知らない人の笑花
第79話 知らない人の笑花
前書き
作品を作っている間、
作者はずっと、
その作品の一番近くにいる。
どこで悩んだか。
何を削ったか。
なぜ、この表情にしたのか。
全部知っている。
でも。
展示された瞬間。
その作品を見るのは、
何も知らない人たちになる。
三秒で通り過ぎる人。
十分立ち止まる人。
作者の意図とは、
まったく違う意味を見つける人。
そして時には、
「分からない」
「好きじゃない」
と言う人もいる。
文化展当日。
笑花が初めて、
作った人たちの手を離れる。
第79話です。
⸻
午前六時四十八分。
高架下の事務所には、すでに明かりがついていた。
「……ない」
レンが言った。
藍の手が止まる。
「今度は何」
「充電器」
全員が、一斉に敦を見る。
「あります!」
敦は鞄から充電器を掲げた。
「今日はあります!」
「何でちょっと誇らしげなの」
ますみ。
「昨日怒られたので!」
「普通は持ってくるものだから」
「はい……」
前原が奥から出てくる。
「朝から何騒いでんだ」
「充電器がありました!」
「それで騒ぐな」
「はい」
文化展当日。
昨日まであれだけ問題が起きたせいか、今朝は逆に妙な緊張感が漂っていた。
ますみは朝食のパンを半分だけ食べ、残りを皿に置いた。
和子がそれを見る。
「食べないの?」
「入らない」
「緊張?」
「多分」
「じゃあ持っていきな」
「パンを?」
「お腹すいたら食べればいいでしょ」
「……うん」
ラップに包まれたパンが、ますみの鞄へ入る。
前原がコーヒーを飲みながら言った。
「別に戦争行くんじゃねぇんだから」
「ヨシさん」
「何だ」
「知らない人がいっぱい来る」
「そうだな」
「絵見る」
「文化展だからな」
「……」
「帰るか?」
ますみは前原を見る。
「行く」
「なら行け」
「それだけ?」
「他に何言うんだ」
「……」
ますみは少しだけ笑った。
「それでいい」
⸻
午前八時十二分。
旧公民館。
文化展会場。
まだ一般客はいない。
廊下ではスタッフが案内板を立て、別室では陶芸作品が並べられている。階段には地域の小学生が描いた絵が貼られ、一階ホールからは合唱団の発声練習が聞こえてきた。
二階。
B区画。
『笑花――帰る場所は、まだ分からない』
ますみたちの展示は、昨日と同じ場所にあった。
「……」
ますみが立ち止まる。
「どうした?」
航平。
「残ってる」
「そりゃ残ってるだろ」
「夜の間に」
「誰が持ってくんだよ」
「分かんない」
「怖いこと言うな」
カナコは真っ先に音楽プレーヤーを確認する。
「充電」
「百パー」
「イヤホン」
「鳴る」
「音量」
「大丈夫」
レンはQRコードを読み込む。
「オンライン版」
「開く」
藍は冊子。
三十部。
「ある」
奈々恵が説明文を見る。
「誤字」
「ない?」
全員が固まった。
「今言う!?」
「確認」
「やめて!」
藍が慌てて読む。
「……大丈夫」
「本当に?」
「多分」
「文化展当日に多分やめて!」
⸻
九時。
開場。
最初に来たのは、七十代くらいの夫婦だった。
二人は隣の写真クラブへ。
「……」
ますみ。
見ている。
次。
女性。
陶芸。
次。
親子。
小学生作品。
次。
男性。
笑花の前。
――通過。
「……」
ますみ。
「今」
「見なかった」
藍。
「うん」
「完全に」
「うん」
「何で」
「知らない」
「……」
また一人。
笑花。
一秒。
通過。
「……」
「ますみ」
「何」
「数えない方がいい」
「何を」
「素通り」
「もう五人」
「数えてるじゃん」
⸻
十分後。
初めて。
一人。
止まった。
三十代くらいの女性。
最初の絵を見る。
次。
文章。
戻る場面。
地図。
最後。
冊子には触れない。
音も聴かない。
そのまま。
去る。
「……」
ますみ。
「何も言わなかった」
「普通だよ」
奈々恵。
「感想」
「言わないの?」
「美術館で」
「作者に毎回感想言う?」
「……言わない」
「でしょ」
「……」
「怖い」
「何が」
「何考えてるか」
「分かんない」
