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穢れた凶刃(8)

 暴れられるだけの広さがある王室で、セイヴの剣風が花瓶を斬って割る。

 小柄を生かして低姿勢で避ける。

 そのまま刻むように前進し、接近してから下半身攻撃。右膝への刺突を狙う。


 対する、セイヴは宝飾剣を下に構えた。切り上げでこちらの剣先を跳ねてくる。

 受けずに流すが、力強い。瞬間的な斬撃では拮抗できても、筋力の差は歴然だった。剣の腕にしろ、五回に三回は負かされていた当時よりも鋭く感じる。


「力も弱ければ、剣術も未達なまま。昔より劣ったかリーア」

「黙れッ!」


 弾かれた剣の反動を制して、袈裟に切り返す。それも上から刃を叩かれ、防がれる。水平に薙いでは止められる。突きはいなされ、その隙を取られて守勢に回らされる。洗練された剣技の完成度に、敵愾心が強まる。


 王の部屋に剣戟が舞う。

 高価な机が割れ、巨大な寝台が崩れ、豪奢な絨毯に下水の残り物が付着する。

 すでにかなりの騒音を立てているが、怪しいくらい増援の気配はない。


「おまえが復讐に駆られるのは当然だ。オレも、自らの罪は忘れていない」

「罰がなければ、ただの詭弁だッ」

「その通りだ。だがオレはネイルを思い、おまえたちのすべてを奪ってなお、借り物の理想に殉じた。今の聖防国に、オレの功罪を否定する者はいないだろう」


 語りかけてくる間も、剣を振るう腕によどみはない。威力も正確さも舌を巻くほどだ。甘く見ていたわけではないが、単純な力量差がある。

 セイヴの乱撃は、すでに傷だらけの俺に届き、ぼろ切れ越しの体を削っている。宙に跳びはねた血は、黒さの混じらぬ真っ赤な液体に見えた。


「星護りが月海の巫女を殺しただのと、真実を伏せておいてよくも言えたなッ」

「不遇を嘆き、恨み、諦めろ。おまえは昔を生きるが、オレは今を生きている」

「姉さんを言い訳に生きてるやつが、ほざくなッ‼」


 嵐が吹き荒れたような一室で、悪意の形をした男めがけて上段から騎士剣を叩き下ろす。その上から、セイヴの大上段が重ねられる。ヴァイライナの剣は床を叩かされ、重たい一撃を振り落とされたことで両刃の背が欠けた。


