夕凪 夕奈の欠陥推理Ⅳ
挑発的に指を刺された熊谷警部は一瞬の驚愕の後に鼻を鳴らして笑い始める。
「冗談が過ぎるだろ、嬢ちゃん。こちとら犯人が分かったっていうからこんな場を作ってやったんだぜ?それをこんな茶番でふいにする気か?」
「茶番だとしたら何番煎じのネタなんですか。こんなの、ミステリー小説やドラマでは随分ベタな展開でしょう?」
嘲笑気味に笑っていた熊谷の表情は真顔になり、周りの全員に聞こえるように深くため息をつく。
さも時間の無駄であったかのように。
幽奈に背中を向けるかたちで後ろの獅子堂警部補に向き直り、逆に親指をたてる。
「さっさとどけて調査に戻るぞ。付き合った俺たちが馬鹿だった」
「随分と馬鹿にするじゃないですか。でも、もう道化を演じる必要もないですよ?」
お互いがお互いを貶しあうように言葉を交わし、幽奈は怯えた子供のように蹲り小さくなった不和を見下ろすように座りなおす。
横に座る時は、熊谷が妙な気をおこして幽奈に掴みかからないかと内心冷や汗をかいていたが、犯人と言われても動じる様子を見せないあたり、流石はプロの刑事であると感じる。
殺しに関してはアマチュアもいいところであろうが。
「ええ。貴方からすれば藪から棒ではあるし、貴方への冒涜もいいところでしょうが。解決劇としては、ここからが盛り上りのいいところですよ?」
熊谷はその一言を無視するように移動しようとするが、それ以外の関係者、一番近くで補佐を行っていた師子堂も動くことはない。
その様子に困惑する横を通り抜けて、幽柰はリビングの扉をあける。
「先ずは死体まわりのことをお話ししましょうか。犯行現場は間違いなくこの玄関先です。外で殺した遺体を運んできた訳でもなく、ましてや勝手に死んだ訳でもありません。では何故派手な血痕は残っていないのか」
大振りな演技で玄関近くの扉をあける。
そこは白い椅子のようなものが中央にあり、人一人がやっとであろうスペース。
勿体ぶったがトイレだ。
当然だが、幽柰が突然の腹痛に襲われて今すぐにでも駆け込まなければいけなくなったわけではない。
彼女にとって事件の解決は腹痛などよりも、朝食よりも大切なことだ。
事件の解明が朝飯前と言えるほどの名探偵ではないが。
「至極簡単な工作ですね。何故かトイレの洗剤などの奥に隠れていた塩酸ですね。ルミノール反応は血液中のヘモグロビンに含まれる鉄分によって反応しますから、鉄分さえ反応させてしまえば検出しにくいです。あくまでもしにくいというだけですけど。なので、派手に血が飛んだように見えなかったんです。そこで、鑑識の皆様に協力いただいて酸に関する成分分析を行った結果あら不思議。簡単に検出できました」
「それがどうしたって俺に結び付く。それだけじゃ犯人と断定するには足りないんじゃないか?」
幽柰の正面に立ち、挑発するように言う。
余程犯行を隠したことに自身をもっているようだが、それこそ幽柰の言ったとおり道化にしか見えない。
案の定、その様子を真っ向から受けていた幽柰はいまにも吹き出しそうに手で口許を押さえる。
自分から挑発したくせに苛立ちを覚えたのか熊谷は右足の踵で床を叩き始める。
「犯人と断定するには、ですかー。確かに、足りませんね。私的には断定しうる証拠がありますけど」
犯人であることを指摘しうる証拠にはならない。
それこそ、幽奈が普段つくような嘘と同様の薄っぺらいものである。
当然とばかりに次に、左手で抱えるようにしていたポーチからスマホを取り出し画像を熊谷に見せる。
それは熊谷の証明写真であった。
「今回の依頼を受ける上で警視殿から頂いた写真です。なんだと思うかもしれませんが、これが案外重要でしてね。なにせ、犯人の人相書ですから」
「犯人の人相書?俺の顔写真がか?それこそ牽強付会もいいところだな。正しいろ思わせるためにこじつけか」
「不快になられたのならごめんなさい?もっとも、その発言こそ不快ではありますけど」
「写真というだけなら、リビングに置いてある写真達ですけど。左右非対称なんです。まあ、犯罪を犯す人なんて煩雑である可能性も高くはありますが。今のは偏見ですね。謝ります。とにもかくにも、その一つはおそらく玄関先に置いてあったものなのでしょう。枠が一つ変色していましたが、血痕をふき取ったはいいものの、なにぶん強い酸でしたから」
写真を見てはしゃいでいたのはこれが理由だ。
決定的ではないが、証拠が多いことにこしたことはない。
次に動画を再生し始めると、そこからは毀誉褒貶。
