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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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64/105

ここに来なくてもいい

第64話 ここに来なくてもいい


前書き


「居場所」


という言葉は、


優しい。


でも。


優しい言葉ほど、


時々、


少し怖い。


ここにいていい。


それは、


ここにいなきゃいけない、


とは違うから。


第64話です。


---


 午前十時。


 高架下の事務所。


 前原は窓際で新聞を読んでいた。


 川本は缶コーヒー。


 木戸はソファ。


 翔太は床に座って工具箱を整理している。


 グエンは冷蔵庫を開けたり閉めたりしている。


「何してんの」


 隼人が聞く。


「ミテル!」


「何を」


「ナニカアルカ!」


「泥棒じゃん」


「チガウ!」


 その横では、ますみと藍が一冊のノートを挟んで話していた。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 この場所は、


 生活の中に組み込まれ始めていた。


 誰がいつ来るのか。


 誰がいつ帰るのか。


 誰も把握していない。


 でも。


 誰かしらいる。


 それだけが妙に当たり前になっていた。


 敦は、その光景を見ながら。


 昨夜の森川との電話を思い出していた。


 守ること。


 囲うこと。


 その境界。


 前原は森川へ言った。


 守っているつもりで、


 全部決めていないか。


 でも。


 その言葉は。


 この場所にも当てはまるのではないか。


「……ヨシさん」


「ん」


 前原は新聞から顔を上げない。


「聞いていいですか」


「勝手にしろ」


「ここって」


 そこで。


 敦は少し迷った。


「……本当に、居場所なんですかね」


 新聞が止まった。


 木戸も顔を上げる。


 翔太も。


 藍も。


 ますみも。


 グエンだけが冷蔵庫を閉じた。


「ナニ?」


「哲学っぽいの始まった」


 木戸が言う。


 敦は苦笑する。


「いや」


「森川さんの話聞いて」


「なんか」


「ここも」


 一度周囲を見る。


「みんな、来すぎじゃないですか」


 木戸が即答した。


「俺?」


「特に」


「なんで」


「住んでるじゃないですか」


「住んでない」


「ほぼ住んでます」


 前原が新聞を畳む。


「で」


「どういう意味だ」


 敦は少し考える。


「ここがあるから助かってる人いると思うんです」


「うん」


「俺もそうだし」


「うん」


「でも」


「ここに来ないと落ち着かない、とか」


「ここが無くなったら何もできない、とか」


「そうなったら」


 前原の言っていた言葉を思い出す。


「それって、囲ってるのとそんなに違うんですかね」


 少し。


 部屋が静かになる。


 木戸が言った。


「難しいこと言うなぁ」


 奈々恵がコーヒーを持って入ってきた。


「何の話?」


「敦が急に思想家になった」


「違います」


 敦が説明する。


 奈々恵はしばらく黙って聞いていた。


 それから。


「いいんじゃない?」


「何がです?」


「試してみたら」


 全員が見る。


 奈々恵は紙コップを机へ置いた。


「ここに来なくてもいいとしたら」


「みんな何する?」


「……」


 木戸が顔をしかめた。


「休みの日?」


「毎日」


「え」


「今日から事務所禁止」


「なんで!?」


 グエンも反応する。


「ダメ!」


「仮の話」


「カリノハナシ、キライ!」


「知らないよ」


 少し笑いが起こる。


 奈々恵はホワイトボードへ向かう。


 藍が使っていたペンを取る。


 大きく書いた。


**【ここが無かったら何する?】**


「めちゃくちゃ嫌な質問」


 木戸が言った。


「だから面白いんじゃない」


 奈々恵は笑う。


「はい木戸」


「俺から?」


「一番暇そうだから」


「差別だ」


「で?」


 木戸は腕を組む。


「……寝る」


「今と変わらない」


「完」


「終わるな」


 事務所が笑う。


「じゃあ」


 木戸は少し考える。


「バイト探す」


 敦が驚く。


「ほんとに?」


「なんだよその反応」


「いや」


「意外で」


「金ないし」


「前も言ってたじゃないですか」


「でもここ来ると」


 木戸はソファを見る。


「なんか今日でいっかってなる」


 笑って言った。


 でも。


 少しだけ。


 本音が混じっていた。


 前原が木戸を見る。


「それは駄目だな」


「え」


「明日から来んな」


「極端!」


 また笑いが起きる。


 だが。


 敦には少し分かった。


 居心地が良すぎる場所も。


