夕凪 幽奈の欠陥推理Ⅱ
欠陥を補完するために来た。
そういった彼女は立ち上がって再び部屋の物色を始める。
そんなことよりも、彼女は最初になんと言った?
上は犯人を既に絞っている?
「どういうことだ。だったら何故その情報がきていない」
「どういうことと申されましても、あなたに話す内容ではないからではないですか?」
「話すべき内容だろうが!今すぐにその犯人を捕まえて自供さえさせれば」
「何を考えているかなんて知りませんけど、証拠を固めてから逮捕するべきだと思いますよ。最近は容疑者の扱いに関して大きな問題になったりしてるんですから」
熊谷の疑問に対して興味なさげに答える。
容疑者の扱いだとかそんなの関係なしに、容疑者の情報は全体に共有されるべきだと考えるし、何よりも第三者であるはずの学生にのみ話されているというのは些か問題である。
棚の上に置いてある写真を一つ一つ手に取りながら見ていき丁寧に音をたてずに戻していく。
白手袋ではないが肘の下あたりまである手袋をしている辺り現場を荒らすようなつもりはないらしい。
現場から追い出すことができず、容疑者に最も近い存在が学生二人というのも中々奇妙ではあるが問答を繰り返すのが嫌になったのか黙々と現場観察を行う幽柰にこれ以上話しかける人間はいなかった。
その代わりと言ってはなんだが時が話し始める。
「ですけど、本当に奇怪ですね。これだけの傷を負わせたのに外には血痕の一つもないなんて」
「袋でも被せれば可能なんじゃないか?」
「いくら袋を被せたと言えど血を完璧に隠すことなんて不可能じゃないですか?軽い切り傷ならまだしも、後頭部への大きな傷。さらには顔面の大穴ですよ?ビニール袋や麻袋だとしても血痕が一つもないなんてのはかなり不可解であると感じますが」
「死亡推定時刻が判明していないんだから、血が乾ききった後で運び込んだのかもしれない」
「だそうですが。我が探偵?」
聞いているのだろう?と手を顎に当てたまま物色をしている淑女に声をかけるが、振り返った彼女は明らかに表情を不満げにする。
「私を探偵と呼ばないでくださいと言っているでしょう」
「こうでもしないとお前は反応してくれないだろ」
「失礼ですね。いや、心外です。時君のお話だったらいくらでも聞きますよ」
この部分だけ聞けばカップルのような甘ったるい会話ではあるが、本人たちはいたって真面目に話し合う。
自由気ままな淑女のここまでの見解もとい回答を述べる。
「血が乾ききってから運んだという線は薄いように感じます。おおよそ、この二ヶ所の血が止まるのは相当な時間がかかるばずです。そうなれば、当然ではありますが死後硬直が始まります。たしか、2・3時間でしたよね?被害者の郭さんはまだお若いですから硬直の進行も早かったでしょうし、出血が止まる頃には既に顔周りは動かなくなっていたのではないですかね。この遺体を見る限り、自然にもたれ掛かるようになっていますから硬直が始まる前にここに運び込んだか、はたまたここが現場かになりますが。というより、ルミノール反応は見つからなかったんですか?」
「それがさっぱりだから分からないんだよ」
血痕の有り無しが分かるルミノール反応がもたれ掛かった玄関扉から出れば現場の可能性が非常に高くなるがそれが皆無となると、なるほど確かに困るものだ。
幽柰は熊谷の斜め後ろで情報をまとめる師子堂の手帳を覗き込みすぐさま遺体の近くへ行く。
スンスンと鼻を鳴らし近くの検視官に耳打ちをする。
すると検死官はリビングの大窓から外に行く。
「今度は何だ?」
「いえいえ。気にしないでください」
首を振りそそくさと戻る。
そして目の前まで来るとふぅと一呼吸置いてからにこやかな顔をし、時の手を取る。
「本日はこのくらいにしておきます。不破さんのお話を伺えるようでしたらご連絡を。こちらが連絡先です」
小さなメモ用紙にメールと電話番号を記載したものを手渡し足早に大窓から出ていく。
