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第17話 原因が見えないまま進むとき、人は何を選ぶのか

 倒れる生徒が学園内で増え続け、異常は中庭だけでなく全体へ広がり始める。医務室でも原因は掴めず、カイエルですら見通せない事態に、エルネアはこれがもう戻れない“進行する現実”だと悟る。黒薔薇のひびもまた異変に呼応するように広がり、何かが始まったことを静かに示していた。

 医務室の前は、静かにざわついていた。

 声を荒げる者はいない。押し合いもない。ただ、全員が同じ方向を見ている。その視線の集まり方だけが妙に重く、空気の密度そのものを変えていた。

 騒がしさというより、張り詰めた待機に近い。誰もが何かを待っているのに、誰もそれを口にはしない。そういう場の重さだった。


 待っている。

 状況が変わるのを。あるいは、誰かに説明されるのを。

 けれど、そのどちらもまだ来ていない。だからこそ、人は散らず、ただその場に留まり続けている。


「……入れないですね」

 リリアが小さく言う。


 声は抑えているが、その言葉には諦めよりも確認の色が強い。

 見れば分かることでも、口にすることで現実として確かめたい時がある。今のこれは、たぶんそういう種類の言葉だった。

 無理に前へ出るべきか、それとも距離を置くべきか、その判断をこちらへ預けている。


「無理に入る必要はないわ」

 私は答える。

「情報は、外でも拾える」


「拾えてます?」

「今は、まだ足りない」


 正直に言う。

 断片はある。倒れた生徒の数、場所、状態。そこまでは拾えている。

 だが、それらがまだ一本の線に繋がらない。そこがいちばん厄介だった。情報がないのではなく、足りないのでもなく、決め手だけが見えない。


「エルネア嬢」


 カイエルがこちらに近づいてくる。

 足取りは落ち着いている。慌てているようには見えない。だが、その目は止まっていなかった。周囲を見ながら、同時にこちらへ来ている。

 観測をやめていない。だからこそ、かえって今の状況の不安定さが伝わってくる。


「少しよろしいですか」

「構わないわ」


 リリアもそのまま横に残る。

 カイエルは一瞬だけ視線を向けたが、特に何も言わなかった。排除しない。それだけで十分だった。

 今この場では、説明の順番や立場の整理よりも、情報を共有する速度の方が優先されている。彼もそこは理解しているらしい。


「現状の共有を」

 彼は言う。


「お願いするわ」


 私は短く返す。

 余計な前置きは要らない。必要なのは現状をどう見ているか、その一点だった。

 カイエルの観測は信頼できる。少なくとも、今の時点で拾えるものを最も正確に並べられるのは彼だ。


「倒れた生徒は、現時点で五名」

 カイエルは淡々と続ける。

「いずれも外傷なし。呼吸は安定、脈も正常範囲内」


「意識だけが戻らない?」

 私が補足する。


「はい」

 彼は頷く。

「共通して、“深い睡眠に近い状態”に見えます」


 睡眠に近い状態。

 それは医務室側が説明しやすい表現でもあるし、観測上もっとも無難な言い方でもある。

 だが同時に、その曖昧さ自体がまだ核心へ届いていないことを示していた。


「見える、ということは」

「確定はできていません」


 やはり、そこが曖昧だ。

 カイエルにしては珍しい。彼は通常、言葉を選ぶことで精度を上げる。今のこの“見える”という表現は、精度より保留を優先している。

 つまり、情報量はあっても、結論に至る一手だけが足りていない。そういう状態なのだろう。


「発生場所は?」

 私は聞く。


「中庭付近が最初」

 カイエルは言う。

「その後、別棟の廊下、教室前でも確認」


「……バラバラね」

「はい」


「じゃあ場所依存ではない」

 私は言う。


「現時点では」

 カイエルが返す。


 断定しない。

 それは正しい。だが同時に、決め手がない証拠でもある。

 単純に“どこで起きたか”だけでは、この事象は縛れない。少なくとも場所だけを切り出しても意味が薄いと分かる。


「時間は?」

 リリアが口を挟む。


 カイエルがそちらを見る。

 意外そうではない。むしろ、その問いが出るのを待っていたみたいな間だった。

 場所が駄目なら次は時間。それは自然な流れだった。


「発生は、ほぼ同時刻」

「じゃあ一気に来たってことですか」

「その可能性が高いです」


 リリアが少しだけ黙る。

