知らない人の中で
第72話 知らない人の中で
前書き
知っている人の前なら、
少し失敗しても、
笑って済ませられる。
でも。
知らない人の中へ入った瞬間、
同じことが急に難しくなる。
何をすればいいのか。
邪魔じゃないか。
変に思われないか。
そして時々、
自分が「大したことない」と思っていたものを、
知らない誰かが、
全然違う目で見てくれることがある。
第72話です。
⸻
午前六時四十八分。
高架下の事務所。
「起きて!」
藍の声が響いた。
「早ぇよ……」
木戸がソファの上で。
毛布を頭まで被る。
「今日イベントです!」
「俺出ないし」
「起きて!」
「何で!?」
「人手!」
「聞いてない!」
「今言った!」
「横暴!」
その横。
隼人が。
すでに着替えていた。
「翔太」
「はい」
「軍手どこ」
「玄関の箱」
「これ?」
「それ」
「なんで二種類あんの」
「滑り止め付きと普通」
「何でそんな詳しいの」
「昨日ヨシさんが」
『イベントの設営なめんな』
「って」
「何者なんだあの人」
前原は。
台所。
コーヒー。
「町内会な」
「何が」
「こういう時だけ」
「俺のこと使いやがる」
敦が笑う。
「ヨシさん」
「昔から関わってるんですか」
「勝手に呼ばれる」
「断らないんですね」
「断ったら」
「ジジイが三回電話してくる」
「結局優しい」
「うるせぇ」
⸻
今日。
商店街の秋イベント。
正式名称。
秋のふれあい市
名前は。
かなり穏やか。
実際には。
朝七時半集合。
テント設営。
机。
椅子。
掲示板。
ゴミ箱。
電源コード。
案内表示。
子ども向け輪投げ。
地域団体の出店。
野菜販売。
焼きそば。
フリーマーケット。
小さなステージ。
忙しい。
「これ」
ますみが。
作業用の服。
軍手。
帽子。
全部装備して。
玄関に立っていた。
「変じゃない?」
藍。
「普通」
「本当に?」
「うん」
「帽子」
「大きい?」
「ちょうどいい」
「軍手」
「変?」
「軍手に変とかある?」
「知らない」
「じゃあ大丈夫」
ますみは。
まだ鏡を見る。
敦が。
横から。
「遠足みたいですね」
「……」
「何」
「余計なこと言わないで」
「何で」
「緊張増えた」
「すみません」
⸻
「ますみ」
カナコ。
「荷物」
「うん」
「スケッチブック持ってく?」
「何で」
「暇あったら」
「描けるかも」
「いや」
「今日は仕事」
「そっか」
ますみは。
一度。
スケッチブックを見る。
置く。
でも。
数秒後。
また取る。
「持ってく」
「うん」
「使わないけど」
「はいはい」
「本当に」
「分かった」
⸻
午前七時三十六分。
商店街。
「遅い!」
白髪の男性が。
前原を見るなり叫んだ。
「六分だろ」
「六分は遅刻!」
「集合七時半って」
「七時半には動ける状態!」
「会社か!」
「地域をなめるな!」
「面倒くせぇ!」
敦が。
小声。
「仲いいんですかね」
翔太。
「たぶん」
隼人。
「喧嘩してるようにしか」
「ヨシ!」
「何だ!」
「若いの」
「何人連れてきた!」
「見りゃ分かるだろ!」
「数えろ!」
「お前が!」
「朝から元気ですね」
藍。
「すごい」
ますみは。
少し。
後ろへ下がった。
知らない人。
たくさん。
大人。
子ども。
エプロン。
ジャンパー。
町内会。
商店主。
誰が誰か。
分からない。
「ますみ」
藍が。
小さく言う。
「大丈夫?」
「……分かんない」
「帰る?」
ますみは。
商店街の入口を見る。
戻れる。
普通に。
まだ。
始まってもいない。
「……」
「机」
「何」
「運ぶんだよね」
「うん」
「じゃあ」
一度。
息を吐く。
「机だけ」
「うん」
「やる」
⸻
「若いの!」
白髪の男性。
「はい!」
敦が反射的に返事。
「男手!」
「はい!」
「机!」
「はい!」
「十二脚!」
「はい!」
隼人。
「十二?」
翔太。
「脚じゃなくて台じゃ」
「そこ気にすんな!」
前原。
「運べ!」