奈々恵。
笑う。
「昨日まで」
『分からないでいい』
「って作品作ってた人が」
「人の感想は知りたいんだ」
「それとこれは別」
⸻
午前九時二十七分。
最初の質問。
「すみません」
中年男性。
ますみ。
「はい」
「これ」
「どういう意味?」
「……」
来た。
ますみ。
一瞬。
藍を見る。
藍。
何も言わない。
「えっと」
ますみ。
「帰る場所をなくした子が」
「いろんな場所に行く話です」
「最後」
「どこに帰ったの?」
「……」
「決めてません」
「何で?」
「……」
ますみ。
少し。
考える。
「一個に」
「決めなくても」
「いいかなって」
男性。
「ふーん」
最後の絵。
見る。
「俺は」
「家に帰ったと思った」
「……」
「家?」
「最初の家」
「え」
「一周して」
「元の家」
「……」
男性はそれ以上説明せず、隣の写真展示へ行った。
ますみ。
固まる。
「……」
「最初の家」
藍。
「考えてなかった」
「私も」
航平。
「地図上」
「最初の家」
「ないぞ」
「でも」
ますみ。
最後の笑花を見る。
「そう見える人」
「いるんだ」
⸻
十時。
今度は小学生の男の子。
地図。
ずっと見る。
絵。
ほぼ見ない。
「……」
航平。
少し嬉しそう。
「地図好き?」
「うん」
「ここ」
男の子。
指。
「この道」
「何で途中で切れてるの?」
航平。
「町の外だから」
「外にも道あるでしょ」
「……」
「ある」
「じゃあ描けば?」
航平。
止まる。
「……」
ますみ。
笑いをこらえる。
「航平」
「何」
「言われた」
「うるさい」
男の子。
「あと」
「この川」
「どこまで行くの」
「……」
「まだ決めてない」
「決めてないの多いね」
「そうなんだよ」
「変なの」
男の子は満足そうに去った。
航平。
「……」
「川」
「延ばす」
レン。
「今やるな」
「展示後」
「分かってる」
⸻
十時四十三分。
老婦人。
笑花が戻る場面。
長く。
見る。
「この人」
ますみ。
「はい」
「優しいね」
「……」
「戻ってきた子に」
「何も聞かない」
「はい」
「でも」
老婦人。
「私は」
「聞いちゃうなあ」
「え」
「どうしたの」
「何があったの」
「って」
「……」
「それは」
「ダメなの?」
ますみ。
答えられない。
「……分かりません」
老婦人。
笑う。
「そうよね」
「聞いてほしい時もあるものね」
「……」
「はい」
「聞かれたくない時も」
「あります」
「そうね」
老婦人は冊子を一冊取った。
「孫に見せてもいい?」
「はい」
ますみ。
すぐ答えた。
「どうぞ」
⸻
十一時。
問題。
「すみません」
四十代くらいの女性。
「はい」
藍。
「これ」
説明。
指。
「支援とか」
「施設とかの話?」
空気。
少し。
変わる。
「特定の施設を」
藍。
「描いたものではありません」
「でも」
「そういうテーマよね」
「一部」
「そういうことも」
「考えています」
女性。
腕。
組む。
「私」
「こういうの」
「ちょっと嫌い」
ますみ。
顔。
固まる。
「……」
「何でですか」
思わず。
聞いた。
「何でも」
『本人に選ばせればいい』
「っていう感じ」
「……」
「子どもなんて」
「危ないこと選ぶでしょ」
「……」
「大人が」
「止めなきゃいけないこと」
「あるじゃない」
ますみ。
黙る。
藍も。
すぐには。
返さない。
⸻
「はい」
ますみ。
やっと。
「あると思います」
女性。
少し。
意外そう。
「じゃあ」
「何で」
「こんな話?」
「……」
ますみ。
笑花。
見る。
「大人が」
「決めることと」
「子どもが」
「嫌って言えないことは」
「違うかなって」
「……」
「危ない時」
「止めることは」
「ある」
「でも」
「何で止めるか」
「話したり」
「後で」
「変えたり」
「……」
「そういうの」
「できた方が」
「いいかなって」
女性。
少し。
展示。
見直す。
「……」
「でも」
「私は」
「こういう曖昧なの」
「好きじゃない」
ますみ。
胸。
少し。
痛む。
「はい」
