第6章ー1 国内整備と海外探査の現状
新章の開始になります。
第5章の間に約5年余りの歳月が流れ、1548年の初めの頃が作中時間です。
アユタヤの街の上里屋は、シャムの国中で知る人ぞ知る大店である。
ルソン、マニラを本拠にする華僑の大物、張敬修の娘婿、張松一がその店の主である。
約6年前にアユタヤに現れた張松一は、アユタヤに来て早々にいきなり米の大量買い付けをして、それをルソン、マニラに大量に輸出した。
そのためにいわゆる思惑売買が大量に発生し、シャムの国中の米の値段を暴騰させた男として、張松一は名を最初から大いに売った。
その後も、大型ジャンク船を何隻も買い付けては、船の積み荷ごと、日本の大店に売り飛ばしたり、硝石の大量購入を行ったりすることで、大きな商いをする男として、その名をアユタヤの街どころか、シャムの国中にまで高めた。
当初は、張敬修のアユタヤにおける新人ブローカー的な存在と思われていたが、その大きな商いから、そんな周囲の思惑はすぐに吹き飛び、張敬修自身もいわゆる暖簾分けをして、上里屋を名乗ることを許した。
今では、アユタヤの街で、単に「張の若旦那」というだけでは、張松一を指すと謳われる程の男である。
だが、その真の正体はというと、
「かなわんな。自分は、こんなことをするつもりはなかったのだが」
(なお、歳月の経過と功績により、大尉に昇進している)上里松一海軍大尉に他ならなかった。
今は、上里大尉は、上里屋と棟続きの大邸宅に住む身になっている。
いわゆる現地妻、側室(妾)のプリチャと同棲し、プリチャの連れ子2人と併せると4人の子どもと暮らすようになっている。
他にも何人もの使用人にかしずかれる身だった。
なお、プリチャだが、張敬修が探してきて、上里大尉に勧めたことだった。
大店の主が独り身だと、周囲から色々と誘惑を受けたり、使用人も主を内心で舐めて、家の中の取り締まりがきちんとできない。
だから、女主人としての側室を持て、と張敬修がいい、プリチャを上里大尉に勧めたのだった。
(もっとも、張敬修には他にも思惑があって、プリチャを勧めていた)
そして。
義父の人間鑑定に間違いはなく、プリチャは身を弁えていた。
その名前の通りの賢女(プリチャは、タイ語で「賢さ」という意味がある)で、家の中のことは完璧にこなし、上里大尉がいずれ自分の下を去ることを認める有様だった。
だが、問題は。
「お父さん、ずっと傍にいて」
「お父さん、僕からもお願い」
プリチャは、上里大尉より3歳年上で結婚していて、最初はビルマとの国境近くに住んでいた。
最近のビルマとシャムとの戦争(といっても人間狩りの国境紛争程度の小規模だったらしい)で、夫や親族は行方不明になった身だった。
何とも皮肉なことに、伝手があってアユタヤに家族で出稼ぎに来て、張敬修の店で夫が働いており、稼いだ金を夫が実家に持って行ったら、夫や親族がさらわれたとのことで、途方に半ば暮れていたプリチャの足元を見て、張敬修は上里大尉に側室にするように勧めたのだった。
プリチャも悩まなかったいうと嘘になるが、子どもと同居して安楽に生活できる魅力に抗えず、それを受け入れることにした。
そして、1年もすれば別れるのだろう、とお互いに想って同居生活を始めたら。
6年の歳月が流れ、プリチャの連れ子2人から、実父同様に上里大尉は慕われて、お父さんと公然と呼ばれるようになり。
更にプリチャと上里大尉の間にまで、2人の子どもが産まれてしまったという次第だった。
なお、この件について、上里大尉の本来の婚約者、正室の張娃は、かなり憤懣を溜めているらしい。
とはいえ、仮に自分がこの場に押しかけて、同居生活をしては。
自分の方が、上里大尉の新しい若い愛人と見られるのが分かっている。
だから、押しかけるのを我慢している有様だった。
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