「はい!」
グエン。
「ハコブ!」
「何でも楽しそうだな」
「イベント!」
「まだ始まってない」
⸻
ますみ。
藍。
カナコ。
レン。
航平。
別の女性に呼ばれる。
「そこの若い子たち」
「はい」
藍。
「受付?」
「いえ」
ますみが。
即答した。
女性が。
少し驚く。
「あ、ごめん」
「違います」
「受付が嫌なら」
「設営あるよ」
「……」
ますみが。
藍を見る。
「設営」
「できます」
「じゃあ」
「この掲示板」
「テントの奥まで運んでもらえる?」
「はい」
二人一組。
ますみ。
藍。
持つ。
「重っ」
「いける?」
「これくらいなら」
「じゃあ」
「せーの」
運ぶ。
誰も。
ますみを見ていない。
評価も。
していない。
ただ。
「そこ置いて」
「はい」
「ありがとう」
それだけ。
ますみは。
少し。
肩から力が抜けた。
⸻
午前八時二十分。
会場。
かなり形になってきた。
「航平!」
「何」
「その線」
レン。
「電源コード」
「人通る」
「だから」
「養生」
「どこ」
「そこ」
「お前」
「こういうの得意だな」
「地図と同じ」
「違うだろ」
「動線」
「……」
「確かに」
カナコ。
「じゃあステージ側」
「ケーブル」
「人踏まないように」
「任せて」
藍が。
ますみを見る。
「どう」
「……」
「思ったより」
「平気?」
「うん」
「誰も」
ますみが。
周囲を見る。
「私のこと」
「気にしてない」
「そうだね」
「なんか」
「楽」
藍が。
少し笑う。
「知らない人の中の方が?」
「ずっとは嫌」
「うん」
「でも」
「仕事だけなら」
「できるかも」
⸻
その時。
「ごめん!」
さっきの女性。
「一人」
「受付お願いできる?」
ますみ。
硬直。
「……」
藍。
「私行きます」
「あ」
「でも」
女性が。
ますみを見る。
「二十分だけ」
「二人いてほしい」
「……」
ますみ。
完全に止まる。
「無理なら大丈夫」
女性がすぐ言う。
「別探すから」
その言葉。
ますみは。
少しだけ。
顔を上げる。
無理なら。
大丈夫。
「……何するんですか」
「案内チラシ渡す」
「それだけ?」
「あと」
「会場案内聞かれたら」
「地図見て答える」
「……」
「分からなかったら」
「私呼んで」
ますみ。
少し考える。
「二十分?」
「うん」
「藍も?」
「いるよ」
「……」
「じゃあ」
「やります」
⸻
受付。
開始。
午前九時。
「おはようございます!」
藍。
「どうぞ」
ますみ。
小さい。
「もうちょい」
藍。
「何が」
「声」
「出てる」
「十分」
「ほんと?」
「うん」
最初。
五人。
十人。
家族。
高齢者。
子ども。
「チラシどうぞ」
「ありがとうございます」
「野菜どこ?」
「あ」
ますみ。
固まる。
地図。
「……ここ」
「奥?」
「はい」
「右」
「ありがとう」
「……」
行った。
藍が。
小声。
「できた」
「こんなので?」
「こんなので」
⸻
次。
「トイレどこですか」
ますみ。
地図。
「……」
分からない。
「えーと」
頭。
真っ白。
後ろ。
列。
焦る。
「すみません」
ますみ。
声が。
少し震える。
「分かりません」
一瞬。
自分で。
驚いた。
言った。
「今」
「聞きます」
隣の女性。
「あ、トイレなら」
「この角曲がって商店街事務所」
「ありがとうございます」
ますみ。
来場者へ。
「角曲がった」
「商店街事務所です」
「ありがとう」
来場者。
普通に。
行った。
何も。
起きなかった。
藍が。
ますみを見る。
「何」
「いや」
「言えたなって」
「……」
「分からない」
「うん」
ますみ。
少しだけ。
笑う。
「普通だった」
「普通だね」
「誰も怒らない」
「うん」
それが。
少し。
不思議だった。
⸻
午前十時十五分。
「交代!」
隼人が。
何故か。
受付へ来た。
「なんで隼人さん」
「人手」
「受付できるの?」
「できるだろ」
数分後。
「すみません」
