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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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83/105

残すもの、変えるもの

第83話 残すもの、変えるもの


前書き


何か問題が起きた時、


全部なくしてしまえば分かりやすい。


逆に、


「良いところもあった」と言って、


何も変えなければもっと楽だ。


でも現実には、


同じ場所で救われた人と、


傷ついた人がいる。


なら必要なのは、


どちらかを嘘にすることではない。


残すものを決める。


変えるものを決める。


そして――


変えたあとも、本当に変わったのかを確かめ続ける。


それは、謝るよりずっと長い仕事なのかもしれない。


⸻


 翌朝。


 隼人の目覚ましは、昨日より十七分遅く鳴った。


 正確には、十七分寝坊した。


「うわっ!」


 隣室で何かが落ちる音がした。


 敦が目を覚ます。


 続いて廊下を走る音。


「靴下!」


 隼人の声。


「知らねぇよ!」


 前原。


「昨日ここに置いたんですよ!」


「俺が履くか!」


「片方しかない!」


 翔太が襖を開け、眠そうな顔を出した。


「何色」


「黒」


「全部黒じゃん」


「そうなんだよ!」


 高架下の事務所に、二日目の朝が始まった。


⸻


 六時二十五分。


 隼人は食卓でパンを口へ押し込みながら、片方だけ微妙に色の違う靴下を履いていた。


「それ」


 翔太が指す。


「違うやつじゃない?」


「知ってる」


「右、紺」


「知ってる!」


「左、黒」


「靴履けば見えねぇ!」


 和子が弁当を差し出す。


「はい」


「ありがとうございます」


「昨日より少し多いよ」


「何で」


「昨日、全部食べてきたから」


「……」


 隼人は弁当箱を見る。


「そういうので増えるんですか」


「嫌なら戻すけど」


「いや」


 隼人は鞄へ入れた。


「食べます」


 前原がコーヒーを飲みながら言う。


「今日も行くのか」


「行きますよ」


「そうか」


「何ですか」


「別に」


「昨日より反応薄くない?」


「二日目だからな」


「……」


 隼人。


「そういうもん?」


「毎朝拍手してほしいのか」


「嫌です」


「なら行け」


⸻


 玄関で安全靴を履く。


 昨日は、ここで数十秒止まった。


 今日は。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 敦。


「おう」


 前原。


「弁当忘れないで」


 和子。


「持った」


 隼人は出ていく。


 ドアが閉まる。


 翔太。


「昨日より速かった」


 敦。


「ですね」


「明日は?」


「知りません」


「……」


 前原が二人を見る。


「本人いねぇとこで成長観察すんな」


「すみません」


⸻


 午前八時二十分。


 倉庫。


「坂口君」


「はい」


 主任の田辺が台車を指した。


「今日は昨日の続きと、午後から検品少しやるから」


「検品」


「数量と品番の確認」


「はい」


「分からなかったら」


「聞きます」


 隼人が先に言った。


 田辺が少し笑う。


「そうして」


 昨日は、その言葉を聞くたびに驚いた。


 今日は、自分から言えた。


 それだけだった。


⸻


 午前九時。


 高架下。


 須賀はまだ来ていない。


 ますみは何も描いていない。


 藍は昨日まで使っていた展示データを整理し、レンは意味不明なファイル名を直している。


「これ誰」


 レン。


「何が」


「final_final_本当の最終2」


 カナコ。


「私」


「最終って何だと思ってる?」


「その時は最終だった」


「その後変えたら?」


「次の最終」


「最終が増殖してる」


 敦は笑いながら掃除機をかけていた。


 文化展前までなら、今日も何かが始まっていなければ落ち着かなかったかもしれない。


 今は、少し違う。


 終わった翌日に何も起きない。


 それも普通だった。


⸻


 午前十時過ぎ。


 前原のスマートフォンが鳴った。


「はい」


『前原さん。佐伯です』


「何だ」


『今日、少し時間いただけますか』


「何かあったか」


『あさがおの件です』


 前原の顔が少しだけ変わる。


 敦が掃除機を止めた。


『是正計画の骨格がまとまりました。桜井さんと川本さんにも共有します』


「俺も必要か」


『できれば』


「分かった」


『午後一時、市の会議室で』


「行く」


 切れる。


「ヨシさん」


「何」


「組織?」


「ああ」


「俺も――」


 敦。


 止まる。


「……行った方がいいです?」


 前原。


 敦を見る。


「お前はどうしたい」


「聞きたいです」


「なら来い」


「はい」


⸻


 午後一時。


 市の小さな会議室。


 佐伯。


 桜井。


 川本。


 前原。


 敦。


 そして少し遅れて、高瀬と倉田。


 大人数ではない。


 記者もいない。


 謝罪会見でもない。


 長机に資料が並び、紙コップのお茶が置かれているだけだった。


「では」


 佐伯が資料を開いた。


「現段階で確認できた事実と、今後の対応を整理します」


 桜井が続ける。


「先に一つ」


 全員が見る。


「今日ここで、施設全体が善だったか悪だったかを決めるつもりはありません」


 倉田が静かに頷いた。


「はい」


「個々の行為と運用を見ます」


「……はい」


⸻


 佐伯が最初の資料を示す。


「ユウさんの当時の記録について。本人から家庭内での暴力を示唆する発言がありました。それを施設内判断で『誇張の可能性』として扱い、外部機関への追加相談を行わなかった」


