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月を照らす(4)

 今ではウッドグリフォンの姿などすっかり見られなくなった精霊樹領域。その外側を三人で進んでいく。地面は荒れ地で足場が悪い。右手側も崖。月海の荒々しい波が岩盤を削り、進むほどに峻険に切り立っていく。


 やはりというべきか。道中に奇怪機兵の気配など感じなかった。先ほどのは、はぐれた個体かなにかなのだろう。聖防国の北西部の群れから迷い込んできた。


 ただ、やつらが森猫の小道を抜けてやって来る姿はいまいち想像できない。

 そもそも俺は、いまだにあの小道に踏み入れたことがないわけだが。


「大玉荒野ついたぁー。ここ殺風景なくせに長いんだよねぇ」

「メア。気を抜いてたら転ぶよ」


 大玉荒野を訪れるのも、グリンの背に乗って帰ってきた日以来か。

 茶色い荒野。黒い断崖。青い空。三色しかない景観は昔となんら変わりない。

 ヌシである泥団子の姿は見当たらない。未開森林の側にでも行ってるのだろう。


「行くぞ二人とも」

 先に歩き出すと、二人が小さな森猫のように後ろをついてきた。

 メアもキオも見えない敵に警戒をあらわにしている。敵影などどこにもないが。


『ほう。ここは小僧らと出会った辺境の地か』

 楽しそうな左腕には返事をしない。

 ここで答えれば、二人にひとり言のように見られてしまう。


『クックク。小僧よ、この地に予といるのはどんな心持ちじゃ? ククッ』

 殺すぞ。この場所で言われると、いつも以上の憎悪が心の底面から湧いてくる。


 泥女はここで姉さんを殺したのだ。あの勇敢な姉さんを。それなのに。

 憎悪はあるのに、以前ほどの激情は湧いてこない。

 感情を風化させてしまった自分の体たらくに、嫌悪感がこみ上げる。


『ふむ。あれを断崖天壁とはよう言うたものよ。下等な生き袋には虫唾が走るの』

 泥女は一人勝手に悪態を吐き、また鳴りを潜めた。


 走って二刻。歩けば四刻。そんな道のりを中途半端な三刻ペースで進む。

 一刻が経つころ、メアもキオも緊張感が途切れてきた。

 暇に思ってきたのか、俺の背中に一方的な語りをぶつけてくる。


 聞けば二人とも、武装探検者になってからまだ三度目の依頼らしい。以前の二回は、転水の都での愛猫探しと、白石大橋の側溝掃除。大した探検者さまだ。


「それでいうと、今回はまさに大冒険って感じよね!」

 村の調査に求められた収穫は「なにも変化なし」でも、達成感はひとしおか。


 二刻も経つと、体力問題で二人とも口数が減ってきた。

 依然として体力がつかないこの体も、情けないが疲労がたまってきている。ヘタすれば、アージェと姉さんと一緒に駆けていたときよりも貧弱かもしれない。


 黙々と早歩きすること三刻。視界が目の前の断崖天壁に黒く覆われきったころ。

 一枚岩の崖にある、唯一の切れ目。森猫の小道に到着した。


「ん? リーアくん。なんかこっちに来るよ」

 右手で目元の日差しよけを作ったメアが、遠く西側を指さした。


 目を向けると、遠くには黒い丸。泥団子がいた。こちらへと向かってきている。

 それなりの速さで走っているのか、黒丸は段々と大きく見えてくる。

 遠目では小動物的だが、下肢の無数の虫足は間近で見ると不気味でしかない。

 誰が相手でも近づくだけのくせして。昔のグリンのように忙しないやつだ。


「行くぞ」「あっ、はーい」「はい」

 興味津々な目をしている二人と、泥団子を無視して、森猫の小道へと入る。


 率直に言ってここは、黒い崖にはさまれた暗黒世界だった。隘路の圧迫感がすさまじい。道というには平坦な場所も少なく、ゴツゴツした岩肌も歩きづらい。


「出入り口はまだマシだよ。真ん中あたりからが最悪なんだよねぇ」

「あそこツラかったねえ。大人数では来ないわけだよ」


 メアとキオは往路のことを思い返し、これからの復路に気落ちしている。

 俺もこれで役目と物見遊山を済ませた。潮時だろう。


「じゃあな。俺は帰る」

「あっ、そだったね。本当に本当にありがとリーアくん。また来るからね!」

