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泥の女王(3)

 外の日が落ちたころ、二人して部屋から出た。

 食堂の席には、老婆聖女と子供たちが座っている。


「さあさ皆さん。白の女神の高潔なる御心に贖罪を」

「白の女神の御心に贖罪を」「女神に贖罪を」「キュルゥ」

「しろのめがみにしょくざいをー」

 全員の祈りが済んだことを聖女が確認し、食事の合図を出す。


「はいよろしい。今日も糧をいただきましょう」


 食卓には、小ぶりで硬い黒パンが一人二つ。白と緑の野菜の薄味スープ。瓶には井戸水。それだけだ。依頼中に羽なし鳥でも狩ったほうがましな聖餐。

 でも、教会内は血と肉が禁制。寄付金も減っている今、贅沢もできない。


「あーあ、リーア兄が獲ってきたお肉、お外でまた食べたーい」

「また今度な」

 なお、血肉の禁制は教会〝内〟のみの話である。

 不信心を貫く、教会の一歩外に出れば、抜け道はいろいろとある。

 白の女神というのは案外、話の分かる神らしい。


「ねえ聖女さまぁ。しょくざいってなーに? 女神さまにも食材あげるのぉ?」


 歯抜けの口で、固い黒パンに苦戦中の男児が、母代わりの聖女に話しかける。

 聖女、と呼ばれるにはだいぶ老いた女性もニッコリとほほ笑む。

 聖女の名を持つ者は教会の数だけいる。年齢層についてはほぼ似たものだけど。


「贖罪とは、犯した罪を贖うこと。白の女神に謝りましょう、ということです」

「なにそれー。オレ悪いことしてねーのにー」

 子供らしい理屈。僕も初めて聞いたときは同じ感想だったけど。


「とてもとても大昔のこと。命を宿さぬ奇怪機たちは、空に手を伸ばしました。そうして月の白き魂を奪い取り、この地に泥を降り注がせたのです。そこで月海の民たちは、海に映されし欠け星に、空への架け橋となる巫女を捧げました。民の願いはいつしか届き、アージェルさんのたち月海の巫女は、白の女神の帰りを待つ月から、悪しき汚泥を払う力を戴いたのです」


 アージェが幸せそうな顔で、野菜スープを口に運ぶ。

 大しておいしくないってのに。とろけた笑顔は架け橋としては強度不足だろう。


「地に湧く汚泥魔は、人を食らいます。決して近づいてはなりませんよ」

「お、汚泥魔コワーイ……」

「彼らは人ならざる身ですが、人を喰らえば人に戻れると信じているのです」


 子供たちのなかに、汚泥魔に家族を殺された子はいない。だが数人の子が怯えている。するとアージェがさじを置き、空いた手で怖がる子たちの頭を撫でた。


「大丈夫よ。泥の鎖石は、私が絶対に見つけ出すから」


 壊せば汚泥魔たちが浄化されて消えるという、泥の鎖石。

 壊せば奇怪機たちが砂と化して滅びるという、エマジン・ウル。


 二つの異物に救世を託して焦がれてきた人類だが、いまだにいずれも発見にすら至っていない。今では、時の聖王が権威のために騙ったウソで、ただの作り話でしかないとそしられている始末だ。

 かく言う僕も、昔は伝説に憧れ、英雄になりたいと踊らされる子供だった。


「ふふふ。みんな安心して。白の教会には女神の聖別の加護があって、私たちの体は汚泥魔にとっておいしくなくなるの。だから食べられたりはしませんよ」


 おちゃめに脅かしてきた老婆聖女が、子供たちを安心させるように微笑する。

 おちゃめに笑む聖女に、アージェルが問いかける。


「たしか、聖女さまの血は悪しきを浄化するんでしたね」

「ええ。アージェルさんの灯火の力ほどではないのだけれど」


 そうした清らかな聖体を保つべく、教会では血と肉の禁制が守られる。でもだ。外で森鹿の焼いた肉を手渡せば、聖女も迷信と笑って食らうことは確認済みだ。



 晩餐を終え、井戸水で軽く水浴びをした。

 アージェの洗濯も済ませて、自室に戻ったとき。

 コンコン。部屋の扉が控えめに叩かれた。僕は「いいぞ」とだけ返事をする。


「入るね。星鉄の鋭刃の手入れは終わった?」

「今さっき終わったよ」

 アージェ以外の子供たちの場合は、ノックよりも騒ぎ声が先立つ。

 だから扉を無言で叩くのは、隣の部屋から毎晩やってくるアージェしかいない。


「グリンは? 部屋に入れなかったのか」

「今日はお外。依頼帰りで汚れてるから、お部屋のお掃除が大変になるもの」

「かわいそうに。最近は月海の巫女さまからの扱いもヒドいな」

「えー。じゃあリアの部屋に入れたげてよお」

「イヤだよ。抜け毛すごいし」


 アージェは湯浴み後の姿だった。一本髪も解いて、遠慮なく近づいてくる。

 清潔な巫女服は熟練職人の手縫いで新調したばかり。けれど昔ほどの青みには染まっていない。染料の星屑貝は月海の名産だ。あそこでしか採れないから、以前のような伝統色には染められなかった。


