1 種まき
「アンダーとは、世界から切り取られた影が蓄積した世界だと言われている。今この瞬間も、あるいは転写され、アンダーの一部となっているかもしれない。ゆえに深く潜れば潜るほど、アンダーの世界は過去を描写する。はるか古代の出来事から、失われた前文明の情報まで、世界の秘密の多くはアンダーに眠っている。それを求めて深みまで潜っていくものたちを、ダイバーと呼ぶ」
ホワイトボードにペンを走らせ、鈴華嶺都は言葉を述べる。教室の中を見回せば、うん、初日だというのに既に不真面目なやつらが後ろの方でゴソゴソとやっているな。高い学費を誰が払っていると思っているんだと内心で呆れながら、鈴華は講義を続けた。
「アンダーはこことはズレた次元にある、ある種の異世界だ。よって生身では直接入ることも、観測することもできない。前文明ですら、アンダーを認知していなかったと言われているな。アンダーに潜るためには自身の写し身を作り、そこに精神を乗せる必要がある。写し身の作成はこの国では15歳以上と法律で制限されている。よって少し前まで君たちは作ることができなかったわけだが……できるようになったんだから君たちは早く写し身を作り、どんどんアンダーに潜るべきだ。写し身はアンダーに繰り返し潜り、破壊と再生を繰り返すほど強くなっていく。それこそ、ただ講義を聞くだけよりもはるかに重要なことだ。だが最大限注意しろ。写し身は一度完全に壊れたら復活しない。二度とアンダーに潜れなくなる」
そこで言葉を切り、じろりと生徒たちを睨む。取り返しがつかない重みを多少は感じたのか、何人かの生徒が真剣な眼差しを返してきた。そもそもこんなことは入学前から知っていて然るべきだ、とは思ったが。
少しの生徒が態度を改めたところで、鈴華は講義を続ける。今日伝えるのはどれも、アンダーに潜る上で絶対に知っておくべきと鈴華自身が考えていることだ。けれど実際には知らずに活動するダイバーも多く、今この瞬間も、まともに聞いていないのが見てわかる生徒がちらほらと。この分だと今年もまた、最後まで何人残るか。そんなことを思いながらも、鈴華は自分のやるべきことをまっとうするのだった。
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講師の給与は講義一回あたりの金額で決められているが、実際にはそれに伴う事前準備など、数値に出ない業務が無数にある。それでも年数を重ねればやるべきことは重複していき、必要な手間暇というのはぐっと少なくなるものだ。
雇われ講師である鈴華の仕事は昼過ぎには終わり、カバンを手にダイバー専門学校のビルを出ることができる。
今年の生徒も、例年通りか。定刻通りホームに来たガラガラの電車に乗りながら、鈴華は誰にも聞かれないため息をそっと吐く。
鈴華自身、ダイバー専門学校というものの意義について懐疑的だ。専門学校と名乗ってはいるが、国に認められた学校ではなく、卒業したところで最終学歴は中卒で止まる。教えている内容も自分で調べればわかることばかりで、事実鈴華は1年のカリキュラムを誰にも教わることなくひと月未満で頭に入れた。そして調理師専門学校だとかプログラマー専門学校みたいに、その後のしっかりとした収入のアテがあるわけでもない。ひと山当てれば大きいが、実際にそれでまともに食べていける人間なんてひと握り。潰しが利かず、何かの拍子に写し身を失えば二度と戻れない。
そんな人生をベットにしたギャンブルに挑もうとする生徒はといえば、ダイバーになるということを真剣に考えている人間の方が少ないくらいだ。鈴華の体感で1割から2割くらいしかいない。大半の生徒はダイバーというものへのなんとなくの憧れや、現実逃避でやってくる。そんな考えは授業態度にも現れており、だというのに鈴華が真面目に叱ろうとすれば、今度は学校側からストップがかかる。叱られたことで辞められるのを避けたいのだ。生徒や保護者は目先の安寧を手に入れ、学校側は甘い蜜を啜る。生徒の未来なんて考えてもいない、よく凝られた集金システムである。そこで講師をしている鈴華が文句を言えるものではないが。
電車から降りた鈴華は、駅から数分歩いて住んでいるマンションに辿り着いた。エレベーターで4階まで上がり、突き当たりのドアを開く。「ただいま」と口にするが、「おかえり」と返すものは今や誰もいない。
カバンを定位置に置いた鈴華は、スーツから楽な部屋着に着替えると、ベッドに静かに横に立った。掛け布団は足元に丸めたまま、サークレットのような白い機械を頭に取り付ける。アンダーギア。中古なら1万円もせずに購入可能な、人の精神をアンダーへと誘う機械だ。
スイッチを入れた鈴華の意識が沈んでいく。深く深く、闇の中へ。今日もまた、鈴華はアンダーに潜る。
次回投稿予定は明日12時です。
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