ここじゃない場所
第80話 ここじゃない場所
前書き
作品の前で、
知らない人同士が話し始める。
作者の説明を聞くのではなく、
それぞれが自分の経験から、
違うことを言う。
そうなった時、
作品はもう作者だけのものではない。
そして時々。
作品の話だったはずの言葉が、
現実の誰かへ向くことがある。
「こういう場所って、本当にあるんですか」
敦は、その問いに答えられるだろうか。
文化展、二日目。
第80話です。
⸻
午前八時四十分。
旧公民館二階。
昨日と同じ壁に、笑花はいた。
道端に座り込んだ少女。
優しく手を差し出す人。
そこを離れる少女。
隣を歩く人。
何本もの線が引かれた町の地図。
そして最後。
丘の上から、いくつもの灯りを見下ろす笑花。
展示そのものは昨日と何も変わっていない。
変わったのは、作った側だった。
「……」
ますみが腕を組んで、廊下の入口を見ている。
「今日も数えるの?」
藍が聞いた。
「何を」
「素通りする人」
「数えない」
「昨日、五人まで数えてた」
「今日は数えない」
一人目。
通過。
「一」
「数えてるじゃん」
「今のは確認」
「何の」
「分かんない」
カナコがイヤホンを消毒しながら笑った。
「昨日より元気だね」
「昨日は、みんな私の絵を見に来ると思ってた」
「今日は?」
「別に見なくてもいい」
ますみはそう言った直後、通り過ぎた男性の背中をちらりと見る。
「……ちょっとは見てほしいけど」
「どっち」
「両方」
⸻
午前九時十五分。
最初に長く立ち止まったのは、四十代くらいの男性だった。
最初の絵から順番に見ていく。
説明文を読む。
地図。
最後。
そこから、また最初へ戻る。
「これ」
男性が呟いた。
ますみが近づく。
「はい」
「この最初の人」
笑花へ手を差し出している人物。
「結局、悪い人なの?」
「悪い人じゃないです」
「じゃあ何で離れるの」
「笑花には」
ますみは少し考えた。
「ここじゃなかったから」
「でも助けてもらったんでしょ?」
「はい」
「じゃあ」
男性は首を傾げた。
「恩知らずじゃない?」
「……」
昨日とは違う角度から来た。
ますみはすぐには答えなかった。
「助けてもらったら」
男性は続ける。
「多少合わなくても、我慢することって必要じゃない? 何でも『ここじゃない』で出ていったら、どこにもいられないよ」
「……そうかもしれません」
ますみが答える。
「え?」
「そうなることも、あると思います」
「じゃあ」
「でも」
ますみは、笑花が離れる絵を見る。
「助けてもらったことと、ずっとそこにいなきゃいけないことは、同じじゃないと思って描きました」
男性は黙った。
「助かったことは」
ますみは続ける。
「なくならない。でも、出ていってもいい」
「……」
「多分」
「また多分?」
「はい」
男性は少し笑った。
「作者がそれでいいの?」
「最近、それでいいことになりました」
⸻
その会話を聞いていたらしい六十代くらいの女性が、横から口を挟んだ。
「でもねえ」
「はい?」
「私だったら、その助けた人の方が可哀想だと思うわ」
ますみ。
男性。
両方。
女性を見る。
「一生懸命やったのに、『ここじゃない』って言われるんでしょう?」
「……」
「傷つくわよ」
藍が少し離れたところから聞いている。
「そうですね」
ますみ。
「傷つくと思います」
「じゃあ」
「でも」
ますみは、また考えた。
「傷つかせないために残るのも、違う気がする」
「……」
女性。
「難しいわね」
「はい」
「答えないの?」
「ないです」
「作者なのに」
ますみ。
「昨日から、それすごく言われます」
男性が吹き出した。
女性も笑った。
⸻
それで終わると思った。
ところが。
「いや」
男性。
「でも俺は」
「はい」
「残るのも選択だと思うよ」