でも。
「分かりました」
女性。
去る。
⸻
「……」
ますみ。
無言。
「大丈夫?」
藍。
「嫌だった」
「うん」
「嫌いって」
「言われた」
「うん」
「……」
「でも」
ますみ。
女性が。
去った方向。
見る。
「ちゃんと」
「見てた」
「うん」
「……」
「それも」
「変」
「何が」
「見ないで」
「嫌いって言われるより」
「ちょっと」
「嬉しい」
奈々恵。
「複雑だね」
「うん」
「人間っぽくなった」
「それ昨日も言われた」
⸻
正午。
昼休憩。
ますみ。
鞄。
開く。
朝。
和子が。
包んだ。
パン。
「……」
藍。
「食べる?」
「うん」
「緊張」
「取れた?」
「別の緊張になった」
「何それ」
「人が」
「何言うか」
「分かんない」
「それ」
「昨日から同じ」
「違う」
ますみ。
パン。
一口。
「昨日までは」
「怖いだけだった」
「今は?」
「……」
「ちょっと」
「聞きたい」
⸻
午後一時十五分。
来場者。
増える。
子ども。
高齢者。
学生。
買い物帰り。
地域の人。
笑花。
素通り。
立ち止まる。
戻る。
冊子。
取る。
取らない。
イヤホン。
使う。
使わない。
「音」
高校生くらいの少女。
「良かったです」
カナコ。
「ありがとう」
「でも」
「もっと長くても」
「いいと思う」
「……」
カナコ。
「ある」
「え」
「QR」
「フル」
「四分十秒」
「聴きます」
カナコ。
顔。
明るい。
「やった」
⸻
地図。
大学生くらいの男性。
「ゲームみたい」
航平。
「ゲーム?」
「選択肢で」
「ルート変わるやつ」
「……」
「でも」
「正解ルート」
「ない感じ」
「はい」
「俺」
「こういうゲーム」
「苦手」
「え」
「全部回収したくなる」
「……」
「それ」
「分かる」
航平。
二人。
少し。
話し込む。
⸻
文章。
藍。
五十代男性。
「この」
『あなたが悪いんじゃない。でも、ここじゃない』
「って」
「きついね」
「……」
「きつい?」
「助けた側からしたら」
「……」
「そうですね」
「でも」
男性。
「言われた方が」
「いいのかもな」
「何で」
「黙って消えられるより」
「……」
藍。
少し。
目を伏せる。
「そういう見方」
「考えてませんでした」
「作者なのに?」
男性。
笑う。
「作者でも」
「分からないです」
「そういうもんか」
⸻
午後二時四分。
「あ!」
声。
ますみ。
振り向く。
「……」
見覚え。
ある。
小学生。
商店街のイベント。
スケッチブック。
勝手に。
開いてしまった。
あの子。
「彩乃」
「覚えてた!」
「うん」
母親らしい女性。
隣。
「こんにちは」
「こんにちは」
「この前」
「商店街で」
「絵を見せてもらったって」
「はい」
彩乃。
展示。
見る。
「笑花!」
「……」
ますみ。
少し。
胸。
熱くなる。
「分かる?」
「分かるよ」
「目」
「同じ」
「……」
「まだ怒ってる」
ますみ。
笑う。
「うん」
「ちょっと」
⸻
彩乃。
最初から。
見る。
「この人」
優しく。
手。
差し出す人。
「悪い人?」
「悪い人じゃない」
「じゃあ」
「何で逃げるの」
「……」
「笑花には」
「ここじゃなかった」
「ふーん」
次。
戻る。
「戻ってるじゃん」
「うん」
「何で?」
「怖くなった」
「……」
彩乃。
「じゃあ」
「最初の人」
「帰れる場所じゃん」
ますみ。
止まる。
「……」
「そうだね」
「でも」
「住む場所じゃないの?」
「……」
ますみ。
「多分」
「帰れるけど」
「ずっといる場所じゃない」
「何それ」
「分かんない」
「また?」
「うん」
⸻
彩乃。
地図。
見る。
以前。
「帰れるところ、いっぱい作ればいい」
と言った子。
「増えた」
「うん」
「ここ」
「一人のベンチ」
「うん」
「何で」
「一人になりたい時」
「……」
「帰る場所なの?」
「私は」
「そう思う」
彩乃。
少し。
考える。
「じゃあ」
「トイレも?」
「え」
「一人になれる」
「……」
航平。
横。