 二度と来るなと言うべきか。言わないべきか。数秒ほど返事に悩んだ。

 その間、キオはジッとしていた。なにかに怯えるように指をさしている。


「あの、リーアさん、あれ……本当に、大丈夫なんですか……?」


 困惑と恐怖をないまぜにしたような表情で、小道の出口が示される。

 俺とメアも同時に振り返ると――黒。出口が黒く染まっていた。いいや。

 汚泥まみれの真っ黒な泥団子が、全身をせまく細い出口に押しつけていた。


「な、なに、あれぇ? コ、コッワぁ……」

 こちらを見ているのだろうか。定かではない。

 あいつの丸い体表は黒一色で、目が見当たらないのだ。


 そのうえで、泥団子は小道の出口に巨体を押しつけている。巨大な壁面をミシミシと鳴らせて、こちらに来ようとしている。まるで、俺たちを食らいたいとばかりにだ。そのせいで出口が隙間なくふさがっていた。


「あれさあ、帰れるのぉ……?」


 昔、父さんに泥団子は相当硬いと聞いた。蹴ってどかすのも難しい巨体。ウジャウジャと蠢く虫のような無数の足も、近づけば巻き込まれそうで危険を感じる。怒りなどの感情は見えないが、少なくとも今は接近したい状態じゃない。


『あやつ、予を跳ねようとした不届き者か。相変わらず匂いが薄いの』

 泥女が侮蔑するようにぼやく。よく言う。


「……チッ」

 泥団子にはこれまで、子供の夢を粉砕され、九死に一生を与えられもした。

 だが今日という三度目は、苦汁をなめさせられることになったか。

 俺は現状、森猫の小道から出られそうになかった。


「じゃあじゃあリーアくん。行っちゃう? 行っちゃう? 聖防国までぇ!」

 どうせ言ってきそうだと思ったが……今はそれしか道がないか。

 ここで待つのも手だが、泥団子がどかなかったら飢餓にあえぐはめになる。


「……転水の都までだ。帰りの食料を調達したらすぐに帰る」

「わーい! やったあ!」「行きましょう行きましょう!」

 一生使うつもりのなかった干し魚の代金が、さっそく役に立ってしまいそうだ。



 森猫の小道は、長年想像していたよりも険しい悪路だった。


「話に聞いてたよりも酷い道だな……」

 大人二人も並んで歩けないとは聞いていたが。

 実際は一人で歩くのも危険に思える岩肌が続いている。


「? リーアさんって森猫の小道に来たことなかったんですか」

「ああ。初めてだ」

「え、じゃあ、どうやって月海の村に来られたんです……?」

「未開森林からだよ。昔はあっちに洞窟があったんだ。もう埋まったけどな」

「す、すごいですね……あちらは野営地を広げるので精いっぱいだって聞くのに」


 黒一色の視界。左右の圧迫感。曲がりくねって先の見えない道。ときおり不意の落石。直上の空を見上げない限り、視界が黒で塗り潰される。

 不思議な空間だ。もはやこの世とは思えない不自然さを感じる。


「こんな道を三日も行くのか。大したもんだ」

「ふふーーん。んじゃ、森猫の小道では私たちのほうが先輩だねっ」


 幸い、道中には雨水が延々と流れ落ちる場所が何か所もあった。飲み水には事欠かず、水不足の心配はそうそうになくなった。


「やだやだぁ。ずっと夜みたいで気が滅入っちゃうぅ」

「だねえ。暗い井戸に閉じ込められてるみたい」

「ここ、なんで真っ黒なのかなぁ。燃えちゃったの? それとも誰かが塗った?」

「空から降ってきたって聞いたよ。ここから汚泥魔が湧いたんだって」

「それあんたが好きな物語売りのデマでしょ? わ・た・しは真実を知りたいの」

「そんなこと言われても。誰も知らないってば」


 暗い小道の先頭はメアが行く。その背後につけているキオは疲れながら相づちを打つ。二人はときどき後ろを振り返り、無言でいる俺に話を振ってきた。

 大した会話はしなかったが、彼女らの配慮はそう悪いものでもなかった。


「ふぃ~~……今日はこのあたりで休憩にしよぉ……もー疲れたぁ……」


 一日目は、夜と崖に囲まれたなかで雨にも降られて大変だった。三人とも外套を脱ぎ、左右の壁に突っ張らせて屋根にした。メアとキオの雨避けの屋根が雨水の重さで崩れないよう、たまった水はたびたび払っておいた。