高齢の女性。
「ステージって」
「えーと」
隼人。
地図。
「……」
「どこだこれ」
「できないじゃん」
ますみ。
「うるせぇ!」
藍が。
笑う。
「分からないなら」
「言えば」
「分かりません!」
「声でかい!」
女性も。
笑った。
「元気ねぇ」
「すみません」
「ステージならあっちですよ」
ますみが。
指差す。
「ありがとう」
「はい」
女性。
去る。
隼人。
「お前」
「もう受付できてんじゃん」
ますみが。
少しだけ。
止まる。
「……たまたま」
「でも」
「できた」
「……」
「すごいとか言うなよ」
「言ってない」
「顔」
「ヨシさんみたいなこと言うな」
⸻
昼。
裏手。
休憩。
焼きそば。
「うま」
翔太。
「無料?」
「手伝い分」
敦。
「最高ですね」
グエン。
「ヤキソバ!」
「お前今日ずっと食べてない?」
「ハタラク!」
「食う!」
「ハタラク!」
「食う!」
「循環してるな」
木戸。
「理想」
「お前何もしてねぇだろ」
前原。
「受付の椅子運んだ」
「一脚」
「仕事は仕事」
⸻
ますみ。
端。
焼きそば。
藍。
隣。
「疲れた」
「帰る?」
「まだ」
「うん」
「でも」
ますみ。
「受付」
「もうやらない」
「分かった」
「今日は」
「もう十分」
「うん」
「……」
「何」
「いや」
ますみが。
少し笑う。
「できた」
「うん」
「二十分じゃなくて」
「一時間以上」
「うん」
「途中」
「分かりませんって」
「言った」
「聞いてた」
「怒られなかった」
「うん」
「……」
藍。
「それ」
「そんな嬉しい?」
ますみは。
少し考える。
「うん」
「たぶん」
そして。
焼きそばを。
一口。
「思ってたより」
「世の中」
「私の失敗」
「見てない」
藍が。
少しだけ。
目を細める。
「みんな自分のことで忙しいから」
「それ」
「なんか」
「助かる」
⸻
午後一時。
人が増える。
子ども向けコーナー。
輪投げ。
スタンプラリー。
工作。
テント。
ますみは。
設営の片付け途中。
荷物を取りに。
休憩スペースへ戻った。
椅子。
バッグ。
その横。
スケッチブック。
「……」
開いている。
ますみの顔。
固まる。
誰。
ページ。
笑花。
道の端に座る少女。
その前。
一人の小さな女の子。
七歳。
八歳。
くらい。
じっと。
見ていた。
「……」
ますみ。
動けない。
見られてる。
勝手に。
開かれてる。
胸。
ぎゅっとなる。
「それ」
ますみの声。
少し強くなる。
「私の」
女の子が。
振り返る。
「あ」
「ごめんなさい」
すぐ。
手を離す。
「……」
ますみ。
言いすぎた。
そう思う。
「ごめん」
女の子。
「見ちゃった」
「……うん」
「だめだった?」
「……」
本当なら。
嫌。
見られたくなかった。
でも。
もう。
見られた。
「ちょっと」
「嫌だった」
ますみが言う。
女の子。
顔を下げる。
「ごめんなさい」
「でも」
ますみ。
急いで続ける。
「絵が嫌じゃなくて」
「勝手に開かれたのが」
「嫌だった」
女の子。
少し顔を上げる。
「うん」
「だから」
「次」
「見たいなら」
「聞いて」
「……うん」
「ごめんなさい」
「うん」
ますみは。
スケッチブックを取る。
閉じる。
そこで。
終わるはずだった。
「お姉ちゃん」
「何」
「もう一回」
「見ていい?」
ますみが。
止まる。
⸻
「……」
「聞いた」
女の子。
「今」
「聞いたよ」
「……」
ますみは。
困る。
断っていい。
さっき。
自分で。
そう言った。
嫌なら。
嫌。
でも。
「どれ」
「え」
「どの絵」
女の子。
少し嬉しそうに。
「座ってる子」
「……」
ますみ。
スケッチブック。
開く。
そのページ。
女の子。
隣。
しゃがむ。
「この子」
「笑花」
「えみか?」
「うん」
「何してるの」
「……」
ますみ。
答えに困る。
「帰る場所」
「なくした」
「家?」
「たぶん」
「お母さんは?」