 倉田。


「私の判断です」


「はい」


「そこは」


 倉田は一度息を吐いた。


「今も、誤りだったと考えています」


 佐伯はその言葉を記録する。


 責めるために繰り返さない。


 許すためにも繰り返さない。


「今後、児童から虐待・暴力・帰宅拒否等の訴えがあった場合、施設単独で『誇張』『情緒不安定』と結論づけず、外部の専門機関へ相談する」


「はい」


「本人の発言は、評価と分けて記録する」


「はい」


⸻


 桜井が資料をめくる。


「次に、本人の希望」


 そこには、


 会いたい。


 会いたくない。


 帰りたい。


 帰りたくない。


 辞めたい。


 戻りたい。


 そうした言葉を記録する欄の案があった。


「これ」


 前原が指す。


「記録して終わりじゃねぇだろうな」


 佐伯。


「もちろんです」


「本人の希望どおりに必ずする、という意味でもありません。特に子どもの安全に関わる場合は、大人側が異なる判断をすることもあります」


「じゃあ」


 敦。


「嫌だって言っても」


「ダメな時はある?」


「あります」


 佐伯は即答した。


「例えば、危険な家庭へ今すぐ一人で戻りたいと子どもが言った場合、そのまま帰すことが本人尊重とは限りません」


「……」


「ただし」


 佐伯は続ける。


「なぜ認められないのかを説明する。本人が嫌だと言った事実を消さない。そして状況が変われば判断を見直す」


 敦。


 ゆっくり頷く。


「北村さんが」


「前に言ってたのと同じですね」


「そうですね」


⸻


 倉田が資料を見ながら言った。


「一つ、確認したい」


「どうぞ」


「本人の希望を記録することで、職員が判断を恐れるようになりませんか」


 高瀬が倉田を見る。


「例えば、危険だと思って止めた。しかし本人は嫌だと言った。それが後から『本人の意思を無視した』と評価されるなら――」


「あり得ます」


 佐伯。


 倉田。


 少し驚く。


「あり得る?」


「判断は、後から検証されることがあります」


「……」


「でも、それは職員を罰するためだけではありません」


 佐伯は資料の余白へ指を置いた。


「本人だけでなく、支援する側も、止められる仕組みにするためです」


「……」


「誰も止められない善意は、危険です」


 会議室が少し静かになった。


⸻


 前原が腕を組む。


「だからって」


 全員が見る。


「毎回ビビって」


「何もしなくなったら」


「意味ねぇぞ」


「はい」


 佐伯。


「そこも課題です」


「飯食わせるのに」


「会議はいらねぇ」


「緊急時の安全確保にも」


「毎回事前承認は求めません」


「ならいい」


 桜井が前原を見る。


「あなたは極端なんですよ」


「うるせぇ」


「でも」


 川本が笑う。


「正義の言ってることも大事だよ」


 前原。


「正義って呼ぶな」


「名前だろ」


⸻


 高瀬が資料を見ていた。


「再相談窓口」


「はい」


 佐伯。


「これ」


「退所した人も?」


「もちろんです」


「途中で支援を断った人も?」


「はい」


「職員と喧嘩して出た人も?」


「原則、相談自体を拒む理由にはしません」


「……」


 高瀬。


「それ」


「入口に」


「書いてもいいですか」


 倉田が顔を上げる。


「入口?」


「はい」


「ホームページだけじゃなくて」


「施設の」


「見えるところ」


 高瀬は少し考えながら言う。


「辞めても」


「また相談できるって」


「最初から」


「見えるように」


 佐伯。


「いいと思います」


⸻


「ただ」


 桜井。


「文言は気をつけてください」


「文言?」


「『いつでも戻ってきてください』だけでは、施設への復帰を促す意味にも読めます」


「……」


「再相談は、同じ施設へ戻ることだけではありません」


 敦。


 昨日の。


 須賀。


 思い出す。


「別の場所を」


「探す相談でもいい?」


「はい」


 桜井。


「むしろ重要です」


「……」


 高瀬。


 メモ。


戻る=同じ場所に戻す、ではない。


⸻


 倉田が、その文字を見る。


「以前の私なら」


 小さく言った。


「戻ってきた人を」


『今度こそ続けよう』


「と励ましたと思います」


「……」


「今は?」


 川本。


 倉田。


 少し。


 考える。


「まず」


「何で戻ってきたか」


「聞く」


「……」


「いや」


 止まる。


「違うな」


 前原。


「飯だろ」


「……」


 高瀬。


 思わず。


 笑う。


 倉田も少し笑った。


「そうですね」


「まず食事かもしれない」


「やっと分かってきたじゃねぇか」


「あなたに言われると腹が立ちますね」


「何だと」


 川本。


「はいはい」


⸻


 敦は、そのやり取りを見ていた。


 少し前まで。


 倉田は。


 敵に見えていた。


 高瀬も。


 施設も。


 でも。


 今は。


 何と呼べばいいのか分からない。


 間違えた人。


 助けた人。


 傷つけた人。


 助けられた人。


 変えようとしている人。


 全部。


 同じ人の中にあることもある。


⸻


 桜井が次の資料を出した。


「長谷川拓海さんの証言について」


 高瀬の表情が少し硬くなる。


「二年ほど前、森川さんと二人の子どもを駅で見た。施設職員と思われる人物へ伝えた。その後、最近になって施設側から連絡があり、『余計なことは言わなくていい』という趣旨の発言をされた」


