残すもの、変えるもの
第70話 残すもの、変えるもの
前書き
場所に問題があった時。
壊せばいい。
なくせばいい。
そう言うのは簡単だ。
けれど。
そこに救われた人がいる。
今も、そこを必要としている人がいる。
なら、
残すべきものと、
変えなければならないものを、
分けて考える必要がある。
第70話です。
⸻
午前八時四十六分。
高架下の事務所。
「ヨシさん」
「何だ」
「これ」
翔太がスマートフォンを見せた。
「読め」
「先輩から」
「誰」
「長谷川先輩」
前原が。
ほんの少しだけ顔を上げる。
敦も気づいた。
「拓海さん?」
「はい」
「何て」
翔太が。
もう一度画面を見る。
『今日、会えないか』
短い。
それだけ。
「会うの?」
隼人が横から覗く。
「まだ返事してない」
「会いたくない?」
「……」
翔太が少し考える。
「分かんない」
「出た」
「何が」
「便利ワード」
「隼人さんも使うじゃないですか」
「俺はいいんだよ」
「何で」
「先輩だから」
「何の?」
「居候」
「それ最悪の先輩ですよ」
敦が笑う。
木戸がソファから。
「俺は?」
「大先輩」
「おお」
「悪い意味で」
「何だと!」
朝から。
いつもの調子。
でも。
翔太の指は。
返信画面で止まっている。
⸻
「会えばいいんじゃねぇか」
前原。
「え」
「嫌なら断れ」
「……」
「会って」
「途中で帰りたくなったら帰れ」
「……」
「言いたいことなきゃ」
「飯だけ食って帰れ」
翔太が。
少し笑う。
「ヨシさん」
「何だ」
「それ」
「会えって言ってません?」
「言ってねぇ」
「ほぼ」
「お前が決めろ」
「……」
翔太は。
スマートフォンを見る。
そして。
打った。
『昼なら会えます』
送信。
数秒。
既読。
『駅前のファミレスで』
『分かりました』
翔太が。
小さく息を吐く。
「会うんだ」
隼人。
「はい」
「一人?」
「たぶん」
「俺行こうか」
「何で」
「なんとなく」
「いらないです」
「即答」
「……でも」
翔太が。
少し考える。
「駅まで」
「うん」
「一緒に来てもらっていいですか」
隼人が。
少しだけ驚く。
「俺?」
「嫌ならいいですけど」
「いや」
隼人は。
妙に照れたように。
「いいよ」
「じゃあお願いします」
「おう」
敦は。
そのやり取りを見ながら。
少し笑った。
以前なら。
翔太は。
全部一人で抱えたかもしれない。
あるいは。
前原へ。
全部預けたかもしれない。
今は。
駅までは誰かに頼む。
その先は。
自分で行く。
そういう選び方を。
少しずつ覚えている。
⸻
同じ頃。
高瀬健は。
市役所近くの小さな会議室にいた。
向かい。
佐伯。
桜井。
そして。
自治体側の担当者が二人。
一人は。
児童福祉関係。
もう一人は。
生活支援施設の監督担当。
「確認ですが」
担当者が言う。
「高瀬さんは」
「当該法人の職員」
「現在も在籍」
「はい」
「今回」
「施設内の過去記録に」
「不適切な判断」
「あるいは報告不足の可能性があると」
「……はい」
「それを」
「ご自身の意思で相談に来られた」
「はい」
高瀬の声は。
少し震えていた。
「原本は?」
「施設にあります」
「持ち出していません」
「コピーは?」
「していません」
「写真は」
「撮ってません」
桜井が。
少しだけ頷く。
昨日までなら。
高瀬は。
証拠を守るため。
勢いで全部持ち出したかもしれない。
でも。
それをしなかった。
「記録の保全については」
担当者が言う。
「こちらから」
「法人側へ正式に確認します」
高瀬の顔が。
少し固くなる。
「倉田さんに」
「連絡が?」
「はい」
「……」
「不安ですか」
「……はい」
「何が」
高瀬は。
長く考えた。
「怒られることじゃなくて」
