくても、みんなの支えくらいにはなれるわ。キオ、行こう」

「……そうだね。すぐに斡旋所に行こう」

「やめとけ! 本当に死ぬぞ!」


 事実だ。一体ぽっちの壊れかけの奇怪機兵にすら抗せない未熟者たちなのだ。

 なのになぜ、こんなにも生き生きと死に急ぐのか。まるで理解できない。


「敵の一体や二体を倒せても、相手は無限だ。ゴミみたいな死体をさらすだけだ」

「そうかもね」

「ッ、だったらなぜ!」

 怒鳴りつける俺に、メアは快活に笑んできた。


「私は自立したくて武装探検者になったけど、それまでずっと、聖防国のみんなに援助されてきた。だから生きてこられた。恩返しの機会は無視できないわ」


 孤児院での生活は、白の教会への寄付金で成り立っている。

 悲惨な生まれの彼女はそれを、誠実なまでに自覚している。


「それに、英雄になるんだもの。次代の月海の巫女が逃げ帰れるもんですかっ」

「勘違いするなよ。英雄なんてのは、勝手に祭り上げられた死体の呼び名だ」

 生きた英雄なんて、そのうち俺たちのように権威のために殺されるだけだ。


「心配してくれてありがと。でも私、聖防国が好きだから。行ってくるよ」

「リーアさん。メアのことは絶対、僕が守りますので」

 二人は両目に決意を宿し、それでいて遊びにいくような足取りで駆け出した。


「今度またお家に遊びに行くからねっ。絶対にいなさいよねぇ!」

「次に行くときは、教会名物の森鹿のお肉を持っていきますね!」


 最後まで笑顔を絶やさないメアと、苦笑混じりのキオが遠ざかっていく。

 不愉快なことに、喪失感を覚えてしまったことを腹立たしく感じる。


『クックク。今さら寂しいのか?』

 微細な変化も見逃さずに突いてくる泥女には、答える価値もない。


 手渡された食料の中身も確認せず、しばらくは聖防国の出征を眺めていた。一万では数えきれない兵数。見える範囲だけで二万、いや三万に上るだろうか。

 逆側の北西方面軍も動いているのなら、ここからでは見えない北門も騒がしいはず。これだけの兵を動員させる敵勢なのだ。負ければ聖防国も――。


 遠目に見える兵たちの多くは、メアやキオと同じ。

 兜越しで誇らしげな顔をし、鎧越しに胸を張っているのが見て取れた。


「……死にに行くだけのことが、そんなに誇らしいかよ」


 遠目で、隊列の密度がひときわ高い集団が大橋を渡る。隊の中心には、純白の馬装を身に着けた森馬を駆る、王冠と毛皮のガウンを着た人物。騎馬の手綱は左腕一本で操っている。白い衣服の右袖は空虚で、風に揺れている。


 顔もかすかにしか視認できない距離で、馬上の人物が視線をよこしてきた気がした。その表情からは、遠いせいで感情も読み取れず、目もすぐにそらされた。

 あの日、情動を駆り立てていた殺意も、今では落ち着いている。


「――リーアさん。リーアさんねっ」

 頭上から呼ばれた。青い空を見上げる。空中に一点の緑色が舞っていた。


 高空で羽ばたいているのはウッドグリフォンだった。

 その高度がゆっくりと、ゆっくりと下げられ、俺の目の前に降り立つ。


「……エ、エリゼティス、です……お久しぶり、です」

 緑の外套。青い巫女服。腰には星鉄の鋭刃。

 顔を赤くさせた女性が、グリンの上から話しかけてくる。

 銀色の髪は昔見た一本髪ではなく、後頭部で丁寧に結い上げられている。


「リーアさん、どうして聖防国に」

「なにがあった」

 質問には答えず、聞きたいことだけを尋ね返した。

 もう少女とは呼べない姿の銀髪女は、グッと息を飲みつつ返答した。


「東から、五つ首の巨人率いる汚泥魔が聖防国に向かっています。西からは大量の奇怪機が。いずれも過去に見ない大軍勢で、斥候隊でも把握しきれないらしく……私たち聖防国決死軍はこれより、両軍勢に乾坤一擲を仕掛けます」


 成長も老化もなくした俺と違い、立派に大人びた女性がグリンから飛び降りる。

 視線をそらしてグリンと目を合わせると、あいつのほうが先にそっぽを向いた。


「全滅覚悟で二正面迎撃か」

 悪し様に言ったが、これ以上にふさわしい形容の仕方は見つからない。


「……衝突まで半月の猶予がありますが、もはや消極的な籠城すら選べない戦局です。転水の都も周辺の村落も、民衆はすでに未開森林へと逃がしています。おそらく聖防国はこのまま……いえ。屈さず、必ず、勝利すると誓います」


