優しいだけじゃない
第75話 優しいだけじゃない
前書き
誰かを傷つけないように。
誰かを悪者にしないように。
丁寧に作っていくと、
作品は優しくなる。
でも。
優しいことと、
痛くないことは、
同じではない。
帰れる場所をなくすことは、
きっと痛い。
誰かの善意から逃げることだって、
痛い。
「ここじゃない」と言うことにも、
代償はある。
笑花の物語に、
初めてその痛みを入れる日。
そして隼人にも、
自分の足で知らない場所へ入る日が来る。
第75話です。
⸻
午前七時十二分。
高架下の事務所。
「……」
隼人は。
玄関。
鏡。
見る。
髪。
直す。
襟。
直す。
また髪。
「隼人」
「何」
翔太。
「十分大丈夫ですよ」
「何が」
「髪」
「見てねぇし」
「五分くらい見てます」
「見てねぇ」
「鏡の前で?」
「壁見てた」
「鏡です」
「うるせぇ」
今日。
倉庫会社。
面接。
午前十時。
電車。
二駅。
敦は。
駅まで。
一緒に行く。
それだけ。
「履歴書」
敦。
「ある」
「スマホ」
「ある」
「財布」
「ある」
「場所」
「ある」
「緊張」
「ある」
「それはいらない」
「捨てられねぇよ」
翔太。
「俺の時より」
「緊張してません?」
「お前はコンビニだろ」
「何でコンビニだと緊張しない前提なんですか」
「知らん」
⸻
前原。
コーヒー。
「隼人」
「ん」
「面接で」
「聞かれたことだけ」
「答えろ」
「……」
「余計なこと」
「盛るな」
「分かってる」
「分かんねぇこと」
「適当に答えるな」
「……」
「はい」
「あと」
「何」
「向こう見る前に」
「床ばっか見るな」
隼人。
少し。
前原を見る。
「ヨシさん」
「何だ」
「普通に」
「面接アドバイスできるんだ」
「お前俺を何だと思ってんだ」
「……」
「答えろ」
「元ヤ――」
「言わなくていい!」
敦。
吹き出す。
⸻
午前八時。
朝食。
和子。
卵焼き。
味噌汁。
焼き鮭。
「食べられない」
隼人。
「食べな」
「緊張で」
「一口でいいから」
「……」
「倒れたら」
「面接どころじゃない」
「はい」
隼人。
ご飯。
一口。
もう一口。
「食えるじゃん」
翔太。
「黙れ」
「俺」
「コンビニの時」
「ヨシさんに」
『飯食え』
「って言われました」
「何でも飯だな」
敦。
「でも」
「間違ってないですよ」
「……」
隼人。
味噌汁。
飲む。
「敦さん」
「はい」
「駅までだからな」
「分かってます」
「会社まで」
「来なくていい」
「はい」
「……」
「何です?」
「いや」
「もし」
「駅着いて」
「やっぱ会社の前までって」
「言ったら」
「……」
敦。
「行きます」
「……」
「分かった」
それで。
隼人は。
少しだけ。
食べる速度を戻した。
⸻
午前九時五分。
二人。
電車。
隼人は。
窓。
外。
見る。
「敦さん」
「はい」
「面接」
「最近した?」
「……」
敦。
「しましたよ」
「今の仕事?」
「まあ」
「……」
「落ちたこと」
「ある?」
「あります」
「何回」
「聞きます?」
「……やっぱいい」
少し。
沈黙。
「落ちたら」
隼人。
「どうしよう」
「次」
「早いな」
「だって」
「落ちたら」
「今回の会社では」
「働かないってだけでしょう」
「……」
「俺が」
「駄目ってことじゃなく?」
敦。
一瞬。
答えかける。
でも。
少し考えた。
「会社側が」
「駄目だと思うことは」
「あるかもしれないです」
「……」
「でも」
「その会社の条件に」
「合わなかったことと」
「隼人が」
「駄目な人間ってことは」
「別です」
隼人。
外を見る。
「……」
「そういうの」
「分けるの」
「難しいな」
「難しいですね」
「敦さんも?」
「俺なんか」
「今でも」
「ごちゃごちゃになりますよ」
「……」
「じゃあ」
「偉そうに言うなよ」
「すみません」
二人。
少し笑った。
⸻
同じ頃。
事務所。
「奈々恵」
藍。
「来た」
「お邪魔します」
奈々恵が。
