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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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96/105

善意が押し寄せた朝

第96話 善意が押し寄せた朝


前書き


誰かの親切を知って、「自分も何かしたい」と思う。


それ自体は、きっと悪いことではない。


食べ物を届けたい。お金を渡したい。店を応援したい。もっと多くの人に知ってもらいたい。


一つ一つは善意でも、それが百人、千人と同時に一つの小さな場所へ向かえば、受け取る側には別の問題が生まれる。


「ありがとう」だけでは回らなくなる朝がある。


         *


 午前六時四十八分。


 高瀬陸斗は、枕元で震え続けるスマートフォンの音で目を覚ました。


「……うるさ」


 手探りで画面を掴む。


 通知が並んでいる。


 メッセージ。


 返信。


 フォロー。


 知らないアカウントからの通知。


「……は?」


 昨夜の投稿を開いた。


 表示回数。


 三十八万七千。


「はあ!?」


 布団の上で起き上がった。


 もう一度更新する。


 三十九万を超えた。


「何で!?」


 昨夜寝る前は、数万だったはずだ。


 返信も桁が変わっている。


『朝から泣いた』


『こういう店こそ残ってほしい』


『近所だったら絶対食べに行く』


『店に寄付したい』


『この子たちちゃんと払いに行ってほしい』


『店どこ?』


『写真の掲示物、○○のやつじゃない?』


 陸斗の指が止まった。


 別の返信を見る。


『たぶんこの辺』


 地名が書かれている。


「……マジかよ」


 陸斗はすぐに蒼へ電話した。


 一回。


 二回。


『……何』


「起きてた?」


『今起きた』


「ヤバい」


『何が』


「三十八万」


 数秒の沈黙。


『何が?』


「昨日のやつ」


『……は?』


「表示」


『だから消した方がいいって言ったじゃん』


「こんなんなると思わねぇだろ!」


『場所バレてない?』


「たぶん、かなり絞られてる」


『最悪じゃん』


「どうする?」


『俺に聞く?』


「だって」


『陸斗が投稿したんじゃん』


「分かってるよ」


 電話の向こうで蒼が息を吐いた。


『とりあえず、大和にも言おう』


「おう」


『あと、学校』


「……学校?」


『今日平日』


 陸斗は時計を見た。


「ヤバ」


『そっちも忘れてたの?』


「忘れてねぇよ!」


『今の間なんだよ』


「大和起こす!」


         *


 大和は出なかった。


 一回目。


 二回目。


 三回目。


 五回目。


 八回目。


「こいつ……!」


 十二回目でようやく繋がった。


『……もしもし』


「起きろ!」


『今日土曜……』


「火曜だ!」


『……え?』


「学校!」


『えっ』


 布団が落ちるような音がした。


『何時!?』


「六時五十七分!」


『まだ大丈夫じゃん! 殺すぞ!』


「それよりSNS!」


『何』


「三十八万!」


『俺の腹?』


「まだ言ってんのかよ!」


『三十八万人に俺の腹が』


「チャーハンの話だって!」


『すげぇ……』


「すげぇじゃねぇ!」


 電話の向こうで、大和の母親らしき声がした。


『大和! 起きてるなら早く顔洗いなさい!』


『起きてる!』


『昨日も現金忘れて!』


『それ今言わなくていいだろ!』


 陸斗は思わず笑いそうになった。


「お前、ちゃんと怒られてんじゃん」


『うるせぇ!』


         *


 午前七時四十分。


 「日だまり」の電話が鳴った。


 まだ開店前だった。


 恵子が厨房で米を確認している。


 神谷は入口の掃除をしていた。


「こんな時間に誰?」


 恵子が受話器を取る。


「はい、日だまりです」


『あの、SNSを見たんですけど』


「SNS?」


『昨日、中学生の子たちに食事を出したお店ですよね?』


 恵子は黙った。


「……何のお話でしょう」


『PayPayが使えなかった子たちです』


 恵子は神谷を見る。


 神谷も手を止めた。


『すごくいい話だと思って。何か寄付できないかなと思ったんです』


「少々お待ちください」


 恵子は受話器を胸元へ下げた。


「直人君」


「はい」


「何か始まってる」


「何がです?」


「知らない」


「それ一番怖いやつですね」


 電話は、それから十分後にも鳴った。


