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月を照らす(2)

 ――突然の来客は、俺も泥女も予知していなかった。


「うげぇリーアくん、三年もこんなとこ住んでんの? 世捨て人なの? それとも犯罪者? もしかして私のこと食べたりしちゃったりするぅ?」


 朗らかな少女の問いかけには答えない。

 今の俺には、接し方も覚えていない苦手な存在に映る。


 この物小屋はもともと、月海の村の漁師たちが漁具を置く場所だった。

 そのころも住居としては使われていなかった。

 ただ、父さんら村の男たちは夜な夜な酒盛りの場として使っていた。

 そのため簡素な食卓や椅子だけは残っていた。


 妻の目から逃れられるこの隠れ場は、男だけの遊び場だった。俺も何度か連れてこられた。ときには母さんら村の女性陣が乗り込んできて、父さんたちは盛大に叱られた。そしてしばらくの間、漁の大物は女たちにだけ献上された。


 そうした過去も痛ましく思わなくなったのは、時の流れのおかげだろう。


「ちょっと。失礼でしょメア。すみません、この子とても頭が悪くて」

「おい。殴るよキオ」

「いてっ。もう殴ってるじゃん……」

「あったり前でしょ。この世は先手必勝なのよ」


 こんなにも、ささやかな活気のある物小屋は何十年ぶりだろうか。

 少女と青年のやり取りに、つい過去の喧噪が脳裏をよぎる。


「でねでね、リーアくんって見た感じ、同い年くらいだよね? いくつなの?」

 少年と青年の中間のような体格は、彼女には同世代に見えてしまうか。


「さあ」

「さあって……も、もしかして、生まれたときに捨てられちゃったり……?」

「違う。数え忘れてるだけだ」


 とはいえ、俺は何歳になったのだろう。

 一度死んだ身だ。どう数えていいものかも分からない。

 分かるのは、もう死ぬ前より、死んだあとのほうが長く経ったことくらいだ。


「なぁーんだ。私らと一緒かと思ったじゃん。よかったぁ~」

「ほらメア。せっかくごちそうになってるんだから。早くいただこう」

「へーいへい……んっ、これうっま! もしかしてウミノサカナってやつ?」


 目の前で、若い男女が海魚のスープをむさぼる。誰かに振る舞うつもりなどなかった塩っ気ばかりの食事だが、雑な作り方ゆえに量は足りた。

 聖女の血を飲んで以来、体は食料と水を毎日欲するようになった。以前は望んでいた人らしい身体も、今では煩わしいばかりで捨てたいとさえ思っている。


「ここも昔は村だったんだよね? 来るとき見たら森っ! って感じだったけど」

「月海の村ね。月海の巫女が生まれる地だったって。リーアさんもご存じですか」


 メアが小動物のようにスープをせわしなく口に運ぶ。キオのほうは作法が整っているが、食い気は年ごろの男子の勢いを感じさせる。

 見るからに育ち盛りの二人を前に、スープはあっという間に減っていった。


「いや。知らない」

 返事はこうした。ウソをつくつもりなどない。

 ただ、見知らぬ彼らに答えるのが面倒だった。


「そうですかあ。僕ら、聖防国から月海の村の調査依頼でやってきたのですが」

「はぁー。森猫の小道めっちゃキツかったねぇ~……」

「ウワサ以上だったね。上から石が降ってくるし……」

「大玉荒野にもデッカい意味不明なのいたしぃ……」

「森も動物の鳴き声で不気味だし。ここ数日は寝不足だよ……」

「そんで、森はイヤだから迂回して帰ろうってなって、ここ見つけたんだよ~」


 今も年に一度、聖防国の武装探検団が廃村の調査に訪れているのは知っている。

 ただ、普通の探検者は海岸東側まではやってこない。