紙袋。
「差し入れ」
「何」
「ドーナツ」
奥。
木戸。
「奈々恵さん大好き!」
「今初めて言ったよね?」
「今日から!」
「お前は座ってろ」
前原。
「もう座ってる」
「じゃあ黙ってろ」
⸻
奈々恵は。
編集役。
これまで。
文章。
構成。
展示説明。
外から。
見てきた。
昨日。
ますみと藍が。
ぶつかったことも。
簡単には。
聞いている。
「じゃあ」
奈々恵。
「完成じゃない前提で」
「見るね」
「うん」
ますみ。
「仮」
「それ」
「まだ言うんだ」
「仮」
奈々恵。
笑う。
「分かった」
「仮完成」
壁。
展示。
音。
二分。
文章。
最小限。
地図。
余白。
最後。
町を見る笑花。
奈々恵は。
最初から。
最後まで。
何も言わず。
見る。
音。
終わる。
町の音だけに。
戻る。
「……」
全員。
奈々恵を見る。
「どう?」
藍。
「良い」
ますみ。
少し。
肩。
下がる。
「かなり」
「良いと思う」
航平。
「よし」
「ただ」
奈々恵。
「……」
全員。
止まる。
「来た」
レン。
「何」
「編集の『ただ』」
「怖い」
カナコ。
「言って」
奈々恵。
もう一度。
展示を見る。
「これ」
「優しすぎるかもしれない」
ますみ。
「……え?」
⸻
「優しいの」
「ダメ?」
「ダメじゃない」
奈々恵。
「むしろ」
「この作品の良さ」
「……」
「誰かを」
「悪者にしない」
「無理やり」
「救わない」
「笑花も」
「最後まで」
「全部解決しない」
「うん」
「そこ」
「好き」
「じゃあ」
ますみ。
「何が」
「痛くない」
「……」
奈々恵。
最初の絵。
「笑花」
「帰る場所」
「なくしたんだよね」
「うん」
「なのに」
「最初から最後まで」
「ちゃんとした子に見える」
ますみ。
「……」
「誰かに」
「助けてもらって」
「ここじゃないって言って」
「離れて」
「別の人と歩いて」
「帰れる場所増えて」
「……」
「全部」
「上手にできすぎてる」
藍。
顔。
少し変わる。
「なるほど」
「何が?」
ますみ。
「笑花」
藍。
「失敗してない」
「……」
「してるよ」
「どこ」
「……」
ますみ。
止まる。
⸻
「最初」
「帰る場所なくした」
「それは」
奈々恵。
「笑花の失敗?」
「……違う」
「誰かのところから」
「出る」
「それも」
「失敗じゃない」
「……」
「道」
「迷う?」
「迷うけど」
航平。
「地図もらう」
「……」
「食堂」
「ちゃんと食べる」
「うん」
「誰かと歩く」
「うん」
「……」
奈々恵。
「笑花」
「一回くらい」
「間違えてもいいんじゃない?」
ますみ。
「間違える」
「例えば?」
「それを」
「私が決めると」
「また昨日と同じになる」
「……」
奈々恵。
「だから」
「ますみに聞いてる」
ますみは。
壁。
見る。
⸻
「でも」
カナコ。
「わざと」
「酷いこと」
「入れる必要は」
「ないよね」
「ない」
奈々恵。
「事件を」
「起こせって話じゃない」
「……」
「ただ」
「この子」
「傷ついてるはずなのに」
「傷つき方まで」
「きれい」
ますみの。
胸。
少し。
刺さる。
「……きれい?」
「うん」
「泣かない」
「怒鳴らない」
「誰にも」
「酷いこと言わない」
「……」
「逃げても」
「正しい場所へ」
「行く」
「……」
「それって」
奈々恵。
少し。
慎重に。
「私たちが」
「見たい傷つき方に」
「してないかな」
静かになった。
⸻
ますみ。
最初の。
笑花。
見る。
泣きそう。
でも。
笑う。
そこから。
始まった。
「……」
「私」
ますみ。
「笑花に」
「嫌なこと」
「させたくなかった」
「うん」
藍。
「嫌な人にも」
「したくなかった」
「うん」
「……」
「でも」
奈々恵。
「嫌なことする人と」
「嫌な人は」
「同じじゃないよ」
ますみ。
顔を上げる。
「……」
「傷ついて」
「誰かに」
「八つ当たりすることもある」
「……」
「助けてくれた人を」
「嫌いになることも」
