善意が押し寄せた朝
第96話 善意が押し寄せた朝
前書き
誰かの親切を知って、「自分も何かしたい」と思う。
それ自体は、きっと悪いことではない。
食べ物を届けたい。お金を渡したい。店を応援したい。もっと多くの人に知ってもらいたい。
一つ一つは善意でも、それが百人、千人と同時に一つの小さな場所へ向かえば、受け取る側には別の問題が生まれる。
「ありがとう」だけでは回らなくなる朝がある。
*
午前六時四十八分。
高瀬陸斗は、枕元で震え続けるスマートフォンの音で目を覚ました。
「……うるさ」
手探りで画面を掴む。
通知が並んでいる。
メッセージ。
返信。
フォロー。
知らないアカウントからの通知。
「……は?」
昨夜の投稿を開いた。
表示回数。
三十八万七千。
「はあ!?」
布団の上で起き上がった。
もう一度更新する。
三十九万を超えた。
「何で!?」
昨夜寝る前は、数万だったはずだ。
返信も桁が変わっている。
『朝から泣いた』
『こういう店こそ残ってほしい』
『近所だったら絶対食べに行く』
『店に寄付したい』
『この子たちちゃんと払いに行ってほしい』
『店どこ?』
『写真の掲示物、○○のやつじゃない?』
陸斗の指が止まった。
別の返信を見る。
『たぶんこの辺』
地名が書かれている。
「……マジかよ」
陸斗はすぐに蒼へ電話した。
一回。
二回。
『……何』
「起きてた?」
『今起きた』
「ヤバい」
『何が』
「三十八万」
数秒の沈黙。
『何が?』
「昨日のやつ」
『……は?』
「表示」
『だから消した方がいいって言ったじゃん』
「こんなんなると思わねぇだろ!」
『場所バレてない?』
「たぶん、かなり絞られてる」
『最悪じゃん』
「どうする?」
『俺に聞く?』
「だって」
『陸斗が投稿したんじゃん』
「分かってるよ」
電話の向こうで蒼が息を吐いた。
『とりあえず、大和にも言おう』
「おう」
『あと、学校』
「……学校?」
『今日平日』
陸斗は時計を見た。
「ヤバ」
『そっちも忘れてたの?』
「忘れてねぇよ!」
『今の間なんだよ』
「大和起こす!」
*
大和は出なかった。
一回目。
二回目。
三回目。
五回目。
八回目。
「こいつ……!」
十二回目でようやく繋がった。
『……もしもし』
「起きろ!」
『今日土曜……』
「火曜だ!」
『……え?』
「学校!」
『えっ』
布団が落ちるような音がした。
『何時!?』
「六時五十七分!」
『まだ大丈夫じゃん! 殺すぞ!』
「それよりSNS!」
『何』
「三十八万!」
『俺の腹?』
「まだ言ってんのかよ!」
『三十八万人に俺の腹が』
「チャーハンの話だって!」
『すげぇ……』
「すげぇじゃねぇ!」
電話の向こうで、大和の母親らしき声がした。
『大和! 起きてるなら早く顔洗いなさい!』
『起きてる!』
『昨日も現金忘れて!』
『それ今言わなくていいだろ!』
陸斗は思わず笑いそうになった。
「お前、ちゃんと怒られてんじゃん」
『うるせぇ!』
*
午前七時四十分。
「日だまり」の電話が鳴った。
まだ開店前だった。
恵子が厨房で米を確認している。
神谷は入口の掃除をしていた。
「こんな時間に誰?」
恵子が受話器を取る。
「はい、日だまりです」
『あの、SNSを見たんですけど』
「SNS?」
『昨日、中学生の子たちに食事を出したお店ですよね?』
恵子は黙った。
「……何のお話でしょう」
『PayPayが使えなかった子たちです』
恵子は神谷を見る。
神谷も手を止めた。
『すごくいい話だと思って。何か寄付できないかなと思ったんです』
「少々お待ちください」
恵子は受話器を胸元へ下げた。
「直人君」
「はい」
「何か始まってる」
「何がです?」
「知らない」
「それ一番怖いやつですね」
電話は、それから十分後にも鳴った。
今度は別の人だった。
米を送りたいという。
三本目は、レトルト食品を送れるかという問い合わせ。
四本目。
「取材をお願いしたいのですが」
「お断りします」
恵子は即答した。
電話を切る。
「何なのよ!」
神谷は自分のスマートフォンを取り出した。
