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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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71/105

見せるということ

第71話 見せるということ


前書き


作るだけなら、


失敗しても自分たちだけで済む。


でも。


誰かに見せるとなった瞬間、


作品は少しだけ怖くなる。


どう思われるだろう。


笑われないだろうか。


伝わらなかったら。


嫌われたら。


それでも、


外へ出してみたいと思うのは、


なぜだろう。


第71話です。


⸻


 午後三時十二分。


 高架下の事務所。


「無理」


 ますみが言った。


「まだ何も言ってない」


 藍が答える。


「顔で分かる」


「前も聞いたな、それ」


「じゃあ言わなくていい」


「いや、言う」


「無理」


「早いって」


 机の上。


 文化展の募集要項。


 その横。


 スケッチブック。


 ノート。


 付箋。


 カナコのスマートフォン。


 航平が持ってきた大きな方眼紙。


 レンのロゴ案。


 いつの間にか。


 本格的になっていた。


「ますみ」


 藍が言う。


「締め切り」


「言わないで」


「あと十九日」


「言った!」


「現実だから」


「聞きたくない現実もある」


 カナコが。


 スマートフォンを見ながら言う。


「曲」


「一分二十秒くらいできたよ」


「何でそんな進んでるの」


「楽しいから」


「私だけ置いてかれてない?」


 航平。


「町の基本地図も」


「見せなくていい!」


「まだ何も」


「絶対すごいの持ってる!」


「まあ」


「ほら!」


 レンが。


 紙を裏返す。


「ロゴ」


「隠して!」


「なんで!?」


「みんな完成度上げないで!」


 敦が。


 少し離れたところで。


 笑っていた。


「楽しそうですね」


 前原。


「どこがだ」


「揉めてますけど」


「揉めてんじゃねぇか」


「でも楽しそう」


 前原は新聞をめくる。


「お前」


「何だかんだ」


「ずっと見てんな」


「え?」


「そいつら」


「……」


 敦は。


 創作机を見る。


「まあ」


「最初から見てるので」


「なら」


「口出しすんなよ」


「してないですよ」


「顔がしてる」


「顔?」


「何か手伝えねぇかなって顔」


 敦が。


 少し黙る。


「……分かります?」


「うるせぇほどな」


⸻


「岡野さん」


 ますみが呼ぶ。


「はい!」


「ほら」


 前原がぼそっと言った。


「何か手伝いたそうだったから」


「言ってない!」


「顔」


「ヨシさんと同じこと言わないで!」


「それで」


 ますみ。


「これ」


 一枚の紙。


「見てください」


「俺?」


「はい」


「藍じゃなくて?」


「藍は」


 ますみが横を見る。


「何でもいいって言うから」


「言ってない」


「だいたい言う」


「ますみが考えたなら一回やってみよう、とは言う」


「それ」


「何でもいいと同じ」


「違う!」


 敦は。


 紙を受け取る。


 そこには。


 短い文章。


⸻


笑花――帰る場所を探す子どもたち


 ある日、笑花は帰る場所をなくしました。


 どこへ行けばいいのか分かりません。


 道を歩いていると、いろいろな人に出会います。


 「こっちへ来なさい」と言う人。


 「こうすれば大丈夫」と教える人。


 何も言わず、ご飯をくれる人。


 一緒に道を考えてくれる人。


 笑花は、帰る場所を探しながら、


 少しずつ、


 自分で歩くことを覚えていきます。


⸻


「……」


 敦が読む。


「どうです?」


「え?」


「変?」


「いや」


「つまんない?」


「そうじゃなくて」


 敦は。


 もう一度読む。


「なんか」


「何」


「綺麗すぎる気がする」


 ますみの眉が動く。


 藍が。


 少しだけ笑った。


「やっぱり?」


「ちょっと」


「待って」


 ますみ。


「藍も思ってたの?」


「少し」


「言ってよ!」


「今言ったら怒ると思って」


「今も怒る!」


「ほら」


「ほらじゃない!」


 敦が。


 慌てて手を振る。


「悪いって意味じゃないです」


「じゃあ何」


「えーと」


 敦は。


 言葉を探す。


「笑花」


「最初から」


「ちゃんと自分で歩けそうに見える」


 ますみが。


 止まる。


「……」


