期間限定王妃、王弟の訪問を受ける
「……というわけで、ラシッド殿下がここに来られると思うわ」
暁の間に戻った私は、衣裳部屋で侍女から王妃へと変身する間にエリンに事の次第を話した。
「何が、『というわけで』なんですか、リゼラ様っ!!」
エリンの目が三角に吊り上がっている。それでも着替えを手伝ってくれる手は止めない。優秀な侍女よね、エリンは。
「王妃様」
後ろに控えていたサフィニアがずずずいっと前に出てきた。こほんと咳払いをした彼女は、「実は」と語り始めた。
「ラシッド殿下の女癖の悪さは有名でして。お相手も貴族の姫君から、未亡人から侍女までと幅広く……それでも恨みを買っていないという不思議なお方でもあるのですが」
あの人当たりの良さからすると、十分想像できる。
「ラシッド殿下が元々王太子だったのではなかったかしら?」
ええ、とサフィニアは頷いた。
「ラシッド殿下のご生母は王妃であるアンフィニア妃殿下であらせられましたから。第二王子としてお生まれでしたが、すぐ王太子になられましたわ」
アンフィニア妃の実家は名門カリスト公爵家だったわね。
(ああ、これは何かありそうな感じがする)
「ねえ、サフィニア。後で続きを聞かせてくれない?」
着替え終わった私は居間に戻り、ソファに腰を下ろした。エリンの淹れてくれる美味しいお茶を飲みながら、サフィニアに問う。
「その頃の陛下はどうされていたの?」
そう聞くと、ソファに座る私の斜め前に立ったサフィニアはそっと目を伏せた。
「実は……陛下のご生母であられたアレスティア側妃殿下は、子爵家のご出自でして。亡き大公殿下が周囲の反対を押し切って側妃に召し上げられたと聞いていますわ」
「まあ」
普通では陛下の側妃にもなれないご身分だったのね。サフィニアがくっと唇を噛んだ。
「アレスティア側妃殿下も陛下も幾度となく危険な目にお遭いになり……陛下が五歳になられてすぐ、側妃殿下と王宮を辞し、どこかに身を隠しておいででした。どこにおられたのかは、未だ公表されておりません」
(それって、陛下達を狙ったのが、アンフィニア妃だって事?)
ラシッド殿下と陛下の年の差は八歳。側妃に男子が生まれ、王妃は子どもがいない。その八年の間、誰もが辛い思いをしたのではないかしら。
(王妃様ご自身でなくとも、ご実家の公爵家にとっても、陛下は邪魔だったはず)
身分の低い側妃では陛下を守る事は出来なかっただろう。だから、二人は王宮から出て、どこかに潜伏していたのね。
「ラシッド殿下がお生まれになり、王太子になられて五年後。ようやく陛下は王宮にお戻りになられました。ですが、その頃にはもう、アレスティア側妃は御隠れに……」
元々身体の弱い御方でしたから、とサフィニアが悲しそうに呟く。陛下は十そこそこの年に、逃亡生活中にお母様を亡くされたんだ……
「お戻りになった陛下はまた何者かに襲われたのですが……その時に初めて魔法を発動されたのですわ」
陛下の魔法発動は大騒ぎになったらしい。隣国のシェルニアには魔術師も大勢いるけれど、ディアマンテには数えるほどしかいない。
元々ディアマンテ王家は、剣で身を立てた英雄を始祖とする。故に王族に魔法を使える者が現れる確率は、著しく低い。
「大公殿下はラシッド殿下よりも陛下が王太子に相応しいと判断されました。アンフィニア妃殿下は最後まで反対されましたが、陛下が魔法を自在に操るところを目の当たりにされ、何も言えなくなったのでしょう」