「……」
「分かんない」
「お父さん」
「それも」
「かわいそう」
ますみの胸が。
少し。
引っ掛かる。
かわいそう。
そう見える。
当然かもしれない。
「でも」
女の子。
「この子」
「泣いてないね」
「……」
「うん」
「何で」
ますみ。
絵を見る。
「泣けないのかも」
「ふーん」
女の子。
しばらく見て。
「この子」
「怒ってる?」
「え?」
ますみが。
女の子を見る。
「何で?」
「目」
「……」
「泣きそうだけど」
「ちょっと怒ってる」
ますみ。
絵を見る。
そんなつもり。
なかった。
「誰に?」
ますみが。
逆に聞く。
「分かんない」
女の子。
「でも」
指。
笑花の目。
「こっち来てって」
「言われて」
「嫌って言ってるみたい」
ますみの。
呼吸が。
少し止まった。
⸻
「……嫌って」
「うん」
「言ってる?」
「言ってる」
「でも」
「口」
「閉じてるよ」
「目で」
女の子。
当然のように言う。
「嫌って」
「……」
ますみは。
絵を見る。
ずっと。
笑花は。
笑っているのに泣きそうな子だった。
最初。
ますみ自身も。
なぜそう描くのか。
分からなかった。
それが。
少しずつ。
変わった。
今。
この絵。
道端。
顔を上げている。
女の子には。
「怒っている」
ように見えた。
「お姉ちゃん」
「何」
「この子」
「最後」
「家帰るの?」
ますみ。
「まだ」
「分かんない」
「えー」
「何」
「お話」
「終わってないの?」
「うん」
「じゃあ」
女の子。
「帰らなくてもいいんじゃない」
ますみが。
顔を上げる。
「え?」
「だって」
「帰るとこないんでしょ」
「……」
「新しいとこ」
「作ればいいじゃん」
「……」
「友達んちでも」
「公園でも」
「学校でも」
「ずっと公園は無理でしょ」
「じゃあ」
「いっぱい」
「作る」
ますみ。
「いっぱい?」
「うん」
女の子は。
指で。
絵の中の道を。
なぞる。
「ここにも」
「ここにも」
「帰れるとこ」
「作れば」
「一個なくなっても」
「大丈夫じゃん」
ますみは。
何も言えなかった。
⸻
「彩乃!」
遠く。
女性の声。
「どこ行ったの!」
「あ」
女の子。
「ママ」
走ろうとする。
「待って」
ますみ。
女の子。
振り返る。
「……」
何を。
言いたい。
「ありがとう」
女の子。
「何が?」
「……」
ますみ。
少し笑う。
「絵」
「見てくれて」
「うん」
「また描いてね」
それだけ言って。
女の子。
母親の方へ走っていく。
「勝手に離れないの!」
「ごめんなさい!」
「もう!」
普通の親子。
手。
繋ぐ。
人混みへ。
消える。
ますみは。
一人。
スケッチブックを。
抱えていた。
⸻
「ますみ?」
藍が。
戻ってくる。
「どうした」
「……」
「顔」
「何」
「変?」
「なんか」
「泣きそう」
「泣いてない」
「うん」
「……」
「何あった」
ますみ。
さっきのこと。
話す。
全部。
藍は。
途中で。
口を挟まない。
「いっぱい」
「帰れる場所」
藍が。
最後に。
小さく言う。
「うん」
「一個なくなっても」
「大丈夫」
「うん」
ますみは。
自分の絵を見る。
「私」
「帰る場所」
「見つける話に」
「しようとしてた」
「うん」
「でも」
「一個じゃなくても」
「いいのかな」
「……」
藍が。
少し考える。
「ますみは」
「どう思う」
「……」
「分かんない」
「うん」
「でも」
ますみ。
スケッチブックを開く。
「描いてみたい」
「何を」
「帰る場所が」
「増えていくところ」
⸻
午後二時二十八分。
「航平!」
「何」
ますみが。
地図を持って。
走ってくる。
「この道」
「うん」
「全部」
「別の場所に行くんだよね」
「そうだけど」
「帰る場所」
「一個じゃなくしよう」
航平。
「……」
「どういう」
「笑花」
「最後」
「一個の家に」
「帰らない」
「……」
「町の中に」
「帰れる場所」
「何個かできる」