「オレはおまえを消す。己の悪行が、信念を成し遂げるための手段と信じて」

 剣の切っ先が床に刺さった。力任せに抜く隙に、太い足で腹を蹴り飛ばされる。


「ガハッ……!」

 打撃と転倒の衝撃が胴体を痛めつける。

 苦しさは呼吸ごと吐き捨て、急ぎ立ち上がる。

 対してセイヴは、ゆっくりとした足取りで、部屋の隅まで歩いて離れていく。


「見ろリーア。これがオレの、未来の聖王たちの戒めだ」


 戦いの最中だというのに。セイヴが背を向けている。

 厳重な鍵付きの扉を丁寧な手つきで開いている。なんのつもりだ。

 数秒後に開け放たれた扉の先には、窓一つない小部屋が広がっていた。


 そこに置かれているのは、黒い棺と一振りの杖。

 遠くから目にしただけでも、我を失ってしまった。


「それは月海の……願杖……」

『ククッ。下劣さ極まるのう。時が移ろうたとて、下種に品性は芽生えんか』

 長らく口を閉じていた泥女の声が、胸中を素通りする。


 怨敵を前に剣すら構えられず、俺は無防備に、もつれる足取りで、セイヴの脇を抜けて小部屋へと入った。

 やつはそんな俺の背を切りつけるでもなく、小部屋の前でジッとしている。

 まるで俺に対する、死別の餞だというように。


「ここまで最低なやつだとは……思って、なかったぞッ……」


 石突きを槍のように鋭利にした青金の柄。先端ではよく磨かれた水宝玉がきらめいている。昔はずっと、小さな白い手で握られていた月海の願杖。


 杖の横には細長い真っ黒な棺。

 天辺だけは透明なガラス製で、よく知る少女の顔が透けて見えている。


 蒼海のように青い髪。森馬の尻尾のような一本髪は、不格好に斬られて途切れたまま。緑色の外套も、青い巫女服も、不自然なほどにあの日のまま。


 そこには、葉っぱ色の両眼を閉じたまま、眠っているだけのように見えてしまうアージェが、静かに横たわっていた。


「オレが次代の聖王に、聖防国の繁栄を続けさせることを戒めるがごとく決意をさせるには、アージェルの聖骸と、彼女を殺した星鉄の鋭刃が必要になるのだ」


 手を伸ばす。指先がコツンとガラスに阻まれる。

 触れた透明の障壁からは、皮膚が張りつきそうなほどの冷気を感じる。


 あまりに美しいアージェの姿は、生と死を否定された悪趣味な禁忌にしか映らない。人が正しく腐敗する時間をも拒絶する棺は、醜悪な牢獄そのものだ。


「……こんなものを残して、誰がおまえを信じる」

「信じるのさ。俺にはもう信じさせるだけの力があり、この聖骸には神秘がある」

「……グリンは。なぜアージェを灼かなかった」

「ウッドグリフォンにはだいぶ暴れられた。エリゼが生まれねば城も危うかった」

 あの裏切りもんが。どこまで無能な害獣なんだ。


「月海の巫女は、聖骸を緑炎で灼かれなければ、月に導かれないんだぞッ……‼」


 月から力を借りる巫女は、星送りをされなければ、恩義に報いることなく背いた者として扱われる。その魂は天上の月ではなく、地上の海に映る月に幽閉される。


 夜にしか映らぬ、仮初めの月に閉じ込められた巫女魂は、次の生への輪廻も閉ざされ、永遠の暗き闇をたゆたうと。月海の村では言い伝えられていた。


「迷信に心を委ねるな。しょせんは先達が都合のためにうそぶいた戯れ言だ」

「そうやって自分だけ肯定して……どこまで俺たちを冒涜すれば気が済むッッ‼」


 人の死体を燃やすも埋めるもせず、宝物のように冷やして隠して保管するなど。

 汚れきった冒涜で生き返った身でも反吐が出る。


「汚泥魔も奇怪機も健在な以上、聖防国には象徴が必要なのだ。我らを導く灯火のような光が。娘のエリゼに適性があったのは我ながら皮肉だが、あいつの力はアージェルには比肩しない。アージェルにはこれからも、最後の月海の巫女として、後世の王たちの戒めのために、この世で死に続けてもらう」


 その口調からは罪悪感よりも、自分勝手な陶酔が香っている。

 セイヴが扉から離れていく。俺への最後の手向けを終えたつもりか。


 反射的に振り向いたとき、足に願杖が当たってしまった。大切な杖が地面に倒れてしまう。無用な木片のように転がった杖の姿に、涙が出そうになる。


「リーア。最後だ。たとえ傲慢な悪でも、救世の聖王をおまえごときに罰せるか」

「…………殺す」


 小部屋を飛び出て、怒り任せに距離を詰める。

 セイヴは冷静に宝飾剣を構えた。乱暴に切り上げるも、相手に届かず、軽やかな一手で打ち払われる。がむしゃらで稚拙な動きだとは自覚している。

 でも今は、剣技よりも瞬発力を生かして攻めるべきだ。


 剣術を見せ合うだけの、予定調和な打ち合いには応じない。ただただ相手の肉体を壊すことだけを狙う。理性なき獣じみた無理な動きが、俺に残り少ない血を流させる。だが功も奏して、セイヴに初めての流血を強いる。


 しかし、致命傷だけは的確に防がれ続ける。返す刃で一方的な出血を支払わされる。命の消耗し合いは、セイヴの強烈な上段斬りによって断たれた。


「ッ、クッ⁉」

 背の刃こぼれを狙われたヴァイライナの騎士剣が、真っ二つに叩き折られる。

「終わりだリーアッ‼」

 セイヴが宝飾剣を右手で振るった。左側頭部に恐ろしい速さで迫ってくる。

「――泥女ァァッ‼‼」


 泥女は口も開かず、礼も求めず、請うた通りに黒い汚泥を左腕にまとわりつかせた。迫る宝飾剣の打つ先に左前腕をねじ込み、凶刃を迎え撃つ。

 腕に斬撃が達する。全身が衝撃で横殴りにされるも、腕は無事なまま。


「っつ、それは汚泥か⁉」


 答えてやる義理などない。予想外の鋼殻を叩いた反動で、セイヴの姿勢が崩れている。宝飾剣も体の外側に弾けた。無防備に開かれた右腕を即座に握ってやる。

 凶悪なかぎ爪が、聖王の白い衣服を破る。五指の鋭利な先端が右ひじに突き刺さる。五つの刺傷がもたらす痛みと痺れに、セイヴが剣を手放す。


「ちぎり飛ばせ泥の女王ッッ‼」

『げに小間使いの荒い男じゃの』


 言わずとも求めた力が行使される。

 相手の右ひじを刺して捕らえた左手に振動が生じる。


 不可視の暴風。手甲越しの手のひらが密着した右ひじに、暴力的な衝撃波が解き放たれた。苛烈な風は腕の皮も、肉も、骨をもすり潰し、まもなく俺の手のひらは対象を失った。やつの右腕がちぎれ飛んだ。