「ある」
「……」
「本当は」
「帰りたい場所を」
「帰りたくないって」
「言うことも」
「あるかもしれない」
「……」
「間違った場所へ」
「戻ることだって」
「あるかもしれない」
藍。
「それ」
小さく。
「大事かも」
⸻
ますみ。
少し。
むっとする。
「藍」
「何」
「すぐ納得しないで」
「ごめん」
「また」
「作品変わる」
「……」
「怖い?」
「怖い」
「うん」
「でも」
ますみ。
奈々恵を見る。
「言ってること」
「分かる」
「……」
「それが」
「もっと嫌」
奈々恵。
少し笑う。
「編集って」
「嫌われる仕事だから」
「そうなの?」
「たまに」
「……」
「ドーナツ」
「そのため?」
「保険」
「ずるい」
⸻
午前九時四十二分。
駅。
隼人。
敦。
改札。
「ここから」
隼人。
「会社」
「徒歩八分」
「はい」
「……」
「じゃあ」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
隼人。
二歩。
歩く。
止まる。
振り返る。
「敦さん」
「はい」
「……」
「会社の前」
「行って」
「いいですよ」
「まだ言ってない」
「顔」
「お前まで!」
敦。
笑う。
「行きましょう」
「……」
「悪い」
「全然」
二人。
駅を出る。
⸻
住宅。
小さな工場。
配送車。
その先。
物流倉庫。
「ここ」
隼人。
「ですね」
「……」
入口。
会社名。
制服。
出入りする人。
知らない。
誰も。
自分を知らない。
隼人。
足。
少し止まる。
「敦さん」
「はい」
「ここでいい」
「分かりました」
「……」
「帰る?」
「どうしよう」
「近くのコンビニ」
「います」
「……」
「終わったら」
「連絡ください」
「うん」
「途中でも」
「え」
「もし」
「どうしても」
「無理なら」
「連絡していいですよ」
隼人。
「逃げても?」
敦。
少し考える。
「逃げたくなったら」
「まず」
「外に出て」
「連絡してください」
「……」
「その後」
「逃げるか」
「戻るか」
「一緒に考えましょう」
隼人。
少し。
笑う。
「ずるい答え」
「そうです?」
「逃げていいとも」
「頑張れとも」
「言わない」
「だって」
「まだ何も」
「起きてないですから」
「……」
「そっか」
隼人。
入口。
見る。
「行ってくる」
「はい」
今度は。
一人で。
入った。
⸻
午前十時。
事務所。
笑花。
緊急会議。
「間違える」
ホワイトボード。
藍。
書く。
「笑花が」
「どんな間違いするか」
「……」
ますみ。
腕。
組む。
「酒」
木戸。
「お前は入ってくるな」
前原。
「じゃあギャンブル」
「出てけ」
「何で!」
「子どもの話だ!」
「笑花何歳?」
「決めてない」
「じゃあ二十歳かも」
「出てけ!」
木戸。
ドーナツ。
一個。
持って。
退場。
「持ってくな!」
奈々恵。
「編集料!」
⸻
「例えば」
航平。
「道」
「間違える」
「普通すぎる」
カナコ。
「でも」
「帰る話なら」
「ありじゃない」
「……」
「迷って」
「誰かに聞く」
「それ」
「もうある」
藍。
「もっと」
「本人が」
「選んだ結果」
「うまくいかない方が」
「いいかも」
ますみ。
「……」
「自分で選んだのに?」
「うん」
「それだと」
「自分で選ぶの」
「悪いみたい」
「ならないように」
「書く」
「……」
奈々恵。
「選べることと」
「選んだものが」
「必ず正しいことは」
「別だから」
「……」
ますみ。
少し。
黙る。
⸻
「帰る」
ますみが。
突然言った。
「何?」
「一回」
「戻る」
「どこへ」
「最初の」
「助けてくれた人のところ」
藍。
目。
少し。
大きくなる。
「『ここじゃない』って」
「出たところ?」
「うん」
「何で戻るの」
「……」
ますみ。
自分でも。
まだ。
分からない。
「怖くなったから」
「……」
「一人で」
「選んで」
「外に出た」
「でも」
「夜になって」
