夕凪 幽奈の欠陥推理Ⅰ
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ
かの有名なキュビズムの創始者とも言われる画家の本名になるのだけれど、親類縁者の名前と洗礼名を全て入れた結果がこのとてつもなく長い名前になったらしい。
言い方をよくすれば彼は恋多き男で、悪く言えばその大体が自殺だの精神病にかかるなどのいい別れをしたとは言い難いが、別れるまではその人物をとてもよく愛していたという。
さらに言えば、彼は1人でいることができない性分だったらしく、芸術家仲間とともにいることが多かったらしい。
かの大天才の思考を完全にとらえることなどできないが、彼は人間との関係を愛していたのではないかと考える。
この人間とはこういう関係であればよかったと、この人間とはここまでだと、この人間とはどうなるのかと。
名前のそのすべても愛していたのではないかと。
そんな疑問に自分勝手な考察を考えていた矢先、ふと彼女の名前が気になった。
窓辺で静かに古い外装の本を読み、めくる手を止めない彼女に。
「なんで、お前はそんな名前にしたんだ?」
すると本に栞を挟みゆっくりと紅茶を持って一言で答える。
「朝よりも、夕方の方が素敵だと思いません?」
夕凪 幽奈という探偵はさも当然その通りであるというように、そもそも愛してもいない名前に、そんな回答を出したのだ。
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玄関にもたれかかるのは穴の開いた男の死体。
穴が開いているのは心臓のある胸や腹ではない。
顔面である。
ちょうど鼻と目の間。
つまるところ眉間のあたりにぽっかりと穴の開いた死体。
「被害者の男性は、この家に住む小波 郭さん。顔に穴が開いていますが、致命傷となったのは後頭部への一撃と見て間違いなさそうです。第一発見者は、奥さんの小波 不和さんで起床後に朝食の準備のために降りてきた際に発見したそうです」
「この仏さんを見れば相当な恨みがあったとみて間違いないな。奥さんは朝まで異変に気付かなかったのか?」
「深夜帯に物音は一切しなかったそうですし、郭さんも出張と聞いていたので家に居ないということに疑問はなかったそうです」
「てことは、犯行現場はこの場所じゃない可能性が高いな」
両手を合わせ遺体を確認する大柄の刑事と、手帳を持ち淡々と今までの情報を伝える細身の警部補。
惨いもので、生前の顔がどのようなものであったかは家の中や登録されている写真でしか判断できないほどのグロテスクな光景だ。
鑑識や被害者の妻である不和に話を聞こうと膝を鳴らしながら立ち上がると、現場の異変に気付く。
淡々と作業を行う刑事や鑑識の横におよそ公職の人間ではないだろうカジュアルなロングスカートと白のカーディガンの黒髪長髪の淑女と正反対にスーツに着られている青年が立っている。
鑑識が一眼レフで撮影しているのに対して、彼女たちはスマホで風景を撮り、雑談をしながら現場を踏み荒らす。
「おい!何で部外者をいれてるんだ!!」
「い、いえ。それが……」
「なんだ!」
「我々も確認したのですが、許可を得ていると。上に連絡したら確かに彼女たちの名前を」
「な、なにを考えてやがんだ」
淑女はひらりとスカートをたなびかせて姿勢正しくこちらを向く。
煌びやかな装飾品は一つも身に着けていないのに、彼女は日暮れの太陽の如く輝いて見える。
スカートをつまみどこぞの貴族でもあるかのようにお辞儀をし顔を真っ直ぐに向きなおす。
隣の青年は気を付けのまま腰を折る一般的な礼を行う。
「初めまして。この度、警視庁の頭でっかちのせいで地位と目線まで高くなってしまった警視殿に依頼をされまして今回の殺人事件の推理を任されました夕凪 幽奈と申します」
「友達の逢間 時です」
「そこは嘘でも助手と言ってくれれば多少の箔がつくと言うのに」
「一拍置く間もなく否定させてもらうよ。それよりも、一応僕たちの目上の人になるわけだから警視殿を軽視する発言は控えようね」
ふざけているとしか思えないやり取りを交わしながら何事もなかったように死体を覗き込もうとする淑女を両腕を広げて止める。
その行為に頬を若干膨らませ不満を露にした様子は、初見での麗しさを全て否定するように酷く子供っぽくみえる。
少なくとも、それを子供と人括りには出来ない目麗しい美少女とも言える彼女が行っているのは共感性羞恥を現場の全員が感じざるを得ない。
少なくとも行く手を阻む大男以外は。
「ガキが遊ぶような場所じゃないんだよ。いくら上か ら言われても現場を見せる訳にはいかねぇ」
「あら。私からすればちゃんと権利の証明はしたのに必死になって見せないようにする貴方のほうこそ、よっぽど幼児に見えますけど。熊谷警部?」
一度も名乗っていないはずの自分の名前をどこで知ったのかと周りにいる部下の顔を見渡すが誰一人として目を逸らすようなことはなく動揺の様子がない。