吹き出す。
「確かに」
「航平!」
「でも」
「学校のトイレ」
「逃げる場所になる子」
「いるかも」
ますみ。
笑えなくなる。
「……」
「あるかも」
彩乃。
「じゃあ」
「入れれば」
「展示には入れない」
「何で!」
「何となく!」
⸻
最後。
丘。
笑花。
町。
彩乃。
長く。
見る。
「このあと」
「どこ行くの?」
「分かんない」
「作者なのに?」
「今日」
「三回目」
「何が」
「それ言われるの」
彩乃。
「じゃあ」
「私決めていい?」
ますみ。
少し。
止まる。
以前。
それが。
怖かった。
自分以外の誰かが。
笑花を。
勝手に。
決めること。
「……」
でも。
「彩乃の中では」
「いいよ」
「じゃあ」
彩乃。
最後の絵。
指。
「ここ」
「どこ」
「ご飯食べるところ」
「……」
「何で」
「お腹すいてそう」
ますみ。
思わず。
笑う。
「それ」
「ヨシさんと同じ」
「誰?」
「知らなくていい」
⸻
彩乃。
冊子。
一冊。
「もらっていい?」
「うん」
「お母さん」
「いい?」
「いいよ」
母。
「ちゃんと」
「ありがとう言って」
「ありがとう」
「どういたしまして」
彩乃。
去る。
途中。
振り返る。
「次」
「川の向こうも描いて!」
航平。
「俺!?」
「描くって!」
「勝手に約束すんな!」
彩乃。
笑って。
階段。
降りていく。
⸻
ますみ。
しばらく。
その方向。
見る。
「……」
藍。
「どうした」
「笑花」
「何」
「私のじゃ」
「なくなった」
藍。
一瞬。
ますみを見る。
「嫌?」
「……」
ますみ。
考える。
「前なら」
「嫌だった」
「今は?」
「……」
「私のでも」
「ある」
「うん」
「でも」
「彩乃の笑花も」
「いる」
「うん」
「さっきの」
「おじさんの」
「最初の家に帰る笑花も」
「いる」
「うん」
「……」
「変なの」
「うん」
「でも」
ますみ。
少し。
笑う。
「面白い」
⸻
午後三時。
ひだまり。
高瀬。
桜井。
佐伯。
そして。
拓海。
同じ。
テーブル。
これは。
取り調べではない。
まず。
拓海が。
自分から。
話す。
「俺」
「あそこで」
「助けられました」
桜井。
「はい」
「それは」
「最初に」
「言っておきたいです」
「分かりました」
「……」
「それから」
「二年くらい前」
「森川さんを」
「駅で見ました」
「子ども二人と」
「……」
「俺は」
「施設の職員に」
「それを話しました」
桜井。
「誰に話したか」
「覚えていますか」
「松井さん」
「だったと思います」
「確実ではない?」
「はい」
「分かりました」
拓海。
少し。
肩。
下がる。
知らない。
曖昧。
それを。
そのまま。
言えた。
⸻
「最近」
拓海。
「施設から」
「連絡もありました」
「どんな」
「外の人に」
「昔のことを」
「聞かれるかもしれない」
「知らないことまで」
「話す必要はない」
「……」
「そのあと」
『余計なことは言わなくていい』
「って」
佐伯。
メモ。
「その言葉」
「正確ですか」
「……」
拓海。
考える。
「多分」
「多分?」
「正確な一字一句は」
「覚えてません」
「……」
「でも」
『余計なこと』
「って言葉は」
「覚えてます」
「分かりました」
桜井。
「それで十分です」
「……」
「十分?」
「覚えていない部分を」
「埋めなくていい」
「……はい」
⸻
「長谷川さん」
桜井。
「あなたは」
「施設側から」
「嘘を言うように」
「指示されたと」
「思いますか」
拓海。
一瞬。
考える。
「……」
「分かりません」
「はい」
「俺は」
「そうは」
「言われてません」
「……」
「ただ」
「余計なことを」
「言わないでって」
「言われたのが」
「嫌でした」
「分かりました」
桜井。
それ以上。
誘導しない。
「では」
「そのまま」
「記録します」
拓海。
ゆっくり。
頷く。
⸻
高瀬。
隣。
黙っている。
拓海。
高瀬を見る。
「高瀬さん」
「はい」
「俺」
「施設」
「好きですよ」
「……」