「寒くて」
「お腹減って」
「……」
「やっぱり」
「あそこなら」
「寝られる」
「……」
「だから」
「戻る」
カナコ。
「それ」
「失敗?」
「分かんない」
ますみ。
「でも」
「笑花は」
「そう思う」
「……」
「私」
「やっぱり」
「出なきゃよかったって」
⸻
藍。
ペン。
持つ。
でも。
書かない。
「ますみ」
「何」
「続き」
「……」
「戻ったら」
「どうなる」
ますみ。
長く。
考える。
「その人」
「入れてくれる」
「……」
「怒らない?」
「怒らない」
「『だから言ったでしょ』も?」
「言わない」
「……」
「ただ」
ますみ。
「ご飯」
「出す」
「……」
「それで」
「笑花」
「泣く」
誰も。
すぐには。
言わなかった。
「初めて?」
奈々恵。
「うん」
「何で」
「……」
「怒られなかったから」
ますみ。
小さく。
「戻ったのに」
「……」
「『ほら見ろ』って」
「言われなかったから」
⸻
藍。
ゆっくり。
ノート。
開く。
「それ」
「書いていい?」
昨日とは。
違う。
笑花なら。
こうする。
ではなく。
「書いていい?」
ますみへ。
聞く。
「……うん」
「書いて」
藍。
ペン。
⸻
笑花は。
一度。
「ここじゃない」
と言った場所へ。
戻る。
負けたような。
気がする。
恥ずかしい。
自分で。
出ていったのに。
戻る。
扉。
叩く。
開く。
そこにいる人。
何も。
言わない。
「……」
そして。
「お腹すいた?」
それだけ。
笑花。
頷く。
食べる。
途中。
泣く。
その人は。
理由を。
聞かない。
⸻
「……」
ますみ。
「それ」
「好き」
藍。
「うん」
「でも」
「最後」
「また出る」
「うん」
「今度は」
「前と違う」
「何が」
「戻っても」
「いいって」
「分かったから」
藍。
ペン。
止まる。
「……」
「出られる」
ますみ。
言う。
「戻れるから」
「出られる」
奈々恵が。
少し。
目を細めた。
「それなら」
「優しいけど」
「痛い」
「……」
「いいと思う」
⸻
午前十時十二分。
倉庫。
面接室。
隼人。
椅子。
向かい。
男性。
四十代くらい。
「これまで」
「飲食店?」
「はい」
「ホール?」
「主に」
「あと」
「厨房も少し」
「倉庫は」
「初めて?」
「はい」
「立ち仕事」
「大丈夫?」
「……」
隼人。
一瞬。
「大丈夫です」
言った。
でも。
止まる。
敦。
言っていた。
分からないこと。
適当に。
答えるな。
「……すみません」
「はい?」
「ずっと」
「八時間」
「倉庫で立った経験は」
「ないです」
「……」
「飲食で」
「長く立つのは」
「やってました」
「なるほど」
男性。
履歴書。
「じゃあ」
「慣れるまでは」
「疲れると思う」
「はい」
「重量物」
「最大十五キロくらい」
「持てそう?」
「十五……」
「この箱くらい」
横。
サンプル。
「持ってみる?」
「いいんですか」
「どうぞ」
隼人。
持つ。
「……」
「どう」
「持てます」
「毎回それじゃないけどね」
「はい」
「腰」
「痛めたことは」
「ないです」
「分かった」
普通。
質問。
普通。
回答。
隼人は。
少しずつ。
肩の力。
抜ける。
⸻
「前の仕事」
男性。
「辞めた理由」
「……」
来た。
隼人。
少し。
視線。
下がる。
「家庭の事情と」
「自分の生活が」
「不安定になって」
「続けられなくなりました」
「今は?」
「……」
「生活する場所は」
「あります」
「勤務時間も」
「問題ないです」
「家庭の事情」
「今後」
「急に休む可能性は」
「……」
隼人。
少し。
考える。
「ゼロとは」
「言えないです」
男性。
顔。
上げる。
「ただ」
「今」
「相談できる人が」
「います」
「……」
「何かあったら」
「無断で休まず」
「連絡します」
男性。
数秒。
「分かりました」
それだけ。
隼人は。
拍子抜けする。
⸻
午前十時五十分。
敦。
コンビニ。
コーヒー。
