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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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62/105

僕が悪い





第62話 僕が悪い


前書き


子どもは、


大人よりずっと早く、


空気を読むことがあります。


怒らせないように。


嫌われないように。


置いていかれないように。


そしていつの間にか、


本当は大人が背負うべきものまで、


「自分が悪い」


と思い始める。


第62話です。


---


 午前十一時。


 高架下の事務所では、


 今日も誰かが何かをしていた。


 藍はノートパソコン。


 ますみはスケッチブック。


 航平は地図。


 レンはデザイン。


 カナコは窓際でギター。


 グエンは、


 なぜか床に寝転がっていた。


「何してんの」


 隼人が聞く。


「スズシイ!」


「床が?」


「ユカ、ツメタイ!」


「お前ほんと自由だな」


「ハヤトモ!」


「俺はやらねぇよ」


 言いながら。


 隼人はもう、


 この部屋で普通に話していた。


 四日前。


 入口から三歩以上入ろうとしなかった人間とは思えない。


 とはいえ。


 まだリュックは近くに置いている。


 スマートフォンも、


 常にポケット。


 眠る時も靴はすぐ履ける場所。


 完全に安心しているわけではない。


 でも。


 少なくとも、


 逃げ道を確認する回数は減った。


 翔太はそれに気づいていた。


 自分も似たことをしていたから。


「隼人」


「何」


「今日どうするんです?」


「何が」


「夜」


 隼人の手が止まる。


「……分かんね」


「じゃあ」


 翔太は段ボールを畳みながら言った。


「分からないままでいいんじゃないですか」


「それでいいの?」


「俺もずっとそうでした」


「今は?」


 翔太が少し考える。


「今も分からないこと多いです」


「じゃあ何も変わってねぇじゃん」


「前より焦らなくなりました」


 隼人は少し黙った。


 その答えは、


 意外と悪くないと思った。


---


 その頃。


 別室。


 前原。


 桜井。


 黒岩。


 佐伯。


 敦。


 五人が机を囲んでいた。


 中央には、


 三浦から聞いた話を整理した資料。


 森川修平。


 美月。


 ユウ。


 そして。


 ユウが「警察」という言葉だけで過呼吸を起こしたこと。


「まず確認だ」


 桜井が言う。


「警察が悪いとは限らん」


 木戸なら、


 またそれかと言いそうだった。


 だが今回は誰も笑わない。


「過去に警察沙汰になった」


「親が警察を怖がらせた」


「施設でそう教えられていた」


「本人が何かを経験した」


「可能性はいくらでもある」


 佐伯が頷く。


「児童相談所側にも、当時の照会記録があるか確認しています」


「見られるのか」


 敦が聞く。


「全部は無理です」


「やっぱり」


「でも、匿名化された対応記録なら残っている場合があります」


 前原は椅子にもたれた。


「で」


「ユウってガキの本名は」


「分かりません」


「美月も?」


「はい」


 前原が舌打ちする。


「名前だけありゃ人間探せると思ってた時代が懐かしいな」


 桜井が言う。


「お前の場合、昔は名前も聞かず殴ってただろ」


「俺を何だと思ってんだ」


 黒岩が即答する。


「だいたい合ってる」


「お前まで言うな」


 少しだけ笑いが起きる。


 敦は最近、


 こういう瞬間が大事なのだと分かってきた。


 重い話を、


 ずっと重いままにしない。


 息をする場所を作る。


 前原たちは、


 意識しているのかいないのか、


 自然とそれをやっていた。


---


 桜井が一枚のコピーを机へ出した。


「野々村さんの施設に残っていたものだ」


 手書き。


 子どもの文字。


 短い文章だった。


 敦が読む。


> ぼくがちゃんとできなかったから

> みんながおこりました。

> つぎはちゃんとします。

> ごめんなさい。


「これ」


 敦の声が小さくなる。


「ユウ?」


「野々村さんはそう言ってる」


「何の時に書いたんですか」