「はい」
「我慢して」
「はい」
「後から良かったってなることもある」
「あると思います」
「じゃあ」
今度は隣の女性。
「でも、それを最初から周りが決めちゃダメなんじゃない?」
「いや、子どもなら決めるだろ」
「全部?」
「全部とは言ってないよ」
「じゃあ、どこまで?」
「それが難しいんだよ」
ますみ。
「……」
藍。
「……」
カナコ。
「……」
航平。
「……」
作者たち。
誰も。
入れない。
知らない二人が。
笑花の前で。
話し始めた。
⸻
「だから」
男性。
「親が学校行けって言うのも、本人が嫌ならダメなの?」
「それとこれとは違うでしょう」
「何が違うんだよ」
「学校は――」
ますみが藍を見る。
藍もますみを見る。
「……」
レンが小声。
「どうする」
「何を」
「止める?」
「喧嘩じゃない」
奈々恵。
「まだ」
「まだって何」
「声大きくなったら」
「スタッフ呼ぼう」
「作者が止めないの?」
「作品について話してるだけだし」
「……」
ますみ。
自分の展示を見る。
昨日。
作品が自分の手から離れた。
今日は。
その作品を使って。
知らない人同士が。
話している。
不思議だった。
少し。
怖い。
でも。
「……」
ますみ。
小さく。
「面白い」
「何が」
藍。
「私」
「いらない」
「え?」
「今」
「あの二人」
「私に聞いてない」
「……」
「笑花見て」
「二人で話してる」
藍も二人を見る。
「うん」
「それ」
「ちょっと嬉しい」
⸻
午前十時。
その輪。
三人になる。
大学生くらいの女性。
「すみません」
「聞いてたんですけど」
「どうぞ」
六十代女性。
「あなたはどう思う?」
「私」
「学校」
「一回辞めてるんです」
「……」
空気が少し変わる。
「高校」
「通信に変えました」
「だから」
大学生。
笑花。
見る。
「この子が出ていくの」
「すごく分かる」
男性。
「でも今は大学?」
「はい」
「じゃあ、結局勉強は続けたんだ」
「続けました」
「なら」
「でも」
女性。
少し笑う。
「前の学校に残ってたら、多分無理でした」
「……」
「辞めたから続けられたんです」
男性。
何も言わない。
「逃げたって」
大学生。
「言われましたけど」
「……」
「逃げた先で」
「別のこと始めるのも」
「ありだと思います」
⸻
ますみ。
その言葉。
聞く。
敦も。
少し離れた場所で。
聞いていた。
敦自身。
逃げた。
いや。
正確には。
逃げることさえ。
うまくできなかった。
裏の仕事。
拉致。
川本。
前原。
あの頃。
「逃げるな」
と言われていたら。
自分は。
ここに。
いただろうか。
「岡野さん」
ますみ。
「何」
「今」
「何考えてた?」
「……」
「昔」
「ちょっと」
「逃げたこと」
「逃げた?」
「はい」
「良かった?」
敦。
考える。
「……良かったです」
「即答」
「そこは」
「分かります」
⸻
午前十時四十分。
翔太。
今日は午後から仕事。
午前中だけ。
文化展。
見に来た。
「お」
敦。
「来た」
「来ました」
「どう?」
「何が」
「二日目」
「いや」
「翔太が見るの」
「……」
翔太。
展示。
最初から。
見る。
実は。
制作途中。
何度も。
見ている。
でも。
完成展示。
知らない人の中。
見るのは。
初めて。
「……」
笑花。
座る。
出る。
戻る。
また。
歩く。
最後。
「どう?」
ますみ。
「……」
「面倒くさい」
「また言われた」
「でも」
翔太。
「前より」
「いい」
「何で」
「帰ってるから」
「……」
「前」
「出ていくばっかだったじゃないですか」
「うん」
「今」
「戻ってる」
「うん」
「……」
「俺」
「戻るの」
「苦手なんで」
「……」
「何に」
「学校とか」