スマートフォン。
着信。
隼人。
「はい」
『終わった』
「お疲れ様です」
『……』
「どうでした」
『分かんない』
「じゃあ」
「戻ってきます?」
『うん』
数分。
隼人。
来る。
敦。
「お疲れ様」
「疲れた」
「どうでした?」
「普通」
「良かったじゃないですか」
「普通すぎて」
「逆に怖い」
「何で」
「もっと」
「色々」
「聞かれると思ってた」
「例えば」
「家のこと」
「……」
「全部」
「言わなくて済んだ」
「はい」
「俺」
「全部」
「説明しないと」
「働けないと思ってた」
敦。
「仕事に」
「必要なところだけで」
「いいんじゃないですか」
「……」
「そうなのかな」
「少なくとも」
「今日の会社は」
「そうだった」
隼人。
コーヒー。
「結果」
「後日」
「はい」
「……」
「落ちたら」
「次」
隼人。
先に言う。
敦。
笑う。
「はい」
「笑うな」
「すみません」
⸻
昼。
事務所。
笑花の。
新しい場面。
仮。
壁。
一枚。
まだ。
ラフ。
夜。
雨ではない。
寒い。
扉の前。
笑花。
俯く。
ノック。
次。
食卓。
湯気。
笑花。
泣いている。
「……」
前原。
通る。
止まる。
「何」
ますみ。
「いや」
「……」
絵。
見る。
「戻ったのか」
「うん」
「ここじゃないって」
「出たのに」
「うん」
「何で」
「怖くなった」
「そうか」
「……」
「ヨシさんなら」
「何て言う」
「何が」
「一回」
「出ていった人が」
「戻ってきたら」
前原。
ますみを見る。
「腹減ってるか聞く」
「……」
「やっぱり」
「何が」
「いや」
「それだけ?」
「先に」
「飯だろ」
「何で戻ったとか」
「後でいい」
「……」
「言いたくねぇなら」
「言わなくてもいい」
ますみ。
少し。
笑う。
「笑花の人」
「ヨシさんみたいになってきた」
「やめろ」
「何で」
「俺を作品に入れんな」
「入れてない」
「ならいい」
前原。
歩く。
「でも」
ますみ。
「ヨシさん」
「何だ」
「出ていったら」
「怒る?」
「何で」
「せっかく」
「助けたのに」
「……」
前原。
少し。
顔。
変わる。
「助けたら」
「そいつの人生」
「俺のになるのか」
「……」
「ならねぇだろ」
ますみ。
「うん」
「じゃあ」
「怒る筋合いねぇ」
前原。
少し歩く。
止まる。
「ただ」
「黙って消えたら」
「心配はする」
「……」
「それは」
「怒っていい?」
「知らん」
「またそれ」
「でも」
前原。
「戻ってきた奴に」
『ほら見ろ』
「って言って」
「何になる」
「……」
「そいつが」
「次」
「戻れなくなるだけだろ」
ますみは。
何も。
返さなかった。
⸻
午後一時。
高瀬。
若い利用者と。
会社。
約束通り。
入口まで。
「ここで」
高瀬。
「はい」
「俺」
「近くにいる」
「……」
「終わったら」
「連絡」
「はい」
若者。
入口。
見る。
「高瀬さん」
「何」
「中」
「来てほしいって」
「思ったら」
「……」
「呼んで」
「はい」
「最初から」
「一緒に入る?」
高瀬は。
聞く。
決めない。
若者。
しばらく。
考える。
「……一人で」
「行ってみます」
「分かった」
若者。
歩く。
止まる。
「高瀬さん」
「何」
「逃げたら」
高瀬。
少し。
以前なら。
「逃げるな」
と。
言ったかもしれない。
「……」
「外出たら」
「連絡して」
「それから」
「考えよう」
若者。
少し笑う。
「最近」
「そればっかですね」
「何が」
「考えよう」
「……」
高瀬も。
少し笑う。
「俺も」
「分かんないから」
若者は。
一人で。
会社へ入った。
⸻
午後二時。
奈々恵。
展示。
もう一度。
見る。
「これ」
「かなり変わるね」
藍。
「うん」
「スペース」
レン。
「問題」
「一枚増えた」
「また削る?」
ますみ。
「……」
全員。
見る。
「嫌」
ますみ。
「でも」
「考える」
奈々恵。
笑う。
「成長」
「言わないで」
「ごめん」
