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穢れた凶刃(4)

 怒りのままに右足で踏み込む。石畳を割らんばかりに激しく蹴りつけ、害獣に飛びかかる。体力不足が欠点な反面、瞬発的な筋力の異常さだけは、昔の自分をはるかに凌駕している。銀髪女は反応すらできていない。


「俺みたく泥にまみれて死ねッ‼」

「ギュルァッ!」

 グリンへの一閃は、前足の分厚い爪に受け止められた。

 腹に響く低音の鳴き声は、こいつなりの抗議にも聞こえた。


 知るか。即座に騎士剣で切り上げる。狙うは首元。だがグリンの動きは巨体に似合わず速く、刀身の横っ腹に噛みつかれた。瞬きの間、押し引きは拮抗した。けれどウッドグリフォンの咬合力には太刀打ちできず、剣を奪われる。

 騎士の誇りである剣は唾液にまみれ、ペッと遠くに吐き捨てられた。


「ふっ、ふふ……侮ったわね! グリンは奇怪機にだって力負けしないのよっ」

「ッッ……」


 黙れと罵りたいが、侮ったのは事実だった。まさかこんなにもたやすく無力化されるとは。一瞬で無手にされ、意気を削がれた。わずかな時間の呆然が、身体に疲労を思い出させてくる。手足から抜けた力がすぐには戻りきらない。


 それでも折れないでいられるのは、この銀髪女を、こいつの父親を、許せないから。アージェを殺して、すべてを強奪したやつらを、許せるはずがないから。


「……おまえみたいな裏切りもんと違ってなァッ‼」


 戦局は見えた。武器を失った今、グリンには抗しきれない。どうせ逃げられないだろう。だったら、女の命と害獣の目玉くらいは壊してやる。


 無策な捨て身で突撃する。銀髪女はニヤついた。星鉄の鋭刃が過剰に優雅なそぶりで構えられる。仕草の一つ一つが神経に障る。

 その横で、グリンが大木のような後ろ足で立ち上がった。そのまま一対の大翼を羽ばたかせ、俺めがけて突風を生じさせる。


「ギュルァ!」「っつ⁉」

「なっ⁉ ちょ、ちょっとグリン! 風がはげしっ」


 豪快に羽ばたせた大翼は、すさまじい暴風を生み出した。上層民区域の路上に転がっている落ち葉や木くずが痛いほど体を打ってくる。

 とっさに身構えるも、この体では数秒と耐えられず。

 まもなく地面から足が離れ、全身が風で吹き飛ばされ、視界が回った。


 ゴミのように舞った全身は貴族屋敷の鉄柵に激突し、硬く冷たい地面に叩きつけられた。体中、余すところなく大男に殴られたような痛みだ。うめき声を抑えきれない。それでも捕縛を恐れ、どうにか起き上がる。


 立ちくらむ視界で周囲を見回す。家の五軒分ほどの距離を飛ばされたか。遠くでは、銀髪女がグリンに向かってわめいている。

 グリンは追ってこない。四足で悠然とたたずみ、俺を遠くから見下している。


「ッッッ……逃がしたつもりか鳥野郎が」

 見逃されている。手荒くも温情に感じてしまった弱い心を、全身の鈍痛で塗り替える。鳥頭の考えなしの攻撃だっただけだ。そう思い込み、敵意を絶やさない。


『ほれ小僧。死ぬなら挑め。死にとうないならさっさと逃げい』


 耳障りな野次に舌打ちを返し、一目散に走る。両足がもつれるが、全力で走る。

 後方から銀髪女の怒鳴り声が聞こえてくる。足音はしない。

 警戒心から振り向くと、銀髪女はグリンの前足にしがみつき、必死に引っぱっていた。だけどグリンは依然として不動でいて、俺を見つめていた。



 上層区を走り抜け、十字路の大通りに踏み入る直前、ローブのフードを頭に被った。頭部や手足からの流血は隠しきれていないが、警邏に見つかる可能性を下げるためにも、視認性を下げる必要があった。


 行く宛はない。とりあえず遠くへ。大通りのシンボルである花池を正面から突っ切る。横目には、無数の花びらが浮かぶ小さな池の中心に、よく知る顔の石像。


「……自分で殺しといて」


 青白い石材でかたどられていたのは、月海の巫女の人物像だった。きっと制作したやつらは知らないだろう。アージェはあんな作り笑顔をしないってことを。


 理不尽への怒りが胸中を焦がすが、おかげでハッと思いつけた。

 正面に続く下層民区域への道。その先に身を隠しやすい場所があったことを。


 昔よりも幾分かは清潔に見えるが、煤臭さだけは変わっていない下層区に踏み入る。月の灯火による心身を灼くような痛みと、グリンにやられた身体的負傷が疲労を追い立ててくる。足は次第に、引きずるようにしてしか進めなくなった。