「帰る場所なくして」


「怖くて」


「何したらいいか分かんなくて」


「でも」


「文章だと」


「ちゃんと旅してる感じ」


「……」


「もっと」


 敦は。


 少し考える。


「最初」


「何もできなくてもいいんじゃないですか」


 ますみが。


 紙を見る。


「動けない?」


「うん」


「泣いてても」


「いい?」


「いいと思います」


「逃げても?」


「それも」


 敦は笑う。


「俺」


「逃げましたし」


 ますみが。


 顔を上げる。


「……」


「でも」


「それでここ来た」


「……」


 藍が。


 ノートを開く。


「じゃあ」


「冒頭」


「変えようか」


 ますみが。


 しばらく考える。


「笑花」


「最初」


「歩かない」


「うん」


「道の端に」


「座ってる」


「うん」


「誰かが」


「こっち来なって言っても」


「行かない」


 藍が書く。


「何で?」


「怖いから」


「何が」


「……」


 ますみは。


 少しだけ。


 自分の胸を見る。


「行ったら」


「戻れなくなりそうだから」


 藍のペンが。


 一瞬止まった。


 でも。


 何も言わず。


 続きを書いた。


⸻


「これ」


 航平が。


 大きな紙を広げる。


「地図」


「だから早いって!」


「仮だから」


「その言葉禁止!」


 町。


 川。


 小さな商店街。


 古い駅。


 丘。


 学校。


 公園。


 そして。


 道が。


 いくつも分かれている。


「すご」


 敦が覗く。


「ゲームみたい」


「ゲームじゃない」


「でも」


 航平が指を差す。


「笑花が」


「どこを通るか」


「一個に決めなくていいと思って」


「何で?」


 ますみ。


「帰る場所って」


「一個じゃないんだろ」


 敦が。


 少し反応する。


 昨日。


 似た話をしたばかりだった。


「この道」


 航平。


「学校へ行く」


「こっち」


「市場」


「こっちは」


「町の外」


「でも」


「全部」


「最終的に同じ場所へ行く必要はない」


「……」


「見る人によって」


「笑花がどこへ行くか」


「違ってもいい」


 ますみが。


 地図を見る。


「それ」


「展示でどうするの」


「そこは分からん」


「設計だけするな!」


「でも面白くない?」


 カナコ。


「私は好き」


 レン。


「俺も」


 藍。


「使えるかも」


「みんなすぐ乗る!」


⸻


 その時。


 入口。


「ただいま」


 翔太。


「おかえり」


 敦。


「帰ってきた?」


 隼人も奥から。


「仕事探し」


「どうだった」


「一個」


「電話しました」


「おお」


 木戸。


「偉い」


「何で木戸さんが上から」


「人生の先輩」


「反面教師」


「お前ら最近俺に厳しくない?」


 翔太が。


 鞄を置く。


 テーブル。


 文化展の紙。


「進んでます?」


 ますみ。


「進んでない」


 藍。


「進んでる」


「どっち」


「分かんない」


「便利ですね、それ」


「翔太が言うな」


 隼人が笑う。


⸻


「笑花」


 翔太が。


 スケッチを見る。


「この子」


「うん」


「前より」


「ちょっと顔変わりました?」


 ますみが。


 驚く。


「分かる?」


「なんとなく」


「どこ」


「前」


「笑ってるけど」


「もっと」


「……怖そうだった」


 ますみ。


「今は?」


「怖いけど」


 翔太は。


 少し考える。


「見てる感じ」


「何を」


「周り」


「……」


「逃げる場所とか」


「人とか」


「ちゃんと見てる」


 ますみは。


 絵を見る。


 意識して。


 そう描いたわけではなかった。


 でも。


 そうなっていた。


「翔太」


「はい」


「これ」


「読んで」


「え」


「冒頭」


 ますみが。


 修正版を渡す。


⸻


 笑花は、


 帰る場所をなくしました。


 でも、


 どこかへ行こうとは思いませんでした。


 道の端に座って、


 暗くなるまで、


 ただ人が通り過ぎるのを見ていました。


 誰かが「こっちへおいで」と言いました。


 笑花は首を横に振りました。


 行ったら、


 もう戻れなくなるような気がしたからです。


⸻


 翔太は。


 黙って読む。


「……」


「どう」


「俺」


「こういうの分かんないです」


 ますみの顔が。


 少し曇る。


「けど」


「うん」


「前のより」