「はい」
「……壊れること」
「何が」
「施設が」
担当者は。
すぐには返さない。
「そこ」
「俺」
「助けてもらったので」
「はい」
「もし」
「今回のことで」
「全部なくなったら」
「……」
「今いる人たちは」
「どうなるんだろうって」
担当者が。
静かに答える。
「それも含めて」
「確認するための監督です」
「……」
「問題があるなら」
「直す」
「直せないなら」
「別の形を考える」
「必要な支援まで」
「一緒に消すためじゃありません」
高瀬は。
顔を上げる。
「……そうなんですか」
「少なくとも」
「それを目指します」
断言はしない。
高瀬には。
その方が。
信じられた。
⸻
「ただし」
児童福祉側の担当者が続ける。
「子どもからの訴えを」
「施設内判断だけで止めていた事実があるなら」
「そこは重く見ます」
「……はい」
「当時」
「現場にいた職員」
「管理者」
「行政への相談記録」
「警察側の記録」
「照合が必要です」
「はい」
「それと」
書類。
「美月さん、ユウさんという名前が」
「正式な利用記録に出てこなかった理由」
「緊急受け入れの別管理だった可能性があります」
「昨日」
「その初期記録を見ました」
「ありますか」
「はい」
「所在は」
「旧資料室」
「……」
「そこも保全対象にします」
高瀬は。
少しだけ。
呼吸を楽にした。
自分だけで。
守らなくていい。
自分だけで。
暴かなくていい。
誰かと一緒に。
確認していい。
それだけで。
随分違った。
⸻
「高瀬さん」
佐伯が言う。
「はい」
「今後」
「法人内で」
「立場が難しくなる可能性はあります」
「……はい」
「もし」
「不利益な扱い」
「圧力」
「不自然な配置変更」
「退職強要」
「そういうことがあったら」
「記録してください」
「はい」
「一人で受けないで」
「……」
高瀬は。
少し笑った。
「それ」
「最近」
「すごい言われます」
「何がです」
「一人でやるなって」
桜井が。
「必要だからだ」
「はい」
「お前」
そこで。
桜井が少し止まる。
「……高瀬さん」
「今、お前って言いました?」
「言ってない」
「言いましたよね」
「聞き間違いです」
「元刑事って怖いな」
佐伯が。
少し笑う。
高瀬も。
笑った。
こういう時に。
笑っていい。
それも。
少しずつ。
覚えている。
⸻
午前十一時五十分。
駅前。
「じゃ」
隼人が言う。
「俺ここまで」
「はい」
翔太。
ファミリーレストランは。
道路の向こう。
「ほんとに一人で平気?」
「たぶん」
「たぶん?」
「分かんないですけど」
「……」
「でも」
翔太は。
道路を見る。
「一人で行きたい」
「そっか」
「はい」
信号。
青。
翔太が。
一歩。
「翔太」
「はい」
隼人。
「帰り」
「迎えいるなら」
「連絡して」
翔太が。
少しだけ笑う。
「分かりました」
「別に」
「暇だからな」
「はいはい」
「何だよ」
「行ってきます」
「おう」
翔太が。
道路を渡る。
隼人は。
本当に。
そこで止まった。
追わない。
それが。
今の隼人にできる。
手伝い方だった。
⸻
店内。
長谷川拓海は。
先に来ていた。
窓際。
アイスコーヒー。
翔太を見つける。
「おう」
「……どうも」
「座れよ」
翔太が。
向かいへ。
拓海。
以前より。
少し疲れている。
髪。
服。
何か。
崩れているわけではない。
でも。
顔。
「久しぶり」
「そうですね」
「……」
「……」
気まずい。
「何頼む」
「ドリンクバー」
「飯は」
「食べてきました」
「そっか」
また沈黙。
拓海が。
ストローをいじる。
「森川さん」
いきなりだった。
「見つかった?」
翔太が。
少しだけ警戒する。
「……何で」
「前に」
「探してただろ」