「例えば?」
「……」
ますみ。
地図。
指。
「ここ」
「食堂」
「うん」
「ここ」
「絵描ける場所」
「うん」
「ここ」
「寝られる場所」
「うん」
「ここ」
「嫌になったら」
「一人になれる場所」
「……」
「あと」
少し考える。
「誰かに会いたい時」
「行ける場所」
航平。
地図を見る。
「じゃあ」
「一本のルートじゃ」
「ダメだな」
「うん」
「行ったり来たり?」
「うん」
「戻る道も」
「描く?」
ますみ。
少しだけ。
笑う。
「描いて」
「了解」
「……仮ね」
「まだ言う?」
「仮」
⸻
レン。
「じゃあロゴ」
「後!」
「何で!」
カナコ。
「曲も」
「最後」
「終わらない感じがいいかも」
「終わらない?」
「ちゃんと」
「ジャーン」
「って終わらず」
「町の音に戻る」
「……」
藍。
「いいかも」
「笑花は」
「物語が終わっても」
「そこで生活続くから」
ますみ。
「それ」
「好き」
敦が。
荷物運びから戻って。
「何の話?」
「構成変わった」
「また?」
「うん」
「完成する?」
「分かんない」
「でしょうね」
⸻
午後三時。
前原。
白髪の町内会男性と。
揉めていた。
「ヨシ!」
「何だ!」
「焼きそば足りん!」
「俺に言うな!」
「若いの出せ!」
「店の人間じゃねぇ!」
「人手!」
「何でも俺に振るな!」
恵子まで。
ひだまり食堂から。
応援に来ていた。
「正義」
「はい」
前原。
即返事。
敦が。
目を丸くする。
「ヨシさん」
「何で恵子さんには」
「返事が良いんですか」
「うるせぇ」
「焼きそば」
恵子。
「運んで」
「はい」
「めっちゃ素直」
隼人が笑う。
「隼人」
「はい?」
「お前も」
「何を」
「運べ」
「俺まで!?」
「若いんだから」
「はい……」
⸻
そんな中。
翔太。
携帯を見る。
着信。
コンビニ。
面接先。
「……」
出る。
「はい」
『先日面接いただいた――』
数十秒。
「はい」
「はい」
「ありがとうございます」
切る。
敦。
ちょうど近く。
「どうした?」
「……」
「翔太?」
「受かりました」
「え」
「バイト」
「受かった?」
「はい」
「おお!」
敦。
思わず大きな声。
周囲。
見る。
「すみません」
翔太。
「何で岡野さんが謝るんですか」
「いや」
「嬉しくて」
「……」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
隼人。
焼きそば持ちながら。
「マジ?」
「はい」
「いつから」
「来週」
「おお」
「……」
翔太。
少し。
不安そう。
「何」
隼人。
「いや」
「受かったのに」
「怖い」
「そりゃ怖いだろ」
「え」
「初日だぞ」
「……」
「俺も仕事探してるけど」
「受かったらたぶん怖い」
翔太。
「そういうもんですか」
「知らん」
「……」
「でも」
隼人。
「嫌だったら」
「初日終わってから」
「また考えれば」
「……」
「初日前に」
「全部決めなくていいだろ」
翔太が。
少し。
笑う。
「最近」
「ヨシさんみたいですね」
「やめろ」
「岡野さんも言われてました」
「もっとやめろ」
⸻
午後四時半。
イベント。
終了。
そこから。
本番。
「片付け!」
白髪男性。
「朝より元気だな!」
前原。
「年寄りなめんな!」
「なめてねぇ!」
テント。
机。
椅子。
ゴミ。
分別。
掲示物。
疲れている。
でも。
みんな。
朝より動きがいい。
ますみも。
何も聞かず。
掲示板。
持つ。
「そこ」
女性。
「倉庫お願い」
「はい」
返事。
自然。
藍が。
少し見る。
ますみ。
「何」
「いや」
「朝と違うなって」
「……」
「朝の私」
「どんな」
「逃げそう」
「逃げようとは思ってた」
「今は」
「早く帰りたい」
「それは私も」
二人。
笑う。
⸻
午後五時五十二分。
全部。
終わった。
「お疲れ!」
町内会。
封筒。
参加者へ。
「日当」
藍。