「ちょっと待ってください。検索してみます」
数十秒後。
「あ」
「何」
「これですね」
神谷が画面を見せた。
チャーハンの写真。
昨夜の投稿。
表示回数は、すでに四十万を超えていた。
「この子、昨日の?」
「たぶん陸斗君ですね」
「名前出てる?」
「店の名前は出してません。でも返信で場所を推測してる人がいます」
「何で分かるのよ」
「写真の端に写ってる掲示物とか……」
「そんなので?」
「分かる人には分かるんでしょうね」
恵子は額を押さえた。
「ちょっと待って」
「はい」
「これ、どうすればいいの?」
「……分かりません」
「でしょうね!」
*
午前七時五十八分。
前原のスマートフォンが鳴った。
「誰だ、朝っぱらから」
前原はまだ食卓にいた。
敦が向かいで味噌汁を飲んでいる。
「はい」
『前原さん? 神谷です』
「おう」
『ちょっと、日だまりが変なことになってまして』
「火事か」
『違います』
「喧嘩か」
『もっと平和なんですけど、面倒です』
「何だそれ」
敦が顔を上げた。
「何かあったんですか」
前原は片手で黙れという仕草をする。
『昨日来た三人の子、覚えてます?』
「俺、昨日そっち行ってねぇぞ」
『あ、そうか。岡野君がいましたね』
前原が敦を見る。
「お前の話だ」
「俺?」
電話を渡された。
「もしもし」
『岡野君、昨日の三人覚えてる?』
「チャーハンの?」
『そう。その子がSNSに投稿したみたいで』
「何を?」
『昨日のこと』
「へえ」
『四十万くらい見られてる』
「……はい?」
『それで朝から電話が来てる』
「何の?」
『寄付したいとか、取材したいとか』
「え?」
敦は箸を置いた。
「何でそんなことに?」
『俺が聞きたいよ』
前原が敦の顔を見ている。
「分かりました。行きます」
『来てもらえる?』
「はい」
電話を切る。
前原が聞いた。
「何だ」
「昨日、三人の子が来たんです」
「何歳だ」
「一人が高一で、二人が中三」
「で?」
「現金持ってなくて、PayPayしかなくて」
「食い逃げか」
「してません!」
「じゃあ何だ」
「恵子さんたちが、あとでいいから食べろって」
「それをネットに書いた?」
「みたいです」
「で、四十万」
「はい」
前原は味噌汁を飲んだ。
「面倒くせぇな」
「神谷さんと同じこと言ってますよ」
「行くぞ」
「ヨシさんも?」
「お前だけ行かせたら、全部『ありがとうございます』で受け取りそうだからな」
「俺そんなに頼りないです?」
「今聞くことか?」
*
学校へ行く前に、陸斗、蒼、大和の三人は「日だまり」へ寄った。
時刻は八時十分。
「絶対遅刻するって」
蒼が言った。
「五分だけ」
「陸斗の五分信用できねぇ」
「大和に言われたくない」
「俺は今日十二回目で電話出た男だぞ」
「何で誇ってんだよ」
三人が店へ近づいたところで、足が止まった。
入口の前に女性が立っていた。
四十代くらいだろうか。
両手にスーパーの袋を持っている。
「あの」
女性が三人を見る。
「もしかして、昨日の子たち?」
三人とも固まった。
蒼が一歩下がった。
陸斗は返事をしなかった。
大和も珍しく黙った。
その時、店の扉が開いた。
「おはよう」
神谷だった。
「あ、あの!」
女性が袋を持ち上げる。
「SNS見て、これ。お米とレトルトとか、お菓子も少し」
「ありがとうございます」
「子どもたちに使ってもらえたらと思って」
「ありがとうございます。ただ、今ちょっと受け取り方を決めてなくて」
「腐るものじゃないですから」
「そうなんですけど」
神谷は三人に気づいた。
「君たち」
陸斗が頭を下げた。
「すみません」
「何が?」
「SNS」
「とりあえず入って」
女性がまた三人を見る。
「本当にこの子たちだったのね」
蒼の顔が硬くなる。
神谷はすぐに三人と女性の間へ入った。
「すみません。この子たちについては、お店からは何もお話ししません」
「あ、いや、別に悪い意味じゃ」
「分かってます。ありがとうございます」
声は柔らかい。
だが、そこから先へは進ませなかった。
*
「消した方がいいですか」