「はい」
「見つかったのか」
翔太は。
考える。
森川の居場所。
言わない。
でも。
生存自体は。
もう。
大人たちも隠していない。
「生きてます」
拓海の肩から。
少し力が抜ける。
「……そっか」
「知ってたんですか」
「何を」
「生きてること」
「……」
「先輩」
拓海は。
窓の外を見る。
「たぶん」
「ってくらい」
「……」
「昔」
「一回」
「見た」
翔太の顔が変わる。
「いつ」
「二年くらい前」
「どこで」
「駅」
「誰と」
拓海が。
少しだけ。
翔太を見る。
「子ども二人」
「……」
「声はかけなかった」
「何で」
「森川さん」
「俺見た瞬間」
「顔変わったから」
翔太が。
何も言えなくなる。
「怖がってた?」
「分かんね」
「でも」
拓海は。
ゆっくり言う。
「俺」
「あの時」
「施設の人間と一緒だった」
⸻
翔太の背中が。
少し固くなる。
「先輩」
「うん」
「やっぱり」
「あそこにいたんですか」
「いた」
「利用者?」
「最初は」
「……」
「そのあと」
「手伝い」
「アルバイトみたいなこともした」
「……」
「助かったんだよ」
拓海は。
はっきり言った。
「あそこに」
「俺」
「高校出て」
「仕事続かなくて」
「家でも揉めて」
「金なくなって」
「友達の家転々として」
「最後」
「マジで」
「どうしようもなかった」
翔太は。
黙って聞く。
「飯」
「食わせてもらった」
「部屋」
「用意してもらった」
「仕事」
「紹介された」
「借金」
「返す計画も」
「一緒に作ってもらった」
「……」
「俺」
「あそこなかったら」
拓海が。
翔太をまっすぐ見る。
「たぶん死んでた」
その声。
強がりではなかった。
翔太は。
すぐには。
何も言えなかった。
⸻
「だから」
拓海が続ける。
「お前らが」
「あそこヤバいとか」
「何か悪いことしてるとか」
「そういう感じで調べてるの」
「……」
「正直」
「ムカついた」
「はい」
「俺の人生」
「否定されてるみたいで」
「……」
「助かったって言ってんのに」
「いやそれ騙されてるよって」
「言われてる感じ」
翔太は。
前に。
拓海が怒った理由を。
ようやく。
少しだけ。
分かった。
団体を守りたい。
それだけではない。
自分が。
あそこで立ち直った。
その事実を。
守りたかった。
「先輩」
「何」
「俺」
「先輩が助かったこと」
「嘘だと思ってないです」
拓海が。
少しだけ目を動かす。
「……」
「前にも」
「言ったけど」
「先輩に助けてもらったことも」
「忘れてない」
「……」
「でも」
翔太は。
ゆっくり言う。
「それと」
「おかしいことがあったかどうかは」
「別だと思う」
拓海の表情が。
少し硬くなる。
「何があった」
「全部は言えません」
「何で」
「俺が勝手に話していいことじゃないから」
「……」
「でも」
翔太は。
拓海を見る。
「子どもが」
「助けてって言ったのに」
「ちゃんと聞いてもらえなかった可能性がある」
拓海が。
止まる。
「子ども?」
「はい」
「……」
「森川さんといた?」
翔太は。
答えない。
それで。
拓海には。
十分だった。
「……そっか」
⸻
「でも」
拓海が言う。
「あそこ」
「子どもに酷いことするような場所じゃ」
「先輩」
「何」
「全部知ってました?」
「……」
「俺も」
「全部知らない」
「ヨシさんたちも」
「たぶん全部知らない」
「……」
「だから」
「今」
「確認してる」
拓海は。
少し苛立ったように。
「じゃあ」
「悪いって決めつけてるわけじゃない?」
「決めつけてないです」
「……」
「先輩」
「うん」
「前」
「俺に」
「気をつけろって」
「言いましたよね」
拓海の手が止まる。
「何に」
「気をつけろって」
「……」