連れ去られる形となった時は出ていく瞬間に小さく礼をしたように感じたが、あの体勢では"したようにしか"見えない。
まさに嵐のように去っていく彼女らを見送った現場は互いに顔を見合わせる。
「一体全体どうしちまってんだ」
異質な死体と共に現れた少年少女。
熊谷と師子堂は口を空けたまま、暫く立ち尽くすしかなかった。
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炎天下とまではいかなくとも、太陽が頂点から光をおろし路面を焼けば汗が滴り落ちる。
軽装である幽柰はともかく、スーツを着た(もしくはスーツに着られた)時はネクタイを締めだらしない格好となった。
しかしてこの場でだらけているのはどちらかと言われれば、可憐な見た目からは想像もできないほどの重い足取りで進む淑女であろう。
「時君。ちょっと、はあ、近くのカフェ、とかで休みません?」
「なんで活動的なのに体力は壊滅的なんだ」
日傘を肩にかけるようにし、その肩で息をしながら幽奈は提案する。
「言ったでしょう。昔からの特徴というか、短所というか、障害というか」
「俺がバカだった。間抜けかな。答えがわかってたことだし、触れずらいことだった」
「煩わしいだけですけどね。我が物顔で表を歩けませんから」
馬鹿のように暑いなか一刻も早く帰りたいと願う時からしてみれば、その提案は最低のものであったがこれを聞かなければ拗ねることは確定しているし、後々が面倒だ。
この世界はお前のものではないとツッコミを入れたかったが、どうも本当に目の前の少女中心に物事が進んでしまう。
そんな感想を抱いた時にはヒッソリと営業しているカフェを、たまたま偶然見つけてしまったので肩を軽く支えながら木製の扉を開き中に入る。
店内は暖色のライトで照らされており、耳心地の良いジャズが静かに流れている。
コーヒーの匂いが充満し入店した瞬間にリラックスできそうだ。
片腕の大きな荷物さへなければ。
「冴えてますねー。女の子の扱いが最底辺ですけど」
「どうしろと?」
「お姫様抱っこでもいいですよ?」
なまじ冗談とも言えない表情で見てくる時点で幽柰がどこかずれているのは理解頂けるだろうが、それでも彼女の我が儘には付き合う価値がある。
小さめのテーブルに座り時はコーヒー、幽柰は紅茶とシフォンケーキを注文する。
マスターは白髪を丁寧に整え、口髭を生やした優しそうな御仁で柔らかな笑顔を浮かべカウンターに戻りコーヒー豆を挽きはじめる。
機械ではなく手動でガリガリと回すタイプのロースターを人生ではじめて見たので眺めにいきたくてウズウズしてしまうが、それよりも幽柰を放置するほうが怖い。
何をするか分からないという意味で。
「それにしても、本当に可笑しな死体でしたね」
「どこで襲われたかも分からず、顔面にゴルフバットを突き刺して。殺すにしても無駄が多すぎるな」
「時君が殺人の仕方に無駄とか言うのは新鮮ですね。毒されてきましたか?」
「かもな、どうしてくれるんだ」
「問題ありませんよ。二人でいる限り、どちらかがちゃんと正気ですから」
机上の水が入ったカップを人差し指で弄りながら呟く。
正気かどうかなど、正直な話全く分からない。
目の前の少女に飲まされた毒は、それほどまでに脳髄を侵食してくる。
と、変に思考に入る前にリセットする。
丁度よくとも言いがたいが注文していた商品がテーブルに届き、幽柰も勢いよく起き上がり丁寧な仕草で食べる。
「そういえば、マスターさん。このお店にはコピ・ルアクは置いていないんですか?」
「ははは。お嬢さん、流石にそのコーヒーは高すぎますよ。私も数回だけ友人から頂いたくらいです」
コピ・ルアク。
ジャコウネコの糞から採れる未消化のコーヒー豆を焙煎したもののはず。
人によるだろうが、時に関してはコーヒー好きであるので興味をそそられる話だ。