不変の小波夫婦の評判が、人相書への回答が。
そのどれもが『あそこの夫婦はお似合いだ』、『たまに不和さんと一緒にいるのを見かける』。
「あなた。不和さんと知人であることを報告していないようじゃないですか」
「――。部下たちに変な気遣いをさせるほうが面倒だろ」
「いえ。面倒だったのは貴方たちの関係だ」
初めての言いよどみ。
その淀みは波及し、幽奈の問いかけへの回答は次第に遅くなっていく。
小波を止めるように、穏やかに流れる場所を汚し、疑心や欺瞞で黒く濁り、犯人像は形作られる。
夕凪 幽奈にとって人相を作るのは簡単なのだ。
自身と同じようにしてしまえばいい。
「最初から疑問だったんですよ。夫婦の別室とはあんなにも寂しいものなのかと。いえいえ、別に夫婦は同室で就寝をともにしなければいけないなんて思っていませんよ。私はそうじゃないといけませんけど。でも、おしどり夫婦と呼ばれる夫婦が別室とは、お互いに関係するものを一切持っていないとは、不可思議どころか不可解ですよ」
彼女がこの家で調べたのは死体、そのつぎには二階に登って各部屋を見学し始めたのだ。
そこで気になったのは夫婦の部屋がそれぞれ分かれているという点だ。
それも隣ではなく、廊下の端と端で。
対角線上になるように。
可笑しく感じないほうがおかしい。
別室ではなく別居と言ってもいい。
家庭内別居というやつだろう。
残念なことに、時も幽柰も父親母親の仲はよかったのだから、縁遠い話である。
今となっては遠い昔の話だが。
「そこで小波夫婦の行きつけであろう近くにあるカフェに入れば、マスターと被害者の郭さんはお知り合いであり、夫婦揃って来店されたこともあると。そして、熊谷警部と仲よさそうに歩いていたとも。ここからは想像に容易いですね。貴女方は夫婦は夫婦でも仮面夫婦だった。もっとも、雌鳥は仮面をとってどうどうと不倫をしていたようですけど」
この時点で殺害の動機は簡単に分かるであろう。
不倫だ。
もっとも逆上したのは雄鶏ではなく、雌鳥でもなく、どこからかやってきた害鳥でしかないが。
不倫を諭すほどの人生経験を積んでいないので、不倫相手を害鳥と言いきれるかは不安なところであるが、殺人の被害者である二人からすればその段階で害鳥なのだ。
排除すべき障害でしかない。
鳥葬の措置をとってもいいほどに。
「郭さん側の事情は不破さんの言ったとおりなのでしょう。あの日、郭さんは出張へ向かう予定であり、その日は密会の日であった。しかし、何らかの理由で帰ってきたのでしょう?帰宅とまではいかなくとも、忘れ物を取りに来たとか」
タイミングが悪かった。
お互いにとって。
そのまま出張へと向かっていれば、何も知らずに、何も壊されずにすんだというのに。
顔面含めた関係性も。
もっとも、関係性を壊したのは不和であろうが、顔面を壊した熊谷は物真似でしかない。
真似したにしても雑だから猿真似の方がいいであろう。
熊の真似をしたサルだったということで。
玄関先で不倫の現場を見られた二人がとった行動は簡単であろう。
普通を違うと言えば、おそらく、小波夫妻はその場で喧嘩などはしなかった。
家で一緒に住んでいるだけの赤の他人同然の動向など、さしたる興味も持たなかったろうし、およそそのまま後ろを振り返り向かおうとしたのではないだろうか。
「貴方はそれに対して腹を立てた。見られたことによる口封じのためではなく、不和さんをないがしろにした態度に。いやー、純愛ですね。不純な関係に目をつむれば」
小波 郭がそこで何か言っていれば、熊谷が怒りに身を任せることはなかったかもしれない。
少しでも向き合う事ができていれば殺人事件とまではいかなかったのかもしれない。
「不可能でしょう。そもそも、熊谷警部は彼女とまともに会話をしてしまった。少しの邪念もなく、純真無垢である子供のように、あの純然な悪と対峙した。その段階で、理性など外れていますよ」
たらればの話などどうでもいいといったように幽奈は続ける。
「貴方は、振り返り何事もなかったかのように出張へと向かおうとした郭さんに対し声をかけることもなく近くのゴルフバットを手に取り殴りかかったのではないですか?貴方の体格で思い切り後頭部を殴りつければ脳は即座に揺れ脳震盪、そうでなくとも意識など軽く吹き飛びます」
「それは突飛すぎねえか?普通そうなったら口論の末の殺人のほうが自然だろうが」
ここまで沈黙したまま仮説を聞いていた熊谷を口を開き、不自然である部分を指摘していく。