「はい」
「今も」
「……はい」
「高瀬さんは?」
高瀬。
少し。
考える。
「俺も」
「好きです」
「……」
「でも」
「変えたいです」
拓海。
「両方」
「言うんですね」
「最近」
「それでいいって」
「思えるようになりました」
「……」
「俺も」
「今日」
「ちょっと」
「そう思います」
⸻
文化展。
午後四時三十分。
冊子。
残り。
三冊。
「え」
ますみ。
「なくなる」
「三十部」
レン。
「少なかった?」
「分かんない」
「増刷?」
藍。
「今日はしない」
ますみ。
「うん」
「なくなったら」
「終わり」
「QRあるし」
「うん」
最後。
三冊。
一冊。
女子中学生。
一冊。
高齢男性。
そして。
最後。
小学生。
持っていく。
「……」
箱。
空。
「なくなった」
ますみ。
「うん」
「どうする」
藍。
「何を」
「嬉しい?」
「……」
ますみ。
空箱。
見る。
「ちょっと」
「でも」
「怖い」
「何が」
「三十個」
「知らない家に」
「笑花いる」
「……」
藍。
笑う。
「もう」
「回収できないね」
「……」
「うん」
ますみ。
少し。
笑う。
「それでいい」
⸻
午後五時。
閉場。
スタッフ。
「本日の展示」
「終了です」
館内放送。
来場者。
少しずつ。
いなくなる。
ますみ。
展示。
見る。
朝。
同じ。
絵。
同じ。
地図。
同じ。
文章。
同じ。
でも。
何か。
違う。
「疲れた」
カナコ。
「足痛い」
航平。
「喉渇いた」
レン。
「帰りたい」
藍。
「明日もある」
「言うな!」
全員。
笑う。
⸻
ますみ。
最後の。
笑花。
見る。
「ねえ」
「何」
奈々恵。
「今日」
「正解」
「あった?」
「何の」
「笑花」
「……」
奈々恵。
少し。
考える。
「なかったんじゃない」
「……」
「嫌いって人も」
「いた」
「うん」
「最初の家に」
「帰ったって人も」
「いた」
「うん」
「ご飯食べに行くって」
「彩乃」
「うん」
「……」
「全部」
「違う」
「うん」
「でも」
奈々恵。
「作品って」
「そうなるために」
「外へ出すのかもね」
「……」
「作者が」
「答え教えるだけなら」
「説明書でいいし」
ますみ。
「説明書」
「嫌」
「でしょ」
⸻
帰り。
階段。
隣の。
写真クラブの男性。
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
「どうだった」
ますみ。
「……」
「思ってたより」
「みんな」
「勝手でした」
男性。
大笑い。
「そうだろ」
「作者の話」
「聞かない」
「聞かないねえ」
「勝手に」
「意味作る」
「作るねえ」
「……」
「嫌じゃないんですか」
「昔は」
「嫌だったよ」
「……」
「今は?」
「面白い」
男性。
自分の。
祭り写真。
見る。
「俺は」
『寂しい祭りだ』
「と思って撮った写真を」
「昔」
『楽しそうですね』
「って言われた」
「……」
「怒りました?」
「ちょっと」
「同じだ」
「でも」
男性。
「写真の中まで」
「追いかけて」
『違う、寂しいと思え』
「とは言えんだろ」
「……」
「はい」
「見せたら」
「半分」
「向こうのもんだ」
ますみ。
少し。
笑う。
「それ」
「今日」
「分かった気がします」
⸻
夜。
事務所。
「ただいま」
「おかえり」
和子。
「どうだった」
前原。
ますみ。
靴。
脱ぐ。
「知らない人」
「いっぱい」
「そりゃそうだ」
「勝手なこと」
「いっぱい言われた」
「そうか」
「嫌いって」
「言われた」
「そうか」
「……」
「もっと」
「何か言って」
「何を」
「慰めるとか」
「嫌なのか」
「……」
「分かんない」
「面倒くせぇな」
「笑花と同じ」
前原。
「誰が作った」
「私」
「なら文句言うな」
⸻
「でも」
ますみ。
前原。
見る。
「ヨシさん」
「何だ」
「最後」
「笑花」
「どこ行くと思う」
「知らん」
「考えて」
「飯」
「やっぱり!」
「腹減ってんだろ」
「……」
ますみ。
止まる。