 情報の輪郭がはっきりするほど、状況の嫌さも増していく。彼女もそれをそのまま受け取っているのが分かった。

 軽く流さない。怖がりすぎもしない。その中間に留まるのが、この子は案外うまい。


「……なんか、嫌ですね」

「ええ」

 私は同意する。


 “準備されていた”感じがする。

 それが一番、厄介だ。偶発的な事故ではない、何かの条件が揃った瞬間に一気に発生したような印象がある。

 見えないだけで、起きるべくして起きた。そういう気配が、どうしても拭えなかった。


「接触は?」

 私は続ける。


「現時点では共通点なし」

 カイエルは答える。

「同じ場所にいたわけでもない」


 接触も駄目。

 場所も駄目。時間だけは揃っている。

 そこまで切り分けたところで、残る候補は限られてくる。それでもまだ決定打がないのが腹立たしい。


「……花は?」

 リリアが言う。


 その瞬間、カイエルの視線がわずかに動いた。

 完全に想定外というほどではない。だが、今はまだ自分から口にする段階ではないと思っていたのだろう。

 それでも無視はしない。その迷いの短さが、逆に可能性の高さを示していた。


「可能性はあります」

 彼は言う。

「ただし、まだ裏付けは取れていません」


「でも」

 リリアはケースを軽く押さえる。

「なんか、変ですよね」


「ええ」

 私は答える。


 言葉にする必要もない。

 分かる。黒薔薇のひびは、止まっていない。むしろ、さっきより少し速い。

 歩調を合わせるように、この場の進行と同期している。そう見えてしまう程度には、もう連動が露骨だった。


「……エルネア嬢」


 カイエルがこちらを見る。

 その視線には、確認とためらいが半分ずつある。

 見たいのだろう。だが、見れば仮説が一段階現実へ近づく。その重さも分かっている目だった。


「あなたの花、見せていただいても?」

「いいわ」


 私はケースを開く。

 黒薔薇。ひびが、複雑に走っている。一本の線ではない。分岐し、絡み、広がりながら、それでもどこかまとまりを保っている。

 そして何より、止まっていない。形として固定されず、今この場でも進行している。


「……」


 カイエルが、黙る。

 その沈黙が、ほとんどすべてを語っていた。見間違いではない。偶然でもない。

 少なくとも、彼の観測においても“変化している”こと自体は否定できないのだろう。


「進んでいるわ」

 私は言う。

「今、この瞬間にも」


「はい」

 カイエルが答える。


 短く。

 だが、否定しない。

 その一言で十分だった。今ここで共有されたのは仮説ではなく、少なくとも同じものを見たという事実だった。


「連動してる、ってことですよね」

 リリアが言う。


「可能性は高い」

 私は答える。

「少なくとも、無関係ではない」


 連動。

 その言葉はまだ断定には早い。だが、事態と花の変化が同じ方向を向いているのは、もう偶然で済ませづらい。

 そう言うしかない段階まで来ている。


「じゃあ」

 リリアは少しだけ迷う。


「このまま放っておいたら、どうなりますか」


 その問いに、空気が少しだけ止まる。

 誰も答えを持っていない。だからこそ、口にされた瞬間に場全体が一拍だけ沈む。

 希望を言うこともできる。様子を見るべきだと逃がすこともできる。けれど、今はどちらも不誠実に思えた。


 カイエルが答える前に、私は口を開いた。


「悪化するでしょうね」


 はっきり言う。

 止まる理由がないもの。

 今見えているのは、収束ではなく拡大の流れだ。そこを無視して楽観へ寄せる意味はない。


「……ですよね」


 リリアが小さく頷く。

 納得している。怖がりすぎない。でも、軽くも扱わない。

 そのバランスが、妙に安定している。揺れているはずなのに、崩れない。そこが少し不思議だった。


「対処法は?」

 私は聞く。


「現時点では不明です」

 カイエルが答える。

「医務室でも、原因の特定には至っていません」


「薬も効かない?」

「試験的な処置のみです」


 つまり。

 手詰まりに近い。少なくとも、ここで待っていれば誰かがすぐ答えを持ってくる段階ではない。

 原因不明のまま、事態だけが先へ進む。その構図が、はっきりしてきた。


「……カイエル様」

 リリアが言う。


「はい」

「これ、どこまで広がると思います?」


 直球だった。

 逃げ場のない問い。推測で答えるしかないのに、その推測自体が今は危うい。