「子ども扱いされた感じする」
「それもごめん」
「うん」
ますみ。
少し。
普通に。
謝罪を受け取る。
⸻
「戻る場面」
航平。
「地図にも」
「入れたい」
「どうやって」
「線」
「一回」
「戻す」
「……」
「そうすると」
「今まで」
「進んでるだけだった道が」
「ぐちゃっとする」
レン。
「それ」
「いい」
「何で」
「人生っぽい」
「レン」
「急に」
「詩人」
「うるさい」
地図。
笑花。
進む。
戻る。
また。
違う方向。
進む。
「……」
ますみ。
「きれいじゃない」
「うん」
「でも」
「こっち」
「好きかも」
航平。
「俺も」
⸻
夕方。
隼人。
事務所。
帰宅。
「どうだった」
前原。
「普通」
「そうか」
「それだけ?」
「何が」
「敦さんも」
「同じ」
「じゃあ」
「普通だったんだろ」
「……」
「結果」
「後日」
「そうか」
「落ちたら」
「次」
隼人。
自分から。
言う。
前原。
少し。
口元。
「何」
「別に」
「笑った?」
「笑ってねぇ」
「絶対笑った」
「飯食え」
「誤魔化した」
⸻
その夜。
笑花。
展示案。
二版。
壁。
A。
昨日まで。
優しい。
まっすぐ。
B。
今日。
一度。
戻る。
泣く。
また。
出る。
地図。
線。
少し。
ぐちゃぐちゃ。
「どっち」
藍。
みんなへ。
聞かない。
ますみへ。
聞く。
「ますみ」
「……」
ますみ。
二つ。
長く。
見る。
「B」
「理由」
「……」
「笑花」
「こっちの方が」
「嫌いになれる」
全員。
少し。
驚く。
「嫌い?」
カナコ。
「うん」
「ちょっと」
「面倒」
「一回」
「ここじゃないって」
「言ったのに」
「戻る」
「……」
「でも」
ますみ。
B。
見る。
「その方が」
「好き」
奈々恵。
少し。
笑う。
「分かる」
「完璧な子って」
「好きになる場所」
「少ないから」
「……」
「欠点?」
「というより」
「人間の余白」
レン。
「また余白」
航平。
「お前の言葉になってるぞ」
「著作権取る」
「無理」
⸻
藍。
B。
丸。
「じゃあ」
「こっちで」
「うん」
ますみ。
今度は。
迷わなかった。
⸻
夕食後。
敦。
洗い物。
隼人。
隣。
「敦さん」
「はい」
「今日」
「ありがとう」
「何が」
「来てくれて」
「……」
「俺」
「結局」
「一人で面接したけど」
「はい」
「でも」
「コンビニに」
「いるって」
「分かってたから」
「……」
「入れた気がする」
敦。
皿。
洗う。
「俺」
「何もしてないですよ」
「それ」
隼人。
「今日」
「三回くらい聞いた」
「え」
「翔太も」
「佐伯さんに」
「同じこと言われたって」
「……」
「何もしないって」
「何もしてないわけじゃ」
「ないんじゃね」
敦。
手。
止まる。
「……」
「何かするのが」
「助けるって」
「思ってた?」
隼人。
「俺も」
「前は」
「そう思ってた」
「……」
「でも」
「今日」
「敦さん」
「コンビニで」
「コーヒー飲んでただけ」
「言い方!」
「でも」
「助かった」
敦。
何も。
言えない。
「だから」
隼人。
皿。
一枚。
取る。
「洗う」
「いいですよ」
「俺もやる」
「……」
二人。
並ぶ。
⸻
奥。
前原は。
聞いていた。
何も。
言わない。
ただ。
少し。
昔を。
思い出していた。
困っている人間を見たら。
引っ張る。
決める。
叱る。
食わせる。
寝かせる。
仕事を探す。
それで。
救えた人も。
いた。
でも。
全部。
自分が。
前へ出る必要は。
なかったのかもしれない。
「……」
川本。
いつの間にか。
隣。
「何考えてる」
「何も」
「そうか」
「……」
「竜司」
「何だ」
「コーヒー」
「自分で入れろ」
「何で」
「俺は」
「何もしねぇ支援を」
「実践してんだ」
川本。
一秒。
「都合よく使うな」
「バレたか」
⸻
夜。
ますみ。
一人。
B案。
見る。
笑花。
一度。
戻る。
泣く。
また。
出ていく。
最初。
