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穢れた凶刃(3)

 夕闇の街灯に照らされる、銀の髪が印象的な少女。

 背には、夜天の星の川のような一本髪が揺れている。


 やけに見目がいい。目鼻立ちが出自の高貴さを醸している。同時に裕福さが癇に触る。年ごろは大人と子供の中間。以前の俺やアージェくらいか。


 そして、そいつが近づいてくるほどに、この目は見開いていった。

 可憐さに目を奪われたわけではない。そいつは。


「見ていたぞ、貴殿が我が仲間に手をかけたところを!」

 少女は、軽装鎧の下に青い服を着ていた。よく見慣れた、月海の巫女の装束。

 鮮やかな青地の彩りは、星屑貝の青血を使わねば出ないはずの色。


「白の女神の庭たる都で、貴殿の行いは極刑に値する!」

 少女は、緑の外套を羽織っていた。俺も着ていた、月海の巫女の外套。

 精霊樹の緑葉で染めたそれは、目にするだけで過去を思い出させてくる。


「聖防国での無法なる凶刃と狼藉、獄中にて贖い償え!」

 少女は、細身の片刃剣を握っていた。姉さんに託された、星鉄の鋭刃。

 それを持っていいのはおまえじゃない。俺でもない。巫女の星護りだけだ。


 言い知れぬ不安を吐いてぶつけてやるよりも先に、そいつは名乗った。


「我が名は、エリゼティス=シースフィア=フィルドサーク。聖王セイヴルティスが第一姫にして、我こそが聖防国の〝月海の巫女〟と知れっ!」


 頭を、見えない槌で強く殴りつけられたのかと思った。

 こいつ、いま、なんて言った?


「ふふっ。今さら恐れても無駄よ、騎士殺しの叛徒め」

 顔に優越感がにじんでいる。あっけにとられた姿を怯えと解釈されている。


『クッ、ククッ! 小僧、愛しの巫女が現れよったぞ。どうする、クックック!』

 俺を害するためだけの嘲笑が、手のひらに爪を食い込ませた。


 聖王の第一姫。光沢のある銀髪はセイヴの娘の証か。それはいい。だが。

 こいつは月海の村で、巫女と星護りにだけ与えられる栄名を。シースフィアの名を騙った。あまつさえ、月海の巫女を自称した。


 頭がズキズキと痛む。

 信じられないほど浅はかな冒涜に、意識が黒く染まっていく。


「さあ、無手でひざまずくか。我の剣に断罪されるか。選びなさい叛徒よっ!」

 月海の巫女の皮を被り、星鉄の鋭刃を天に突き上げ、誇り高ぶる。


 なんて、なんて目障りな光景だろう。

 彼女は生きていてはいけない。生かしてはいけない。


「ふふっ。怖いかしら? 謝れないなら反逆とみなし、私の星鉄の鋭刃で――」


 両足が全力で地面を蹴飛ばした。

 意気揚々とした横っ面を叩き切るつもりで、騎士剣を振るった。

 幅広な刀身と頑丈な柄の重さに慣れない、質量任せの無様な一撃。眼前の女は機先を制され吃驚するも、腕はあるのか。すみやかに鋭刃で迎え撃った。


「なっ⁉ こ、この私に、エリゼティスに剣を向けるだなんてっ……」

 騎士剣の薙ぎで、細身の鋭刃を叩く。

 力で押し切ろうとしたが、銀髪女の腕は確かだ。

 聖防騎士との集団訓練でよく見た剣術。教本通りの受けで刃が流される。


「き、貴様ぁ! この私に剣を振るったなら万死よっ!」

 貴殿と言ったり、貴様と言ったり。我と言ったり、私と言ったり。

 未熟な振る舞いも嫌悪をかき立ててくる。


『おやぁ? 予の勘違いでなくば、小僧は巫女の守護者ではなかったかのぉ?』

 体の外も内も、どいつもこいつも人をイラつかせてくる敵だらけだ!


 銀髪女に追撃しようとしたが、体が重い。疲労が尾を引いている。ここに来るまでに慣らしてきたはずの身体が、思考で描く動きについていけない。


「っ、バルトダイト剣技派の亜流かしら。どうやら聖防騎士を知らないようねっ」


 不意に足を止めた俺を勝手に推し量り、銀髪女が喜色の笑みで攻め返してくる。

 斜め上からの斬撃。止める。水平斬り。止める。切り上げは避けて、突きはいなす。強くはないし弱くもない。教則だけで育ったつまらない騎士の典型例。


「グッ……っ」

 けれど、その程度も断ち切れない。

 鋭刃が体に近づくと、火で炙られたような痛みが走る。


 濡れた明かりのような刀身は、本当に、汚泥魔に対して特殊に作用していたようだ。体の半分が汚い泥に侵食された現状を、イヤでも認識させられる。


「月の灯火よっ。零れて我らを照らし給えっ」

 懐かしい祈りの文言が怒鳴るように叫ばれる。

 やめろ。ふざけるな。叫び返したい口は半開きで止まった。

 鋭刃の剣先に、月海の巫女だけが行使できる青白い光が灯った。


「あなたは聖防国の王族にして、月海の巫女である私に凶刃を向けた。これは人類への敵対に等しき大罪。正当なる釈明なくば、純然たる死を覚悟なさい!」


 月の灯火に照らされた身体が、火炎を押しつけられたかのように鋭く痛み出す。

 痛い。灼ける。呼気が荒くなる。片ひざが折れて地面についてしまった。

 眼前からのさえずりも、体内からのあざけりも、すこしずつ意志を削いでくる。

 すべての存在が、俺を斬りつける刃と化している。


「ふっふん。よき心がけね。今からでも剣を捨てて、反省と謝罪で頭を垂れるならば、このエリゼティス=シースフィア=フィルドサーク、話くらいは聞いてあげましょう。さあ、ひれ伏しなさい!」