「ヨシさんたち?」
「施設?」
「森川さん?」
「……」
長い沈黙。
「俺自身」
拓海が言った。
「え?」
「何言うか」
「分かんなかったから」
「……」
「あの時」
拓海は。
顔を伏せる。
「施設の人から」
「お前」
「森川さんのこと聞かれた」
「何を」
「見かけなかったか」
「連絡ないか」
「……」
「それで」
「お前が森川さんの名前出したから」
「……」
「やべぇと思った」
「何が」
「俺が」
「余計なこと言うかもしれない」
翔太が。
じっと見る。
「先輩」
「うん」
「森川さん見たこと」
「施設に言ったんですか」
拓海は。
答えなかった。
その沈黙が。
答えだった。
⸻
「……言ったんですね」
「一回だけ」
「いつ」
「二年前」
「駅で見たあと」
「子どもと一緒だったことも?」
「……」
「言った」
翔太の胸に。
怒りが。
少し出る。
「何で」
「当時」
「俺」
拓海も。
声が強くなる。
「良いことだと思ってたから!」
周囲。
少し視線。
二人。
声を落とす。
「……」
「施設の人」
「心配してるって言った」
「森川さん」
「困ってるかもしれない」
「子ども」
「ちゃんとした場所に戻さないと」
「……」
「だから」
「俺」
「教えた」
「……」
「そのあと」
「どうなったか」
「知らない」
「誰に言った?」
「高瀬さんじゃない」
「……」
「倉田さん?」
拓海の顔。
少し動く。
「たぶん」
「直接?」
「別の職員」
「でも」
「上に伝えるって」
「……」
翔太は。
深く息を吐いた。
怒鳴りたかった。
何で。
でも。
拓海は。
その時。
助けようとした。
本人は。
本当に。
そう思っていた。
それが。
余計に。
難しい。
⸻
「先輩」
「うん」
「今」
「あの時に戻ったら」
「同じことします?」
拓海が。
長く。
黙った。
「分かんねぇ」
「……」
「前なら」
「絶対するって言った」
「今は?」
「分かんねぇ」
「そっか」
翔太が。
少しだけ。
笑った。
「何」
「いや」
「俺の周り」
「そればっかりだなって」
「何が」
「分かんない」
拓海が。
呆れた顔。
「お前」
「変わったな」
「そうですか」
「前」
「もっと」
「誰かに答え聞いてた」
「……」
「今」
「俺に」
「答え押しつけてこない」
翔太は。
少し考える。
「周りが」
「そうだからかも」
「ヨシさん?」
「ヨシさんも」
「岡野さんも」
「和子さんも」
「……」
「隼人さんも」
「誰だよ」
「最近来るようになった人」
「ふーん」
拓海が。
少しだけ笑う。
⸻
店員。
料理。
「ご注文の唐揚げ定食です」
「俺頼んでない」
翔太。
「俺」
拓海。
「飯食うんですか」
「食うよ」
「深刻な話しながら」
「腹減ってんだよ」
翔太が。
少し笑った。
「何」
「いや」
「似てるなと思って」
「誰と」
「ヨシさん」
「それは嫌だな」
「みんな言う」
「何なんだよその人」
翔太は。
初めて。
少し肩の力を抜いた。
⸻
午後二時。
施設。
倉田修一は。
自室で。
電話を受けた。
『自治体の監督担当です』
「はい」
『過去の受け入れ記録について』
『確認させていただきたい事項があります』
「……」
倉田は。
目を閉じた。
来た。
高瀬。
やはり。
外へ。
出した。
「分かりました」
『一部記録について』
『保全をお願いしたいので』
『廃棄・移動等は行わないよう』
「もちろんです」
『本日中に』
『文書も送ります』
「はい」
電話を切る。
部屋。
静か。
倉田は。
机を見る。
長年。
ここで。
何人もの名前を見た。
来た人。
出た人。
戻った人。
消えた人。
「……」
ノック。
「はい」
高瀬が。
立っていた。
「戻ったのか」
「はい」
「休みは」
「終わりです」