「夏祭りの翌日」


「何があった」


「分からん」


 また。


 分からない。


 だが。


 今回はその言葉が、


 少し違う重さを持っていた。


 前原は紙を取る。


 ゆっくり読む。


「ちゃんと」


 呟く。


「このガキもか」


 敦が顔を上げる。


「も?」


 前原は答えなかった。


 隣の部屋。


 藍。


 ますみ。


 翔太。


 田中。


 ここへ来た人間の何人が、


 その言葉に苦しめられてきたのだろう。


 ちゃんとしろ。


 ちゃんと働け。


 ちゃんと学校へ行け。


 ちゃんと家族をやれ。


 ちゃんとした人間になれ。


 その「ちゃんと」が、


 誰の基準なのか。


 誰も説明しない。


「子どもにこれ書かせるの」


 敦は言う。


「普通なんですかね」


 佐伯が少し顔をしかめる。


「反省文そのものは珍しくありません」


「でも」


「内容は気になります」


「何が」


「何について謝っているのか書いていない」


 桜井が頷く。


「そう」


「自分が何をしたのかではなく」


 紙を指す。


「自分そのものが悪いと書いてる」


 部屋が静かになる。


「それ、違うんですか」


 敦が聞く。


 桜井は少し考えた。


「例えば」


「皿を割った」


「なら」


「皿を割ってごめんなさいだ」


「喧嘩した」


「なら」


「叩いてごめんなさいだ」


「でも」


 紙を見る。


「こいつは」


「僕がちゃんとできなかったから」


 主語が。


 行動ではない。


 自分になっている。


「何度も書かされていた可能性があります」


 佐伯が言った。


「あるいは」


「普段から」


「問題が起きるたびに、自分の責任だと教えられていた」


 前原の顔が、


 ゆっくり険しくなる。


「洗脳ってやつか」


「そこまで言うには早いです」


 佐伯はすぐ止める。


「でも」


「心理的に支配されていた可能性はある」


 桜井が続ける。


「問題は」


「誰が何のために」


 その時。


 佐伯のスマートフォンが鳴った。


「はい」


 数秒。


 表情が変わる。


「……分かりました」


 電話を切る。


「どうした」


 前原が聞く。


 佐伯は少し息を整えた。


「児童相談所側に」


「三年前の記録がありました」


 全員が見る。


「美月とユウ?」


「名前は一致しません」


「じゃあ」


「年齢と時期」


「施設名」


「それから」


 一度止まる。


「逃走」


 敦の背中に冷たいものが走る。


「逃走?」


「記録上は」


「施設から児童二名が無断で外出」


「職員が捜索」


「一名は地域住民によって保護」


「待て」


 桜井が手を上げる。


「一名?」


「はい」


「二人逃げて」


「一人しか保護されてない?」


「そうです」


 前原が低く聞く。


「どっちだ」


「分かりません」


「その後の記録は」


「保護児童は施設へ戻された」


「もう一人は」


 佐伯は画面を見る。


「翌日」


「本人が自力で戻ったことになっています」


「本人が?」


 敦が聞く。


「十歳くらいの子が?」


「記録では」


 桜井の表情が、


 一気に鋭くなった。


「誰が報告した」


 佐伯が画面を拡大する。


「施設側」


「行政は本人確認した?」


「……記載がありません」


 静かになる。


 黒岩が言う。


「戻ってない可能性もある?」


 桜井は答えない。


 佐伯も。


 でも。


 全員が同じことを考えた。


---


 午後。


 ひだまり食堂。


 恵子は、


 今日も大鍋でカレーを作っていた。


 神谷が玉ねぎを炒める。


「今日多くないですか」


「夏休みだからね」


「子ども多いか」


「多いよ」


 そこへ。


 カラン。


 扉。


「おかえり」


 恵子がいつものように言う。


 入ってきたのは、


 隼人だった。


「……こんにちは」


「今日はそっちなんだ」


「何が」


「おかえりじゃないの?」


「言わねぇよ」


 神谷が笑う。


「そのうち言う」


「絶対言わねぇ」


「みんな最初そう言う」


 隼人は嫌そうな顔をした。


「怖ぇなここ」


「前原さんとこよりマシだろ」


「あそこは別方向で怖い」


「分かる」


 神谷は笑った。


 隼人は店を見回す。