 二日目は、晴天にはなったが足下が最悪だった。濡れた岩場では靴底が滑りやすく、先頭の二人は何度も転んでは体を崖にぶつけていた。それでも二人とも、愚痴を吐いても弱音は吐かなかった。思っていた以上には武装探検者だ。


 この日は想定よりも前に進めず、早めに野営の準備をさせた。すぐにでも月海に帰りたいが、足下の見えない悪路。暗がりを歩かせる気にはならない。


「リーアくんの髪って二色でカッコいいよねぇ。小麦色のとこは染めてるの?」

「逆だ。もとは黒くなかった」

「ふーん。なんで黒くしたの」

「たまたまだよ」

「なにそれ。ふ~ん」


 メアが摩擦熱で発火する燃茸を壁にこすらせる。

 それを簡易式ランプに投入して周囲を照らす。


 キオは俺から買った干し魚と、精霊樹領域で拾った土中芋を雨水で煮ている。自分のぶんの食料代は返そうとしたが、「護衛代ですから」と受け取られなかった。


「なんかいいよねー。リーアくんのそーゆー選んで生きてない感じ」

「? どういう意味だ」

「なんていうか運命、みたいな? なるべくしてなってる感じがカッコいい」


 ははっ。思わず笑いそうになった。

 理不尽に殺され、人外に堕ちて、行き先もなくした生き様になるべくしてなる。

 罵倒しているなら大したものだが、なにも知らないメアには言い返す気もない。


 それに今はもう、胸を焦がす感情の氾濫もない。自嘲するだけで流せる。

 停滞した月日の流れに身を委ねていたおかげであり、そのせいでもある。


「おまえたちはなんで武装探検者になった。もっと賢い生き方もあっただろ」

「もっちろん、月海の巫女になるための宝物探しよ!」

「僕はメアに引きずられて……この子、昔から一人にすると危なっかしいんで」

 キオの苦労人らしい苦笑は、とても板についていた。 


「月海の巫女はお姫さまじゃないとなれない。選ばれた人じゃないとなれない。それは分かってるよ。だから私は選ばれるんじゃなくて、自分の力でなりたいの」


 鍋をかき混ぜるキオが、「またはじまった」という顔をする。


「だって世界はこんなに広いんだもの。巫女になる方法だってきっとあるはず」

「東に汚泥魔。北に奇怪機。西も南もふさがったどん詰まりの聖防国でか?」

「だからって諦める理由にはならないわ。私は絶対、月海の巫女になるんだもの」

「なってどうする」

「もっちろん、英雄になりたいのよ」


 勢いよく立ち上がったメアの足が、煌々と照っていたランプに当たる。火元がコロンと岩場に転がるの見かねたキオが、鍋から離れてランプを丁寧に立て直す。


「私、月海の巫女になって、汚泥魔も奇怪機もやっつけて、英雄になりたいの」

 爛々と輝く両目。月明かりよりも明るく見える。


「英雄か」

「そ。英雄。いい夢でしょ?」


 月海の巫女ですら、英雄になるための足がかり。そう言っているのも同然な主張だ。なんて俗物的で、なんて……子供のころの自分を見ているようだろう。


 求められる使命よりも前に、身勝手な理想が先立っている。

 ほんと最低な自意識だ。でも。


「嫌いじゃないな、それ」

「ね。いいでしょ!」

 奇襲のように生じさせられた親近感が、こり固まった口角を上向きにさせる。


「あ、リーアくん笑った! 笑ったでしょ! 初めて笑った!」

「笑ってない」

「いーや笑ったね! ほらキオだって見てたでしょ!」

「二人とも晩餐ができるよー」

 騒がしい夜だったせいで、三人とも寝静まるまで、けっこう時間がかかった。


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