「公衆浴場の帰りに、武装探検団の人に会って聞いたよ……月海の村のこと」

 ベッドの隣にアージェが座る。顔色は曇っている。


「今年の遠征でも、やっぱり誰も見つからなかったって」

「……そっか」


 武装探検団は自由契約の職業。依頼斡旋所で登録すれば誰でもなれる。戦闘や探索など得手不得手は人それぞれだが、みな身寄りがないことだけは共通する。

 探検者は孤児院の子供たちのように、親類を亡くした者が行き着く仕事。例外はセイヴのような道楽者か、昔の僕のような夢見がちなやつくらいのものだ。


「村は荒れ果ててたって。昨年とも様子が変わらなかったみたい」

「そっか」


 武装探検者のなかでも腕利きの集団はまれに、国から未開地域の探索を依頼される。今となっては月海の村もその一つだ。年に一回、現地調査要員が送られる。

 その成果が、今年も僕らを消沈させただけのこと。


「丘の物小屋も相変わらずだって?」

「うん。物も荒らされてなくて、やっぱり誰かが来た形跡はないって」


 村の調査報告を聞いたのは今回で三回目だが、内容はお決まりだった。

 村に残った父さん母さん。大玉荒野に残った姉さん。アージェの両親や祖母の大老。そのほかの月海の民の痕跡も、いまだなにも見つかっていない。

 こうなると、今もどこかで生きていてほしいと、ただ願うほかない。


「私たちも、自分の足で行けたらいいのにね」

「月海の巫女であるうちは諦めるしかない。罪罰もあるって言うし」


 聖防国では、かつての襲撃地や敵拠点に赴くには国の承認が求められる。汚泥魔や奇怪機をヘタに刺激しないよう、意図せぬ弊害を管理するためだ。

 僕らも聖防国に属する限りは、故郷だろうと勝手に帰れない。


「ねねね。もし汚泥魔を倒せたらさ、私たち村に帰れるのかな」

「倒せたらな。そうなったら文句言われても帰ろうぜ」


 敵が奇怪機だけになったなら、アージェの月の灯火は役に立たない。奇怪機兵が断崖天壁の向こう側に現れた例もない。止められる筋合いもないだろう。

 かつては汚泥魔も現れたことがなかったという、油断の結末が現状だとしても。


「もしね、私たちが泥の女王を倒したら、王女さまと王さまになれるかもだって」

「なにそれ? そんなわけないだろ」

「それくらいの偉業になるかもって。セイヴさん言ってたよ」

「いいよそんなの。栄光だけ譲ってやろうぜ。そのほうがセイヴも都合いいだろ」


 王になるだなんて。ただでさえ足りない頭では考えたことすらない。子供だったころも、大人とは言い切れない今も。僕が目指すのは姉さんのような英雄だ。

 それにアージェが王女で、僕が王になったら、それってつまり。


「なあアージェ。王女って普通、王と結婚しないとなれないんじゃないの」

「あ、そうだね。普通は」

「そうだろ。普通は」

「だね」

「だろ」

「……じゃあ、そのときは」

「そのときは?」

「…………もー。乙女に言わせちゃダメなんだぞー」


 アージェがかわいらしく怒り出す。なにに怒っているのかは分かっている。だけど乗っかってやる気はない。

 僕も将来、そういう未来しか選ぶつもりがなくても、言うのは今じゃない。


 あるとすれば、僕が偽りの星護りとしてでも、アージェの上をいったとき。なけなしの矜持はいまだに、幼なじみの女の子への張り合いを優先させる。


「ねえね。リアは村に帰ったら、なにしたい」

「そりゃ……なんだろ」

 姉さんの痕跡を探す。海の向こうで両親を探す。

 家を建てたり、人を呼んだり……そんな現実的な案はたくさんある。

 だけど、アージェに笑ってもらえる返答はなかなか浮かんでこない。


「アージェは。なにしたいんだよ」

 最終的に僕は、聞き返すことで返答から逃げた。


「私は久々に、一日中、海を眺めてたいなあ。聖防国だと月海が見られないから」

 答えは予想できていた。アージェは昔からそうだったから。

 こいつはいつも、砂浜で笑顔で足をパタつかせて、月海をずっと眺めていた。


「で、白浜で村の子供たちに囲まれる?」

「そう。私のおばあちゃんみたいに。そうやって朝から夜まで月海を眺めてるの」


 ベッドに腰かけたまま、アージェが首を傾げた。

 そのまま僕の顔を下からのぞき込んでくる。

 いつもの、凪いだ海のようにとろけたような表情で。


「もちろん、リアも一緒にね」


 湯浴みしたばかりのみずみずしい白肌。

 うなじからは目を背けて、どうにかやりすごしたけど。

 まっすぐに向けられてしまった幸せそうな顔は、けっこう気恥ずかしい。


「……グリンをのけ者にすると、あいつすねるぞ」

「あ、そうだね。ふふっ」

 あいつを忘れると、僕のほうが裏切りもんになってしまう。


「月海ばっか眺めてたらアージェもそのうち、あのババアみたいになっちゃうぞ」

「もー、大老のことそんなふうに呼んじゃダメー」


 ああ、村に帰りたい。あのころのように。

 それが難しいことだと分かっていても。

 ただ、最近よく思っている。こういう話を悲しまずに、二人で笑って話せるようになったことが、とても幸せに思えると。


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