「こっちの方が」


「俺は好きです」


「何で」


 翔太が。


 紙を見る。


「最初から」


「行けなくてもいいから」


「……」


「なんか」


「分かる」


 ますみは。


 その言葉を。


 じっと聞いた。


「ありがと」


「はい」


 翔太。


「でも」


「何」


「最後どうなるんです?」


 全員。


 沈黙。


「決まってない」


 藍。


「え」


「帰る場所」


「見つけるんじゃないんですか」


「分かんない」


 ますみ。


「……」


 翔太が。


 笑う。


「大丈夫なんですか」


「大丈夫じゃない!」


⸻


 午後五時。


 文化展。


 申し込み締め切り。


 十九日。


 作品概要。


 展示方法。


 必要スペース。


 参加人数。


 タイトル。


「タイトル」


 レンが言う。


「今のまま?」


「仮」


 ますみ。


「また」


「仮」


「でも応募にはタイトルいるよ」


「……」


「笑花――帰る場所を探す子どもたち」


 カナコ。


「長くない?」


「少し」


 藍。


「じゃあ」


「笑花だけ?」


 航平。


「それだと何か分からない」


「分からなくても良くない?」


「展示タイトルだぞ」


「何か」


 ますみが。


 スケッチを見る。


「帰る場所」


「そこ」


「入れたい」


「じゃあ」


 敦が。


 思いつくまま言う。


「笑花――帰る場所は、まだ分からない」


 全員。


 敦を見る。


「……」


「何」


 敦が不安になる。


「変?」


 ますみ。


「ちょっと長い」


「ですよね」


「でも」


 藍。


「意味は好き」


 カナコ。


「曲名にもできそう」


 航平。


「地図とも合う」


 レン。


「ロゴは長い」


「お前だけ現実的」


 ますみが。


 紙へ。


 ゆっくり。


 書く。


笑花――帰る場所は、まだ分からない


「……仮」


「はいはい」


「仮だから!」


⸻


 一方。


 同じ時刻。


 市内。


 施設。


 高瀬は。


 利用者の一人と。


 面談していた。


 二十三歳。


 男性。


 派遣の仕事を。


 三日。


 無断欠勤した。


「どうした」


 高瀬が聞く。


「……」


「会社」


「行けなかった?」


「はい」


 男は。


 俯いている。


 以前の高瀬なら。


 次に聞くことは決まっていた。


 何が原因だったか。


 自分の行動のどこに問題があったか。


 次回どう改善するか。


 そして。


 記録。


 反省。


「……」


 高瀬は。


 一度。


 口を閉じた。


「何があった」


「……」


「怒られますか」


 高瀬の胸が。


 少し痛む。


「話したら?」


「はい」


「分からない」


 男が。


 顔を上げる。


「え」


「内容による」


「……」


「でも」


 高瀬は。


 少し考える。


「先に」


「飯食った?」


「……昨日の夜から」


「食ってない?」


「はい」


「じゃあ」


「先に食おう」


「え」


「腹減ってる時」


「話しても」


「たぶんろくな話にならない」


 高瀬自身が。


 言ってから。


 苦笑する。


 完全に。


 誰かの影響を受けている。


「……何か」


 男が聞く。


「変わりました?」


「俺?」


「はい」


「そう?」


「前だったら」


「まず理由聞かれた」


「……」


 高瀬は。


 少し黙る。


「どっちがいい」


「え」


「先に話すのと」


「先に飯」


 男が。


 迷う。


「……飯」


「分かった」


「怒らない?」


「今は」


「怒ってない」


「後で?」


「話聞かないと分からん」


 男が。


 少しだけ。


 笑った。


「それ」


「ずるいですね」


「俺も最近覚えた」


⸻


 休憩室。


 おにぎり。


 味噌汁。


 高瀬は。


 相手が食べるのを。


 急かさない。


 食べ終わってから。


 話を聞いた。


 派遣先で。


 失敗した。


 上司に。


「またお前か」


 と言われた。


 次の日。


 怖くなった。


 駅まで行った。


 でも。


 改札を通れなかった。


 その次の日。


 さらに行きづらくなった。


「……」


「電話は?」


「できませんでした」


「何で」


「怒られるから」


「実際?」


「……してないから分からない」


「そうだな」


 高瀬は。


 しばらく考える。


「どうしたい」


「……」


「辞めたい?」