 カイエルは少しだけ目を閉じる。考えている。だが、その沈黙の質だけで、答えが芳しくないことは分かった。


「……予測できません」


 その答えに、私はわずかに息を吐いた。

 やはり。彼でも、読めていない。

 それが、ここではっきりした。これはもう、彼の観測能力の問題ではなく、現象そのものがまだ“読まれる段階”にないということだ。


「珍しいですね」

 リリアが言う。


「そうですね」

 カイエルは苦笑する。

「これほど条件が揃っているのに、結論が出ないのは」


 その言葉に、私は少しだけ考える。

 条件は揃っている。場所、時間、症状、人数、花の変化。材料だけ見れば、情報量としては十分なはずだ。

 それでも結論が出ないのなら、単純に情報が少ないのではなく、“種類が足りていない”のだろう。


「条件は揃ってるの?」

 私は聞く。


「情報量としては、十分です」

 彼は言う。

「ですが、“決定的な一手”がない」


「つまり」

 私は言う。

「何か一つ、見落としている」


「その可能性が高いです」


 カイエルが頷く。

 その時だった。

 医務室の扉が、開いた。


 全員の視線が、一斉にそちらへ向く。

 あれだけ散っていた意識が、一瞬で一点に収束する。

 待っていたのだ。誰もが。説明でも、安心でも、何かひとつ確かなものを。


 中から出てきたのは、教師だった。


「落ち着いてください」

 低い声が響く。

「現在、原因を調査中です。症状は安定しています」


 安心させるための言葉。

 だが、決定的なことは何も言っていない。

 原因は不明のまま。対処法も不明のまま。安定しているという事実だけを盾に、場を静めようとしている。


「……」


 私はその様子を見て、静かに視線を逸らす。

 足りない。何かが、明らかに。

 言葉は出ているのに、中身が追いついていない。説明ではなく、時間を稼ぐための発表に近かった。


「エルネア様」

 リリアが小さく言う。


「はい」

「どうします?」


 その問いに、私は少しだけ考える。

 待つか。動くか。どちらも選べる。

 だが、どちらも正解には見えない。そう感じる時点で、もう“選ぶしかない”段階へ入っている。


 ――選択。

 また、その言葉が浮かぶ。

 答えが見えないまま、どちらかを先に選ぶ。それが今の状況にいちばん近い。


 私はゆっくりと息を吐く。


「……動くわ」


 そう言った。

 待っていても、今は断片しか増えない。

 なら、自分で“決定的な一手”を探しに行くしかない。そういう結論だった。


「何を?」

 リリアが聞く。


「原因を探る」

 私は答える。

「このまま待つのは、効率が悪い」


 理屈としては、それで十分だ。

 だが実際には、待っているだけではこの進行に追いつけないという感覚の方が先にあった。

 効率という言葉で整えているが、中身はそれだけではない。


「私も行きます」

 リリアが即答する。


「当然でしょう」


 軽く返す。

 そのやり取りが、自然だった。

 もう確認するまでもなく、この子はついてくる。そう思っている自分がいる。


「カイエル」

 私は彼を見る。

「あなたは?」


 一瞬だけ、間が空く。

 彼にとっても、これは“観測する側”から一歩出る選択になる。

 ただ見ているだけではなく、自分から見に行く側へ回るという意味で。


 そして。


「同行します」

 彼は言った。


 迷いはなかった。

 少なくとも、口に出す段階では。

 その短さだけで、もう十分だった。今の彼もまた、待機より前進を選んだということだ。


「見えないなら」

 彼は続ける。

「見に行くしかありません」


 その言葉に、私はほんの少しだけ笑った。


「そうね」


 それは、正しい。

 でも、それだけじゃない。今の選択は、ただ効率だけで組まれているわけではない。

 “見えないからこそ、踏み出す”。それは少し前までの私たちなら、簡単には選ばなかった形だ。


 私はもう一度、ケースに触れる。

 黒薔薇。ひびは、止まらない。

 進んでいる。確実に。この状況と一緒に。


 その感覚を、私はそのまま受け止める。

 もう、止めるかどうかの話じゃない。

 どこまで行くのかを、誰が決めるのか。そういう段階へ変わり始めている。


 その認識が。

 静かに、形になり始めていた。


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