「そうよね、陛下は腕も立つと評判だし、その上魔法も使えるとなると」
表立ってシェルニアから何かがある訳ではない。でも、あの国がディアマンテに何もしてこない、と信じる程私はお人好しでもない。
シェルニアと対等に渡り合うのには、魔法を使える陛下の方が適している。あの国は、魔力を持たない者を格下に見るから。
「というより、ラシッド殿下は……」
どう見ても、王に向かない。本人も『責任ある立場真っ平ごめん』感を漂わせているし。どちらかと言えば、密偵とかに向いてそうよね。愛想いいし、諜報活動させたらいい仕事されそうだわ。
「ラシッド殿下ご自身は、『王になんてなりたくない』と常々おっしゃられておいでです。陛下に王弟としてお仕えする事に満足されているご様子ですし」
(ラシッド殿下と陛下は仲良さそう?だったけれど、こればっかりはご本人の意志だけじゃないものねえ)
大公妃や公爵家の意向もある。大公がお隠れになった事で、大公妃の権力は少しは弱まったと思うけれど、まだまだ権力者である事には変わりない。
――サフィニアの話を整理すると
陛下が生まれる
陛下とアレスティア側妃が王宮を辞す(陛下五歳)
ラシッド殿下が生まれる、王太子に(陛下八歳・ラシッド殿下零歳)
陛下お一人で王宮に戻る(陛下十三歳・ラシッド殿下五歳)
暗殺者に狙われた陛下が魔法を発動、王太子に(陛下十三歳・ラシッド殿下五歳)
(ん?)
私は首を捻った。
「……陛下は王宮を辞される前には、魔法を使えると分からなかったのよね?」
「ええ。まだ幼かった事もあるだろう、と王宮魔術師が言っていたそうですわ」
小さい頃から使えていたら、王宮を出て行く事もなかったのかもしれないのね。そうしたら、アレスティア妃もまだ生きておられたかもしれないのに。
(複雑よね……王宮の人間関係は)
はあ、と溜息をついた私は、またティーを一口飲んだ。ほんのり甘いオレンジの香りに癒されながらも、私はラシッド殿下が来られた場合の対応策をあれやこれやと頭の中で練っていた。
***
さすがは名うての女たらし?ラシッド殿下だけの事はあった。お会いしたその翌日に、お目にかかりたいと綺麗な字で書かれたお手紙と薔薇の花束が届いたのは。
さっさと済ませておいた方がいいと判断した私は、『どうぞいらして下さいませ。お待ちしておりますわ』と返事をし、サフィニアやエリンと共に準備にとりかかった。
「やっぱりこのドレス着ないとダメ? エリン」
「当たり前ですっ! それでもまだ、王妃としては地味目な方ですよ」
私が着ているのは、王妃としては普段着レベルのドレスだ。胸元に白いレースをあしらった翡翠色のドレスは、ハイウェストで切り替える形の物だ。これだとコルセットで締めなくても大丈夫だから。
切り替え部分からベルベット生地のドレープが床に流れ落ちている。シフォン生地を巻いて作った薔薇が、スカート部分のあちらこちらに付いていた。
髪も緩く結い上げ、パールの髪留めで毛先を留める。耳元で揺れるイヤリングは、小さなエメラルドだ。
私はソファとテーブルの周囲に視線を走らせた。お茶はカップに注ぐだけだし、ケーキも銀皿の上に綺麗に並べられている。
(貰った薔薇もテーブルの上の花瓶に生けたし、これで大丈夫よね)
サフィニアには、ラシッド殿下の訪問を報告するついでに、ケーキを届けに行ってもらっている。陛下の元に行くのは、筆頭侍女の彼女の方がいいからだ。