 今度は別の人だった。


 米を送りたいという。


 三本目は、レトルト食品を送れるかという問い合わせ。


 四本目。


「取材をお願いしたいのですが」


「お断りします」


 恵子は即答した。


 電話を切る。


「何なのよ!」


 神谷は自分のスマートフォンを取り出した。


「ちょっと待ってください。検索してみます」


 数十秒後。


「あ」


「何」


「これですね」


 神谷が画面を見せた。


 チャーハンの写真。


 昨夜の投稿。


 表示回数は、すでに四十万を超えていた。


「この子、昨日の?」


「たぶん陸斗君ですね」


「名前出てる?」


「店の名前は出してません。でも返信で場所を推測してる人がいます」


「何で分かるのよ」


「写真の端に写ってる掲示物とか……」


「そんなので?」


「分かる人には分かるんでしょうね」


 恵子は額を押さえた。


「ちょっと待って」


「はい」


「これ、どうすればいいの?」


「……分かりません」


「でしょうね!」


         *


 午前七時五十八分。


 前原のスマートフォンが鳴った。


「誰だ、朝っぱらから」


 前原はまだ食卓にいた。


 敦が向かいで味噌汁を飲んでいる。


「はい」


『前原さん? 神谷です』


「おう」


『ちょっと、日だまりが変なことになってまして』


「火事か」


『違います』


「喧嘩か」


『もっと平和なんですけど、面倒です』


「何だそれ」


 敦が顔を上げた。


「何かあったんですか」


 前原は片手で黙れという仕草をする。


『昨日来た三人の子、覚えてます?』


「俺、昨日そっち行ってねぇぞ」


『あ、そうか。岡野君がいましたね』


 前原が敦を見る。


「お前の話だ」


「俺?」


 電話を渡された。


「もしもし」


『岡野君、昨日の三人覚えてる?』


「チャーハンの?」


『そう。その子がSNSに投稿したみたいで』


「何を?」


『昨日のこと』


「へえ」


『四十万くらい見られてる』


「……はい?」


『それで朝から電話が来てる』


「何の?」


『寄付したいとか、取材したいとか』


「え?」


 敦は箸を置いた。


「何でそんなことに?」


『俺が聞きたいよ』


 前原が敦の顔を見ている。


「分かりました。行きます」


『来てもらえる?』


「はい」


 電話を切る。


 前原が聞いた。


「何だ」


「昨日、三人の子が来たんです」


「何歳だ」


「一人が高一で、二人が中三」


「で?」


「現金持ってなくて、PayPayしかなくて」


「食い逃げか」


「してません!」


「じゃあ何だ」


「恵子さんたちが、あとでいいから食べろって」


「それをネットに書いた?」


「みたいです」


「で、四十万」


「はい」


 前原は味噌汁を飲んだ。


「面倒くせぇな」


「神谷さんと同じこと言ってますよ」


「行くぞ」


「ヨシさんも?」


「お前だけ行かせたら、全部『ありがとうございます』で受け取りそうだからな」


「俺そんなに頼りないです?」


「今聞くことか?」


         *


 学校へ行く前に、陸斗、蒼、大和の三人は「日だまり」へ寄った。


 時刻は八時十分。


「絶対遅刻するって」


 蒼が言った。


「五分だけ」


「陸斗の五分信用できねぇ」


「大和に言われたくない」


「俺は今日十二回目で電話出た男だぞ」


「何で誇ってんだよ」


 三人が店へ近づいたところで、足が止まった。


 入口の前に女性が立っていた。


 四十代くらいだろうか。


 両手にスーパーの袋を持っている。


「あの」


 女性が三人を見る。


「もしかして、昨日の子たち?」


 三人とも固まった。


 蒼が一歩下がった。


 陸斗は返事をしなかった。


 大和も珍しく黙った。


 その時、店の扉が開いた。


「おはよう」


 神谷だった。


「あ、あの!」


 女性が袋を持ち上げる。


「SNS見て、これ。お米とレトルトとか、お菓子も少し」


「ありがとうございます」


「子どもたちに使ってもらえたらと思って」


「ありがとうございます。ただ、今ちょっと受け取り方を決めてなくて」


「腐るものじゃないですから」


「そうなんですけど」


 神谷は三人に気づいた。


「君たち」


 陸斗が頭を下げた。


「すみません」


「何が?」


「SNS」


「とりあえず入って」


 女性がまた三人を見る。


「本当にこの子たちだったのね」


 蒼の顔が硬くなる。


 神谷はすぐに三人と女性の間へ入った。