店内へ入るなり、陸斗が聞いた。
恵子は答えなかった。
「どうしようと思ってるの?」
「俺は……」
陸斗はスマートフォンを見る。
「消した方がいいかなって」
「何で?」
「迷惑かけてるから」
「じゃあ、それは学校終わってから考えましょう」
「でも」
「学校あるんでしょ?」
三人が黙る。
「あります」
蒼が答えた。
「じゃあ行きなさい」
「え?」
「こっちは大人が考えるから」
「でも俺が投稿したんですよ」
「だからって、高校休んで電話番する?」
「……しません」
「でしょ」
大和が恐る恐る聞いた。
「あの」
「何?」
「怒ってます?」
神谷が少し考えた。
「困ってる」
「……はい」
「怒ってるかどうかは、もう少し状況見てから決める」
「怖っ」
「何が?」
「いや、何でもないです」
陸斗が財布から金を出した。
「昨日の分」
「ああ」
三人分。
今日はちゃんと現金だった。
恵子が受け取る。
「ありがとう」
「遅くなってすみません」
「一日で遅いなら、世の中ほとんど延滞よ」
陸斗が少し笑った。
「放課後、また来てもいいですか」
「いいよ」
「SNSのこと」
「うん」
蒼が時計を見る。
「行こう。マジで遅れる」
三人が入口へ向かう。
大和が振り返った。
「俺の腹のことまで広まってるんですけど」
「知らないわよ!」
恵子が言った。
「自分で書いたんでしょ!」
「俺が書きました」
「じゃあ自業自得!」
「ですよね!」
三人は走っていった。
*
午前九時。
敦と前原が到着した時には、店の隅に妙な山ができていた。
米。
缶詰。
レトルトカレー。
菓子。
乾麺。
そして。
「何で靴下があるんだ」
前原が言った。
恵子が腕を組む。
「知らないよ!」
「子ども用って書いてあるぞ」
「見れば分かるわよ!」
「何で飯屋に靴下送ってくるんだ」
「善意!」
「善意で靴下になるのか?」
「私に聞かないで!」
敦が吹き出しそうになった。
「笑うな、岡野!」
「すみません」
神谷がメモを持ってきた。
「今のところ、電話十二件です」
「朝だけで?」
「寄付の申し出七件。取材二件。店の場所確認が三件」
「受けたのは?」
「最初に直接持って来られた分と、そのあと二人ほど」
前原が食品の山を見る。
「一回止めた方がいいな」
「やっぱり?」
「置く場所あるのか」
「ないです」
「賞味期限見る奴は?」
「決めてません」
「誰から何もらったか記録は?」
「してません」
「勝手に入口へ置いていく奴が出たら?」
神谷が黙った。
「……ありそうですね」
「だろ」
敦が言った。
「でも、せっかく持ってきてくれてるのに」
「だからだよ」
前原が敦を見る。
「何でも受け取って、腐らせたらどうする」
「あ」
「食わせる相手も決めてねぇだろ」
「はい」
「金持って来られたら?」
敦はさらに黙った。
「それは……もっと困りますね」
「だろ」
前原は食品の山を見た。
「善意だから雑に扱っていいって話じゃねぇ」
恵子が頷く。
「佐伯さんに相談した方がいいかしら」
「した方がいい」
敦がスマートフォンを出した。
「俺、連絡します」
「その前に」
前原が止める。
「何を聞くかまとめろ」
「はい」
「寄付を受けるなら管理をどうするか。今受け取っていいのか。金はどうするか。あと――」
「SNS」
神谷が言った。
「それもですね」
敦はメモを取り始めた。
*
午前十一時を過ぎると、いつもより客が増えた。
「SNS見ました」
そう言って入ってくる人もいた。
大半は普通に食事を注文し、代金を払い、
「いいお店ですね」
と言って帰った。
恵子も、
「ありがとうございます」
と返した。
それなら何も問題はない。
問題が起きたのは、昼前だった。
「会計、千二百円ね」
恵子が言うと、若い女性が五千円札を出した。
「お釣りはいいです」
「いや、駄目よ」
「残りは次の子のご飯代にしてください」
「ごめんなさい。今そういうの受けてないの」
「でも寄付です」
「気持ちはありがたいんだけど」
「子どもたちのために」
「だからこそ、今は預かれないの」
女性は少し不満そうだった。