 ただでさえボロボロにすり切れていたかび臭いローブも、先の戦闘でさらにぼろ切れになった。でも、夜の下層区が変わっていなければ、そう目立たないはず。

 このあたりでは、酒や博打に飲まれた物乞いの姿も珍しくはない。


『不快な場所じゃ。まるで虫ケラの巣よの。貴様らの文明の劣悪さがよう分かる』

 泥女がケチをつけてくる。劣悪な汚物的存在がよく言う。


「……っ、まだ、あった」


 誰に捕まっていてもおかしくない速さで歩き続けていると、なじみのある建物が目に入った。二年間、俺とアージェが世話になった白の教会だ。

 昔も痛んでいた石段や石壁、木扉も十数年と経ってさらに劣化している。

 有り体に言って、賊が命からがら逃げ込むにはちょうどいい廃墟に見えた。


 周囲に目を配る。人けはない。接ぎ木で補修された鍵なしの木製扉を静かに押し開き、生まれた隙間に全身を滑り込ませる。


 薄暗い夜の礼拝堂。最奥の透かし窓から、かすかな月明かりが差している。後ろ手で木扉を閉め、礼拝堂に並んだ横長椅子の手すりにもたれかかる。


「っっぐ……軟弱な体だな……」

 全身の裂傷が痛覚に訴える。頭も痛い。散漫な思考も形にならず溶けていく。


『ふむ。ちっとばかし早いが、よい兆候じゃ。そのまま死してよいぞ小僧』

「……なんだと?」

『言うたろ。貴様と予は半々。削って欠ければ、片方が消えるのが道理じゃて』

「……ほざくな泥女が」

『予が体を支配した暁には、仇討ちの肩代わりも考えてやろうぞ。クックク』


 左腕の望まぬ同居人があざ笑ってくる。冗談じゃない。誰がこんなやつにくれてやるものか。いよいよとなったら火にでも飛び込んでやる。


 その前に、絶対にセイヴを殺す。あの銀髪女もだ。ついでに殺す。あとの問題はグリンか。巨大で強靱なあの体躯。広い場所で立ち会えば圧倒的に不利だ。

 生かすか殺すかは今は考えない。ただ、あいつは裏切ったから。

 俺が敵対してやる理由は、それだけで十分だ。


「――そこのお方。白の教会になにかご用でしょうか」


 ハッとして顔を向ける。まさか人がいたとは。鈍痛と困憊で朦朧としていたせいで気付けなかった。くだらない不覚だ。


 礼拝堂の右壁の奥。孤児院につながる扉。そこに、月明かりをうっすらと背負う者がいた。身を包むのは、清潔な白い司祭服。神聖なる教会の聖女の衣。

 顔は薄布のヴェールに包まれている。はっきりとは視認できない。おまけに、腰には聖職者らしくない金の柄の剣。抜いてはいないが剣帯に手をかけている。


「今一度問います。白の教会になにかご用でしょうか」

「…………」


 今代の聖女か。声色がずいぶん若い。世話になった以前の老女は代替わりしたのだろう。まだ存命ならいいのだけれど……ッ。浮ついた懐古が警戒心を乱す。

 見知らぬ聖女が、慎重な足取りで一歩ずつ、こちらに近づいてくる。


「ケガをされているようなら、薬術士のところに案内いたしますが」

 よく言う。不信を与えないよう努めているが、緊張感をまとわせている。


 まあ、騒ぎもせず座り込んでいる傷だらけの男だ。不審がられても仕方ない。俺も教会兵のころ、深夜は下層区の狼藉者の侵入に気を配っていた。

 つい口角が歪んだのは、今の自分が〝そっち側〟だと気付いたせいである。


「事の次第によっては警邏に引き渡さねばなりません。答えなさい」

 暗がりで、月明かりを背負った聖女が近づいてくる。

 すこしずつ縮まる距離が、相手の輪郭を浮き彫りにさせる。

 最大級の警戒と疑心はやがて――乾いた失笑に変わった。


「くっ、ハハッ」

「……? なにがおかしいのです。いかに教会でも、不審者の扱いは法に則って」

「おまえ、ヴァイライナ=アルトジェリンか」

 金色の騎士剣の柄に添えられていた右手が、ピクリと動く。動揺している。


「……何者ですか? 私はもう修道に身を捧げた聖女。聖王城とは無関係ですが」

「…………ハハッ」

「まさか、聖王の差し金? 今さら考えにくいですが……」

「笑わせるなゲス女。月海の巫女を見殺しにしておいて、聖女を気取るかよ」


 長椅子の手すりに腕をかける。よろめく体を極力抑えながら、立ち上がる。

 頭部の流血は固まったが、手足から流れる血が足下の地面を汚した。

 疼痛はすでに凍えるような寒気に転じている。だけど。

 どいつもこいつも俺を笑わせてくれるおかげで、心身は焚きつけられている。


「っ、止まりなさい。寄れば斬ります」

 以前は俺のほうが体格がよかった。今は彼女の上背のほうがわずかに高い。

「やってみろよ聖女。じゃなきゃ死ぬぞ」


 啖呵を切った瞬間、相手の革の剣帯から刃が解き放たれた。水流のような身のこなしに次いで、警告めいた抜き打ちの一閃が飛んでくる。

 見ただけで分かる、脅しのための甘い一撃だった。恐怖で降参させるつもりらしい。お優しいことで。慈悲深い聖女さまは当てる気がないという。


 声は発さず、左手を前に差し出す。体内では泥女が嘲笑している。

 幸い、左前腕には望み通りの黒手甲がまとわりついた。

 体にかすらせるためだけの斬撃を、高硬度のかぎ爪でつかみ止める。


「っ⁉ な、なんてこと。それは泥の女王の……くっ、よもや汚泥魔の手先かッ」

「俺を見ろ、ヴァイライナ」

「口を開くな汚泥魔め! 聖防国の、あろうことか白の教会に、よくも姿を!」

「俺を見ろ。人の死にざまを愉しんどいて、忘れたとは言うなよ」

「っ、いったいなにを…………え」


 黒手甲で握った騎士剣から、相手の引く力が急速に抜けていく。彼女の手が震え出す。振動は剣先に伝わり、かぎ爪越しの指先にまで届いた。


「そんな、だって、ウソよ……」

 ヴェール越しの眼球は、死んだはずの者を前に見開いている。

「あな、た。まさか、そんな。だって、あなたは、あそこで亡くなってッ……」

「ああ。死んだよ」

「リーア……よね? ウソでしょ。だってあなたはあのとき、アージェルと……」

「そうだ。殺されたんだ。おまえらになァッ‼」


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