 なにより、この依頼は新人探検者に任されるものではない。

 通常は腕利きの中堅。もしくは貴族に粉をかけられた者が引き受けるはずだ。


「稼げる依頼ならほかにあっただろ」

 真意を探ろうとしたひと言に、メアがポカンとした顔を返してくる。

 それから彼女は明るく笑って。


「それはそーだけど。私、夢があるんだよね」

「夢?」

 バシッと。両手で激しく叩かれた古い食卓は、割れ目が広がった。


「そぉ! 私いつか絶対そのうちきっと必ず、月海の巫女になりたいのっ!」

 それはまた。気が緩んでいたら笑ってしまっていたくらい、愉快な憧れだ。

「だから姫さまとは別の杖とか剣とか、ウッドグリフォンとか目当てにしててー」


 即物的な発想だが、月海の巫女になるにはわりと近道な方法かもしれない。

 現に、聖防国の姫は小道具をそろえただけで自称していた。

 ここにだって、鋭刃を持つというだけで星護りを名乗った死に損ないがいる。


 月海の民なんて、もはや俺しかいないのだ。

 筋違いな詐称をしたところで、勝手にまかり通ることだろう。


「それでメアが斡旋所で無茶して、この依頼をもぎ取ってきちゃって……」

「いいじゃない。私が月海の巫女になったら、あんた星護りになれんのよ?」

「メアのいう星護りって、ただの雑用と荷物持ちでしょ」

「バーカ。一番大事なこと忘れないでよ」

「なにさ」

 そして彼女は、自信満々に告げた。


「私が危ないときの身代わりぃ。体張って護って死ぬのがあんたの使命よ」

「ほらこれだ」

 意外にもいいことを言う。それが一番忘れがちな、一番大事なことだから。


「なぜ月海の巫女になりたい」

「んぅ? だってエリゼティスさま、あっ、今の巫女さまなんだけど知ってる?」

「さあ」

「うっわ。リーアくんって田舎もーん。でね、その巫女さまが超カッコいいのっ」


 メアは目をキラキラさせたが、それ以上の言葉はつなげてこなかった。

 どうやら理由のすべてを言いきったつもりらしい。単純明快で、逆に好感だ。


「ごめんなさいリーアさん。メアってこう、ほんとに頭悪いので」

「殴るよキオ」

 青年の返事を待たずして、粗末な加害音が食卓に響く。


 月海の巫女に憧れる勝ち気なメアと、星護りにさせられそうな弱気なキオ。

 かつての俺とは正反対なようで、似たもの同士にも思えてくる。


「聖防国に帰るつもりなら早く出るんだな。日が落ちる前に荒野を抜けろ」

 月海の森もそうだが、大玉荒野も暗くなると足場が読めない。

 そうした心配以上に、さっさと消えてほしいのが本音だが。


「あ、そだね。どうするキオ」

「う~ん。今からだと、森猫の小道の入口あたりで野営だよねえ……」

「あーあ~。泥の鎖石もエマジン・ウルも見つけらんなかったなぁ」

「うわぁ……メアってば本当に見つけるつもりだったんだ……」

「だって、じゃないと聖防国がめっちゃ危ないんでしょ?」

「う~~ん、まあ、そうらしいけど」

 キオが弱り顔を見せる。その反応はやや気になった。


「聖防国は危険なのか」

「あ、はい。なんか最近は汚泥魔と奇怪機が活発らしくて。武装探検団の熟練者たちも斥候に駆り出されてて。だから僕らでも村の調査依頼を受けられたんです」


 一瞬だけ、己の左腕に視線を送る。同居人はなにも言わない。


「でもでも、聖王さまと月海の巫女もいるんだし、またやっつけてくれるでしょ」

 短絡的だが、キオも表情で同意している。

 彼女らにとって信頼できる、立派な王と巫女なのだろう。

 きっと、俺以外の人なら信用できる英雄なのだ。


「急ぐなら早く行け。断崖天壁が日を隠すのは想像以上に早い。夜もすぐだぞ」

 追い返すようにスープの皿を下げる。