確かに。
朝。
パン。
昼。
半分。
その後。
何も。
「減ってる」
「何が」
「お腹」
「なら食え」
⸻
和子。
夕食。
温める。
翔太。
少し遅れて。
仕事。
帰る。
「ただいま」
「おかえり」
「レジ」
隼人。
「どうだった」
「一回」
「ポイントカード」
「聞くの忘れた」
「怒られた?」
「言われた」
『次から気をつけて』
「それだけ?」
「それだけ」
「普通だな」
「普通でした」
翔太。
ますみ。
見る。
「文化展?」
「普通じゃなかった」
「何が」
「知らない人」
「勝手」
「……」
「そりゃ」
翔太。
「知らない人ですから」
「何その答え」
「俺も」
「コンビニで」
「知らない人」
「いっぱい来ます」
「一緒にしないで」
「何で」
⸻
その夜。
ますみは。
スケッチブックを。
開いた。
新しい。
ページ。
笑花。
丘。
町。
昨日までなら。
ここから。
どこへ行くか。
考えた。
今日は。
描かない。
代わりに。
町の。
灯り。
一つ。
増やす。
そして。
さらに。
遠く。
川の向こう。
小さな。
灯り。
「……」
航平。
後ろ。
「川の向こう」
「うん」
「彩乃?」
「うん」
「描くの?」
「まだ」
「……」
「でも」
「ある」
「何が」
「川の向こう」
「……」
航平。
少し。
笑う。
「じゃあ」
「地図」
「広げるか」
「文化展終わってから」
「分かってる」
⸻
笑花は。
もう。
ますみの中だけには。
いなかった。
藍の。
文章。
カナコの。
音。
航平の。
地図。
レンの。
余白。
そして。
今日。
知らない人たちの中にも。
少しずつ。
違う笑花が。
生まれた。
最初の家へ。
帰る笑花。
ご飯を。
食べに行く笑花。
どこにも。
帰らない笑花。
誰かと。
歩く笑花。
一人で。
歩く笑花。
全部。
作者の。
答えではない。
でも。
全部を。
否定する必要も。
なかった。
見せることは。
答えを。
教えることではない。
知らない答えが。
増えること。
あの日。
ますみが。
書いた言葉。
それが。
今日。
本当に。
起きた。
⸻
後書き
第79話でした。
ついに『笑花――帰る場所は、まだ分からない』が一般の人たちの前へ出ました。
ただし、大成功して全員感動――ではありません。
素通りする人もいる。
作者の意図と違う読み方をする人もいる。
そして、
「こういう作品は嫌い」
とはっきり言う人もいる。
特に今回の「子どもに選ばせすぎでは?」という意見は、この作品がずっと考えてきた問題そのものです。
子どもの意思を尊重することと、大人が責任を放棄することは違う。
危険な時には大人が止めることもある。
ただ、その判断を絶対化して、本人の「嫌だ」まで無効にしてしまわない。
笑花の展示も、そこで簡単な答えを出しません。
そして彩乃が再登場しました。
以前、笑花の目を「悲しい」ではなく、
「怒ってる」
と見た子です。
今回も、
「最初の人のところも帰れる場所じゃん」
と、ますみたちが想定していなかった読み方を持ってきました。
これによって「帰れる場所」と「ずっと所属する場所」は同じではない、という意味もさらに見えてきています。
一方、組織編では拓海が桜井・佐伯へ正式に自分の知る範囲を話しました。
重要なのは、
施設に救われたことも言う。
引っ掛かったことも言う。
知らないことは知らないと言う。
これです。
施設を善か悪かに決めるための証言ではありません。
そして文化展はまだ初日。
次回、第80話では二日目へ。
今度は作品を「見る側」だけでなく、展示を見た人同士がその場で話し始めます。
作者が答えるのではなく、知らない人同士が、
「帰るって何だろう」
「助けるってどこまでだろう」
と話し始める。
そして、その輪から少し離れたところで、敦が一人の若い来場者に声をかけられます。
その人は作品の感想ではなく、
「こういう場所って、本当にあるんですか」
と尋ねてきます。
敦が「作品を説明する人」ではなく、現実の誰かの話を聞く側へ回る回にしていきます。