「家とか」
「……」
「でも」
翔太。
最後の町。
「同じ場所じゃなくても」
「戻るって言っていいなら」
「ちょっと」
「楽かも」
ますみ。
「ここ?」
「事務所?」
「はい」
「帰るって言ってるじゃん」
「最近は」
「……」
「前は?」
「泊めてもらってるだけ」
「って」
「思ってました」
⸻
そこへ。
「翔太」
前原。
階段。
上がってくる。
「仕事」
「遅れんなよ」
「分かってます!」
「何しに来たんですか」
「荷物」
「和子に持ってけって」
紙袋。
中。
おにぎり。
「……」
ますみ。
「また飯」
「飯食わねぇと」
「倒れるだろ」
「ヨシさん」
「何だ」
「笑花の最後」
「どこ行くと思う」
「飯」
「昨日と同じ!」
「何回聞くんだ!」
⸻
午前十一時半。
人。
少し。
引く。
敦。
廊下。
折り畳み椅子。
追加。
運ぶ。
「すみません」
後ろ。
声。
「はい」
敦。
振り向く。
二十歳前後。
男性。
黒い。
薄手のパーカー。
リュック。
髪。
少し長い。
展示。
指。
「これ」
「はい」
「作った人ですか」
「俺は」
「違います」
「手伝ってるだけで」
「……」
男性。
「そうですか」
「作者」
「呼びます?」
「いや」
「……」
男性。
少し。
言いにくそう。
「聞きたいの」
「作品のことじゃないんで」
「……」
敦。
椅子。
持ったまま。
「何ですか」
「……」
男性。
笑花。
見る。
「こういう場所って」
「本当に」
「あるんですか」
⸻
敦。
すぐには。
分からない。
「こういう場所?」
「……」
「帰ってもいい場所」
「……」
「一回」
「いなくなっても」
「また」
「行っていいところ」
敦。
椅子。
ゆっくり。
床。
置く。
「……」
男性。
「変なこと」
「聞いてますよね」
「いや」
「……」
「ちょっと」
「考えてます」
「答え」
「ないですか」
「あります」
「……」
「でも」
敦。
事務所。
ひだまり。
前原。
川本。
和子。
翔太。
隼人。
グエン。
思い出す。
「あるって」
「言っていいのかなって」
「……」
「何で」
「場所によるから」
⸻
男性。
黙る。
「俺が」
敦。
「知ってるところには」
「あります」
「……」
「一回」
「来なくなって」
「また来ても」
「何で来たって」
「言わないところ」
「……」
「飯」
「出すところ」
「飯?」
「はい」
「だいたい」
「飯です」
男性。
少し。
笑う。
「何ですかそれ」
「俺も」
「よく分かんないです」
⸻
「でも」
敦。
「そこに」
「ずっといなきゃいけない」
「わけじゃない」
「……」
「出てもいい」
「戻ってもいい」
「別のところ」
「見つけてもいい」
「……」
「多分」
男性。
「多分?」
「そこ」
「大事なので」
「俺が」
「絶対って」
「言わない方がいい」
「……」
敦。
男性を見る。
「何か」
「探してるんですか」
男性。
目。
逸らす。
「……」
「別に」
「そうですか」
「……」
「聞かないんですか」
「何を」
「何があったとか」
「……」
敦。
少し。
考える。
「話したいです?」
「……」
「分かんない」
「じゃあ」
「今は」
「いいんじゃないですか」
⸻
男性。
黙る。
廊下。
人。
通る。
笑花。
展示。
子ども。
地図。
見る。
「……」
「俺」
男性。
小さく。
「一回」
「寮」
「出たんです」
敦。
「はい」
「仕事も」
「辞めて」
「……」
「それで」
「知り合いのところ」
「いたけど」
「もう」
「いられなくて」
「……」
「今」
「ネットカフェ」
「……」
敦。
胸。
少し。
固くなる。
以前の。
自分。
重なる。
でも。
同じ。
ではない。
「今日」
「ここ」
「何となく」
「入って」
「……」
「これ」
「見て」