「私は」
「まだ休んでもいいと思うが」
「俺は」
高瀬。
「働きたいです」
「……」
「今いる人」
「見たいので」
倉田は。
しばらく。
高瀬を見る。
「通報したね」
「はい」
「……」
「すみません」
「何で謝る」
高瀬が。
止まる。
倉田は。
椅子へもたれる。
「君は」
「必要だと思ったことをした」
「……」
「なら」
「謝るな」
「でも」
高瀬は。
少し考える。
「倉田さん」
「何だ」
「怒ってます?」
「……」
倉田は。
長い時間。
答えなかった。
「腹は立ってる」
高瀬が。
少しだけ笑う。
「正直ですね」
「君に言われたくない」
「でも」
倉田は続ける。
「それだけじゃない」
「……」
「怖い」
高瀬の表情が。
変わる。
「何が」
「ここが」
倉田は。
部屋の外を見る。
「なくなるのが」
高瀬が。
少し黙る。
「俺も」
倉田を見る。
「怖いです」
「……」
「でも」
「怖いから」
「見ないふりしたら」
「また」
「同じになる」
倉田は。
目を伏せた。
「そうだな」
初めて。
抵抗せず。
そう答えた。
⸻
「倉田さん」
「ん」
「俺」
「森川さんに会いました」
倉田が。
顔を上げる。
「……そうか」
「はい」
「元気だった?」
「はい」
「子どもは」
「元気みたいです」
「……」
「学校も」
「普通に」
「そうか」
倉田は。
ほんの少し。
息を吐く。
「良かった」
高瀬は。
その顔を見る。
嘘には見えなかった。
「倉田さん」
「何だ」
「森川さん」
「あなたのこと」
「どう言ってたと思います」
「……」
「恨んでるだろうな」
「たぶん」
「それだけじゃないです」
「……」
「施設で」
「飯食えたこと」
「仕事教えてもらったこと」
「それは」
「助かったって」
倉田の目が。
少し揺れる。
「……そうか」
「でも」
「ユウにしたことは」
「消えないって」
「……」
「両方」
「あるって」
倉田が。
長い間。
黙った。
「そんなの」
「都合がいいな」
「どっちが」
「森川君が」
「俺たちが?」
「……」
倉田が。
少し笑う。
「両方だな」
「はい」
「人間らしい」
「ですね」
二人。
少しだけ。
笑った。
⸻
「高瀬君」
「はい」
「もし」
倉田が。
ゆっくり言う。
「調査の結果」
「私が」
「管理者として」
「外れることになったら」
「……」
「ここ」
「頼めるか」
高瀬の顔が。
固まる。
「無理です」
即答。
倉田が。
目を丸くする。
「……即答だな」
「無理ですよ!」
「少し考えろ」
「管理者なんか!」
「何で」
「俺まだ」
「自分のことで精一杯です!」
倉田が。
しばらく。
高瀬を見る。
そして。
笑った。
声を出して。
「……そうか」
「何ですか」
「昔のお前なら」
「やりますって言った」
「……」
「分かってなくても」
「できますって」
高瀬が。
少し止まる。
「……そうですね」
「成長したな」
その言葉。
高瀬は。
以前なら。
嬉しかった。
今日は。
「分かりません」
と答えた。
「またか」
「はい」
でも。
二人とも。
少し笑っていた。
⸻
午後三時五十二分。
ファミリーレストラン。
拓海の唐揚げ。
最後の一個。
「先輩」
「ん」
「何で今日」
「俺呼んだんですか」
拓海が。
箸を止める。
「……」
「森川さんのこと」
「確認したかっただけ?」
「それも」
「他は」
拓海が。
しばらく黙る。
「施設から」
「連絡来た」
「いつ」
「昨日」
「誰」
「昔の担当」
「何て」
「最近」
「外から問い合わせがある」
「もし何か聞かれたら」
「余計なこと言わなくていいって」
翔太の目が。
少し細くなる。
「口止め?」
「そう聞こえた」
「……」
「前なら」
拓海は言う。
「分かりましたって」
「言ってたと思う」