 優越にまみれた銀髪女が、寝かせた刃で打つだけの、仕置きのような一撃を放ってくる。上目づかいに見た表情は、目前の勝利に浮かれていた。

 その舐め腐った態度のすべてが、限界を超えさせた。


「もう、さえずるな」


 左腕を前に差し出す。生身だった前腕に黒手甲がまとわりつき、軽い鋭刃の斬撃を止める。命令はしていない。ただ泥女が行使してくれた。目前に迫った灯火に心身を灼かれながら、驚愕に引きつった銀髪女の顔に、殺意を返す。


「その手で、星鉄の鋭刃を持つな」

 黒手甲のかぎ爪で、鋭刃を握りつかむ。

「その口で、シースフィアを名乗るな」

 鋭刃を強く引っぱる。女が前のめりに崩れる。

「その血で、月海の巫女を騙るな」

 鋭刃を手放そうとした女の首を、素手の右手で捕らえる。

「ぁぐぁっ⁉」


 自前の割れた爪が、白く柔らかな首筋に刺さる。

 赤い血が流れる感触。女の顔も恐怖に染まる。

 放り投げた鋭刃が地面に転がり落ちると同時に、灯火も消失する。


「おまえの死で、聖王に痛みを支払わせる」

「っ、ぁがっ! お、お父さまに、なんの、恨み、い、っっ!」


 右手に力を込める。銀髪女は強く暴れる。

 だが、すぐに息を吐ききり、呼吸にあえぎ出す。


 以前なら考えつかなかったことだが。俺は今、なんの疑問もなく人を殺そうとしている。感情は揺れることなく、右手にしっかりと力を込めさせている。

 俺は本当の意味で、人間ではなくなってしまった。

 それでいい。こんなおぞましいやつ。生かしておけない。ここで消す。


「ギュルアアァァアッッ‼」


 人の命を握りつぶす寸前だった。

 直上から肌を震わす風圧を浴びせられ、危険を感じた。

 すばやく銀髪女の首から手を離す。生存本能のままに後退する。


「キュルァァア!」


 それは、暴力的な落下速度で巨体を着地させた。足下の石畳も粉砕された。

 破砕片は勢いよく飛び散った。離れていたのに石つぶてに打たれてしまった。


「おまえ……クソが。ふざけやがって」


 無防備にゲホゲホとむせる銀髪女をかばうように、四足の獣が立ちふさがる。

 太い四肢は人間一人分の太さ。全身の羽毛は月光を浴びて、艶めいた緑色に光っている。猛禽類の目とくちばしがついた顔つきは、昔とは違う成体の獰猛さ。

 肥大した体躯以上に違うのは、背中に生えた一対の大翼だ。

 今ではもう、空も自在に飛べるらしい。


 その荘厳な姿は月海の村で崇敬された、大人のウッドグリフォンそのもので。


「けほっ、けほっ……グリン。ありがと。助けにきてくれたのね……」

 月海の巫女に付き従い、巫女の聖骸を緑炎で灼き、海の月へと導く者。 

 俺とアージェが拾ったグリンは、今はこいつの星送りらしい。


「アージェが死んでも、別の女に鞍替えして、まだ星送りのつもりか鳥野郎」

「キュルァァ」

 低音のくぐもった鳴き声。声色が違うせいで、威嚇か親愛かの判別はつかない。

「さすが、裏切りもんだ」


 状況さえ違えば、こいつ以上の旧友はいなかっただろうに。今は、獣の言葉ですら言い訳を聞きたくないほど、目障りな害獣にしか見えなかった。


「けほけほっ……グリンっ。この男を断罪するわ。かかりなさいっ!」

 この女は、俺のすべてを奪ってなお、正当性は我にあるといったツラ構え。


『ククッ! 悲惨じゃのう! みなを奪われ悲惨じゃのう小僧。クッククク!』

 肉体があれば腹を抱えていそうな笑い声。もう、全部、ウンザリだ。


 盗んだ騎士剣を構えて見せても、グリンは飛びかかってこない。どうも動きあぐねている。怪物に等しき図体の怪鳥が、小柄な男相手に出方を迷っている。

 ちゃんと、俺が誰だかは認識しているようだ。鳥頭にしては最低限の知性があるらしい。笑えてくる。なら、元飼い主の一人として決断させてやろう。


「……アージェに詫びて、てめえも死んどけ鳥野郎ォッ‼‼」


 俺もアージェも、こいつとの別れを済ませられなかった。

 だから代わりに、この場で惜別を断ってやるよ。裏切りもんが。


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