「すみません。この子たちについては、お店からは何もお話ししません」


「あ、いや、別に悪い意味じゃ」


「分かってます。ありがとうございます」


 声は柔らかい。


 だが、そこから先へは進ませなかった。


         *


「消した方がいいですか」


 店内へ入るなり、陸斗が聞いた。


 恵子は答えなかった。


「どうしようと思ってるの?」


「俺は……」


 陸斗はスマートフォンを見る。


「消した方がいいかなって」


「何で?」


「迷惑かけてるから」


「じゃあ、それは学校終わってから考えましょう」


「でも」


「学校あるんでしょ?」


 三人が黙る。


「あります」


 蒼が答えた。


「じゃあ行きなさい」


「え?」


「こっちは大人が考えるから」


「でも俺が投稿したんですよ」


「だからって、高校休んで電話番する?」


「……しません」


「でしょ」


 大和が恐る恐る聞いた。


「あの」


「何?」


「怒ってます?」


 神谷が少し考えた。


「困ってる」


「……はい」


「怒ってるかどうかは、もう少し状況見てから決める」


「怖っ」


「何が?」


「いや、何でもないです」


 陸斗が財布から金を出した。


「昨日の分」


「ああ」


 三人分。


 今日はちゃんと現金だった。


 恵子が受け取る。


「ありがとう」


「遅くなってすみません」


「一日で遅いなら、世の中ほとんど延滞よ」


 陸斗が少し笑った。


「放課後、また来てもいいですか」


「いいよ」


「SNSのこと」


「うん」


 蒼が時計を見る。


「行こう。マジで遅れる」


 三人が入口へ向かう。


 大和が振り返った。


「俺の腹のことまで広まってるんですけど」


「知らないわよ!」


 恵子が言った。


「自分で書いたんでしょ!」


「俺が書きました」


「じゃあ自業自得!」


「ですよね!」


 三人は走っていった。


         *


 午前九時。


 敦と前原が到着した時には、店の隅に妙な山ができていた。


 米。


 缶詰。


 レトルトカレー。


 菓子。


 乾麺。


 そして。


「何で靴下があるんだ」


 前原が言った。


 恵子が腕を組む。


「知らないよ!」


「子ども用って書いてあるぞ」


「見れば分かるわよ!」


「何で飯屋に靴下送ってくるんだ」


「善意!」


「善意で靴下になるのか?」


「私に聞かないで!」


 敦が吹き出しそうになった。


「笑うな、岡野!」


「すみません」


 神谷がメモを持ってきた。


「今のところ、電話十二件です」


「朝だけで?」


「寄付の申し出七件。取材二件。店の場所確認が三件」


「受けたのは?」


「最初に直接持って来られた分と、そのあと二人ほど」


 前原が食品の山を見る。


「一回止めた方がいいな」


「やっぱり?」


「置く場所あるのか」


「ないです」


「賞味期限見る奴は?」


「決めてません」


「誰から何もらったか記録は?」


「してません」


「勝手に入口へ置いていく奴が出たら?」


 神谷が黙った。


「……ありそうですね」


「だろ」


 敦が言った。


「でも、せっかく持ってきてくれてるのに」


「だからだよ」


 前原が敦を見る。


「何でも受け取って、腐らせたらどうする」


「あ」


「食わせる相手も決めてねぇだろ」


「はい」


「金持って来られたら?」


 敦はさらに黙った。


「それは……もっと困りますね」


「だろ」


 前原は食品の山を見た。


「善意だから雑に扱っていいって話じゃねぇ」


 恵子が頷く。


「佐伯さんに相談した方がいいかしら」


「した方がいい」


 敦がスマートフォンを出した。


「俺、連絡します」


「その前に」


 前原が止める。


「何を聞くかまとめろ」


「はい」


「寄付を受けるなら管理をどうするか。今受け取っていいのか。金はどうするか。あと――」


「SNS」


 神谷が言った。


「それもですね」


 敦はメモを取り始めた。


         *


 午前十一時を過ぎると、いつもより客が増えた。


「SNS見ました」


 そう言って入ってくる人もいた。


 大半は普通に食事を注文し、代金を払い、


「いいお店ですね」


 と言って帰った。


 恵子も、


「ありがとうございます」


 と返した。


 それなら何も問題はない。


 問題が起きたのは、昼前だった。


「会計、千二百円ね」


 恵子が言うと、若い女性が五千円札を出した。


「お釣りはいいです」


「いや、駄目よ」


「残りは次の子のご飯代にしてください」