笑花。
「戻っていい場所」
「あるって」
「書いてるように」
「見えたから」
⸻
敦。
何を。
言う。
以前なら。
前原を。
呼んだ。
川本を。
呼んだ。
あるいは。
「大丈夫」
「何とかなる」
と。
言ったかもしれない。
でも。
今。
「今日」
敦。
「寝るところ」
「あります?」
男性。
「……」
「今日?」
「はい」
「ネットカフェ」
「払える?」
「……」
「今日までは」
「多分」
「明日は?」
「……」
「分かんない」
敦。
頷く。
「飯」
「食べました?」
「朝」
「パン」
「……」
「じゃあ」
「まず」
「何か」
「食べません?」
男性。
「ここで?」
「ここ」
「食堂じゃないので」
「……」
「おにぎりなら」
敦。
紙袋。
見る。
前原が。
持ってきた。
和子の。
おにぎり。
「あります」
「それ」
「展示の人のじゃ」
「……」
敦。
止まる。
「確かに」
⸻
「岡野」
後ろ。
前原。
「何やってんだ」
「ヨシさん」
「椅子運ぶんじゃ」
「……」
前原。
男性。
見る。
「誰だ」
男性。
少し。
身構える。
敦。
その変化。
気づく。
「展示」
「見に来た人です」
「そうか」
前原。
それだけ。
敦を見る。
「で」
「何で」
「椅子一個も」
「運んでねぇ」
「すみません」
「……」
敦。
少し。
考える。
「ヨシさん」
「何だ」
「この人」
「今日」
「寝るところ」
「明日から」
「分からないそうです」
男性。
敦を見る。
勝手に。
言われた。
そんな。
顔。
「……」
敦。
すぐ。
気づく。
「すみません」
「今」
「言ってよかったです?」
「……」
男性。
一瞬。
戸惑う。
「もう」
「言ってるじゃないですか」
「はい……」
「でも」
男性。
前原を見る。
「いいです」
「話して」
敦。
「分かりました」
⸻
前原。
男性へ。
「名前」
「……」
「須賀」
「下は」
「直樹」
「何歳」
「二十」
「今日」
「寝床ある?」
「今日までは」
「明日は」
「分かんないです」
「仕事」
「辞めました」
「金」
「少し」
「身分証」
「あります」
「携帯」
「あります」
「借金」
須賀。
少し。
顔。
曇る。
「……」
前原。
止まる。
「言いたくねぇなら」
「今はいい」
「……」
「はい」
「飯」
「食うか」
須賀。
「……」
敦。
思わず。
笑う。
「何だ」
「いや」
「やっぱり」
「飯だなって」
「うるせぇ」
⸻
須賀。
「でも」
「俺」
「助けてくださいって」
「言ってないです」
「そうか」
前原。
「じゃあ」
「助けねぇ」
「……」
須賀。
困る。
「でも」
「飯は」
「食っていい」
「……」
「何で」
「余ってる」
「余ってないです!」
敦。
「和子さん」
「人数分!」
「じゃあ」
「俺のやる」
「ヨシさん」
「食べないんですか」
「後で食う」
「……」
須賀。
前原を見る。
「何なんですか」
「何が」
「……」
「分かんない」
「俺も」
「知らねぇ」
⸻
結局。
須賀は。
おにぎり。
一個。
食べた。
鮭。
「……」
敦。
隣。
座る。
「うまい?」
前原。
「はい」
「ならいい」
それ以上。
聞かない。
須賀も。
すぐには。
話さない。
文化展。
廊下。
人。
歩く。
笑花。
見られている。
その横で。
一人。
おにぎり。
食べる。
⸻
十分後。
須賀。
「……」
「俺」
「前の寮」
「戻れるかもしれないんです」
敦。
「はい」
「連絡したら」
「戻ってこいって」
「言われてる」
「……」
「でも」
「戻りたくない」
前原。
「じゃあ」
「戻らなきゃいい」
「でも」
「他」
「ない」
「……」
「じゃあ」
前原。
「戻るか」
「別探すか」
「今日決めるか」
「明日考えるか」
「その辺だろ」
「……」