 倉田。


「はい」


「現段階で」


 桜井。


「これを組織的な証言妨害と認定する材料はありません」


 敦。


 少し息を吐く。


「ただし」


「外部調査や相談について、元利用者・職員・関係者の発言を抑制するような連絡は行わない。必要な連絡をする場合も、事実確認と個人情報保護の範囲に限定する」


「分かりました」


 倉田。


「担当者については?」


「内部でも確認します」


「お願いします」


⸻


「拓海は」


 高瀬。


「施設に」


「助けられたって」


「言ってました」


「はい」


 桜井。


「それも記録されています」


「……」


「消えませんか」


「何が」


「今回のことで」


「……」


「施設に」


「助けられた人の話」


 桜井。


 少し。


 高瀬を見る。


「消す理由がありますか」


「……」


「ありません」


「では消しません」


 高瀬。


 黙る。


「逆も同じです」


 桜井。


「施設に助けられた人が百人いても、ユウさんへの対応が適切だったことにはなりません」


「……はい」


「ユウさんへの対応が不適切だったからといって、長谷川さんが助かったという事実が嘘になるわけでもない」


「はい」


「別々に記録します」


⸻


 前原が椅子へ深く座る。


「それでいいんじゃねぇの」


 高瀬。


 前原を見る。


「……前原さん」


「何だ」


「俺」


「前」


「それが」


「できなかったです」


「知るか」


「……」


「今できんなら」


「今やれ」


「……はい」


⸻


 午後二時四十五分。


 会議。


 終わり。


 廊下。


 敦。


 佐伯へ。


「これで」


「終わりですか」


 佐伯。


「何が」


「施設のこと」


「終わりません」


「……」


「改善計画を出したら」


「終わりじゃない?」


「実施されるか確認します」


「……」


「定期的に」


「はい」


「記録が変わったか」


「相談経路が実際に使えるか」


「職員が理解しているか」


「……」


「時間がかかります」


 敦。


「そうですよね」


「派手じゃないですけど」


「行政って」


「だいたいそうです」


 佐伯。


 少し。


 苦笑。


⸻


 廊下の向こう。


 高瀬。


 倉田。


 二人。


 歩く。


「高瀬君」


「はい」


「美月さんとは」


「……」


 高瀬。


 止まる。


「会いました」


「そうか」


「謝りました」


「……」


「許してもらった?」


「分かりません」


 倉田。


 高瀬を見る。


「聞かなかった?」


「はい」


「……」


「そうか」


 少し。


 間。


「ユウ君は」


「会いません」


「そうか」


「……」


「それで」


「いいと思ってます」


 倉田。


「……うん」


 それ以上。


 何も。


 言わなかった。


⸻


 午後三時半。


 倉庫。


 隼人。


 検品。


「A-381」


「十二」


「はい」


「次」


「A-318」


「……」


 隼人。


 止まる。


「似てる」


 中西。


「だろ」


「これ」


「昨日なら」


「間違えてた」


「今日も間違えるかもよ」


「縁起悪い」


「間違えたら直せ」


「……」


「はい」


 隼人。


 笑う。


⸻


 午後五時十分。


 二日目。


 終了。


「坂口君」


 田辺。


「お疲れ」


「お疲れ様でした」


「明日」


「検品続き」


「はい」


「足」


「大丈夫?」


「痛いです」


「靴擦れ?」


「少し」


「絆創膏貼っときな」


「はい」


 隼人。


 外。


 出る。


 昨日より。


 ほんの少し。


 建物が。


 小さく見えた。


⸻


 午後六時。


 事務所。


「ただいま」


「おかえり」


 今日は。


 須賀が。


 先にいた。


「……」


 隼人。


「誰」


 須賀。


「須賀です」


「隼人」


「……」


「何でいるの」


 須賀。


「飯」


「……」


 隼人。


 前原を見る。


「馴染んでない?」


「昨日からだ」


「早くない?」


 須賀。


「俺も」


「そう思います」


⸻


 敦たち。


 会議から。


 帰る。


「ただいま」


「おかえり」


 今度は。


 須賀。