マスターの友人というのは随分と豪気というか優しいというか。
数百グラムで一万円以上する高級豆のはずだが。
「もしかして、そのご友人というのは小波 郭さんですか?」
「おや、お嬢さんも知り合いなのかい?」
コーヒーを吹き出しかける。
顔が潰された変死体の名前。
変死体の名前というのも失礼かもしれないが、変死体の名前と言った方が都合がいい。
とにもかくにも、何故幽柰が友人の正体が郭さんであると気づいたのか。
一緒に家を見て回ったときに繋がりなど、それこそコピ・ルアクの一粒も見つからなかったのに。
「やはりそうですか。実は私たちは郭先生の講義を受講しているのですよ」
「あぁ、なるほど。彼の生徒さんでしたか」
「ええ。本日は講義で気になるところを質問しに行ったのですが、家の前に警察の方々がいらっしゃって中に入れなかったのですが、空き巣にでもあわれたのでしょうか」
「本当ですか?それは心配ですね」
まだ報道すらされていないだろう事件を外に漏らすのはどうなのだろうかとも思うが、無責任ではあるが無関係の行動を彼女は起こさない。
実際、カフェに入ろうと言ったのも被害者の郭さんと面識があるのをどこがで知ったからだろうし。
それにしたって話してくれたっていいと思うが。
シフォンケーキをフォークで掬い口もとに運び、再び言葉を紡ぐ。
「えぇ。私達は用事がありますからすぐには行けませんが、是非様子を見に行ってください」
「おい!流石にそれはまずいだろ」
「いいんですよ。行ったところで入れないでしょうし」
予想外の提案をマスターに示した幽柰に小声でツッコミをいれる。
同じように小声で返してくる。
入れないのは当然であろうが、こういうのは自然に知るようにしなければ。
そもそも、自分達の複雑な立場をさらにややこしくしてどうするのだと。
現場を踏み荒らす様子を見られなければ問題ないだろうが、念には念を入れておきたいものだ。
「念をいれた先が煩雑なら、立場なんて大体もっと複雑になりますよ。遅かれ早かれね」
「そもそも言う必要がないんだよ、念をいれる必要もなかったんだよ」
徐々に声が大きくなる時の唇な人差し指を付けて口を閉じさせる。
まるで恋愛映画のようなシーンだが、時の顔は強ばってるし、幽柰もただ楽しそうに笑う。
先の発言にも事件への何らかのアプローチなのだろうが、目の前の女はリスクと天秤にかけるということを知らなすぎる。
左手で人差し指を握り唇から離しため息をつく。
言ってしまったものを強引に否定や止めるように説得するのも不自然だ。
唆すのにも意味があると信じて黙っていることにしよう。
その後はマスターとの他愛のない話を交わしながら、手元のコーヒーや紅茶がなくなったころには太陽は真上から外れていた。
外れたとはいえ、ご存じの通り最も暑くなるのは13:00頃なので地獄であるのは変わらない。
「御馳走様でした。また来ますね」
「ありがとうございました」
「こちらこそ楽しい一時を過ごさせていただきました。またのご来店をお待ちしています」
チリンというドアベルの音を聴きながら外へと踏み出す。
ブワッとした熱波が全身を包む、不快だ。
カフェに入るまでまともに使うこともできていなかった日傘を取り出し軽い動作で顔の近くに持ってくる。
微笑みを浮かべながら時を見据え彼女は言う。
「繋がりをつくるって大事なこととつくづく思いますね。さて、今日の晩御飯は何を作ってくれるんですか?」
「もういいのか?現場に数時間、カフェに一時間。随分と短い捜査で」
「ええ。今日はこれ以上やっても収穫の一つもないと思います。今後のための布石も置いておきましたし」
「なるほど、今後の定石にするためか」
スーツの上着を丁寧に持ち、今晩のために必要な買い物リストを考えながら納得する。
日照りの道上で踊るように歩みを進めた幽柰は首だけ傾け小さく。
「定石を踏み外してしまったら、それこそ面目がありませんから。安全第一ですよ」