「どれが正解ですか」
「知らん」
「……」
「何なんですか」
「今日」
「そればっか」
敦。
笑う。
「この人」
「だいたい」
「こうです」
「お前も最近そうだろ」
「はい」
⸻
「でも」
須賀。
「明日」
「寝るところ」
「なくなったら」
「明日考えるじゃ」
「遅いですよね」
敦。
「……」
前原。
少し。
須賀を見る。
「そこは」
「そうだな」
須賀。
顔。
上げる。
「じゃあ」
「今日」
「全部決める必要はねぇけど」
「今日やることはある」
「……」
「何」
「佐伯に」
「連絡」
「……」
「役所?」
「役所だけじゃねぇ」
「使える制度」
「今日空いてるところ」
「一時的に寝られる場所」
「前の寮が」
「どういうとこか」
「その辺」
「確認する」
「……」
「嫌なら」
「しねぇ」
「……」
須賀。
「俺が」
「決めていいんですか」
前原。
「誰の話だ」
「……」
「俺です」
「じゃあ」
「お前が決めろ」
⸻
敦。
そこで。
少し。
口を開く。
「でも」
前原。
「何だ」
「もし」
「須賀さんが」
「今日」
『何もしたくない』
「って言ったら」
「……」
前原。
「今日の寝床」
「なくなる可能性」
「説明する」
「……」
「それでも」
「何もしないって」
「言ったら?」
「二十歳だろ」
「うん」
「止められることと」
「止められねぇことがある」
「……」
「でも」
前原。
須賀を見る。
「放っとくのとは」
「違う」
「……」
「明日」
「また来いって」
「言う」
敦。
少し。
頷く。
「なるほど」
「何だよ」
「いや」
「……」
「選ばせるって」
「放っておくことじゃ」
「ないんだなって」
前原。
「今さらか」
「今さらです」
⸻
須賀。
小さく。
「……連絡」
「してみたいです」
「佐伯に?」
「はい」
「分かった」
前原。
携帯。
出す。
「ただ」
須賀。
「はい」
「俺」
「横に」
「いてもらっていいですか」
敦。
自分。
指。
「俺?」
「……」
「前原さん」
「怖いんで」
「おい」
敦。
吹き出す。
「分かりました」
「います」
「何もしないですけど」
「それで」
「いいです」
⸻
少し前。
翔太が。
コンビニへ。
電話した時。
敦は。
隣に。
座っていた。
何も。
しなかった。
でも。
翔太は。
「いた方が楽でした」
と言った。
今日。
別の誰かが。
同じことを。
言う。
敦は。
ようやく。
少しだけ。
分かってきた。
何かを。
してあげることだけが。
助けることではない。
ただ。
何もしないことが。
いつでも。
正しいわけでもない。
必要なら。
聞く。
必要なら。
つなぐ。
本人が。
話すなら。
横にいる。
本人が。
決められるところまで。
取らない。
でも。
一人で。
全部。
背負わせない。
⸻
午後一時。
佐伯へ。
電話。
須賀自身が。
話す。
「……はい」
「二十歳です」
「今」
「仕事」
「辞めて」
「……」
「今日までは」
「ネットカフェ」
「はい」
「身分証」
「あります」
「……」
「前の寮」
「戻れるかもしれないけど」
「そこは」
「……」
止まる。
敦。
横。
何も。
言わない。
「戻りたくないです」
須賀。
自分で。
言った。
「……」
「理由」
「今」
「言わないと」
「ダメですか」
佐伯の声。
敦には。
聞こえない。
「……」
「はい」
「分かりました」
須賀。
少し。
肩。
下がる。
「今日」
「相談できるところ」
「……」
「はい」
「行きます」
「……」
「場所」
「送ってください」
「はい」
「ありがとうございます」
切る。
⸻
「どうだった」
敦。
「今日」
「相談」
「できるって」
「よかった」
「でも」
「泊まれるか」
「まだ」
「分からない」
「そうですか」
「……」