 自然に。


 言った。


 敦。


 少し。


 止まる。


「……ただいま」


「何ですか」


「いや」


「何でもないです」


⸻


 夕食。


 今日。


 豚汁。


 焼き魚。


 ご飯。


「で」


 前原。


 須賀。


「住むとこ」


「明日」


「一件」


「見せてもらえるって」


「そうか」


「短期ですけど」


「そうか」


「仕事」


「その後」


「そうか」


「……」


 須賀。


「前原さん」


「何だ」


「もう少し」


「興味持ってください」


「持ってるから」


「聞いてんだろ」


「全部」


『そうか』


「じゃないですか」


「じゃあ何て言えばいい」


「……」


 須賀。


「分かんない」


「だろ」


⸻


 翔太。


 仕事。


 今日は。


 休み。


「隼人」


「何」


「二日目」


「逃げた?」


「逃げてない」


「明日?」


「行く」


「すげえ」


「お前」


「それしか言わないの?」


「じゃあ」


「偉い」


「やめろ」


「何で」


「気持ち悪い」


「ひど」


⸻


 和子。


 隼人の。


 足。


 見る。


「靴擦れ」


「うん」


「絆創膏」


「あります」


「貼った?」


「まだ」


「何で」


「後で」


「今貼りなさい」


「……」


「はい」


 隼人。


 座る。


 和子。


 救急箱。


 渡す。


 自分で。


 貼る。


 和子は。


 貼ってやらない。


⸻


 ますみ。


 食卓。


 端。


 昨日の。


 スケッチ。


 見せる。


「これ」


 隼人。


「何」


「笑花」


「人」


「助けた」


「……」


 隼人。


 見る。


 ベンチ。


 パン。


 二人。


「助けてる?」


「え」


「パン」


「置いただけじゃん」


「それでいいの!」


「じゃあ」


「いいんじゃない」


「感想薄!」


「疲れてんだよ」


⸻


 須賀。


 横から。


 絵。


 見る。


「この子」


「文化展の?」


「うん」


「……」


「何」


 ますみ。


「いや」


「俺」


「あの展示見て」


「ここ来たから」


「うん」


「この子が」


「誰かに」


「パン渡してるの」


「変な感じ」


「何で」


「最初」


「ずっと」


「助けてもらってたから」


「……」


「でも」


 須賀。


 少し。


 笑う。


「こうなるんですね」


「何が」


「知らない」


「……」


「ただ」


「いいと思います」


 ますみ。


「それ」


「今日一番嬉しい」


「隼人より?」


「隼人は感想薄い」


「疲れてんだって!」


⸻


 夜。


 食事。


 終わる。


 敦。


 皿。


 洗う。


 前原。


 横。


 布巾。


 なぜか。


 手伝う。


「ヨシさん」


「何だ」


「今日の会議」


「どう思いました」


「長ぇ」


「そこじゃなくて」


「……」


 前原。


 皿。


 拭く。


「残るなら」


「変わり続けりゃいいんじゃねぇか」


「施設?」


「ああ」


「……」


「一回」


「ルール作って」


『改善しました』


「で終わったら」


「また同じだ」


「……」


「人」


「変わるからな」


「利用する奴も」


「働く奴も」


「……」


「じゃあ」


「完成しない?」


「場所なんか」


「完成するのか?」


 敦。


 手。


 止まる。


⸻


 前原。


 事務所。


 見る。


 ますみ。


 絵。


 須賀。


 それ。


 見ている。


 隼人。


 足。


 絆創膏。


 翔太。


 冷蔵庫。


 開ける。


 グエン。


「プリン!」


 声。


「俺じゃないです!」


「ショウタ!」


「違う!」


 騒ぐ。


「……」


 前原。


「ここだって」


「最初から」


「こうじゃなかっただろ」


 敦。


「……」


「はい」


「お前」


「最初」


「もっと」


「暗かったし」


「それは言わなくていいです」


「ますみ」


「人の話」


「聞かなかったし」


「聞いてる!」


「翔太」


「何も言わなかったし」


「……」


「グエン」


「プリン盗むし」


「イマモ!」


「変わってねぇじゃねぇか!」