「善意なんですけど」
「分かってる」
恵子は三千八百円を返した。
「分かってるから、ちゃんと受け取れるようになってからにしたいの」
女性はしばらくお釣りを見ていたが、最後には受け取った。
「また来ます」
「普通にご飯食べに来て」
恵子は笑った。
*
その直後。
敦は、店の奥でスマートフォンを横向きにしている若い男に気づいた。
レンズが店内へ向いている。
「あの」
敦が近づいた。
「はい?」
「撮ってます?」
「ちょっとだけ」
「他のお客さんもいるので、やめてもらえますか」
「顔は映してないですよ」
「でも、やめてもらっていいですか」
「SNSで見て来たんですけど」
「ありがとうございます。でも撮影は駄目です」
男は少し眉をひそめた。
「紹介してあげようと思ったのに」
敦は一瞬、言葉に詰まった。
「……紹介してもらうためにやってる店じゃないので」
「別に悪く言うつもりないですよ」
「分かってます」
「じゃあいいじゃないですか」
「よくないです」
敦は声を荒らげなかった。
「ここ、普段から来てる人もいるんです。ネットに出たくない人もいるので」
男は敦を見る。
しばらくして、スマートフォンを下ろした。
「分かりました」
「ありがとうございます」
男はそのまま帰るかと思った。
だが席へ戻り、
「じゃあ、生姜焼き定食ください」
と言った。
「はい」
敦は少し拍子抜けした。
厨房へ戻ると、前原が言った。
「俺なら追い出してる」
「だからヨシさん出てこなくてよかったです」
「何だと」
「絶対喧嘩になるじゃないですか」
「ならねぇよ」
恵子と神谷が同時に言った。
「なる」
「なると思います」
「お前らな!」
*
昼の混雑が少し落ち着いた頃だった。
敦は入口に立つ少年に気づいた。
中学生くらい。
一人。
以前にも何度か見たことがある。
名前は知らない。
いつも一人で来て、安いものを食べる。
神谷と少し話す日もあれば、何も話さず帰る日もある。
少年は店内を見た。
いつもより人が多い。
入口近くには寄付された食品の箱。
知らない大人たち。
SNSの話をしている声。
少年は一歩だけ店内へ入った。
そして。
そのまま引き返した。
「あ」
敦は反射的に追いかけようとした。
扉まで行く。
外を見る。
少年はもう歩き始めていた。
「岡野君」
神谷の声。
敦は止まった。
「追わなくていい」
「でも」
「また来るかもしれない」
「……はい」
敦は扉を閉めた。
その時、初めて分かった。
人が増えることは、必ずしもこの場所が良くなることではない。
応援する人が来る。
寄付が届く。
注目される。
その一方で。
昨日まで普通に扉を開けられた人が、開けられなくなることもある。
*
午後二時。
店の奥で小さな話し合いが始まった。
恵子。
神谷。
前原。
敦。
佐伯は電話で参加した。
『まず、現時点では寄付を積極的に募集しない方がいいと思います』
佐伯の声がスマートフォンから聞こえる。
「ですよね」
神谷が答える。
『食品を受けるなら、保管場所、賞味期限、受け取り記録、誰にどう使うか。最低限そこは必要です』
「現金は?」
恵子が聞く。
『今の体制なら受けない方がいいでしょうね』
「そうする」
『それと、子どもについて聞かれても答えない』
「それはもうやってます」
『撮影もルールを決めた方がいいです』
敦が頷く。
「今日、一人いました」
『どうしました?』
「やめてもらいました」
『それでいいと思います』
前原が口を開いた。
「あと、勘違いされてんのがある」
『何でしょう』
「ここ来たガキは全員タダで飯食える、みてぇになったら困るだろ」
恵子が頷いた。
「そうね」
「金ねぇ奴は追い返すって意味じゃねぇぞ」
「分かってる」
「困ってる奴が来た時は、その時考える。それでいいだろ」
恵子は笑った。
「今までと同じね」
「そういうことだ」
神谷が紙に書いていく。
寄付について。
撮影について。
取材について。
子どもたちについての問い合わせには答えないこと。
そして通常営業を続けること。
何か新しい巨大な仕組みを作るのではない。