 勢いのままに手中で暴れる風が、余波で俺の体をも吹き飛ばす。倒れた拍子に頭部を寝台の木枠にぶつけた。額からの流血が、左目の視界を赤く覆う。


『小僧。予は眠る。勝手に死んでくれるなよ。死体の支配が遅れるからのう』

 力を使い果たしたか。泥女はそれだけ言うと存在感を潜めた。


 痛む体で起き上がり、室内を見渡す。

 調度品は暴風の残り香でさらに荒れ果てていた。


 セイヴは部屋の端まで吹き飛んでいた。ひじから先を失った右腕を押さえ、よろめきながら上体だけ起こしている。血は流れていない。腕の断面がすり切れて乾ききっている。超常の圧が成す作用だろう。


「……諧謔だな。星護りだった者がよもや、泥の女王の力を行使するか」

 皮肉に笑む表情が、俺を責めながらも降参を表明している。

「おまえを殺せるなら、汚泥魔とだって組めるさ」

 葛藤はあっても自戒はない。同じ外道に罵られるいわれだってない。

「そのようだな。オレはもう動けん。年を取るというのは存外、イヤなものだ」


 疲労困憊を訴える肉体と神経を黙らせ、あたかも平然とした動きで近づいてみせる。ヴァイライナの栄誉の騎士剣は半分に折れた。セイヴの宝飾剣も部屋の隅に転がっている。一度、左手のかぎ爪を開いて閉じる。泥女は眠りに沈んだが、黒手甲のほうは消えていない。


 相手は死にかけの聖王。命を奪うくらいなら、これで十分。セイヴに残りわずかな生命の余韻すら与えぬよう、よれながらも足早に接近すると。


「お、お父さまぁっ⁉⁉」

 部屋の外。悲痛な叫び声が響いた。

 続けて、深夜のバルコニーに巨大ななにかが降り立った。

 闇に浮かびながらも月光に照らされる緑。グリンか。


「き、貴様っ……きさまぁぁ! 聖王を狙うとは何事だぁっ!」

 セイヴの娘だという、月海の巫女を騙る銀髪女が感情任せに駆けてくる。

 黒手甲を構えるが、肝心の少女は叛徒よりも、床に座る父親の身を案じた。


「お父さまの腕が……聖王にこの仕打ち……許さない。私はあなたを許さない!」

 少女がにらんでくる。俺は無言で見つめ返した。

 笑えもしない。許しなど最初から欲しがっていない。

 俺は、アージェを殺したやつを同じ目に遭わせる。それ以外なにも求めてない。


「どけ。邪魔だ」


 引きずる足で近づき、涙目で震える少女を見下す。高貴な盗人は星鉄の鋭刃すら抜かないで震えている。怒りと悲しみが先行しすぎて、守るも歯向かうも体を成せてはいない。とんだ巫女さまだ。