「ごめんなさい。今そういうの受けてないの」


「でも寄付です」


「気持ちはありがたいんだけど」


「子どもたちのために」


「だからこそ、今は預かれないの」


 女性は少し不満そうだった。


「善意なんですけど」


「分かってる」


 恵子は三千八百円を返した。


「分かってるから、ちゃんと受け取れるようになってからにしたいの」


 女性はしばらくお釣りを見ていたが、最後には受け取った。


「また来ます」


「普通にご飯食べに来て」


 恵子は笑った。


         *


 その直後。


 敦は、店の奥でスマートフォンを横向きにしている若い男に気づいた。


 レンズが店内へ向いている。


「あの」


 敦が近づいた。


「はい?」


「撮ってます?」


「ちょっとだけ」


「他のお客さんもいるので、やめてもらえますか」


「顔は映してないですよ」


「でも、やめてもらっていいですか」


「SNSで見て来たんですけど」


「ありがとうございます。でも撮影は駄目です」


 男は少し眉をひそめた。


「紹介してあげようと思ったのに」


 敦は一瞬、言葉に詰まった。


「……紹介してもらうためにやってる店じゃないので」


「別に悪く言うつもりないですよ」


「分かってます」


「じゃあいいじゃないですか」


「よくないです」


 敦は声を荒らげなかった。


「ここ、普段から来てる人もいるんです。ネットに出たくない人もいるので」


 男は敦を見る。


 しばらくして、スマートフォンを下ろした。


「分かりました」


「ありがとうございます」


 男はそのまま帰るかと思った。


 だが席へ戻り、


「じゃあ、生姜焼き定食ください」


 と言った。


「はい」


 敦は少し拍子抜けした。


 厨房へ戻ると、前原が言った。


「俺なら追い出してる」


「だからヨシさん出てこなくてよかったです」


「何だと」


「絶対喧嘩になるじゃないですか」


「ならねぇよ」


 恵子と神谷が同時に言った。


「なる」


「なると思います」


「お前らな!」


         *


 昼の混雑が少し落ち着いた頃だった。


 敦は入口に立つ少年に気づいた。


 中学生くらい。


 一人。


 以前にも何度か見たことがある。


 名前は知らない。


 いつも一人で来て、安いものを食べる。


 神谷と少し話す日もあれば、何も話さず帰る日もある。


 少年は店内を見た。


 いつもより人が多い。


 入口近くには寄付された食品の箱。


 知らない大人たち。


 SNSの話をしている声。


 少年は一歩だけ店内へ入った。


 そして。


 そのまま引き返した。


「あ」


 敦は反射的に追いかけようとした。


 扉まで行く。


 外を見る。


 少年はもう歩き始めていた。


「岡野君」


 神谷の声。


 敦は止まった。


「追わなくていい」


「でも」


「また来るかもしれない」


「……はい」


 敦は扉を閉めた。


 その時、初めて分かった。


 人が増えることは、必ずしもこの場所が良くなることではない。


 応援する人が来る。


 寄付が届く。


 注目される。


 その一方で。


 昨日まで普通に扉を開けられた人が、開けられなくなることもある。


         *


 午後二時。


 店の奥で小さな話し合いが始まった。


 恵子。


 神谷。


 前原。


 敦。


 佐伯は電話で参加した。


『まず、現時点では寄付を積極的に募集しない方がいいと思います』


 佐伯の声がスマートフォンから聞こえる。


「ですよね」


 神谷が答える。


『食品を受けるなら、保管場所、賞味期限、受け取り記録、誰にどう使うか。最低限そこは必要です』


「現金は?」


 恵子が聞く。


『今の体制なら受けない方がいいでしょうね』


「そうする」


『それと、子どもについて聞かれても答えない』


「それはもうやってます」


『撮影もルールを決めた方がいいです』


 敦が頷く。


「今日、一人いました」


『どうしました?』


「やめてもらいました」


『それでいいと思います』


 前原が口を開いた。


「あと、勘違いされてんのがある」


『何でしょう』


「ここ来たガキは全員タダで飯食える、みてぇになったら困るだろ」


 恵子が頷いた。


「そうね」


「金ねぇ奴は追い返すって意味じゃねぇぞ」


「分かってる」


「困ってる奴が来た時は、その時考える。それでいいだろ」


 恵子は笑った。


「今までと同じね」


「そういうことだ」


 神谷が紙に書いていく。


 寄付について。


 撮影について。


 取材について。


