2 アンダーの情景
アンダーの世界の空には常に青い月が浮かび、冷たい光を地上に落としている。太陽と比べればずっと弱いが、現実の月夜よりは明るい影の世界。それがアンダーという場所だ。鈴華が目覚めたのは、地上から600メートル以上の高さにある、現実でのセンタータワーの頂点近く。
最初を除いて、アンダーでの写し身の出現地点と現実での肉体の居場所に関係性はない。あくまで前回写し身があった場所にそのまま出現する。アンダーから現実に意識を戻すときはゲートと呼ばれるアンダーと現実との境界が緩んでいるポイントを利用するのが正規で、それをしなければ写し身が無防備なままアンダーの世界に残ってしまう。そのため本来ならばゲート付近には出入りの人が集まるものだが、鈴華の周囲には誰もいない。タワーの上のゲートは存在自体をほとんど知られておらず、知っていたとしてもアクセスが悪すぎてまず利用することはない、そんな場所だった。
しかし、鈴華はそんなセンタータワーの上から見える雄大なアンダーの景色が嫌いではなかった。アンダーという世界を形作るのは、転写された現世の集積だ。ある時ある瞬間の現実の情報が切り出されては冷たい世界に降り積もり、それぞれの場所でのもっとも新しい写しがアンダーの表層を構築する。ところどころによって時間軸の違う写しは街の変化をモザイク状に表し、200年前の大崩壊からの復興と発展の歩みを教えてくれるのだ。
支柱を辿ってするりと降りた鈴華は、片側三車線の広々とした道を北北西方向へ進む。新都の街並みはセンタータワーを中心として放射状に伸びる大通りによって12の区画に分けられている。これは大崩壊以前から変わらない都市の構造で、現在センタータワーが立つ中央には、かつてはより巨大な塔が聳えていたことが確認されている。
みずのえ通りを進んでいると、やがて人家が目立つようになり、ある境界を超えた途端にレトロな雰囲気が漂い出す。それからさらに少し歩いたところで、ねのね商店街と書かれた古めかしいアーチが姿を見せた。
商店街の中は、ひとことで表せば混沌だ。ベースとなるのは、推定90年前の街並みが転写された時代を感じさせる商店街。しかしそこは現代のダイバーたちによって改造され、大きく形を変えている。ある店では元々の看板の上に取り付けられたネオンがビカビカと光り、別の店では肉屋のガラスケースにいくつもの銃器が並べられている。ずらりと並べられたよくわからない雑貨が通りまで侵食していたり、また屋台からは夏草を思わせる微妙な匂いが発せられたりと、まさにやりたい放題だ。
そしてどう考えても無許可な営業をしている店員も、また店を見ながら歩く客にも、真に人の姿をしたものはどこにもいない。腹の部分が空洞になっているものだとか、大きすぎる頭をぐらぐらと揺らしているもの、絡まった針金のように見えるものなどなど、だいたい人型らしい形状こそしているものの、およそ生物的ではない造形をしている。
「よう。どうだ最近の調子は?」
鈴華が馴染みの道具屋に入ると、奥から店主のドラブが声をかけてきた。その見た目は迷彩服が動いているようで、さながら透明人間が着ているよう。アンダーの基準では、特に珍しくもない姿である。
「どうだと言われても、いつも通りだ。年度が変わって、浮かれた連中がそこここで問題を起こしてる」
「春だねぇ」
「気温が上がったからって頭の中まであったまるなと言いたいな。変温動物じゃねえんだぞ」
話をしながら鈴華は消費したアイテムをカウンターに積む。
「これを頼む」
「400ラックだ。端数はまけといてやる」
「適当だな。相変わらず」
鈴華は体内から取り出した小さな結晶をカウンターに乗せる。
「いいんだよ。趣味なんだから。俺はこっちで金儲けするつもりはねぇの」
「だからって、本当に買う価値のある商品をガラクタの山に隠すのはやりすぎじゃねぇか?」
「それこそ俺の趣味さ。いいだろ? 知る人ぞ知る隠れた名店だ」
「……まああんたがそれでいいなら別にいい」
受け取った商品を体内に格納する。十分に拡張された鈴華の写し身は買った品を余裕で収め、鈴華は手ぶらでドラブの店を後にした。
ねのね商店街に戻ると、入店したときよりも心なしか通行人の数が増えているようだった。この時間なら、高校生だろう。ダイバーは学生や社会人の傍らに活動する人間が多く、夕方から夜にかけて特に賑わいを見せる。この時期は高校の合格や入学祝いでアンダーギアを買ってもらったというダイバーが増え、初々しい姿がよく見られるものだ。
もっとも、それではしゃいだりあるいは新人を狙うダイバーによるトラブルが後を絶たない時期でもあるのだが。今も路上に置かれた家具を勝手に持ち出そうとした写し身が店員に怒られているのが見える。とはいえ今回はルールをわからずにやっただけみたいで、本人も反省しているようなのでかわいいものだが。悪意のあるやつは最初から強盗する。未だに行方をくらましているブラックリストの面々に思いを馳せながら、鈴華は人通りの増えたねのね商店街を後にするのだった。
次回投稿予定は明日12時です。
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