だって黙ってたら、また何か言われそうだし。
――こんこん
(来た……っ)
控えめな音に、私は居住まいを正した。
「リゼラ様はソファに座っていて下さいませ! 私が応対しますっ!」
エリンがそそくさと扉の方へと向かう。私はゆったりとソファに腰かけた。
(――さあ、来い)
ぱしんと両頬を手で叩き、私は気合を入れ直した。
***
「王妃様がこんなに可愛らしい御方だったとは! 帰国して早々、眼福ものですよ」
相変わらず、綺羅綺羅した笑顔。ラシッド殿下の綺羅綺羅度は、昨日のままだった。金の縁取りの、翡翠色のチェニックがよくお似合いです。
「まあ、ありがとうございます。お上手ですのね」
飾りのついた扇子で、口元を隠す。うーん、このヒト、やっぱり軽いわ~……。
ラシッド殿下は私の真向かいに座り、エリンの淹れてくれたお茶を飲みつつ、焼き菓子にもてを出していた。美味しい美味しいと食べているところを見ると、甘いものがお好きなようだ。
ラシッド殿下も足が長いわね。殿下も均整の取れた身体つきで、背も高い。きっとおモテになられている事でしょうね。
殿下がきょろきょろと周囲を見渡して言った。
「昨日会った侍女のエリナちゃんがいないようですが?」
ちゃん付けですか。遠い目をした私を置いて、傍に控えていたエリンが咳払いをした。
「エリナでしたら、所用で王妃様のご実家に使いに出ております」
「そうかあ……残念だね」
ラシッド殿下はちょっと残念そうな表情になったけれど、すぐに私の方を向いた。
「ここからはちょっと内緒の話、なんだけど」
急に口調が変わった。
「はい?」
ラシッド殿下の青い瞳が、面白そうに輝いた。
「単刀直入に聞かせてもらうよ。――リゼラちゃんは、リュークの事、どう思ってるの?」
「はい!?」
目がまん丸になった。今、リゼラちゃんって言った!? おまけにリュークって!?
(いくら王弟殿下だとはいえ……不敬罪とかにならないの!?)
「政略結婚なのは、判ってるよ。あなたがほとんど社交界に出てきてないことぐらい、僕も知ってるからね」
「……」
「あのリュークがあなたとの結婚を急いだっていうのが、ひっかかるんだよね」
「……」
私は扇子の裏で首を傾げた。
「こう言っちゃなんだけど、リュークって、今までどんな美女が言い寄って来ても、心動かされた事がないって言うか、冷静そのものだったんだよ」
「……」
えと、ラシッド殿下は何が言いたいのだろう。私の頭の中は疑問符だらけになっていた。
「それがあなたに対してだけは、冷静でいられないようだし」
「あの……?」
ふふふっと艶っぽく、ラシッドが笑った。
「僕は後宮の側室全員にこうやって挨拶訪問しているけれど、行く前にあんなに警告されたの、リゼラちゃんが初めてだよ」
「警告?」
「うん。とにかく余計な事を言うな、早々に切り上げろ、リゼラの邪魔をするなって、ウルサイのなんの」
「……」
陛下、何が言いたかったんだろう。私はいろいろ考えてみたけれど、どれもしっくりしなかった。
「リゼラちゃんは、リュークにとって特別なんだろうなあって思ってる」
「トクベツ?」
そりゃあ事件解決のための、一年限定王妃ですし……特別と言えば、特別? かしら?
私の顔を見て、ラシッド殿下が堪え切れないように笑った。
「リュークも気苦労が多そうだね、これは……」
「はあ……?」
ラシッド殿下のカップに紅茶を注いていたエリンがうんうんと頷いているのは、ナゼ!? 私の侍女なのに!!