 子どもたちについての問い合わせには答えないこと。


 そして通常営業を続けること。


 何か新しい巨大な仕組みを作るのではない。


 今ある小さな場所を、壊さないための決め事だった。


         *


 午後四時過ぎ。


 三人が戻ってきた。


「こんにちは」


 朝より小さな声だった。


「おかえり」


 神谷が言った。


 陸斗が店内を見る。


 寄付品は奥へ移動され、昼ほど客もいない。


「……すみませんでした」


「朝も聞いた」


 恵子が言った。


「でも」


「座りなさい」


 三人が同じテーブルに座る。


 敦も向かいに座った。


 前原は少し離れた席にいた。


「今、どれくらい?」


 敦が聞く。


 陸斗がスマートフォンを見る。


「六十万ちょっとです」


「六十万!?」


 大和が言った。


「俺の腹が六十万人に」


「まだそれ言うの?」


 蒼が呆れる。


 前原が吹き出した。


「お前が腹鳴らした奴か」


「はい」


「六十万の腹」


「ヨシさん!」


 敦が止める。


「何だよ」


「増やさないでください!」


 大和だけ少し嬉しそうだった。


「六十万の腹……」


「気に入るな!」


 少し空気が軽くなった。


 敦は陸斗を見る。


「消したい?」


「……分かんないです」


「うん」


「店に迷惑かけてるなら消した方がいいと思う」


「それだけ?」


 陸斗は考える。


「怖くなってきました」


「何が?」


「知らない人が、俺が撮った写真から場所探してるのが」


「うん」


「俺、店の名前出してないから大丈夫だと思ってた」


「そうだね」


「こんな分かると思わなかった」


 敦は頷いた。


「じゃあ、どうしたい?」


「岡野さんなら消します?」


「俺?」


「はい」


 敦は少し考えた。


「俺が投稿したんじゃないから、俺が決めることじゃない」


 陸斗はスマートフォンを見る。


「……消します」


「うん」


「もうスクショとかされてるだろうけど」


「たぶんね」


「意味あります?」


「全部消えるわけじゃないと思う」


 敦は答えた。


「でも、陸斗がこれ以上自分の投稿から広げたくないと思うなら、消す意味はあるんじゃないかな」


「……はい」


 陸斗は投稿を削除した。


「消えた」


 大和が画面を覗く。


「俺の六十万が」


「お前のじゃねぇ!」


「俺の腹……」


「まだ言うか!」


 蒼が笑った。


         *


「でもさ」


 陸斗が言った。


「悪いことだけじゃなかったですよね」


「うん」


 敦は答えた。


「応援してくれた人もいたし」


「いた」


「寄付してくれた人も」


「いたね」


「じゃあSNSに載せたこと自体が悪かったんですか」


 敦はすぐに答えなかった。


「悪いって一個に決めなくていいんじゃない?」


「どういうこと?」


「よかったこともあったし、困ったこともあった」


「……」


「次に何か載せる時、写真から場所が分かることもあるって覚えておけばいい」


 蒼が言った。


「だから昨日言ったじゃん」


「お前、結果見てから強くなるなよ」


「最初から言った」


「言ってたな」


「認めるんだ」


 大和が手を上げた。


「俺は?」


「お前は腹のことしか言ってない」


「ひどくない?」


         *


 その時。


 陸斗のスマートフォンに通知が来た。


「あ」


「何?」


「DM」


「誰から?」


「知らない人」


 陸斗は読んだ。


 表情が変わる。


「何て?」


 蒼が聞く。


 陸斗は少し迷ってから画面を見せた。


『突然すみません。』


『自分も家でご飯食べられない日があります。』


『でもその店、遠くて行けません。』


『自分の住んでるところにも、こういう場所ありますか。』


 三人が黙った。


 敦も画面を見た。


「どうしよう」


 陸斗が聞いた。


「返事した方がいいですよね」


「ちょっと待って」


「でも困ってるかもしれない」


「だからこそ」


 敦は言った。


「すぐ住所とか聞かない方がいい」


「じゃあどうするんですか」


「佐伯さんに聞いてみる」


 陸斗が敦を見る。


「また大人?」


「嫌?」


「いや」


「俺たちだけで全国の場所を全部知ってるわけじゃないから」


「そっか」


「住んでる県とか、大まかな地域だけ聞けるかもしれない。でも、それもどう聞くか考えた方がいい」


 蒼が言った。


「その人、本当に子どもかも分からないですよね」


「そうだね」


「嘘かもしれない?」


「それも分からない」