「はたして飛躍的でしょうか。愛のある人間程、それに愛を持てない人間を攻撃したくなるものじゃないですか、否定したいのかもしれませんが」
正義も過ぎたら悪になるし、執着も別の面では恩讐に変わる。
ネットなんかの炎上もそうではないか。
執着のない人間が喧嘩を売って、それを正面から買い取り愛を伝えようと、または自らの愛を伝えようと。
そんな奴は愛の伝道師にでもなればいいのだ。
某古戦場のおじさんではないが。
それに、今回に限っては顔を潰しているというのがミソだ。
その件に関わることのプロフェッショナルである幽奈にとって、数年前に起きた事件と結びつけるなど容易いことである。
「2年前。同様な手口の事件があったのを思い出しますよ。当の犯人は、”顔も見たくないほど嫌いになったから切り裂いた”なんてものを動機にしていたらしいですが。聞き覚えがありますよね、熊谷警部」
2年前。
とある地方のとある農村のとある一軒家の縁側で。
長閑な風景にあうように作られた木の雰囲気の漂う場所で、熟れたトマトよりも赤い、そして顔の原型が分からない程切り裂かれた死体が発見された。
当時犯人は分からず、その地方だけではなく全国的な大ニュースになったのだが、約2年後にその犯人はあっさりと捕まる。
本当に呆気なく。
自首をしたのだ。
と、話がそれてしまった。
今は目の前の犯人を捕まえなければ。
それに、近いうちにその犯人とは会う事ができる。
「私が受けた依頼はただ一つだけですよ。数年前の模倣犯である、熊谷警部への逮捕の尽力です。それ以上でもそれ以下でもなく。貴方に可か不可をつけるために。過去の因縁への決着をつけるために」
「因縁を晴らすにしては陰湿じゃねーか」
「人の目的にケチをつけるなんて、インモラルの極みですよ」
モラルの話をするのであれば、殺人という出来事自体がかなりモラリティにかけるようなことではある。
はたから見れば犬も食わぬ言い合いであったが、近くで見ている分には非常に興味深いと黙って聞いていた時をよそに音もたてずに椅子から立ち上がる。
それに合わせるように時も立ち上がるが、二人の行く手を阻んだのは他でもない熊谷警部だ。
「依頼は達成したので帰りたいのですが、そこをどいていただけませんか?」
「こっちは済んでないんでな。お前の妄想に付き合わされて、こちらも捜査が滞ったんだ。それなりの覚悟はできているんだろうな」
「……先ほども言ったように。これは警視庁直々の依頼です。そして、既に事件は解決しています」
幽奈の言葉を無視して、熊谷警部は手錠を取り出し腕をつかむ。
しかし、その手錠は幽奈にかけられることなく横から伸びてきた手によって逆に熊谷の両手首にはめられる結果になった。
手錠を掴む先の人物は、熊谷の補佐にあたっていた獅子堂だ。
普段持つ手帳は胸ポケットにしまわれ、代わりと言っては何だが左手には一枚の紙が握られている。
「熊谷 昌真。小波 郭殺人事件の容疑者として署までのご同行をお願いします」
「どういうことだ、獅子堂。このガキの言葉を真に受けているのか」
「いいえ。少なくとも、彼女の言葉は参考程度にとどめていますよ。ただ、我々が得たものは信じています」
そもそもの話、今回の調査に幽奈の存在が必要不可欠な存在であったかと言えば答えは否だ。
幽奈が行ったことなど、ハッキリ言えば警察の誰もが行う事。
聞き込み、現場の調査、身辺調査、etc・・・
つまり、今回の欠陥は幽奈がいなくても補完されていたのだ、遠からず未来的には。
結果的にそれを早めたのかもしれないけれど、そんなものは雀の涙程の力であり、たった一人の少女に遅れをとるほど日本の警察は甘くない。
とはいっても、専門家である幽奈に負ける要素もあるだろうが。
「ということなので、私たちはこの辺で退出させていただきます。あとはごゆるりと」
獄中でごゆるりともクソもないだろうが、心からの善意とともに深いお辞儀をして玄関に向かって歩き出す。
相も変わらず鋭い日差しが差し込んでくるが、今日の彼女は上機嫌なようだ。
リビングでは一言も発しなかった時がゆっくりと、慎重に幽奈に問う。
「今日は行くのか」
幽奈はいたって機嫌よく、しかし冷めた瞳で空を見つめる。
空気を口いっぱいに含んだ後に声を出して吐き出しながら、笑顔で時に振り返り言うのだ。
「ええ。当然。それが私の欠陥を埋めることですから」
彼女と時の心には穴がある。
決して埋まることはなく、ただただ追いすがってくるものを逃げることしかできない大きな穴が。