須賀。
敦を見る。
「言わないんですか」
「何を」
『大丈夫』
「とか」
敦。
少し。
笑う。
「分からないので」
「……」
「でも」
「相談には」
「行ける」
「はい」
「じゃあ」
「そこまで」
「行きます?」
「一緒に?」
「必要なら」
須賀。
少し。
考える。
「……入口まで」
「分かりました」
⸻
前原。
少し。
離れて。
聞いている。
何も。
言わない。
敦。
荷物。
取る。
「ヨシさん」
「何だ」
「行ってきます」
「どこまで」
「相談先の」
「入口」
「中は?」
「須賀さんが」
「一人で行くって」
「そうか」
「はい」
「……」
「何です?」
「別に」
「何か」
「言いたそう」
「早く行け」
「はい」
⸻
須賀。
敦。
階段。
降りる。
途中。
須賀。
振り返る。
二階。
笑花。
見えない。
「……」
「どうしました」
「いや」
「……」
「あの作品」
「はい」
「最後」
「どこ行くんですか」
敦。
少し。
笑う。
「作者も」
「分からないそうです」
「何それ」
「俺も」
「最初」
「そう思いました」
「……」
「でも」
敦。
階段。
下りながら。
「分からないから」
「次」
「考えられるんじゃないですかね」
須賀。
「……」
「それ」
「作品の話?」
「分かりません」
「便利ですね」
「最近」
「流行ってます」
⸻
午後二時。
ますみ。
敦が。
いないことに。
気づく。
「岡野さんは?」
前原。
「人送ってる」
「誰」
「さっきの若いの」
「……」
「作品見てた人?」
「ああ」
「何かあった?」
「本人の話だ」
「……」
ますみ。
それ以上。
聞かない。
「そっか」
そして。
自分の。
展示。
見る。
笑花。
帰れる場所を。
探す子。
その前で。
現実の誰かが。
「本当にあるのか」
と。
聞いた。
ますみは。
その瞬間を。
見ていない。
でも。
少し。
怖くなる。
「藍」
「何」
「私」
「嘘」
「描いてないかな」
「……」
藍。
「何で」
「帰っていい場所」
「いっぱいあるみたいに」
「描いた」
「うん」
「でも」
「本当は」
「ない人も」
「いる」
「……」
「いるね」
「じゃあ」
「これ」
「嘘?」
⸻
藍。
すぐには。
答えない。
「笑花」
「最初から」
「場所あった?」
「……」
「ない」
「最後」
「全部」
「見つかった?」
「……」
「分かんない」
「じゃあ」
藍。
「あるって」
「約束してない」
「……」
「探しても」
「見つからないこと」
「あるかもしれない」
「うん」
「でも」
「探す途中で」
「誰かと会うことも」
「ある」
「……」
「それを」
「描いたんじゃない?」
ますみ。
しばらく。
展示。
見る。
「……うん」
「多分」
「また多分」
「うん」
⸻
午後三時二十分。
敦。
戻る。
「ただいま」
前原。
「どうだった」
「入口まで」
「行きました」
「それから」
「入っていきました」
「一人で?」
「はい」
「そうか」
「……」
敦。
少し。
立つ。
「ヨシさん」
「何」
「俺」
「何も」
「してないです」
「何が」
「須賀さんに」
「……」
「電話」
「本人」
「相談」
「本人」
「中に入ったのも」
「本人」
「……」
「俺」
「隣いただけ」
「だから?」
敦。
少し。
笑う。
「前なら」
「それで」
「役に立ってないって」
「思ってました」
「今は」
「……」
「それでも」
「いい時」
「あるんだなって」
前原。
「あるだろ」
「はい」
「でも」
「何もしねぇ方が」
「いいって」
「勘違いすんなよ」
「……」
「はい」
「困ってんのに」
『本人が決めることだから』
「で放っとくのも」
「違ぇからな」
「……」
「はい」
敦。
少し。
真面目に。
頷く。
⸻
午後四時。
文化展。