今ある小さな場所を、壊さないための決め事だった。
*
午後四時過ぎ。
三人が戻ってきた。
「こんにちは」
朝より小さな声だった。
「おかえり」
神谷が言った。
陸斗が店内を見る。
寄付品は奥へ移動され、昼ほど客もいない。
「……すみませんでした」
「朝も聞いた」
恵子が言った。
「でも」
「座りなさい」
三人が同じテーブルに座る。
敦も向かいに座った。
前原は少し離れた席にいた。
「今、どれくらい?」
敦が聞く。
陸斗がスマートフォンを見る。
「六十万ちょっとです」
「六十万!?」
大和が言った。
「俺の腹が六十万人に」
「まだそれ言うの?」
蒼が呆れる。
前原が吹き出した。
「お前が腹鳴らした奴か」
「はい」
「六十万の腹」
「ヨシさん!」
敦が止める。
「何だよ」
「増やさないでください!」
大和だけ少し嬉しそうだった。
「六十万の腹……」
「気に入るな!」
少し空気が軽くなった。
敦は陸斗を見る。
「消したい?」
「……分かんないです」
「うん」
「店に迷惑かけてるなら消した方がいいと思う」
「それだけ?」
陸斗は考える。
「怖くなってきました」
「何が?」
「知らない人が、俺が撮った写真から場所探してるのが」
「うん」
「俺、店の名前出してないから大丈夫だと思ってた」
「そうだね」
「こんな分かると思わなかった」
敦は頷いた。
「じゃあ、どうしたい?」
「岡野さんなら消します?」
「俺?」
「はい」
敦は少し考えた。
「俺が投稿したんじゃないから、俺が決めることじゃない」
陸斗はスマートフォンを見る。
「……消します」
「うん」
「もうスクショとかされてるだろうけど」
「たぶんね」
「意味あります?」
「全部消えるわけじゃないと思う」
敦は答えた。
「でも、陸斗がこれ以上自分の投稿から広げたくないと思うなら、消す意味はあるんじゃないかな」
「……はい」
陸斗は投稿を削除した。
「消えた」
大和が画面を覗く。
「俺の六十万が」
「お前のじゃねぇ!」
「俺の腹……」
「まだ言うか!」
蒼が笑った。
*
「でもさ」
陸斗が言った。
「悪いことだけじゃなかったですよね」
「うん」
敦は答えた。
「応援してくれた人もいたし」
「いた」
「寄付してくれた人も」
「いたね」
「じゃあSNSに載せたこと自体が悪かったんですか」
敦はすぐに答えなかった。
「悪いって一個に決めなくていいんじゃない?」
「どういうこと?」
「よかったこともあったし、困ったこともあった」
「……」
「次に何か載せる時、写真から場所が分かることもあるって覚えておけばいい」
蒼が言った。
「だから昨日言ったじゃん」
「お前、結果見てから強くなるなよ」
「最初から言った」
「言ってたな」
「認めるんだ」
大和が手を上げた。
「俺は?」
「お前は腹のことしか言ってない」
「ひどくない?」
*
その時。
陸斗のスマートフォンに通知が来た。
「あ」
「何?」
「DM」
「誰から?」
「知らない人」
陸斗は読んだ。
表情が変わる。
「何て?」
蒼が聞く。
陸斗は少し迷ってから画面を見せた。
『突然すみません。』
『自分も家でご飯食べられない日があります。』
『でもその店、遠くて行けません。』
『自分の住んでるところにも、こういう場所ありますか。』
三人が黙った。
敦も画面を見た。
「どうしよう」
陸斗が聞いた。
「返事した方がいいですよね」
「ちょっと待って」
「でも困ってるかもしれない」
「だからこそ」
敦は言った。
「すぐ住所とか聞かない方がいい」
「じゃあどうするんですか」
「佐伯さんに聞いてみる」
陸斗が敦を見る。
「また大人?」
「嫌?」
「いや」
「俺たちだけで全国の場所を全部知ってるわけじゃないから」
「そっか」
「住んでる県とか、大まかな地域だけ聞けるかもしれない。でも、それもどう聞くか考えた方がいい」
蒼が言った。
「その人、本当に子どもかも分からないですよね」
「そうだね」
「嘘かもしれない?」
「それも分からない」
大和が難しい顔をする。
「じゃあ無視?」
「それも今決めなくていい」
敦は答えた。
