沈黙の盤面(クールダウン)と、最強の矛の折れる音
『ア……ァァ…………リ……ン…………』
ノイズ混じりの声が地下空間に響き渡った直後、漆黒のエクリプス——かつてのリンの隊長だった『セツナ』が動いた。
右腕の巨大な刃が、異常な速度でリンの首すじへと振り抜かれる。
「リンッ!!」
俺は咄嗟にリンの身体を突き飛ばし、共に床へ転がった。
直前までリンが立っていた空間を黒い刃が通過し、背後にあった強固なメインフレームの筐体が、まるで豆腐のように両断される。
「な、なんだよあの異常な攻撃力……! かすっただけでも即死だぞ!」
トーヤが悲鳴を上げる。
「マズいわ……! トーヤの結界がない今の状態で、私がアレのヘイト(標的)を引いたら、0.1秒でミンチにされる……!」
メイが後ずさり、シオンも熱を持った狙撃銃を構え直すが、その手は震えている。
俺は戦術コンソールを素早く確認した。
シオンの『遅延発火』、トーヤの『絶対停滞』、ナギの『時間超越』。
これら部隊の生命線であるスキルは、先ほどの300体相手の連続使用により完全に沈黙している。再発動まで、最速でも残り180秒。
戦術ゲームにおいて、主力のスキルが使えない時間帯にボスと正面衝突するのは「自殺行為」と同義だ。定石であれば、ここは全員で散開し、時間を稼ぐ(カイトする)しかない。
「全員、距離を取れ! 遮蔽物を使って射線を切れ!」
俺の指示で、トーヤとメイ、シオンが蜘蛛の子を散らすようにサーバー群の陰へと走り込む。
だが、ただ一人——リンだけが、床にへたり込んだまま動こうとしなかった。
「……私の、せいだ」
リンは、虚ろな瞳で漆黒のエクリプスを見上げていた。
彼女の手から、最強の矛である大剣がカランと音を立てて滑り落ちる。
「あの時、私の『過剰励起』が暴走しなければ……部隊は壊滅しなかった。セツナ先輩も、こんな化け物にされることはなかったんだ……!」
過去のトラウマと、目の前の残酷な真実。
それが、彼女の精神デバイスに致命的なエラー(絶望)を引き起こしていた。
『ガァァァァァッ!!』
セツナだった化け物が、無防備なリンに向けて再び右腕の刃を振り上げる。
「リン、立て!!」
俺が叫ぶが、彼女の耳には届いていない。完全に死を受け入れた顔だった。
——リンが落ちれば、この盤面は完全に詰む。
「メイ!! 0.5秒だけでいい、奴のヘイトを引け!!」
俺は通信機越しに怒鳴った。
「っ、死ぬ気で避けるわよ……! 『強制標的』!!」
サーバーの陰から身を乗り出したメイがスキルを発動する。
瞬間、エクリプスの刃の軌道が、強制的にメイの方向へと歪められた。
『ガァンッ!!』
刃が分厚い合金の柱を粉砕し、メイの鼻先数センチを通過する。
その0.5秒の隙を突き、俺はリンの胸ぐらを掴んで強引に引き起こし、近くの遮蔽物の裏へと滑り込んだ。
「……放せ、カイト! 私が死ななきゃいけないんだ! 私が先輩をこんな姿に……っ!」
半狂乱になって暴れるリンの頬を、俺は容赦なく平手打ちした。
乾いた音が響き、リンがハッと息を呑む。
「勘違いするな、欠陥品。お前がここで死んだところで、あの化け物になった先輩が人間に戻る計算式はどこにも存在しない」
俺は淡々と、だが冷徹な事実だけを突きつけた。
「軍の連中は、お前の罪悪感すらも計算に入れて、この場所に俺たちを放り込んだんだ。『かつての仲間に殺されるなら、あの欠陥品も本望だろう』ってな。……お前は、そんなエリート共の思い通りの変数になって消えるつもりか?」
「それ、は……」
リンの銀色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……なら、どうすればいい……! 私は、先輩を斬れない……っ!」
「斬るんじゃない。システムから『解放』するんだ」
俺は自身のデバイスを操作し、リンの精神デバイスへと強引に接続した。
俺の『適性率0%(バグ・ゼロ)』による、冷たくノイズのない管理者権限が、リンの悲しみと絶望を一時的に上書きしていく。
「あいつの胸に埋め込まれた認識票を見ろ。あれが魔力供給のコアだ。あれを破壊すれば、先輩の魂は軍のシステムから解放される」
俺はリンの震える手に、落ちていた大剣を握らせた。
「お前の『過剰励起』の矛先は、先輩じゃない。この理不尽なシステムそのものに向けろ。反動は、すべて俺が背負ってやる」
『……ァ……リ……ン…………』
遮蔽物の向こうから、重い足音と共にエクリプスが迫ってくる。
リンは深く、震える息を吐き出した。
そして、その瞳から涙を拭い去り、大剣を両手で強く握り直す。
「……180秒だ」
リンが、かつての『最強の矛』の眼光を取り戻して俺を見た。
「他の奴らのスキルが回復するまでの3分間。私とお前だけで、あいつを足止めするぞ。……できるか、専属計算機」
「愚問だな。1秒のズレもなく、完璧に踊らせてやる」
主力のスキルを持たない、適性0%の指揮官と暴走ヒロイン。
絶望的なクールダウンの空白時間を埋めるための、死と隣り合わせの耐久戦が始まった。