ある親子。
笑花。
見る。
母。
「この子」
「最後」
「幸せになったのかな」
娘。
中学生くらい。
「知らない」
「作者に聞いてみる?」
「いい」
「何で」
「自分で」
「考えたい」
ますみ。
少し。
離れた場所。
聞こえた。
何も。
言わない。
娘。
最後の絵。
見る。
「でも」
「多分」
「このあと」
「靴紐」
「結ぶ」
母。
「そこ?」
「ほどけてるから」
「……」
ますみ。
思わず。
笑う。
⸻
夕方。
文化展。
二日目。
終了。
片付けは。
まだ。
明日。
最終日。
ますみ。
展示。
見る。
「ねえ」
藍。
「何」
「昨日」
「笑花が」
「知らない人のものに」
「なったって」
「言ったじゃん」
「うん」
「今日」
「ちょっと」
「違った」
「何が」
「笑花から」
「知らない人同士が」
「話してた」
「……」
「うん」
「私」
「いなくても」
「……」
「うん」
「それ」
「寂しい?」
ますみ。
考える。
「……」
「ちょっと」
「でも」
「嬉しい」
「両方?」
「両方」
⸻
その夜。
事務所。
夕食。
翔太。
仕事から。
戻る。
「ただいま」
「おかえり」
隼人。
「今日」
「レジ」
「どうだった」
「客に」
『袋いらない』
「って言われたのに」
「袋つけました」
「大事件?」
「俺には」
「怒られた?」
「いや」
「返金?」
「袋無料です」
「じゃあ」
「何も起きてないじゃん」
「俺の中で起きました!」
グエン。
「ココロノジケン!」
「何ですかそれ!」
⸻
敦。
遅れて。
食卓。
座る。
和子。
「今日」
「何かあった?」
「……」
「一人」
「相談先まで」
「一緒に行きました」
「そう」
「飯」
「食べさせた?」
敦。
前原を見る。
「やっぱりそこなんですね」
「何が」
「いや」
「食べました」
「ならいい」
⸻
食後。
敦。
外。
缶コーヒー。
前原。
隣。
「ヨシさん」
「何だ」
「今日」
「須賀さんに」
『こういう場所、本当にあるんですか』
「って」
「聞かれたんです」
「何て答えた」
「俺が知ってるところには」
「あるって」
「……」
「言い切れなかったです」
「何を」
「絶対」
「帰っていいって」
「……」
前原。
煙草。
出しかけ。
和子の。
「ここ禁煙」
思い出す。
戻す。
「そんなもん」
「言い切る必要ねぇだろ」
「……」
「明日」
「俺が死ぬかもしれねぇ」
「縁起悪い」
「事務所」
「なくなるかもしれねぇ」
「それも」
「誰か」
「出ていくかもしれねぇ」
「……」
「じゃあ」
敦。
「帰れる場所って」
「何なんですかね」
「知らん」
「……」
「でも」
前原。
少し。
事務所。
見る。
中。
笑い声。
皿。
片付け。
ますみ。
スケッチブック。
翔太。
仕事着。
隼人。
求人票。
グエン。
何か。
食っている。
「場所が」
「ずっと同じじゃなくても」
「覚えてる奴が」
「いりゃ」
「帰ってきたって」
「言えることも」
「あるんじゃねぇか」
敦。
「……」
「それ」
「ヨシさんが」
「言うんですか」
「悪いか」
「いや」
「ちょっと」
「まともだったので」
「ぶん殴るぞ」
「すみません!」
⸻
午後九時十三分。
敦の。
スマートフォン。
鳴る。
知らない番号。
「……」
「はい」
『岡野さんですか』
「はい」
『須賀です』
「……」
敦。
少し。
立ち上がる。
「どうでした」
『今日』
『泊まれるところ』
『一応』
『決まりました』
「……」
「そうですか」
『数日だけ』
『その後は』
『また相談です』
「はい」
『……』
「何です?」
『ありがとうございました』
敦。
「俺」
「何もしてないですよ」
『……』
「でも」
『入口まで』
『いてくれたんで』
「……」
敦。
少し。
笑う。
「そうですか」