「でも」
「昨日」
「なんか」
「嫌だった」
「何で」
「分かんね」
「……」
「俺が助かったこと」
「誰かに」
「都合よく使われてる気がした」
翔太が。
静かに聞く。
「どういう」
「俺みたいなやつが」
『ここは良い場所です』
『俺は救われました』
「って言えば」
「それで」
「全部正しいみたいになるだろ」
「……」
「でも」
「俺」
「子どものことなんて」
「何も知らねぇ」
「……」
「なのに」
「俺が助かったから」
「他のことも問題ないですって」
「言うの」
「違う気がして」
翔太は。
何も言わなかった。
拓海自身が。
そこへ。
辿り着いている。
⸻
「先輩」
「うん」
「それ」
「誰かに話します?」
「……」
「俺?」
「ヨシさんたちとか」
「役所とか」
拓海が。
顔をしかめる。
「めんどくせぇ」
「分かります」
「お前」
「止めねぇの」
「話した方がいいとは」
「思います」
「でも」
翔太は。
少し考える。
「先輩が決めることかなって」
「……」
「またそれか」
「はい」
「最近の宗教?」
「違います」
「絶対?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
二人。
少し笑う。
「……じゃあ」
拓海が。
スマートフォンを出す。
「一回」
「会ってみる」
「誰に」
「前原って人」
翔太が。
少し止まる。
「本当に?」
「何」
「いや」
「会ったら」
「思ってるより普通ですよ」
「元ヤクザなんだろ」
「そうですけど」
「怖くねぇ?」
「最初は」
「今は?」
「プリン泥棒にキレてます」
「……何?」
「会えば分かります」
「余計怖ぇよ」
⸻
午後五時過ぎ。
翔太が。
事務所へ戻った。
「おかえり」
敦。
「ただいまです」
隼人。
奥から。
「どうだった」
「……」
翔太が。
少し笑う。
「分かんないです」
「だと思った」
「でも」
靴を揃える。
「長谷川先輩」
「ヨシさんに会いたいって」
前原が。
新聞から顔を上げる。
「誰だ」
「だから先輩です」
「何の」
「俺の高校の」
「ああ」
「前に」
「組織の話してた」
「……あいつか」
前原が。
新聞を畳む。
「何で俺」
「昔」
「森川さんを見たこと」
「施設側に伝えてたらしいです」
空気が。
少し変わる。
「それから」
「昨日」
「施設から」
「余計なこと言わなくていいって」
「連絡が来たって」
桜井が。
すぐ顔を上げた。
「本人から直接聞きたい」
「はい」
「連絡できる?」
「聞いてみます」
前原。
「で」
「お前は」
「どうだった」
「何が」
「先輩と話して」
翔太が。
少し考える。
「前より」
「好きになりました」
敦が。
少し驚く。
「何で」
「分かんないです」
「……」
「でも」
翔太。
「先輩」
「俺と同じで」
「全部分かってるわけじゃなかった」
「……」
「助かったことは」
「本当で」
「でも」
「知らないこともあった」
「……」
「それ認めるの」
「たぶん」
「怖かったと思う」
前原が。
少しだけ。
笑った。
「そうか」
⸻
「あと」
翔太。
「隼人さん」
「何」
「駅まで」
「ありがとうございました」
「おう」
「帰りは」
「一人で帰れました」
「知ってる」
「何で」
「連絡なかったから」
「……」
「何」
「いや」
翔太が。
少し笑う。
「待ってたんですか」
「別に」
「暇だったから」
「ふーん」
「何だよ!」
敦が。
笑う。
隼人が。
少し顔を赤くする。
前原。
「お前ら」
「飯食うぞ」
「またカレー?」
「今日は和子さんです」
敦。
「よし」
「カレー嫌なんですか」
「三日続いた」
「贅沢」
「人間には限界がある」
グエンが。
「カレー!」
「お前は帰れ」
「ナンデ!」