 時々。


 人を止めることがある。


---


「じゃあグエン」


「ワタシ?」


「ここ無かったら」


 グエンは考える。


「ガッコウ!」


「日本語学校?」


「ハイ!」


「そのあと」


「バイト!」


「そのあと」


「ゴハン!」


「どこで」


 グエンが止まる。


「……」


「家?」


「……」


 少しだけ。


 表情が変わる。


「ヒトリ」


 部屋が静かになる。


 グエンは笑った。


「デモ、ダイジョウブ!」


「前も一人だった!」


 その言い方。


 敦は少し胸が痛くなった。


 一人に慣れている。


 それは。


 一人が平気という意味ではない。


 ただ。


 そうするしかなかったというだけ。


 木戸が言う。


「じゃあ俺ん家来る?」


「イヤ!」


「即答!?」


「キタナイ!」


 爆笑。


「誰だ教えたの」


「ショウタ!」


「俺!?」


 翔太が慌てる。


 木戸が睨む。


「お前か」


「いや事実として」


「今日の若い奴ら遠慮ねぇな」


---


「翔太は?」


 奈々恵が聞く。


 翔太は工具箱を閉じた。


「……仕事探すと思います」


「今も探してる?」


「少し」


 敦が初めて聞いた。


「そうなの?」


「はい」


「言ってくれれば」


「いや」


 翔太は少し笑う。


「前原さんたちに全部やってもらうの」


「なんか違う気がして」


 前原は何も言わない。


 翔太は続ける。


「自分で探して」


「分かんなかったら聞こうかなって」


 前原が鼻で笑った。


「そうしろ」


「はい」


 翔太の声は少し嬉しそうだった。


---


「ますみ」


「え」


 完全に油断していた。


「私は……」


 スケッチブックを見る。


「家」


「それから?」


「絵描く」


「学校は?」


 ますみが少しだけ止まる。


 以前なら。


 ここで空気が固まっていた。


「……行けたら行く」


 奈々恵が頷く。


「うん」


「でも」


 ますみが小さく続ける。


「たぶん」


「何?」


「藍に連絡する」


 藍が止まる。


「私?」


「うん」


「なんで」


「絵見せたいから」


 一瞬。


 藍が何も言えなくなる。


「……そっか」


「嫌?」


「いや」


 藍は少しだけ照れた。


「全然」


 ますみが小さく笑う。


 ここが無くても。


 関係は無くならない。


 敦は。


 そこに少し安心した。


---


「藍は?」


「私?」


 藍は椅子を回す。


「家で書く」


「それだけ?」


「カナコに曲送る」


 窓際でギターを触っていたカナコが顔を上げる。


「送って」


「うん」


「あと」


「ますみに絵頼む」


「結局同じことしてるね」


 航平が笑う。


「場所が変わるだけだな」


 その言葉。


 みんなが少し反応した。


 場所が無くても。


 人は繋がれる。


 なら。


 ここは。


 必要だけれど。


 絶対ではない。


 もしかすると。


 それくらいが。


 ちょうどいいのかもしれない。


---


「隼人」


「俺?」


「ここ無かったら?」


 隼人は椅子にもたれる。


「……知らね」


「真面目に」


「真面目だよ」


「行くとこないし」


 少し間。


「ひだまり食堂」


「お」


「神谷さんとこ」


「その後」


「……」


 隼人は笑う。


「分かんね」


 前原が言った。


「それでいい」


 隼人が見る。


「昨日も言ってたな」


「ああ」


「分かんないままでいいって」


「今はな」


「いつまで?」


「お前が決めたくなるまで」


 隼人は少しだけ俯いた。


「……そ」


---


「じゃあヨシさん」


 敦が言った。


「俺?」


「ここ無かったら何します?」


「酒」


「最低」


「寝る」


「木戸さんと一緒じゃないですか」


「違う」


「何が」


「俺には金がある」


「嫌な違い」


 笑い。


 川本が隣から言う。


「ヨシさん昔から一人だとロクなことしないっすよ」


「カー坊」


「はい」


「表出ろ」


「暴力!」


「ほらロクなことしない」


 さらに笑いが起きる。


 その中で。


 敦は少し気づいた。


 前原も。


 ここが必要なのだ。


 若い人たちを助けるためだけではない。


 自分自身が。


 誰かと飯を食うため。


 馬鹿な話をするため。


 一人にならないため。


 この場所を作ったのかもしれない。


---


 奈々恵がホワイトボードを見た。


「結論」


 全員が見る。


「ここ無くても」


「みんな一応生きていけそう」


 木戸が手を挙げる。


「俺不安」


「お前は働け」


「はい」


「でも」


 奈々恵は続ける。


「ここがある方が」


 少し笑う。


「楽しい」


 誰も反論しなかった。


 敦も。


 それが一番しっくりきた。