⸻


 笑い。


 起きる。


 敦。


 少し。


 笑う。


「完成しない方が」


「いいのかもしれないですね」


「知らん」


「……」


「またそれ」


「分からねぇもんは」


「分からねぇ」


「はい」


⸻


 その頃。


 施設。


 玄関。


 高瀬。


 一枚の。


 仮の紙。


 貼る。


 正式な掲示は。


 まだ。


 後日。


 でも。


 今日。


 試しに。


 書いた。


ここを離れたあとでも、相談できます。


同じ場所へ戻ることだけが、相談ではありません。


「戻りたくない」「別の方法を探したい」と言っても構いません。


 高瀬。


 少し。


 離れて。


 見る。


「……」


 倉田。


 後ろ。


「長いね」


「……」


「はい」


「もっと」


「短くする?」


「でも」


「削ると」


「意味」


「変わりそうで」


「そうだね」


 二人。


 紙。


 見る。


⸻


 倉田。


「高瀬君」


「はい」


「最後に」


「一つ」


「足したい」


「何を」


 倉田。


 ペン。


 取る。


 一番。


 下。


分からない時も、相談してください。


「……」


 高瀬。


 見る。


「それ」


「いいですね」


「うん」


「前なら」


「書かなかったですか」


「前なら」


 倉田。


 少し。


 笑う。


「相談する前に」


『自分で考えましょう』


「と書いたかもしれない」


「……」


「今は?」


「分からないから」


「一緒に考えるんだろう」


 高瀬。


 静かに。


 頷く。


⸻


 紙。


 一枚。


 それで。


 過去が。


 変わるわけではない。


 ユウが。


 受けたことも。


 森川が。


 背負ったことも。


 なくならない。


 拓海が。


 助けられたことも。


 なくならない。


 高瀬が。


 救われたことも。


 なくならない。


 倉田の。


 判断も。


 消えない。


 だから。


 紙を。


 貼っただけで。


 終わりには。


 できない。


 明日。


 誰かが。


「戻りたくない」


 と言った時。


 本当に。


 聞けるか。


 誰かが。


「辞めたい」


 と言った時。


 裏切りだと。


 思わずに。


 いられるか。


 誰かが。


「分からない」


 と言った時。


「考えが足りない」


 ではなく。


「じゃあ、一緒に考えよう」


 と言えるか。


 それを。


 何度も。


 確かめる。


 場所は。


 一度。


 正しくなって。


 完成するものではない。


 人が。


 出入りするたび。


 少しずつ。


 変わる。


 変えられる。


 そして。


 間違えたら。


 また。


 直す。


 倉庫の。


 ラベルのように。


 簡単では。


 ないけれど。


 少なくとも。


「一度間違えたから全部駄目」


 でも。


「一度助けたから全部正しい」


 でも。


 なかった。


⸻


後書き


第83話でした。


今回は、長く続いた「あさがお」側の問題を、かなり着地点へ近づけています。


結論は施設を潰すことでも、逆に「良いところもあったから問題なし」にすることでもありません。


食事、宿泊、債務相談、同行支援など、実際に人を助けたものは残す。一方で、本人の拒否や退所を「未熟」「反省不足」と解釈してしまう仕組みは変える。そして重要なのは、改善計画を作っただけで終わらず、その後も外から確認できる状態にすることです。


隼人の二日目も同じです。昨日三回間違えたから駄目なのではなく、今日また行って、間違えたら直す。


須賀も同じ場所へ戻らない選択をしたから成功、というわけではありません。別の住居を探しながら、事務所には飯を食いに戻ってくる。もうすでに「帰る」は一種類ではなくなっています。


そして最後に高瀬と倉田が掲示へ加えた、


「分からない時も、相談してください。」


これは、この章を通して積み上げてきた「分からない」を、そのまま支援の入口にする言葉です。


ここで組織編は主軸から少しずつ退きます。次からは、事務所の日常へ戻りながら、前原自身の過去――これまで彼が「助ける側」になる以前に、誰から何を受け取り、何を間違えてきたのか――が少しずつ現在へ追いついてきます。

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