「分かりません」


「戻りたい?」


「それも」


「じゃあ」


 高瀬は。


 以前なら。


 次の行動を。


 決めさせた。


 今日は。


「今日は」


「会社に謝るところまで」


「一緒にやる?」


 男が。


 少し考える。


「……電話」


「怖いです」


「代わりに俺が話す?」


「それも」


「嫌?」


「……」


「じゃあ」


「メール?」


「それなら」


「できるかも」


「書く?」


「はい」


「俺」


「横いる?」


「……はい」


「分かった」


 たった。


 それだけ。


 でも。


 高瀬には。


 今までの面談より。


 ずっと難しかった。


 正解が。


 決まっていないから。


 それでも。


 男が。


 自分のスマートフォンを。


 自分で開いた。


 高瀬は。


 その横に。


 座った。


⸻


 午後六時。


 事務所。


「展示方法」


 藍が読む。


「壁面二メートル」


「机一台」


「電源一口」


「音響は」


「イヤホンなら可」


 カナコ。


「じゃあ」


「音楽流せる」


「ヘッドホン?」


「それか」


「小さいプレイヤー」


「予算」


 レン。


「……」


 全員。


 沈黙。


「金」


 航平。


「ない」


「終わった」


「早い!」


 敦。


「いくらくらい」


「印刷」


「パネル」


「小冊子」


「機材」


「……」


 藍が。


 ざっくり書く。


「一万?」


「もっと」


 レン。


「二万くらい」


「無理」


 ますみ。


「即答」


「だって」


「誰が出すの」


 全員。


 自然に。


 前原を見る。


「見るな」


 前原が。


 新聞越しに言った。


「まだ何も!」


「顔」


 敦が。


 吹き出す。


「ヨシさんも顔読むようになってる」


「うるせぇ」


 藍が。


 少し真面目な顔。


「でも」


「そこは」


「自分たちで考えよう」


「うん」


 ますみ。


「出してもらうの」


「なんか違う」


「全部自腹?」


 カナコ。


「それもキツい」


「じゃあ」


 航平。


「削る」


「何を」


「パネルやめる」


「印刷」


「普通紙?」


「展示だから」


「少しは」


 レン。


「見栄え必要」


「じゃあ」


 翔太が。


 横から。


「フリマ?」


「え?」


「この前」


「商店街でやってました」


「古本とか」


「小物」


「売ってた」


「……」


「自分らで何か売る?」


 藍。


「何」


 翔太。


「知らない」


「提案だけするな!」


 隼人。


「じゃあ」


「ひだまりで」


「手伝った分」


「金もらう」


「それダメだろ」


「冗談」


「顔が本気だった」


⸻


「作品」


 敦が言う。


「売るとか」


 ますみ。


「え?」


「絵」


「……」


「ポストカードとか」


「無理!」


「何で」


「誰が買うの!」


「分かんないけど」


「展示に出すなら」


「欲しい人いるかも」


「いない!」


 藍。


「やってみる?」


「藍!」


「印刷少量なら」


「そんなにかからない」


 レンが。


 計算を始める。


「十枚ずつ」


「三種類」


「……」


「待って!」


 ますみ。


「話が早い!」


「売るのが嫌?」


 藍が聞く。


 ますみが。


 止まる。


「……」


「嫌っていうか」


「うん」


「怖い」


「何が」


「値段つけるの」


 静かになる。


「私の絵に」


「何円って」


「……」


「高かったら」


「誰も買わない」


「安かったら」


「その程度みたい」


「……」


「売れなかったら」


「やっぱり」


「いらないってことだし」


 藍が。


 すぐには。


 何も言わなかった。


 敦も。


 口を挟まない。


 ますみは。


 自分で続ける。


「見せるだけでも」


「怖いのに」


「お金まで」


「……」


「無理」


「分かった」


 藍。


「じゃあ」


「今は売らない」


 ますみが。


 顔を上げる。


「いいの」


「うん」


「予算」


「別の方法探す」


「……」


「売りたくなったら」


「その時」


「考えればいい」


 ますみが。


 少し息を吐く。


「ありがとう」


「うん」


⸻


「じゃあ」


 前原が。


 新聞を畳む。


「何」


 敦。


「金」


「はい」


「稼げ」


「だからどうやって」


「バイト」


「十九日で?」