事務所が。
また笑い声に戻る。
⸻
夕方。
その日の食卓。
和子が作ったのは。
肉じゃが。
味噌汁。
焼き魚。
「和食」
隼人。
「ホッとする」
「十九で言う台詞じゃない」
翔太。
「最近カレー多かったから」
「カレー、ウマイ!」
グエン。
「否定してない」
「明日カレー!」
「やめろ」
木戸。
「俺は好き」
「お前何でも食うだろ」
「何だと」
いつもの。
どうでもいい会話。
でも。
敦は。
今日の話を。
ずっと考えていた。
高瀬。
倉田。
拓海。
森川。
全員。
あの施設に。
違うものを見ていた。
誰かには。
飯。
誰かには。
仕事。
誰かには。
規則。
誰かには。
逃げられない場所。
同じ建物なのに。
全然違う。
⸻
「ヨシさん」
敦が。
箸を止める。
「ん」
「場所って」
「何だ」
「一個じゃないんですね」
「意味分かんねぇ」
「例えば」
敦が言う。
「あの施設」
「高瀬さんには」
「救われた場所」
「ユウには」
「怖い場所」
「森川さんには」
「助かったこともあるし」
「嫌だったこともある」
「……」
「同じ場所なのに」
「うん」
「全部」
「違う」
前原は。
魚の骨を取る。
「人が違うんだから」
「そうなんですけど」
「……」
「じゃあ」
敦は。
事務所を見る。
「ここも」
「みんなにとって」
「同じじゃないんですかね」
隼人が。
「俺には寝る場所」
翔太。
「俺は」
「……戻れる場所?」
木戸。
「酒飲める場所」
「出てけ」
「何で!」
グエン。
「ゴハン!」
「それしかねぇのか!」
「ダイジ!」
ますみ。
少し考えて。
「描いても」
「怒られない場所」
藍。
「書いたもの見せられる場所」
和子。
「料理作りすぎても」
「食べる人がいる場所」
川本。
「ヨシさんが」
「一人で暴走しないよう見張る場所」
「カー坊!」
「俺っすか?」
「お前!」
笑い。
敦も。
笑った。
そして。
思った。
同じでなくていい。
もしかすると。
それが。
大事なのかもしれない。
⸻
夜。
施設。
監督側から。
正式な文書が届いた。
記録保全。
事情確認。
追加ヒアリング。
今後の運用についての検証。
倉田は。
一人。
それを読んでいた。
閉鎖命令ではない。
逮捕でもない。
ただ。
「確認する」。
それだけ。
以前なら。
こんな文書が来れば。
どう守るか。
どう説明するか。
どう問題を小さくするか。
それを考えた。
今日は。
違った。
引き出し。
古い。
行動記録。
反省文。
ユウ。
そして。
高瀬自身の。
昔の生活改善記録。
「……」
同じ紙。
同じような言葉。
でも。
全く違う。
倉田は。
机へ。
一枚。
新しい紙を出した。
タイトル。
今後確認すべき事項
一。
児童の訴えを施設内判断だけで止めない。
二。
「自立支援」と「従属」を区別する。
三。
ここで。
手が止まる。
長い時間。
考える。
そして。
本人が嫌だと言える仕組みを作る。
書いた。
倉田は。
その文字を。
しばらく見ていた。
⸻
同じ夜。
森川の家。
美月は。
宿題。
ユウは。
ゲーム。
「ユウ」
「何」
美月が。
鉛筆を止める。
「高瀬さん」
「……」
「私」
「会ってみようかな」
ユウの手が。
止まる。
「何で」
「分かんない」
「……」
「でも」
美月。
「顔」
「覚えてるし」
「……」
「怖い?」
「ちょっと」
「じゃあやめれば」
「うん」
「……」
「でも」
美月は。
少し考える。
「怖いまま」
「会うのも」
「ありなのかなって」
ユウは。
何も言わなかった。
「ユウは」
「会わない」
「うん」
「今は」
「……」
「今は?」
美月が聞く。
ユウは。
ゲーム画面を見る。
「……知らない」
「そっか」
「うん」
森川は。
台所から。
その会話を聞いていた。