優雅な手つきで、ラシッド殿下がお茶を一口飲んだ。
「それで? ――リゼラちゃんがリュークの事、どう思ってるのか、聞きたいんだけど?」
「その……」
私はゆっくりとラシッド殿下に言った。
「まだ陛下の事、よく存じ上げませんし……何とも言えないです……」
ラシッド殿下の眉が上がった。そっとティーカップをソーサーに戻す仕草も優雅だった。
「へえ? 珍しいね。大抵の女性は、リュークの外見だけで、めろめろになっちゃうんだけど」
「綺羅綺羅しい人は、妹で慣れておりますから」
ああ、とラシッド殿下が遠い目をした。
「当代一の美少女、ロゼリアちゃんだったね、妹さんは」
こくん、と私は頷いた。
「何度もリゼラでいいのか、ロゼリアじゃないのかって、ルイス侯爵に確認しました。ロゼリアだったら、王妃と言う立場だって難なくこなすでしょうし……」
「それで、いいの? リゼラちゃんは」
「へ?」
ぽかんと口を開けた私に、ラシッド殿下が重ねて言った。
「リュークのお嫁さんに、妹のロゼリアちゃんがなってもいいの?」
陛下の隣に、ロゼリアが立つ。うわ、想像しただけで、綺羅綺羅しいお二人になりそう。まともに見たら、目が潰れるわ、きっと。
(……ん?)
ほんの少し……胸に違和感を感じた。何かしら、これ……
「でも、そうなったら……」
私はちょっと眉を顰め、溜息をついた
「平然、とはしていられないでしょうね、きっと……」
「リゼラ様!?」
「リゼラちゃん!?」
エリンとラシッド殿下の、どことなく嬉しそうな声が重なった。
「……ロゼリアが毒殺されやしないか、陰謀に巻き込まれたりなしないかって……心配で夜も眠れなくなりそう……」
「「……」」
――あら? 私は首を傾げた。暁の間には、ものすごく残念そうな空気が流れていた。
ラシッド殿下が、低い声で言った。
「あの……リュークの事は?」
「陛下? 陛下が何ですか?」
「うわ……見事に脈ナシ……」
いっそ清々しいよ、と右手で目を覆い隠したラシッド殿下が呟いた。エリンの口からも、重々しい溜息が落ちている。
「陛下はその……王宮内のこと、慣れてらっしゃるでしょうから、安心ですけど、ロゼリアは美人だし慣れてないから、王妃になったりしたら、ものすごく心配です」
「……僭越ながら、リゼラ様」
エリンが口を挟んで来た。
「ロゼリア様の事は、全くご心配する必要はございません。美しい薔薇には棘がある、と言うように、ロゼリア様にも鋭い棘がございますから。不用意に近づく者は、棘の毒にやられて再起不能になるだけですわ」
「エリンはロゼリアには厳しいのね、相変わらず」
「……いや、侍女殿の言うとおりだと思うよ? 僕も」
「ラシッド殿下まで、そんな」
いくらなんでも、ロゼリアがかわいそうじゃない!? 私はぷくっと頬を膨らませた。
「まあ、リゼラちゃんの気持ちはよくわかったよ」
ラシッド殿下がゆっくりと立ち上がった。私もドレスの裾を引き、椅子から立ち上がる。
「これからでいいんだけどさ」
「はい?」
私を見る、ラシッド殿下の瞳は真剣だった。
「リュークの事、ちゃんと見て欲しいんだ。王って立場は孤独なんだよ。だから、リゼラちゃんにはリュークの癒しになってもらいたいんだ」
「癒し……」
癒しって……どうすればいいのかしら? 私が首を傾げると、ラシッド殿下は苦笑した。
「今はわからなくてもいい。だけど……リュークはリゼラちゃんの事、真面目に考えてるって事は覚えておいてほしい」
「はい……」
じゃあね、と手を振り、ラシッド殿下は暁の間から、軽やかな足取りで出て行かれた。
はあ、とエリンがまた溜息をついた。
「考えていたよりも、まともな御方でしたわね……陛下の事も、大切に思われているようでしたし」
「そうね……きっと仲の良い御兄弟なのよね」
王と王弟、という関係でさえなければ、普通の兄弟だったのかもしれない。基本いい人なのだろう、と私は思った。
「さ、これまでの調査結果をまとめるわよっ!!」
ぱんと両手を打って、気合いを入れ直す私。
「リゼラ様……本当に、こういう場合だけ元気なのですね……」
やる気満々の私の後ろで、またまたエリンは深い溜息をついていた。