 大和が難しい顔をする。


「じゃあ無視?」


「それも今決めなくていい」


 敦は答えた。


「返事するなら、みんなで考えよう」


 陸斗は画面を見る。


「SNS、悪いことだけじゃなかったんだな」


 蒼が頷いた。


「まあ」


 前原が離れたところから言った。


「包丁みてぇなもんだろ」


「え?」


 三人が前原を見る。


「使い方次第だ」


「でもSNSで野菜切れないですよ」


 大和が真顔で言った。


「そういう意味じゃねぇ!!」


 店内に笑い声が響いた。


         *


 夕方。


 入口に一枚の紙が貼られた。


 神谷が印刷し、全員で文面を確認したものだった。


『SNSを見てくださった皆さまへ』


『たくさんのお気持ちをありがとうございます。』


『現在、直接の寄付については、受け取り方法を検討しているためお断りしています。』


『店内での無断撮影はご遠慮ください。』


『当店を利用される方についてのご質問にはお答えできません。』


『通常どおり営業しています。』


 そして最後に、


『困った時は、まず声をかけてください。一緒に考えます。』


 と書いた。


「これでいい?」


 神谷が聞く。


 恵子が頷く。


「いいんじゃない」


 前原が紙を見る。


「『何でもできます』って書いてねぇのがいい」


「そんなの書きませんよ」


 敦が言う。


「岡野なら書きそうだ」


「書きませんって!」


 陸斗たちはその紙を見てから帰った。


 今度は三人とも、


「また来ます」


 と言った。


 大和だけ、


「次はPayPay使える店か確認してから来ます」


 と付け加えた。


「うちは次も現金よ!」


 恵子が返した。


         *


 閉店まであと一時間。


 ようやく店内が静かになった。


 敦は椅子へ座り、息を吐いた。


「疲れた……」


「お前、今日ほとんど料理してねぇだろ」


 前原が言った。


「そういう疲れじゃないですよ」


「知ってる」


 神谷が寄付品の記録を作っている。


 恵子は冷蔵庫を確認していた。


 善意はまだ店の隅に積まれている。


 これからどう扱うのか、考えることも残っている。


 SNSの投稿を消しても、話はネットのどこかに残るだろう。


 明日も誰かが来るかもしれない。


 それでも、少なくとも今日は終わりそうだった。


 電話が鳴った。


 全員が一瞬止まった。


「……また取材?」


 恵子が言う。


「俺出ます」


 敦が受話器を取った。


「はい、日だまりです」


『あの……』


 若い声だった。


 男か女かは分からない。


『SNSで見たんですけど』


 敦は少し身構えた。


「はい」


『ここって』


 一度、声が止まった。


『中学生じゃなくても、相談していいんですか』


 敦は椅子へ座り直した。


「はい」


 店の中では、誰も喋らなかった。


「話せるところからで大丈夫です」


 敦は言った。


「どうしました?」


 受話器の向こうで、小さく息を吸う音がした。


 敦は急かさず、その続きを待った。


⸻


後書き


第96話でした。


前回の出来事がSNSで広がり、「日だまり」にはたくさんの善意が集まりました。


食料を届けたい人。


お金を渡したい人。


店を応援したい人。


もっと広く紹介したい人。


そのほとんどに、悪意はありません。


だからこそ今回は、善意を否定する話にはしませんでした。


実際、応援を受け取ることで助かる場所もありますし、SNSによって必要な情報へたどり着ける人もいます。


一方で、受け取る仕組みのない場所へ一度に物やお金が集まれば、保管、管理、記録、賞味期限、プライバシーなど、これまでなかった問題も生まれます。


そして敦が気づいたのは、もう一つのことでした。


人が集まり、注目されることで、それまで静かに利用していた人が入りづらくなることもある。


昼に店の前から帰ってしまった少年は、今回名前すら出ていません。


それでも彼もまた、「日だまり」を使っていた一人です。


一方、陸斗の投稿から届いた一通のメッセージは、別の場所で困っている誰かへ繋がりました。


SNSが良いか悪いかではなく、何を広げ、何を広げないのか。


三人も敦たちも、これから少しずつ覚えていきます。


そして最後に電話を取ったのは敦でした。


前原でも、佐伯でもありません。


「話せるところからで大丈夫です。どうしました?」


少し前まで、自分自身が誰かに助けられる側だった敦が、今度はその言葉を口にしています。

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