「一日だけでもあるだろ」


「え」


「商店街」


「夏祭り終わったけど」


「秋の催し」


「手伝い募集してたぞ」


 全員。


 前原を見る。


「何で知ってるんですか」


 翔太。


「町内会のジジイが」


「人いねぇってうるせぇ」


「仕事内容」


「設営」


「片付け」


「受付」


「一日」


「日当?」


「出る」


「いくら」


「知らん」


 藍。


「みんなでやれば」


「足しにはなる」


 航平。


「行ける」


 カナコ。


「私も」


 レン。


「俺も」


 ますみ。


「……」


「嫌?」


 藍。


「違う」


 ますみは。


 少し考える。


「私」


「そういうの」


「できるかな」


 前原が。


「何が」


「知らない人いっぱい」


「……」


「受付とか」


「やらなきゃいい」


「え」


「設営やれ」


「……」


「机運ぶ」


「椅子並べる」


「それなら」


 ますみが。


 少しだけ考える。


「できるかも」


「じゃあそれ」


「簡単に決める」


「決めたのお前だろ」


「……」


「まあ」


 ますみ。


「うん」


「やってみる」


⸻


 夕方七時半。


 食事。


 今日。


 和子。


 豚汁。


 おにぎり。


 卵焼き。


「うま」


 隼人。


「毎日これでいい」


「作る側のこと考えな」


 和子。


「手伝います」


「ならいい」


「掌返すの早い」


 翔太が。


 おにぎり。


「俺」


「バイト」


「面接になりました」


 敦。


「え!」


「明後日」


「どこ」


「コンビニ」


「おお」


「夜じゃない?」


 隼人。


「夕方まで」


「学校は?」


 木戸が聞く。


 翔太が。


 少し止まる。


 事務所。


 一瞬。


 空気。


「……」


 木戸。


「あ」


「ごめん」


 翔太が。


 箸を置く。


「いいです」


「でも」


 少し考える。


「学校」


「今」


「行ってないです」


「うん」


「戻るか」


「通信とか」


「そういうのも」


「まだ」


「分かんない」


 木戸。


「そっか」


「はい」


「じゃあ」


「面接」


「頑張れ」


「それだけ?」


「それだけ」


 翔太が。


 少し笑う。


「ありがとうございます」


 隼人が。


 豚汁を飲む。


「俺も」


 全員。


 見る。


「何」


「何が」


 敦。


「俺も」


「そろそろ」


「仕事」


 前原の箸が。


 少し止まる。


「探す?」


 敦。


「うん」


 隼人。


「ずっとここも」


「何か」


「違うし」


「……」


「母ちゃんのとこ」


「戻るわけでもない」


「学校も」


「今すぐは」


「分かんねぇ」


「だったら」


「働くくらい」


「……」


「してみようかなって」


 和子が。


 言う。


「なら」


「明日」


「求人見れば」


「え」


「それだけ?」


「何期待してるの」


「もっと」


「頑張れとか」


「偉いとか」


「言ってほしい?」


「いや」


「じゃあ食べな」


「はい」


 隼人が。


 笑った。


⸻


 前原は。


 その様子を。


 黙って見ていた。


 翔太。


 仕事。


 隼人。


 仕事。


 ますみたち。


 展示。


 少しずつ。


 この場所から。


 外へ。


 足が伸び始めている。


 以前なら。


 それを。


 喜ぶべきだと思っていた。


 自立。


 前進。


 成長。


 でも。


 今は。


 少し違う。


 出ていくことが。


 成功ではない。


 残ることが。


 失敗でもない。


 行って。


 戻って。


 また行って。


 それでいい。


 そんなふうに。


 思うようになっていた。


⸻


 午後八時四十八分。


 ますみたち。


 もう一度。


 作品。


「最初」


 藍。


「道端に座ってる笑花」


「うん」


「次」


「誰かに」


「こっちへ来い」


「って言われる」


「うん」


「でも」


「行かない」


「そのあと」


 航平。


「地図?」


「いきなり?」


「いや」


「笑花」


「まず歩き出さないと」


 カナコ。


「音」


「最初ほぼ無音にしたい」


「何で」


「町の音だけ」


「車」


「風」


「遠くの人」


「……」


「笑花が」


「初めて誰かと歩いた時」


「音楽入る」


 ますみが。


 少し目を大きくする。


「それ」


「いい」