『はい』
「じゃあ」
「今日は」
「寝てください」
『はい』
「飯」
『食べました』
「なら」
「いいです」
『……』
「何です?」
『前原さんみたい』
「え!?」
電話。
向こう。
少し。
笑う。
『じゃあ』
「はい」
「また」
敦。
一瞬。
止まる。
でも。
言う。
「また」
「来たかったら」
「来てください」
『……』
『はい』
切れる。
⸻
前原。
「何だって」
「今日」
「泊まれるところ」
「決まったって」
「そうか」
「数日だけ」
「その後」
「また相談」
「そうか」
「……」
「ヨシさん」
「何だ」
「俺」
「また来ていいって」
「言いました」
「そうか」
「……」
「いいですよね」
前原。
敦を見る。
「何で」
「俺に聞く」
「……」
敦。
少し。
笑う。
「そうですね」
⸻
敦は。
まだ。
知らなかった。
須賀が。
もう一度。
来るのか。
来ないのか。
相談先で。
何を。
選ぶのか。
前の寮へ。
戻るのか。
別の場所へ。
行くのか。
仕事を。
探すのか。
休むのか。
何も。
決まっていない。
でも。
今日。
一つだけ。
言えた。
「また来たかったら、来てください」
助ける。
でもない。
引き留める。
でもない。
ここに。
ずっといろ。
でもない。
ただ。
扉を。
閉めない。
それだけだった。
⸻
そして。
文化展の壁。
最後の笑花。
丘の上。
ほどけた靴紐。
いくつもの灯り。
そのどれが。
正しい場所なのか。
まだ。
分からない。
もしかしたら。
正しい場所なんて。
最初から。
ないのかもしれない。
ただ。
行ってみる。
違ったら。
出る。
戻る。
また。
違うところへ。
時々。
一人で。
時々。
誰かと。
そして。
どこかで。
「また来てもいい」
と言う人が。
一人。
いる。
それだけで。
町の地図に。
新しい。
小さな灯りが。
一つ。
増えることもある。
⸻
後書き
第80話でした。
今回は文化展そのものから、現実側へ少し橋を伸ばしました。
まず展示では、作者たちが答えるのではなく、知らない来場者同士が笑花を材料に話し始めています。
「助けてもらったなら残るべきでは?」
「助けた側だって傷つく」
「でも、傷つかせないために残るのは違うのでは?」
「子どもの危険な選択を大人が止めることは必要では?」
どれも、この物語で扱ってきた問いです。
ますみたちはもう、その全部に作者として答えを出そうとはしません。
そして今回、大きく一歩進んだのが敦です。
須賀直樹という二十歳の青年が登場しました。
ただし、ここで須賀をすぐ新しいレギュラーとして事務所に住ませる展開にはしていません。
敦も、
「うちに来れば大丈夫」
とは言わない。
まず今日の寝床を確認する。
食事を確認する。
本人が希望したので佐伯につなぐ。
電話は本人がする。
敦は横にいる。
相談先へは入口まで行く。
この距離感です。
そして前原から、
「本人が決めることだから、で放っとくのも違う」
という釘も刺されています。
これは敦がこれから「助けられる側」から「迎える側」へ変わっていくうえで、かなり重要な段階です。
最後に敦自身の口から、
「また来たかったら、来てください」
が出ました。
まだ最終回の「……まぁ座りな」には届きません。
でも、確実にそちらへ向かっています。
次回、第81話。
文化展最終日。
今度は少し静かな一日にします。
展示を見に来るのは――森川と美月。
ユウは来ません。
そして美月は笑花を見て、作者たちが予想していなかったことを言います。
「この子、助けてもらってばっかりじゃない?」
そこから初めて、笑花が「誰かに助けてもらう子」だけではなく、途中で出会った誰かに自分から何かを渡す場面が生まれていきます。
文化展編の締めへ進みます。