 生きられないから来る場所。


 ではなく。


 生きるのが少し楽になる場所。


 必要なら頼る。


 離れてもいい。


 また来てもいい。


 そういう場所なら。


 囲い込みとは。


 少し違うのかもしれない。


---


 午後三時。


 川本が電話を取った。


「はい」


 少しして。


 表情が変わる。


「誰?」


 敦が聞く。


 川本は受話器を少し離した。


「隼人」


「え?」


「お前」


「俺?」


「お母さん」


 部屋の空気が止まった。


 隼人の顔から。


 一瞬で色が消えた。


「……何で」


 誰も答えない。


 川本が聞く。


「どうする」


 隼人は受話器を見る。


 母親。


 一週間前。


『ごめんね』


 だけ残して。


 消えた。


「……出ない」


「分かった」


 川本は電話へ戻る。


「本人、今は話したくないそうです」


 それだけ。


 切ろうとする。


『待ってください!』


 電話越しでも聞こえるほど。


 女性の声。


 震えていた。


『お願いします』


『隼人に』


 一度。


 声が詰まる。


『帰ってきてって』


 隼人の顔が歪んだ。


 前原が静かに聞く。


「聞くか?」


「……」


「スピーカーにはしねぇ」


「……」


「電話も代わらなくていい」


 隼人は拳を握った。


「何て」


「ん?」


「何て言ってんの」


 川本が電話へ耳を戻す。


「本人が聞いてます」


 向こうで。


 長い沈黙。


『……隼人』


 母親の声。


『ごめん』


 隼人が目を閉じる。


 また。


 その言葉。


『お母さん』


『逃げました』


 部屋が静かになる。


『あなたを置いて』


『逃げました』


 隼人の呼吸が少し乱れる。


『でも』


『今』


『お父さんと離れて』


 一度。


『あなたと』


『やり直したい』


 隼人が。


 小さく笑った。


 でも。


 その笑顔には。


 怒りが混じっていた。


「……勝手だな」


 敦が隼人を見る。


 川本は何も言わない。


『うん』


 母親は。


 否定しなかった。


『勝手だと思う』


『だから』


『帰ってきてって言う資格があるかも分からない』


「じゃあ言うなよ」


『……うん』


「なんで俺置いてったんだよ」


 ついに。


 隼人が電話へ向かって言った。


 直接受話器は持たない。


 でも。


 声は届いた。


『……怖かった』


「俺は?」


『……』


「俺は怖くなかったと思ってんの?」


『ごめん』


「それしか言えねぇの?」


『……』


「母ちゃん」


 隼人の声が。


 震える。


「俺さ」


「親父が帰ってくるたび」


「今日殴られるかなって」


「ずっと考えてた」


「母ちゃんがいなくなって」


「俺」


「次は俺の番だと思った」


 誰も動かない。


 前原は。


 ただ聞いている。


「なのに」


「母ちゃん」


「自分だけ逃げたじゃん」


『……うん』


「俺十九だよ」


『うん』


「大人だから平気だと思った?」


『違う』


「じゃあ何」


『あなたなら』


 一度。


『大丈夫だと思ってしまった』


 隼人の顔が。


 止まる。


『ずっと』


『我慢してくれてたから』


『働いて』


『家にもお金入れて』


『お父さんが怒っても』


『黙っててくれたから』


『隼人は』


『強いから』


「……」


『だから』


「ふざけんなよ」


 低い声。


「俺」


「強くねぇよ」


 母親が黙る。


「怖かったよ」


「ずっと」


「学校辞めたのも」


「金入れたのも」


「親父に言い返さなかったのも」


「強いからじゃねぇよ」


 息を吸う。


「怖かったからだよ!」


 最後は。


 ほとんど叫びだった。


 グエンが。


 少しだけ身体を縮める。


 翔太も。


 ますみも。


 自分の過去と重なるものがあるのだろう。


『……ごめんなさい』


 今度。


 隼人は。


 怒らなかった。


 少しだけ。


 疲れた顔をした。


「今日」


『うん』


「帰らない」


 向こうが静かになる。


「明日も」


「分かんない」


『……うん』


「でも」


 隼人は。


 前原たちを見る。


 それから。


「母ちゃんがどこにいるか」


「住所だけ教えて」


『……来てくれる?』


「分かんないって言ってるだろ」


『……そうだね』


 母親は。


 少し泣いたような声で笑った。


『送るね』


「うん」


『隼人』


「何」


『生きててくれて』


 隼人の眉が寄る。


『ありがとう』


 その言葉。


 隼人は。


 しばらく返せなかった。


「……切る」


『うん』


 電話が切れた。


 事務所に。


 冷蔵庫の音だけが残った。


---


 誰も。


 すぐに近づかなかった。


 大丈夫?