「でしょ」


 レン。


「ロゴは」


「まだ早い!」


「何で俺だけ!」


 笑い。


⸻


「笑花」


 藍が言う。


「最初に会う人」


「誰にする?」


「……」


 ますみが考える。


「優しい人?」


「いきなり?」


「いや」


「じゃあ」


「怖い人?」


「単純すぎる」


「……」


「笑ってる人」


 ますみが。


 ぽつり。


「優しそうに」


「笑ってる」


「うん」


「でも」


「笑花の話」


「聞かない」


 藍のペンが動く。


「何て言う?」


「大丈夫」


「こっちへ来れば」


「もう安心」


「……」


「これから」


「ちゃんとすればいい」


 敦が。


 少し離れたところから。


 顔を上げる。


 ますみは。


 続ける。


「笑花」


「最初」


「その人について行こうとする」


「うん」


「だって」


「大丈夫って」


「言ってくれたから」


「……」


「でも」


「途中で」


「帰りたいって言う」


 藍。


「どこに?」


「分かんない」


「帰る場所ないのに?」


「うん」


「でも」


「ここじゃないって」


「……」


「その人」


「どうする」


 ますみが。


 長く考える。


「怒らない」


「うん」


「笑ったまま」


「言う」


「何て」


「今帰ったら」


「また苦しくなるよ」


「……」


「あなたのためだから」


 藍のペンが。


 止まった。


 誰も。


 すぐには話さない。


 ますみが。


 スケッチブックを見る。


「この人」


「悪い人にしたくない」


 藍。


「うん」


「本当に」


「笑花を助けたい」


「うん」


「でも」


「笑花が嫌だって言っても」


「……」


「自分の方が」


「正しいと思ってる」


 敦が。


 思わず。


 前原を見る。


 前原も。


 ますみを見ていた。


 この子は。


 事件の細かい話を。


 全部聞いたわけではない。


 それでも。


 自分の経験と。


 見てきた人たちから。


 物語へ。


 同じ問いを。


 置こうとしている。


⸻


「で」


 藍が聞く。


「笑花」


「どうする」


 ますみ。


「……逃げる」


「また?」


「うん」


「逃げてばっかり?」


 レンが言う。


 ますみが。


 少し睨む。


「悪い?」


「いや」


「物語として」


「……」


「逃げても」


 敦が。


 つい口を挟む。


 全員。


 見る。


「すみません」


「続けて」


 ますみ。


「え」


「今の」


「逃げても?」


 敦が。


 少し考える。


「逃げても」


「また」


「次の人に会えばいいんじゃないですか」


「……」


「一回で」


「正しい場所」


「見つけなくていい」


 ますみが。


 少し。


 笑った。


「それ」


「使う」


「俺の台詞?」


「笑花の話」


「著作権!」


「ないです」


 藍。


「ないんだ……」


⸻


 その夜。


 高瀬は。


 施設の廊下を歩いていた。


「高瀬さん」


 昼の若い男。


「メール」


「送りました」


「そう」


「返事は」


「明日」


「上司から連絡するって」


「……怖い?」


「はい」


「そっか」


「でも」


 男は。


 少し笑う。


「昨日より」


「マシです」


「何で」


「送ったから」


「……」


「そうか」


「はい」


「高瀬さん」


「何」


「俺」


「辞めてもいいんですか」


 高瀬は。


 止まる。


 以前なら。


「まず戻る努力を」


 と言った。


 今日は。


「いいと思う」


 男が。


 少し驚く。


「え」


「でも」


「辞めたあと」


「どうするか」


「一緒に考えよう」


「……」


「辞めるって決める前でも」


「決めた後でも」


「……」


「戻るって決めても」


「もちろん」


 男が。


 小さく頷く。


「はい」


 高瀬は。


 その背中を見送る。


 答えを与えなかった。


 でも。


 放り出したわけでもない。


 たぶん。


 これが。


 今の自分にできる。


 最初の一歩だった。


⸻


 午後十時十二分。


 事務所。


 ますみが。


 文化展の応募フォームを。


 スマートフォンで開いていた。


「……」


 藍が隣。


「どうする」


「……」


「今日出す必要ない」


「分かってる」


「締め切り」


「十九日」


「言わないで」


「言ってない」


 ますみの指。


 作品名。