 しかし、彼らの反応は芳しくなく。


「ですよねぇ……ってのは私らも分かってんですけどぉ……」

「……僕ら、今日も早朝から村を探してて、動き疲れてしまいまして……」

「海で遊んだしね。すっごいしょっぱかった」

「メアだけね」

「だからぁ、どこかでぇ、一晩泊めてもらっちゃったりぃ……なんてぇ~?」


 こちらの顔色をうかがってくる。みじんも色気を感じさせない上目づかいだ。

 なるほど。ようやく真意が見えた。二人とも休む場所を探していたのか。

 洗練された転水の都生まれには、森の木々よりも人工物が恋しいのだろう。


「急ぎたいなら帰れ。休みたいなら勝手にしろ」

 ぶっきらぼうに伝えると、メアが大喜びした。

 キオのほうは申し訳なさそうに、スッとお辞儀を返してきた。



 日没後。見るからに食べ盛りな二人が物足りなさそうだったので、朝方に浜で獲っていた貝類も雑多に煮込み、彼女らに振る舞った。

 ここ数年、腹に入ればいいと思っていた食事は、いつもよりも味気があった。


 二人は探索の疲れから早々に寝入った。物小屋には寝台がないため、それぞれの外套を毛布代わりにさせ、床に転がってもらっている。

 そんなメアとキオを横目に、一人外に出る。

 仮に、彼女らが優秀な夜盗だったとしても、盗まれて困るものなどない。


 小高い丘を降りる。白い砂浜を歩き、月海を眺める。俺の日々の習慣だ。

 今も倒れることなく白浜に刺さり続ける月海の願杖を前に、虚空につぶやく。


「おい泥女」

『ほぅ。小僧から話しかけてくるとはいつぶりじゃ、クックク』

「おまえのほうこそ」

 左腕に巣くう泥女が、久しぶりに癇に触る嘲笑を響かせる。


『遊興無きつまらぬ日々よ。予と睦まじくありたいなら、考え直すんじゃな』

「黙れ。死んでもごめんだ」


 聖防国から帰ってきたあの日。泥女は不可視の暴風を用いた反動で眠っていた。

 といっても、起きてからも両者の間に会話はほとんど生まれなかった。


 今は穏やかな一日をすごし、ただただ終えるだけの日々。

 俺は言わずもがなだし、泥女もわざわざ話しかけてはこない。


 こいつはすでに数百年は生き永らえている身だ。無音の世界にも慣れたものだろう。あと数十年、俺が老衰で死ぬのを待ち、体を奪えればそれでいいのだ。

 悠久の時を悠長にすごす人外らしい、実にのんきな狩りである。


 こうした安寧に停滞し続ける毎日もまた、この左腕を自ら切り落とすという判断を鈍らせた。死ぬ前に殺せばいいか。なんて言い訳一つで、隻腕だと不便な生活を棚に上げていた。よくよく惨めったらしい自分に嫌気が差す。


「汚泥魔の動きはなにか知ってるか」

『さあのう』

「女王のくせにか?」

『今は受肉せず現におる。今のあやつらとは、なに一つつながっておらん』

「役立たずがよ」

『クックク。よもや気にしとるのか小僧?』


 欠け月を映した月海が静かに凪いでいる。

 今日もまた、波はなにも運んできてはくれない。


『貴様は人の世など滅びても構わんのじゃろ? だから死んだように息をしてる』

 意地の悪い声色で煽ってくる。久方ぶりでも泥女は泥女か。

『なれば小屋の彼奴らも根絶やしにされたところで、どうということもあるまい』

 今もまだ、この声に殺意を覚えられることに安堵する。

『予のため座興に興じるでもなければ、このまま静かに生きて、ゆくゆく死ねい』

 らしい言い草には、らしく返してやる。


「黙れ。殺すぞ」

 泥女はクククと小さく笑うだけで、それ以上の会話はしてこなかった。


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