「ほんとに出た」
「当たり前!」
白髪男性。
「労働には対価!」
前原が。
少し驚いた顔。
「お前」
「まともなこと言うな」
「何だと思ってる!」
「うるせぇジジイ」
「ヨシ!」
「何だ!」
最後まで。
喧嘩。
⸻
事務所へ戻る。
机。
封筒。
全員。
中身。
「五千円」
カナコ。
「私も」
航平。
「五千」
レン。
「同じ」
藍。
「ますみ」
「うん」
ますみ。
封筒。
開ける。
五千円。
「……」
「初?」
藍。
「こういうバイト」
「うん」
「どう」
「疲れた」
「金は?」
「……」
ますみ。
札を見る。
「変な感じ」
「何が」
「知らない人の中で」
「働いて」
「もらった」
「うん」
「私でも」
「役に立ったんだ」
藍が。
すぐ。
否定も肯定もしない。
「ますみは」
「そう思った?」
「……うん」
「じゃあ」
「それでいいんじゃない」
⸻
「全部で」
航平が計算。
「二万五千」
カナコ。
「結構ある!」
レン。
「印刷いける」
「パネル」
「最低限」
「音響」
「機材は借りる」
「よし」
藍。
「じゃあ」
「応募」
ますみ。
固まる。
「……」
「まだ?」
「今日?」
「今日じゃなくていい」
「……」
ますみ。
封筒。
スケッチブック。
女の子。
言葉。
『帰れるとこ、いっぱい作れば』
「……」
「今日」
ますみが言う。
「押す」
全員。
止まる。
「本当に?」
藍。
「うん」
「無理してない?」
「怖い」
「うん」
「でも」
「押す」
⸻
午後七時十九分。
文化展。
応募フォーム。
作品名。
笑花――帰る場所は、まだ分からない
参加者。
グループ。
代表。
ますみ。
「代表」
「私?」
「作品の中心」
藍。
「でも」
「みんな」
「一緒」
「うん」
「じゃあ」
「名前」
ますみ。
自分で。
入力。
作品概要。
何度も。
書き直した。
最後。
⸻
帰る場所をなくした少女・笑花が、町を歩きながらさまざまな人と出会う物語です。
誰かに助けてもらうこと。自分で選ぶこと。逃げること。戻ること。
一つの「正しい場所」を見つけるのではなく、少しずつ「帰ってもいい場所」が増えていく物語を、絵・文章・音楽・地図で表現します。
⸻
「……」
ますみ。
読む。
「どう」
藍。
「分かんない」
「出す?」
「うん」
応募。
送信。
大きな。
ボタン。
「みんな」
ますみ。
「いる?」
「いる」
「うん」
「いるよ」
「います」
それぞれ。
机を囲む。
「じゃあ」
ますみの指。
震える。
「押す」
クリック。
画面。
ご応募ありがとうございました。
「……」
静か。
「……」
ますみ。
「終わった?」
「応募は」
藍。
「した」
「……」
「した?」
「うん」
「……」
ますみ。
顔。
少し青い。
「やばい」
「何が」
「取り消したい」
「早い!」
カナコ。
「無理!」
レン。
「まだできるかも」
「調べるな!」
航平。
「いや取り消さないんだろ?」
「分かんない!」
藍が。
笑う。
「じゃあ」
「今日は」
「取り消さない」
「明日考える」
「……」
「うん」
ますみ。
画面を閉じる。
「今日は」
「それでいい」
⸻
夕食。
和子。
鶏の照り焼き。
味噌汁。
冷奴。
イベント組。
全員。
疲労。
「静かですね」
敦。
「体力ない」
隼人。
「若いのに」
「お前もだろ」
「俺は若い」
「俺も」
「年二つしか」
「細かい」
翔太。
「俺」
「来週からバイト」
和子。
「決まったの」
「はい」
「良かったね」
「はい」
「無理なら」
「言いな」
「……はい」
「でも」
「初日行く前から」
「無理って決めない」
「はい」
「行って」
「見て」
「それから」
「はい」
和子。
ご飯。
「おかわり」
「お願いします」
それだけ。
⸻
「隼人」
前原。
「ん」
「お前」
「求人」
「見るって言ってたな」
「……」
「忘れてない」
「じゃあ」
新聞。
求人欄。
置く。
「古っ」
隼人。
「スマホで見るわ」