笑花――帰る場所は、まだ分からない


 参加形態。


グループ


 作品概要。


 まだ空白。


「……」


「怖い?」


 藍。


「うん」


「やめる?」


「……」


 ますみ。


 長く。


 画面を見る。


「まだ」


「やめない」


「うん」


「でも」


「応募ボタン」


「今日は押さない」


「分かった」


「……」


「藍」


「何」


「押したくなった時」


「一緒にいて」


 藍が。


 少しだけ笑う。


「うん」


「でも」


「押すのは」


「ますみね」


 ますみが。


 顔をしかめる。


「そこは押してよ」


「ダメ」


「何で」


「ますみの作品だから」


「みんなのでもある」


「じゃあ」


「みんなで」


「……」


 ますみ。


 少し考える。


「それなら」


「いい」


⸻


 少し離れたソファ。


 前原が。


 半分寝ながら聞いていた。


「めんどくせぇな」


 敦。


「何がです」


「ボタン一個で」


「あんだけ騒げんのか」


「大事なんですよ」


「押せばいいだろ」


「ヨシさんはそうでしょうけど」


「何」


「失敗したら」


「あとで考えるタイプ」


「それの何が悪い」


「別に」


 敦が笑う。


「ますみは」


「押すまでに」


「いろいろ考えるタイプなんですよ」


「……」


「そういう人もいる」


 前原は。


 少しだけ。


 敦を見る。


「お前」


「ほんと」


「人のこと見るようになったな」


「え」


「前」


「そんなこと言わなかった」


「……」


「そうですかね」


「ああ」


 敦は。


 少し照れたように。


 頭を掻く。


「まあ」


「ずっと」


「見てもらったので」


 前原が。


 何も言わなくなる。


「ヨシさん?」


「うるせぇ」


「まだ何も」


「顔がうるせぇ」


「何それ!」


⸻


 電気が。


 一つ。


 また一つ。


 消える。


 ますみたちも。


 今日は。


 作業を終える。


 スケッチブック。


 ノート。


 地図。


 音楽。


 ロゴ。


 まだ。


 どれも完成していない。


 応募もしていない。


 結末も。


 分からない。


 それでも。


 昨日より。


 少しだけ。


 形になっていた。


 ますみは。


 最後に。


 新しく描いた一枚を見る。


 道の端に。


 座る笑花。


 その前を。


 いろいろな人が。


 通り過ぎている。


 誰かは。


 手を差し出す。


 誰かは。


 先へ行く。


 誰かは。


 隣に座る。


 笑花は。


 まだ。


 立っていない。


 でも。


 顔を上げている。


 ますみは。


 その絵を閉じた。


「おやすみ」


 誰に。


 言ったのか。


 自分でも。


 分からなかった。


⸻


後書き


第71話でした。


ここから『笑花』編が本格的に始まりました。


ただ、


最初から「みんなで力を合わせて素晴らしい作品を完成させる」方向にはしません。


今回はまず、


外へ見せる怖さ


をますみに持たせました。


作品へ値段をつけることすら怖い。


応募ボタン一つ押すのも怖い。


でも、


「やめない」。


今はそれだけで十分です。


そして『笑花』の内容にも、これまでの物語全体が少しずつ入り始めています。


大事なのは、


施設や森川たちをそのまま作中へ写すことではありません。


ますみ自身が見てきたもの、


感じてきたものが、


別の物語へ変わっていく。


だから笑花は、


最初から立派に歩きません。


まず道端に座っている。


一度ついて行って、


また逃げるかもしれない。


一回で「正しい居場所」を見つけなくてもいい。


この作品そのものが、


ますみの成長とも重なっていきます。


一方で高瀬側にも小さな変化を入れました。


「辞めていい」


だけで終わらず、


辞めた後も一緒に考える。


自由と放置は違う。


ここは今後も重要になります。


そして翔太は面接へ。


隼人も、


自分から「仕事を探してみる」と言い始めました。


みんな少しずつ外へ向かい始めています。


次回、第72話では文化展資金のため、商店街の秋イベントの手伝いへ。


当然このメンバーなので――


まともに「バイト回」だけでは終わりません。


ますみが初めて、作品とは関係のない知らない人たちの中で役割を持つことになります。


そしてそこで、


『笑花』を偶然見た一人の子どもから、


ますみが予想もしなかった言葉をもらうことになります。

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