何も言わない。
口を挟みたい。
でも。
我慢した。
今。
二人が。
自分で話している。
それだけで。
十分だった。
⸻
午後十時四十一分。
高架下。
玄関。
敦が。
ゴミを出しに行こうとすると。
前原が。
外の椅子に座っていた。
「ヨシさん」
「ん」
「何してるんです」
「涼んでる」
「九月ですよ」
「まだ暑い」
敦も。
隣に座る。
「組織編」
とは。
もちろん言わない。
でも。
ここまで追ってきた件が。
少しずつ。
形を変えている。
「ヨシさん」
「何だ」
「施設」
「なくならないかもしれないですね」
「そうだな」
「……」
「なくした方が」
「いいと思います?」
前原が。
敦を見る。
「知らねぇ」
「また」
「俺」
「そこ使ってねぇから」
「……」
「助かった奴も」
「傷ついた奴も」
「今使ってる奴も」
「いるんだろ」
「はい」
「なら」
前原は。
少し考えて。
「俺一人が」
「潰せって言う話じゃねぇ」
「……」
「ただ」
「逃げられねぇ場所なら」
「変えろ」
「……」
「助けてって言った声」
「消すなら」
「変えろ」
「……」
「出てった奴を」
「いなかったことにするなら」
「変えろ」
敦は。
ゆっくり頷く。
「残していいものも」
「ある」
「たぶんな」
「……」
「飯とか」
「飯は大事だろ」
「結局そこ」
「最重要だ」
二人。
少し笑う。
⸻
「岡野」
「はい」
「お前」
「最初ここ来た時」
「うん」
「何だった」
「何が」
「ここ」
敦は。
考える。
あの日。
怖かった。
逃げて。
何も持ってなくて。
自分は。
全部失敗したと思っていた。
「……逃げ込んだ場所」
「今は」
事務所。
窓の向こう。
隼人と翔太。
木戸。
グエン。
ますみ。
笑い声。
「帰ってくる場所」
前原が。
少し鼻を鳴らす。
「そうか」
「ヨシさんは?」
「俺?」
「はい」
「……」
前原は。
考える。
長い。
「うるせぇ場所」
「台無し!」
「事実だろ」
「もっとあるでしょ!」
「知らん」
「照れてます?」
「帰れ」
「ここに住んでるんですけど!」
事務所の中。
「ウルサイ!」
グエンの声。
二人。
顔を見合わせる。
「お前が言うな!」
同時に。
叫んだ。
⸻
後書き
第70話でした。
ここで、森川・施設を巡る一連の出来事に、大きな区切りを入れました。
ただし、
「悪い施設だったので潰れました」
という形にはしていません。
なぜなら、
高瀬も。
長谷川拓海も。
森川自身も。
実際に助けられた部分があるからです。
一方で、
ユウの声が消されたことも事実として残っている。
だから必要なのは、
全部を善か悪かに塗り分けることではなく、
何を残し、何を変えるのか。
その確認です。
長谷川拓海も、ようやく再登場しました。
彼は組織の味方だから敵なのではありません。
「自分はあそこに救われた」という経験があるからこそ、
批判を自分自身への否定のように感じていた。
でも今回、
彼自身が初めて、
「自分が救われた経験を、他の問題を否定する材料にしてはいけない」
と気づき始めました。
そして翔太もかなり成長しています。
先輩に答えを押しつけず、
駅まで隼人に頼り、
その先は一人で行った。
物語序盤なら、
できなかった選び方です。
ここから物語は少しずつ次の段階へ移ります。
ますみたちの『笑花』。
隼人自身の進路。
翔太の仕事。
高瀬や施設のその後。
そして前原の過去。
事件を追う物語から、
「ここに集まった人たちは、これからどう生きるのか」
へ。
次回、第71話からは、その最初の大きな軸として――
『笑花』を本当に文化展へ出すのか。
ますみたちの創作チームが、初めて「外の人に見せる作品」を作り始めます。
もちろん。
順調にはいきません。