ますみは。
この子を。
傷つけたくなかった。
失敗させたくなかった。
誰かに。
嫌われることも。
させたくなかった。
でも。
それは。
もしかしたら。
笑花を。
守っていたのではなく。
閉じ込めていたのかもしれない。
きれいな。
傷つき方。
きれいな。
選び方。
きれいな。
成長。
そこから。
少し。
外へ出す。
間違える。
戻る。
泣く。
また出る。
「……」
ますみ。
鉛筆。
最後の絵。
少し。
修正。
笑花。
町を見る。
昨日より。
ほんの少し。
服が。
汚れている。
靴。
片方。
紐が。
ほどけている。
でも。
直さない。
そのまま。
立っている。
「……」
藍。
後ろ。
「靴」
「うん」
「ほどけてる」
「うん」
「直さないの?」
「今は」
「いい」
「……」
「後で」
「直すかも」
「そっか」
ますみ。
少し。
笑う。
「それも」
「まだ分かんない」
⸻
その頃。
高瀬。
電話。
『終わりました』
「どうだった」
『……怒られました』
「そうか」
『無断で休んだこと』
「うん」
『でも』
「うん」
『来週から』
『戻ってもいいって』
高瀬。
少し。
目を閉じる。
「戻る?」
『……』
「今日」
「決めなくていい」
『はい』
「明日でも」
『はい』
「戻らなくても」
『……』
高瀬。
一瞬。
言葉。
選ぶ。
「相談できる」
『はい』
「戻るなら」
「戻る準備」
「一緒に考える」
『はい』
「別の仕事探すなら」
「それも考える」
『……はい』
「決めるのは」
『俺』
「うん」
電話の向こう。
少し。
笑ったような。
息。
『高瀬さん』
「何」
『前より』
『頼りなくなりましたね』
高瀬。
止まる。
そして。
笑う。
「悪かったな」
『でも』
「うん」
『前より』
『話しやすいです』
「……」
『じゃあ』
「うん」
『明日』
「明日」
電話。
切れる。
高瀬は。
一人。
しばらく。
スマートフォンを。
見ていた。
頼りなくなった。
昔なら。
傷ついたかもしれない。
今は。
少し。
嬉しかった。
⸻
誰かを。
助けること。
誰かを。
描くこと。
誰かの。
隣にいること。
どれも。
きれいには。
できない。
間違える。
戻る。
言い直す。
頼る。
離れる。
また。
来る。
それでも。
戻った時。
「だから言っただろ」
ではなく。
「腹減った?」
と。
言ってもらえる場所なら。
人は。
もう一度。
外へ出られるのかもしれなかった。
⸻
後書き
第75話でした。
今回は『笑花』に、初めて意図的に「失敗」を入れました。
ただし、派手な事件ではありません。
一度「ここじゃない」と自分で出た笑花が、怖くなって、同じ場所へ戻る。
それだけです。
でも重要なのは、戻ったことを「自立の失敗」にしないこと。
迎えた側も、
「だから言っただろ」
とは言わない。
ただ、
「お腹すいた?」
と聞く。
そして笑花は、戻れると知ったからこそ、もう一度そこから出られる。
今回の、
「戻れるから、出られる」
は、『笑花』だけでなく、この物語全体の「居場所」の考え方にもかなり近いものになってきました。
隼人も同じです。
敦は面接へ同行しませんでした。
会社の前まで行き、近くのコンビニにいただけ。
でも隼人にとっては、それで十分だった。
敦自身も少しずつ、
「何かしてあげる」以外の助け方
を知り始めています。
そして高瀬もまた、「正しい答えを出してくれる支援者」から少し離れ始めました。
「前より頼りなくなった。でも前より話しやすい」。
これは高瀬にとって、かなり大きな変化です。
次回、第76話では文化展まで残り約一週間。
今度は作品そのものではなく、「誰に見せるのか」が問題になります。
地域の人。
子ども。
支援者。
たまたま通りかかった人。
そして――組織の一件を知る人。
『笑花』が誰かの実話を利用した作品に見えないか。
ますみたちは初めて、
「自分たちには描く権利があるのか」
という、もっと難しい問題に向き合うことになります。