下から挑発するように黒の双眸を向ける彼女を見ても自信満々に(したり顔かもしれないが)目を見据えてくる。
幽柰と名乗った少女の圧に少したじろいぎ一歩下がった隙に少女は隙間から遺体の側へ駆け寄る。
スカートであること忘れているようにしゃがみこみ色々な角度から遺体の状態を確認しながら、ふーむ?やうんうんなどと頷く。
「諦めてください。あぁなった彼女は止めることができませんから。それと、お名前を存じていたのは現場の責任者や管理者の情報を頂いていたからですよ」
「一体何だってんだ。上の人達は」
「僕もそう思いますよ。一学生を殺人現場に入れて犯行を暴いて欲しいだなんて。公務を下に見すぎでしょう」
「学生だと!?」
スーツの青年、逢魔 時は溜め息と共に吐露したが探偵ならまだしも学生に対して捜査協力を願うとは意味が分からない。
「安心して欲しいんですが、僕たちは成績に穴を空けることはありませんから」
死体の穴のように大事なことには。
そう小さな声で呟いて幽柰の行動を静かに眺めている様子を見ると、このような現場に居合わせるのが初めてでないことが伝わる。
一通り確認が終わったのか最初の時のようにひらりと回転するように熊谷と時の方向を向き、静かな足取りでゆっくりと近づく。
一つ一つの動きが大袈裟に感じるが、子供がはしゃぐ様な騒がしさはなく、どちらかと言えば目を引かれる美しさがある。
華があるといったほうがいいだろうか。
しかし、そんな華を枯らすように口を開くと。
「凶器は発見できてないんですか?」
「何を言ってんだ?詳しくは検死にかけねーと分からないが、顔に突き刺さってる"それ"で間違えねーだろ」
「んー、確かに狂気の沙汰を起こした凶器ではありますけど、被害者の死期を早めた凶器ではないんですよね」
美しい顔立ちを傾けるように首をかしげ見解を述べだす。
「私はゴルフを嗜まないので、詳しいところはあまり知らないのですが、多少の浅学はあります。顔に刺さっているのは一番大きいドライバーと呼ばれるものでしょう?でも、後頭部の致命傷になっているのは完全にそれより小さい感じがするんですよね。そう見せるために何度も殴って大きくした感じがあるんですよ。それこそ、検死にかければすぐ分かるでしょうけど」
見ただけで一体何が分かるのかと、現場に居合わせた全員が逆に首を傾げたくなったが、否、時のみは彼女の見解に納得しているようだった、
「納得はしてませんよ。でも、幽柰の見解が外れたのは一回しか見たことがないので」
「一回外してるんじゃねーか」
「例外ですよ。彼女の不得意分野だったんですから」
では、殺人事件は得意分野だとでも言うのだろうか。
現場慣れした学生なんて聞いたこともないし存在して欲しくないものだが、事実彼女は自信満々に不可思議げに見つめてくる。
最初の大和撫子はどこにいったのだろうか、この行動だけ見れば幼女のようだ。
そんな中、時が提案をしてくる。
「まぁ、見解ばかり聞いてもどうにもなりませんし、凶器がどんなものなのかなんて検死してもらえば分かることです。それよりも、第一発見者である不和さんにお話を伺っても問題ありませんか?」
「いや。それは無理だな」
「ほぉ、それはまた何故」
「精神的な衰弱が激しいんです。ぼくが聞き込みをした時からかなり参ってしまった様子で、一苦労でしたから」
熊谷の横から手帳を持った警部補、師子堂 信也からの一声が入る。
夫が変死体で発見されては、もとい発見してしまったら誰でも気が滅入ってしまうというものだ。
それに関しては被害者家族の精神をこのまま嬲る訳にもいかないためスッと手を引こうとした瞬間に、幽柰が尋ねる。
「それが聞かない理由になりますかね?人が1人亡くなってしまっているのに、悠長に精神的な回復を待つほうがよっぽど罪悪感が残ってしまいますけど」
「幽柰。それはお前の悪い価値観だって前も言ったろ」
聞かないのが不思議でたまらないと言った風に話す幽柰に、先程までの仲の良さを感じさせない怒り口調で指摘する。
剣幕こそなかったが、その様子に幽柰も目に見えて落ち込む。
時は熊谷のほうを向き謝罪の意を込めて礼をし、
「彼女に悪気はないんです。不快にさせてしまったのなら申し訳ありません」
「あ、あぁ、いや。問題はねぇよ。仮にも現場に入って犯人を見つけろなんて頼まれてるんだろうから聞きたい気持ちは分かるからな」
すると、落ち込んでいた幽柰が静かに話し始める。
「犯人を見つけろなんて頼まれてませんよ。推理しろと言われたけです」
「だから、それが犯人を見つけろってことだろ」
「いえいえ。上は既に犯人の目星がついてますよ。しかし、それに繋がる証拠がない」
近くのテーブルの椅子に座り落ち着くように深呼吸をする。
顔を上げて可憐さを取り戻して言うのだ。
気丈に、微笑みを浮かべて。
「私はその欠陥推理を補完するためにここに居ます」