「じゃあ見ろ」
「今日?」
「別に明日でも」
「……」
隼人。
少し。
スマートフォン。
開く。
「条件」
敦。
「何かあります?」
「分かんねぇ」
「夜勤は?」
「できるけど」
「ずっとは嫌」
「接客」
「……」
「居酒屋やってたから」
「できる」
「工場」
「どうだろ」
「配送」
「免許ない」
「コンビニ」
「翔太とかぶる」
「かぶって何が悪いんですか」
翔太。
「なんとなく」
検索。
隼人。
初めて。
求人を。
ちゃんと見る。
⸻
ますみは。
その横。
スケッチ。
新しいページ。
笑花。
小さな町。
一つ。
灯りのある食堂。
別の場所。
絵を描ける部屋。
公園。
学校。
誰かの家。
そして。
どこにも属さない。
小さなベンチ。
「ますみ」
藍。
「それ」
「うん」
「今日の子?」
「そのままじゃない」
「うん」
「でも」
「言われたこと」
「入れた」
「帰れる場所」
「いっぱい」
「うん」
「ただ」
ますみ。
鉛筆。
止まる。
「全部」
「誰かの場所だと」
「疲れそう」
「どういう」
「一人になれる場所も」
「帰れる場所にしたい」
藍が。
少し考える。
「だからベンチ?」
「うん」
「誰にも」
「何も言わなくていい」
「……」
「ただ座っていい」
藍。
「いいね」
「じゃあ」
「このベンチ」
「最後に出す?」
ますみ。
首を横へ。
「途中」
「何で」
「最後は」
少し考える。
「まだ」
「分かんない」
「そっか」
「でも」
ますみ。
少し笑う。
「前より」
「分からないの」
「怖くない」
⸻
夜。
施設。
高瀬は。
例の若い利用者から。
連絡を受けていた。
『会社から、明日来られるなら一度話しましょうって』
「どうする」
『……行きます』
「戻る?」
『分かりません』
「話すだけ?」
『はい』
「じゃあ」
「それでいい」
『高瀬さん』
「何」
『一緒に来ます?』
高瀬。
少し。
止まる。
「来てほしい?」
『……会社の前まで』
高瀬が。
ほんの少し。
笑う。
「分かった」
『中は』
「入らない」
『はい』
「必要になったら」
『呼びます』
「うん」
電話。
切る。
高瀬は。
自分の机を見る。
以前なら。
面談に同席した。
説明した。
場合によっては。
本人の代わりに。
話した。
今回は。
会社の前まで。
そこから。
本人が行く。
必要なら。
呼ぶ。
「……」
難しい。
でも。
悪くない。
⸻
その頃。
倉田。
監督担当への。
提出資料。
一覧。
作っていた。
職員。
過去記録。
運用。
規則。
その中。
一つ。
止まる。
退所者への継続連絡に関する方針
従来。
原則なし。
過去への執着を避ける。
自立促進。
新生活への集中。
「……」
倉田は。
削除。
書き直す。
退所後の連絡は本人の希望を確認する。
さらに。
再相談・再利用の窓口を明示する。
手。
止まる。
森川。
須藤。
白石。
出ていった人。
失敗した人。
戻ってこなかった人。
自分たちは。
前を向かせるつもりで。
過去を。
切っていた。
「……」
倉田。
小さく。
「戻っても」
「よかったんだな」
誰に言ったのか。
分からない。
⸻
午後十一時。
事務所。
ほとんど。
眠った。
ますみだけ。
テーブル。
応募完了メール。
何度も。
見る。
消したい。
でも。
消さない。
隣。
スケッチブック。
今日。
知らない女の子が見た。
笑花。
「……」
そこへ。
敦。
水。
「まだ起きてたんですか」
「うん」
「応募」
「しましたね」
「うん」
「おめでとうございます」
「まだ」
「何が」
「選ばれるか」
「分かんない」
「応募したこと」
「おめでとうでいいんじゃないですか」
「……」
ますみ。
少し考える。
「そう?」
「だって」
「一週間前」
「無理って言ってた」
「うん」
「今日」
「押した」
「うん」
「展示できるかは」
「その後」
ますみ。
少し笑う。
「岡野さん」
「最近」
「言うことヨシさんっぽい」