 小学生。


 母親。


 老人。


 作業着姿の男性。


 今日はかなり多い。


「手伝います?」


 言ってから。


 隼人自身が止まった。


 恵子も。


 神谷も。


「……何」


 恥ずかしくなり、


 少し睨む。


 恵子は何でもない顔で言った。


「じゃあ水お願い」


「それだけ?」


「最初からカレー百人分作らせるわけないでしょ」


「そりゃそうだけど」


「コップそこ」


「はい」


 隼人はトレーを持った。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 水を入れる。


 子どもの前へ置く。


「ありがと!」


「……おう」


 知らない女の子が笑う。


 隼人は少し戸惑う。


 自分が何かをして。


 ありがとう。


 それだけ。


 恩に着せない。


 褒めすぎない。


 責任も背負わせない。


 ただ。


 水を一杯置いただけ。


「ねぇお兄ちゃん」


 女の子が聞く。


「何」


「ここで働いてるの?」


「働いてねぇ」


「じゃあ何してるの?」


 隼人が止まる。


「……分かんね」


 女の子は笑った。


「へんなの!」


「うるせぇ」


 でも。


 隼人も笑った。


---


 高架下の事務所では。


 ますみが、


 珍しく藍へ自分からスケッチブックを見せていた。


「ここ」


「うん」


「変?」


「何が」


「この子」


 黄色い傘の少女をモチーフにしたキャラクター。


 でも。


 顔は美月とは違う。


 ますみの中で生まれた、


 新しい少女だった。


「笑ってるけど」


「うん」


「目、怖がってる」


 藍がページを見る。


「……それでいいんじゃない」


「変じゃない?」


「人間ってそんなもんでしょ」


「そうかな」


「だって」


 藍は少し笑う。


「ますみも最初そんなだったじゃん」


「え」


「笑ってないけど」


「そこ?」


「でも」


 藍は続ける。


「平気な顔してた」


 ますみは少し黙る。


「私」


「うん」


「そんなに分かりやすかった?」


「今なら」


 藍は笑う。


「当時は分かんなかった」


「なんで今は分かるの」


「私も似たようなもんだったから」


 ますみも笑った。


 最近。


 二人はこういう話をするようになった。


 解決するわけではない。


 ただ。


 分かる。


 それだけ。


---


 夕方六時。


 桜井たちは、


 野々村の地域交流施設へ再び来ていた。


「ユウが書いた文章」


 野々村が言う。


「あれですか」


「何か覚えてます?」


 桜井が聞く。


 野々村は困ったように椅子へ座る。


「正直」


「当時は深く考えなかった」


「何がありました」


「子ども同士の喧嘩」


「誰と」


「美月ちゃんと」


 桜井が顔を上げる。


「二人が?」


「正確には」


「美月ちゃんが泣いて」


「ユウくんが謝ってた」


「理由は」


「聞いても言わなかった」


「その反省文は」


「ユウくんが自分から書いた」


「誰にも言われず?」


「そうです」


 敦が違和感を覚える。


「なんで」


 誰も書けと言ってない。


 なのに。


 反省文を書く。


 しかも。


 自分が悪いと。


「習慣だった?」


 桜井が言う。


「何かあると、書くように教えられてた」


 野々村の顔が曇る。


「……可能性はあります」


「森川はそれを見た?」


「はい」


「なんて」


 野々村は少し考えた。


「怒りました」


「ユウに?」


「違います」


「誰に」


「大人に」


 前原の目が動く。


「そこに施設職員がいた?」


「一人」


「名前」


「高瀬」


 敦が止まる。


 説明会。


 個別相談。


 爽やかな笑顔。


 自分もここで救われたと言っていた男。


「高瀬健?」


 敦が聞く。


 野々村は古い記録を見る。


「はい」


 敦の背中に、


 ぞわっと鳥肌が立った。


「何があったんです」


 野々村は語り始める。


 三年前。


 地域交流イベント。


 美月が、


 屋台のジュースをこぼした。


 ただそれだけ。


 服が濡れた。


 本人は驚いて泣いた。


 すると。


 ユウが突然、


 美月の代わりに謝り始めた。


『ごめんなさい』


『僕がちