夕凪 幽奈の怪傑賊船Ⅱ
銃弾によって穿たれた窓からは風が入り込み、夏と言えど背筋が凍るほどの涼しさを感じさせる。
これが外気によるものではないことは明らかであった。
突然の犯人の凶行に車内は阿鼻叫喚の嵐となる。
子供は泣き叫び、母親は青ざめ、父親はそんな二人を守るように抱きしめる。
随分と健気な家族なんだろうと思いながらも、目線は犯人の持つ凶器から離さない。
一瞬見えた窓の外には黒いバンが1台。
どうやら本当に包囲されているのは間違いないようで、この犯人を取り押さえたところでどうにもならないことが証明されてしまったわけだ。
解決策が思い浮かばないのはいつものことで、そんな時に役立つ隣の少女を横目で見るが先程と同様ににこにことした顔を浮かべている。
まるでこいつだけ何事もなかったかのように。
凶弾を放ったバスジャック犯はそのままバス前方の席まで移動しスマホを取り出す。
何度かのタップの後に、水平方向にスマホを傾けバスの後方まで聞こえるような声で話し始める。
「もしもし。こんにちは。僕は今バスジャックを行っています。現在東名高速を南下中。飛脚バスの本社に連絡をしてみれば一台だけ動きのおかしいバスがあるはずなので確認してみてください。不用意にバスに近づいてきた場合乗客を1人ずつ殺害し、窓から投げ捨てます。真剣に取り組んでくださいね?笑えないくらい本気なので」
電話の向こう側から聞こえてくる声は冗談じみた電話に対して詳細を聞き続けているが、それ以上犯人は喋ることなくスマホの背面を人差し指でトントンと叩き続ける。
やがて、面倒になったのかもう一発銃弾を窓の外に向かって放つ。
「これで信じていただけましたか?それとも音声だけ流していると思っているのでしょうかね?笑えないですね。まあいいんですけど。これから1時間後に一人殺します。そうすれば信じていただけますか?」
そう言ってもう一度スマホをタップして通話を切る。
「ということなので、1時間後に殺される人間を決めておいてください。笑えないくらい面倒なので」
とんでもないことを言い放った後に椅子に座りなおそうとする犯人に対し、玉を転がすような声が響く。
「決める必要性はないのではないですか?どうせ1時間以内に決着がつくお話でしょうし」
その一言にゆっくりと首を傾けてこちらを見つめ返す犯人。
口元は笑みを浮かべて興味深そうにこちらを見てくる。
「何故そのようなことを?笑えないくらい本気だと最初に言ったはずですが」
「言うだけなら誰でもできるでしょう?バスジャック自体に意味はあるけれども、真意は違う。そうではないのですか?」
ゆっくりと立ち上がり、倒れたままの補助席をまたぎならゆっくりと後方に向かって歩いてくる。
腰を下ろしたのは目と鼻の先にある席。
この距離で発砲されたならば、幽奈を守ることは極めて難しいだろう。
それでも少女は続ける。
さも、殺されないのが当然かのように。
「何が目的かは、いくつか検討はありますが絞り切れていません。しかし、私達を拘束して、派手に銃弾をばらまいておいて、最初から警察に対し連絡をとらず、先ほどの電話で何かを要求もすることがなかった。あなたの真意は違うところにあるのでは」
「確かに、そうとられてもしょうがないような行動に聞こえますが、それだけでは確たる証拠にはならないでしょう。しかし、あなたは僕の真意がここにないことに気づいている様子だ。笑ってはいるが本気で」
男はだらりと銃身を下げ幽奈を真っ直ぐに見つめる。
なんとか庇うことができるように腕を伸ばす準備はしているが、この距離では着弾の方が明らかに早い。
そんな緊張感を感じているのは時一人で、微塵も感じない淑女は言葉を綴る。
「博聞という名前には聞き覚えがあります。確か、世界的な規模で活動している犯罪集団【ハスク】の司令塔のような存在であると」
「独り言のように言ったつもりだったのですが、聞かれていましたか」
「わざと聞かせたくせに白々しいですね。まあ、そんなわけで、このバスジャックに意味があるのではなく、おそらくは私たちを拘束することに意味がある。人質としての価値が高い以上は、私に対して銃弾を放つことはできないでしょう?」
さも当然のように語ってはいるが、どこにそんな確証がある。
人質としての価値であれば、それこそ天下の悪人たる平和 麒茹に対してならば多少なりとも効力があるかもしれないが、大多数にとって俺たちの命は重要なものではない。
よくて明日のゴシップ記事のコラムに載る程度の存在だ。
それとも、本当に彼女への牽制?
だとすればなんのための。
「勘違いしているようなので訂正しますが。貴方たちの人質としての価値はゼロに等しいです。かといって、博聞に殺さないようには言われていますが」
「でしたら、私たち二人はここで降りても問題ないでしょう?今日は天気がいいので、トリュフ狩りをしに来たんですよ」
「殺さなければいいんです。貴方たちがどうなろうが」
そういって徐に銃を幽奈の足に向けようとしたところを、逢間 時の左手が手首を抑える。
ビックリしたように目を丸くしたが、変わらぬ口調で犯人は語り掛ける。
「流石に痛いですよ、逢間 時君。離していただけませんか?」
「こちらとしても、そうしたいのはやまやまなんだがなあ。銃器を向けようとした人間を運よく制止して離せる人間はどこにいる?」
「運よく?完璧に見切った人間に言われても、反応に困りますねえ」
笑えないくらい。
貼り付けたように口角を上げているバスジャック班は観念したように力を抜く。
「ええ。バスジャックに真意はありません。日本の警察は、こんな事をしても、お金を出すまでには時間がかかりますし。なによりも僕一人では、ものの数分で制圧されてしまうのは明白です」
それよりも効率的なことがある。
そう言ってバスジャック犯は先頭席に戻っていく。
前方二番目の席。
ゆったりとした動きで銃口が向けられた次の瞬間、鮮血が飛び散る。
誰かの悲鳴を皮切りに、車内は混沌の様相を呈する。
一時間はまだ経っていないはずなのだが、犠牲者が一人出てしまった。
いささかショッキングな光景に対して同様を隠すことができていないが、それでも自身に、ひいては隣の同乗者に対して被害がこないようにすることが重要である。
かすかに聞こえていたラジオの音も消えてしまうほどの騒音の中で、バスジャック班は最前列で読書を再開しだした。
なんと自由な犯人なのだろうかとも思ったが、考えてみれば、多少自由でなければ犯罪などは犯さないか。
被害が出てしまったが、危害を加えられる可能性がほとんどなくなった今、警戒するだけ馬鹿らしいと匿っていた少女を解放する。
「いいんですか時君。この場面だけ見れば激情的な犯人であると予想しそうなものですが」
「お前がそう言っている時点で、激情的なタイプじゃないことはわかる。それに、さっきの会話的に、これも演出ではあるんだろ」
時の考察が存外珍しかったのか、幽奈は目を少し見開く。
その反応が時からすれば心外である。
とはいえ、その考察が的を外れていたわけではなく、間違いなく正面に見える犯人は激情的なタイプの人間ではない。
劇場型の犯罪を得意とはしているが。
ある程度の時間が経ち、乗客も怯えつつ悲鳴を抑えることが最善であることを理解してきた様子で、車内には沈黙が流れる。
そんな中、ラジオから緊迫した声が聞こえてくる。
『たった今情報が入ってきました!東京国立博物館に運び込まれていた【些末な天使】が何者かによって奪われたようです。また、同時刻に横浜市付近で銃火器の発砲音が通報され、直後に警察に対して犯行声明が行われ、発生した時刻などから関連性を調査するとのことです』
さんざんな日だと、時は場違いながらも思う。
幽奈の我儘に付き合おうが、【些末な天使】という知的好奇心をくすぐられる展示物を見に行こうが、事件に巻き込まれることに変わりはなかったようだ。
それにしても、先程交わしていた会話の意味はこれだったのかとも思う。
【些末な天使】を盗み出すための陽動であると。
こうなってしまえば、警察側もリソースの割き方は慎重にならざる負えない。
それは同時に犯罪が起こったからではなく、世間の目があるから。
非人道的な判断でも、国益と人名は天秤で釣り合ってしまうのが世の中だからしょうがない。
何はともあれ、今目の前で行われる非人道的行為に関しては、比較的道徳心を心得ている自分自身が対応しなければいけないだろう。
幽奈という少女に道徳心があればいいのだろうが、彼女は母親の胎内にそれを置いてきてしまった。
「失礼なことを考えているところ申し訳ないのですが。私が道徳心を置いてきたのは小学校ですし、それ以前に人道的で献身的ではありますよ」
なぜそこまでわかる。
平和 麒茹の英才教育の賜物か。
これもまた彼女にとって失礼な言葉、もとい失言ではあるのだけれど、ムスっとした表情をするだけで特に何かを言ってくる様子はない。
ともあれ、状況は芳しくない。
バスジャック犯やハスクの真意がどうであろうと、こちらに危害を加えても問題がないといったような発言があったのだ。
最低限自分たちの身を守ることができるような準備はしておかなければ。
バックの中に、防弾マットの準備(何かしらの事件に巻き込まれたとき用)はあるが、一発目を防げたところで狭い車内からの脱出は難しいだろう。
先程のやりとりで身体能力的な優位があることは確認することができた。
問題は近接戦闘にどのようにして持っていくかだが。
「そういえばなんですが」
突然隣の少女が声をあげる。
予想外といえば予想外の発声に、時自身も思わず視線を向ける。
「私、もうそろそろ尿意のほうが限界を迎えておりまして。トイレによって頂いてもいいですか?」
「ええ。もちろん。次のパーキングエリアに停車させてください」
銃口を運転席に向けながら、和やかな口調で命令を出す。
数分後にゆっくりと速度を落とし、少しの振動とともに停車する。
順番に補助席がもとに戻されていき、幽奈は先頭へ歩いていく。
降車する直前に犯人から耳打ちをされる。
「何度も言いますが、逃げ出したら乗客を一人ずつ殺していきますからね?笑えないくらいの本気で」
「ええ。そんなに不安にならなくても、逃げ出すのであれば二人で逃げますから、安心してください」
事件に巻き込まれているとは思えないほど軽い足取りでトイレまで向かう彼女の横顔を確認しながら、犯人を見れば、
なるほど、道理で。
この男、恐ろしいまでに警戒心がない。
正直なところ、建物を占拠するような事件や、強盗なんかの事件に巻き込まれたのはこれが初めてではない。
それらすべての犯人の特徴として、常に何かに怯えたような視線移動や行動がある。
しかし、目の前の男を見ても外に出ていった少女を見るばかりでバスの中で起こったことに関しては見向きもしない。
おそらく、バスを停車させるように仕向けたのも狙ってのことだろう。
いや、彼女の場合はそうとも言い切れないのが難点だが。
さて、ここからどう動くのが最適か。
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足音が4つ。
決して揃っているわけではないが、ある程度の規律と規範を守った歩幅。
彼女以外が収容されていないフロアにおいて、訪れる人間は看守のみ。
格子の前にきた面々を見渡すように首を動かす彼女の仕草には幼さを感じさせる。
と、突然看守のうち二人が地面に倒れる。
地面には赤い液体が広がり、若干の痙攣を起こしている体を一人が足でどけて最前列へ。
「はじめまして。僕たちの女神」
「あら、そんなことを言われたら照れてしまうわ。でもごめんなさい。私には夫がいるのよ」