 整った眉を切り立たせる。長いまつげに覆われた両目に力がこもっている。

 聖王と同じく、今はこの女にも怒りはこみ上げてこない。


「私は、あなたに伝えねばならないことがたくさんあります」

 頭一つ高い背丈。首を上げて顔をのぞくと、銀髪が日に照らされて輝いた。


「リーアさん……星護りのリーア。私にグリンを預けてくれて、ありがとう」

「星護りじゃないし、預けたつもりもない。裏切りもんが勝手に懐いただけだ」

「そうだとしても、感謝したいの。私はこの子にいつも救われてきたから」

「うらやましい話だ。さすが、月海の巫女の星送りさまだな」


 皮肉な物言いは、彼女を沈痛な面持ちにさせるだけだった。構わない。憎しみが薄れたとはいえ、国の姫だろうが恭順してやるつもりなどない。


「私は月海の巫女で、グリンまでいてくれます。だからせめて、これくらいは」


 巫女服の腰元に差した剣帯から、よく見知った星鉄の鋭刃が引き抜かれる。

 彼女は柄と刀身を両手の手のひらに乗せ、うやうやしく差し出してくる。


「星鉄の鋭刃、今こそお返しします。これはあなたの、星護りの堅なる剣だから」

 高貴な王族に頭を垂れられる。

 彼女の頭頂部からは、脳裏に渦巻かせているであろう感情も見えてこない。

 ただ、ジッと。俺が受け取る瞬間を待っている。


 ……片意地を張るほどでもない。鋭刃の柄を握る。

 彼女の手のひらを傷つけないよう、そっと優しく奪い取った。


「代価として従軍しろ、とでも言うつもりか」

「まさか。私にはそんなこと言えません……でも、もし、あなたが……」

「やめろ。その先は言うな」

「……そうね。ごめんなさい。私が卑怯でした」


 不必要な剣と引き換えに、殺した者たちのために命を張る。脅迫にしても一方的な話だ。もはや憎しみは形も成せていない。それが素直な心情だけど。

 たとえ、この手に鋭刃が戻ったところで。


「俺はもう、誰かのための剣は振るえない。この手にそれをする価値はもうない」


 メアとキオのことは助けておいて、よく言う。自らの言い訳の浅さが滑稽だ。

 だけど、自分では動かし方を忘れた心は、すでに動きを止めた終端にある


「分かっています。私たちは、あなたの情けを望む立場にはいないのですから」

「…………」

「だけど星鉄の鋭刃はお受け取りください。それは私が持つべきではないですし」

 そう言って、彼女は柔らかに笑んだ。


「万が一にも、敵に奪われるわけにはいきませんからね」


 そう言って、彼女は柔らかにほほ笑んだ。

 あの日の姉さんをなぞるような言葉。むき身で軽量な鋭刃が急に重たく感じる。


「そろそろ行きます。私は月海の巫女として、これより汚泥魔を討滅してきます」

「ああ」

「それでもし、もしもまた会えたら、そのときはリーアのためになんでもします」

「いい。そんなこと」

「あ、あなたが望むのなら……わ、私は婚姻だろうと身を差し出しますのでっ!」

「は?」

「も、もちろん聖王家の権威のためにですっ! それだけの意図ですからねっ!」


 頬を赤らめ、両手を振って弁明してくる。年ごろの町娘じみたお姫さまだ。

 明後日の方向に飛んでいった提案はまだしも、歩み寄りだけは受け止める。


「婚姻なんてのはしたいやつとでもしてろ」

「で、ですから、その……」

「ただ、一つだけ頼む」

「っ、なんでしょう」

 決意のまなざしを向けてくる彼女に、ぎこちない笑顔を返す。


「月海の巫女を名乗るなら、一度は月海の村を見に来い。最後の巫女が……アージェが。なにを愛していたのかくらい、次代の巫女にも知ってほしいんだ」


 わだかまりを解くつもりはない。それでも本心はスッと言葉になって出てきた。

 セイヴを許しはしない。だけど、あいつ以外を許さずに生きていたくはない。


「っ……分かりました。この戦いが終わったら必ず、必ずや月海の村を訪ねます」

 彼女が背を向ける。グリンに飛び乗ってまたがる。

 なじみのウッドグリフォンは目線だけよこし、大翼を振るって宙に浮いた。


「また会おう。月海の巫女エリゼティス=シースフィア」

「ええ、さようなら。星護りのリーア」


 緑色の姿が蒼天に溶けゆく。見送りきる前に、体は家路へと向けた。

 俺も彼女も、きっとグリンも予感している。

 俺たちが会えるのは、これが最後だったのだろうと。


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