「返事するなら、みんなで考えよう」
陸斗は画面を見る。
「SNS、悪いことだけじゃなかったんだな」
蒼が頷いた。
「まあ」
前原が離れたところから言った。
「包丁みてぇなもんだろ」
「え?」
三人が前原を見る。
「使い方次第だ」
「でもSNSで野菜切れないですよ」
大和が真顔で言った。
「そういう意味じゃねぇ!!」
店内に笑い声が響いた。
*
夕方。
入口に一枚の紙が貼られた。
神谷が印刷し、全員で文面を確認したものだった。
『SNSを見てくださった皆さまへ』
『たくさんのお気持ちをありがとうございます。』
『現在、直接の寄付については、受け取り方法を検討しているためお断りしています。』
『店内での無断撮影はご遠慮ください。』
『当店を利用される方についてのご質問にはお答えできません。』
『通常どおり営業しています。』
そして最後に、
『困った時は、まず声をかけてください。一緒に考えます。』
と書いた。
「これでいい?」
神谷が聞く。
恵子が頷く。
「いいんじゃない」
前原が紙を見る。
「『何でもできます』って書いてねぇのがいい」
「そんなの書きませんよ」
敦が言う。
「岡野なら書きそうだ」
「書きませんって!」
陸斗たちはその紙を見てから帰った。
今度は三人とも、
「また来ます」
と言った。
大和だけ、
「次はPayPay使える店か確認してから来ます」
と付け加えた。
「うちは次も現金よ!」
恵子が返した。
*
閉店まであと一時間。
ようやく店内が静かになった。
敦は椅子へ座り、息を吐いた。
「疲れた……」
「お前、今日ほとんど料理してねぇだろ」
前原が言った。
「そういう疲れじゃないですよ」
「知ってる」
神谷が寄付品の記録を作っている。
恵子は冷蔵庫を確認していた。
善意はまだ店の隅に積まれている。
これからどう扱うのか、考えることも残っている。
SNSの投稿を消しても、話はネットのどこかに残るだろう。
明日も誰かが来るかもしれない。
それでも、少なくとも今日は終わりそうだった。
電話が鳴った。
全員が一瞬止まった。
「……また取材?」
恵子が言う。
「俺出ます」
敦が受話器を取った。
「はい、日だまりです」
『あの……』
若い声だった。
男か女かは分からない。
『SNSで見たんですけど』
敦は少し身構えた。
「はい」
『ここって』
一度、声が止まった。
『中学生じゃなくても、相談していいんですか』
敦は椅子へ座り直した。
「はい」
店の中では、誰も喋らなかった。
「話せるところからで大丈夫です」
敦は言った。
「どうしました?」
受話器の向こうで、小さく息を吸う音がした。
敦は急かさず、その続きを待った。
⸻
後書き
第96話でした。
前回の出来事がSNSで広がり、「日だまり」にはたくさんの善意が集まりました。
食料を届けたい人。
お金を渡したい人。
店を応援したい人。
もっと広く紹介したい人。
そのほとんどに、悪意はありません。
だからこそ今回は、善意を否定する話にはしませんでした。
実際、応援を受け取ることで助かる場所もありますし、SNSによって必要な情報へたどり着ける人もいます。
一方で、受け取る仕組みのない場所へ一度に物やお金が集まれば、保管、管理、記録、賞味期限、プライバシーなど、これまでなかった問題も生まれます。
そして敦が気づいたのは、もう一つのことでした。
人が集まり、注目されることで、それまで静かに利用していた人が入りづらくなることもある。
昼に店の前から帰ってしまった少年は、今回名前すら出ていません。
それでも彼もまた、「日だまり」を使っていた一人です。
一方、陸斗の投稿から届いた一通のメッセージは、別の場所で困っている誰かへ繋がりました。
SNSが良いか悪いかではなく、何を広げ、何を広げないのか。
三人も敦たちも、これから少しずつ覚えていきます。
そして最後に電話を取ったのは敦でした。
前原でも、佐伯でもありません。
「話せるところからで大丈夫です。どうしました?」
少し前まで、自分自身が誰かに助けられる側だった敦が、今度はその言葉を口にしています。