 グリンもバルコニーから動かずにいる。かつては家族のようだった元相棒は、瞳も揺らさず、人間同士の諍いを静かに見つめている。


「邪魔だ。殺すぞ」

「ふざ、ふざけないで叛徒め! お父さまが亡くなれば、聖防国は終わるのよ⁉」

「なら終われよ。全員で巫女殺しの汚名を抱えて、アージェのために滅びろ」

「みこ、ごろし……? な、なんの話をしてるっ。言いがかりよっ!」


 なぜだかやけに、少女の姿が笑えてきた。そうか。俺は初めて話すのか。

 この男がなにをしたのかも知らずに褒めたたえる、無知蒙昧な信奉者とは。


「……くっ、くくくっ」

 聞きすぎて染められたか。自然とあふれた嘲笑は、泥女のそれに似ていた。

「っっっ! 笑うな逆賊っ!」

 仇敵の前で、その娘をいたぶる。粘ついた快感は思ったよりも不快に思えた。


 やめよう。言い負かすのも手間だ。

 殺そう。黒手甲を伸ばそうとした。


「エリゼ。おまえの見たがった戒めの間はそこだ。自分の目で確かめなさい」

 俺の殺意を察したか。セイヴは娘に告げた。

「お、お父さま⁉ だからいったいなんの話をっ」

「行きなさい、エリゼ」


 銀髪女が、幼児のように稚拙な挙動で父親と叛徒を見比べる。

 やがて意を決し、焦るようにして小部屋のほうへと走った。


「いまだ品位に欠けるが、あれでも愛おしくてな。オレの真実を知ってもらう」

「その程度で贖罪のつもりか」

「違う。オレが殺されても、あいつがいつか、おまえのようにならないためにだ」


 男同士の対話は、小部屋から届いた甲高い悲鳴に断ち切られた。

 バルコニーでは、グリンが小部屋の先をジッと見つめている。


「お父、さま。これはいったい。あれは、あの子は……月海の巫女、なの……?」


 力の抜けた足で小部屋から出てきた少女は、焦燥した顔つきで父に問いかけた。

 両目には懐疑が宿っている。たったの数瞬で生まれてしまった、信頼の曇り。


「そうだ。月海の巫女とこの叛徒、星護りのリーアは十七年前、泥の女王を討滅した。その直後、オレは二人を手にかけた。国を破滅させる兄に代わり、聖王になるためにだ。彼女らのすべてを奪った。ゆえに殺されても文句など言えんのさ」


 それはセイヴなりの、父親としての顔なのだろう。

 とても穏やかな、俺が知らない表情で語りかけている。


「エリゼティス。この男に咎はない。恨むなら、野卑な簒奪者たる俺を恨め」

「そ、そんなこと……だって、なら私は、なんで、どうして……っっ」


 かわいそうだとは思う。だからどうしたとも思う。

 いずれにせよ、不愉快な部外者が動揺したくらいで俺の溜飲は下がらない。


「もういいか? 遺言は済んだろ」

「ああ」

 セイヴは安堵していた。すべてを受け入れたような温和な表情だ。

 その安らぎが、俺の感情を逆撫でしてくる。


 自分だけ幸せそうに諦めて、死んでいく。そんな姿を見たかったわけじゃない。

 もっと苦しんで苦しんで苦しんで。後悔して死んでほしかった。


「っ、待って、ねえ待っ……待ってください。お願いです、待ってください‼」


 銀髪女が転げそうになって駆け寄ってくる。

 セイヴの前で両膝をつき、両腕を広げて父を護る。

 その先は聞かずとも分かった。全身で告げている。どうせそうだ。

 どうか父を殺さないでください、だろ。


「お金なら出します。そ、そう、鋭刃もお返しします。だから父は、父だけはっ」


 情報の断片しか咀嚼していなくても、状況を理解できる知性はあるようだが。

 思った通りの命乞いは、癪に思うだけだった。


「どうか、どうかお願いしますっ。父は、聖防国にとって、どうか、お願いよ‼」

「よせエリゼ。もとはオレのしでかしたことだ。この命、リーアにくれてやれ」


 セイヴが残された左手で、娘の頭を優しく撫でる。

 裂けた衣服の首元からは、黒焦げてひしゃげた金属がこぼれている。

 こいつが姉さんに贈ったという、青白い星鉄のブローチ。


 結婚して、娘がいてなお、未練がましく懇切丁寧に身に着けている。

 そのすべてが、言葉にできない不条理となって痛めつけてくる。


「お願い、お願いします、リ、リーアさん! どうか聖防国のためにも……!」


 心痛が激しい。負傷のせいではない。

 急に、泣きたくなる思いにかき立てられる。

 彼女の助命に心を打たれたわけではない。

 むしろ、怒りしかない。なのに。


「…………なんで」

「え?」

 なんで、こんなものを見せられなければいけない。

 なんで、こんなにも責められなければいけない。


「なんで、殺したおまえらが聖人ぶる……アージェはただ生きてただけだ! アージェは人々に尽くそうと、月海の村に帰りたいと、そのために生きて命を賭していたんだ! あいつは、アージェは、つ、月海を、眺めていられれば、それで、それだけで、いいって、よかったのに……っっ! なんで殺された俺たちがそんな目で見られなければならないッッ‼⁉」


 人ではなくなった体から激情があふれ出す。


「殺されたやつが利用されて、殺したやつが同情されて……ッ、アージェを殺しておいて、きらびやかに生きてるこいつをなぜ殺しちゃいけない⁉ なぜ俺が責められる⁉ 生き残ったおまえらだけが正しいのか⁉ 知られぬ罪は誰も裁いてくれないのか⁉ 聖防国のためならアージェは殺されて当然だったのか⁉」


 痛んだ内臓が出血し、吐血が止まらない。眼下の少女の顔にも飛び散る。


「っっ……卑怯だ。おまえたちは卑怯者だ。アージェを楯にして、自分たちばかり正当化して、卑怯だ…………おまえたち全員、卑怯者だ……っっ……」


 水滴がこぼれ落ちる。顔を上げるには、しばらく時間が必要だった。


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