 とは。


 誰も言わない。


 前原が一つだけ聞いた。


「腹減ったか」


 隼人が顔を上げる。


「……は?」


「昼食ってねぇだろ」


「今その話?」


「今だからだ」


 隼人は。


 数秒。


 前原を睨んで。


 それから。


 吹き出した。


「……なんだよそれ」


「食うのか食わねぇのか」


「食う」


「何」


「目玉焼き」


「また?」


「今日は俺が作る」


 和子が台所から顔を出した。


「じゃあ火は弱めね」


「分かってるよ」


「油」


「知ってる」


「卵」


「割れる」


「成長したねぇ」


「子ども扱いすんな!」


 少しずつ。


 部屋へ音が戻る。


 隼人は台所へ向かった。


 母親のところへ帰るか。


 帰らないか。


 まだ決めない。


 父親を探すか。


 まだ決めない。


 高校へ戻るか。


 仕事をするか。


 まだ。


 何も決まっていない。


 でも。


 今は。


 目玉焼きを作る。


 それでいい。


---


 夜。


 隼人は一人で玄関に座っていた。


 敦が横へ来る。


「隣いい?」


「勝手に」


 敦は座る。


 しばらく。


 何も言わない。


「岡野さん」


「うん」


「今日の話」


「うん」


「みんな聞いてた」


「うん」


「恥ずい」


「俺も最初」


「色々聞かれた」


「そうなの」


「うん」


「裏バイトのことも」


「逃げたことも」


「全部」


 隼人は少し笑う。


「それと比べんなよ」


「比べてない」


 敦も笑う。


「でも」


「うん」


「明日」


 隼人が言う。


「母ちゃんに会うかもしれない」


 敦は驚かない。


「そっか」


「まだ分かんないけど」


「うん」


「一人で行く」


「うん」


「止めないの?」


「止める理由ないし」


「怖いって言ったら」


「駅まで送る」


「そこまで?」


「嫌なら送らない」


 隼人は笑う。


「ここ」


「ん?」


「ほんと変だな」


「知ってる」


 高架の上。


 電車が走る。


 窓から漏れる光が。


 一瞬だけ。


 二人の顔を照らした。


---


 同じ頃。


 別の場所。


 高瀬健は。


 一人。


 机へ座っていた。


 目の前には。


 古いファイル。


 表紙には。


**家族支援プログラム 行動記録**


 その中。


 子どもの名前。


 何人も。


 反省。


 達成。


 課題。


 改善。


 そして。


 ユウの欄。


 高瀬は。


 長い時間。


 そのページを見ていた。


 自分は。


 正しいことをしていた。


 そう思っていた。


 少なくとも。


 あの頃は。


 いや。


 今も。


 そう思いたい。


 ページの端には。


 十歳の子どもの字。


> ぼくがちゃんとできなかったから

> ごめんなさい。


 高瀬は。


 ゆっくり。


 ファイルを閉じた。


 そして。


 誰もいない部屋で。


 小さく呟いた。


「……俺は」


 続きは。


 言葉にならなかった。


---


## 後書き


第64話でした。


今回は、森川編の核心を少し休ませて、**この事務所そのものが本当に「居場所」なのか**を一度問い直しました。


結論はたぶん、


**「ここがないと生きられない場所」ではなく、**

**「ここがあると少し生きやすい場所」**


なんだと思います。


それなら離れてもいい。


別の場所へ行ってもいい。


人同士の繋がりだけ残ってもいい。


そして後半では、隼人の母親が初めて「あなたは強いから大丈夫だと思った」と口にしました。


これは隼人にとって、かなり大きな傷です。


**強い子に見えたから、助けなくても大丈夫だと思われた。**


でも本人はずっと怖かった。


次回、第65話では、隼人が母親に会いに行くかどうかを自分で決めます。


一方、高瀬側でも動き始めました。


彼は「悪事がバレそうだから焦っている」のではありません。


**自分が正しいと信じていたことが、本当に正しかったのか。**


そこに初めて亀裂が入り始めています。


ここから森川編の決着となる70話前後へ向けて、高瀬・森川・前原の三者が少しずつ同じ場所へ近づいていきます。

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