「それ今日何回目!?」
「知らない」
「本当にやめてください」
ますみ。
笑う。
⸻
「今日」
ますみが言う。
「子どもに」
「絵見られた」
「聞きました」
「怒った」
「うん」
「でも」
「ちゃんと」
「嫌だったって言えた」
「うん」
「そのあと」
「見ていいって」
「聞かれた」
「うん」
「それで」
「見せた」
敦。
「良かった?」
「……」
「分かんない」
「でも」
ますみ。
絵を見る。
「私」
「ずっと」
「人に見せたら」
「評価されると思ってた」
「……」
「上手いとか」
「下手とか」
「好きとか」
「嫌いとか」
「うん」
「でも」
「あの子」
「この子怒ってるって」
「言った」
「……」
「私」
「思ってなかった」
「へえ」
「だから」
ますみ。
少し。
目を細める。
「見せたら」
「自分が知らなかったもの」
「返ってくることも」
「あるんだなって」
敦は。
頷く。
「創作って」
「面白いですね」
「岡野さん」
「描かない?」
「俺?」
「うん」
「無理」
「早い」
「本当に無理!」
「顔」
「前原さんみたいに顔読むのやめて!」
⸻
ますみは。
笑った。
そして。
応募完了メール。
もう一度。
見る。
怖い。
まだ。
怖い。
知らない人が。
自分の絵を見る。
足を止めないかもしれない。
笑うかもしれない。
何も感じないかもしれない。
でも。
今日。
一人。
知らない女の子が。
足を止めた。
それだけで。
自分の中に。
なかった道が。
一つ。
増えた。
帰れる場所を。
一個にしなくていい。
作品の意味も。
一個でなくていい。
ますみは。
スケッチブックの端へ。
小さく書いた。
見せる=答えをもらうことじゃない。
少し考えて。
その下。
知らない答えが増えること。
文字を見て。
「……なんか」
呟く。
「藍みたい」
「悪口ですか?」
奥から。
藍の声。
「起きてたの!?」
「今の全部聞いた」
「最悪!」
「良い台詞だった」
「忘れて!」
「作品に使う」
「やめて!」
夜の事務所。
また。
小さな笑い声。
その中。
笑花の町には。
昨日までなかった。
いくつもの帰り道が。
少しずつ。
描かれ始めていた。
⸻
後書き
第72話でした。
今回は、ますみにとってかなり大きな回です。
ただ「イベントのバイトを成功させる」だけではなく、
まず、
知らない人の中で「分かりません」と言っても何も壊れなかった。
ここが一つ。
そして、
知らない子どもに絵を見られた。
最初は嫌だった。
だから、
「勝手に見るのは嫌だった」とちゃんと言った。
その上で、
改めて「見ていい?」と聞かれ、
自分で「見せる」と決めた。
これは小さな出来事ですが、
ますみにとってはかなり重要です。
さらに子どもの、
「帰れるところをいっぱい作ればいい」
という言葉。
これによって『笑花』の物語も変わりました。
一つの理想的な居場所へ辿り着く物語ではなく、
食事できる場所。
描ける場所。
会いたい人がいる場所。
一人になれる場所。
いくつもの場所を持ちながら生きていく。
これはこの作品全体の「居場所」というテーマにも、そのまま繋がってきます。
そしてついに、
文化展へ応募しました。
まだ出展決定ではありません。
ここからが本番です。
翔太もバイト採用。
隼人も求人を見始めた。
高瀬も「会社の前まで一緒に行く」という、新しい支援の距離を試し始めています。
次回、第73話では――文化展から正式な出展通知が届きます。
喜ぶメンバー。
しかし同時に、
展示スペースが想定より小さい。
絵も。
文章も。
音楽も。
地図も。
全部は置けない。
そこで初めて、
この創作チームの中で本格的な意見の衝突が起こります。
「全部大事だから全部見せたい」ますみ。
「削らなきゃ作品にならない」藍。
そして、航平やカナコにもそれぞれ譲れない部分が出てくる。
仲が良いからこそ、
今まで避けていた「誰かの案を捨てる」という作業が始まります。




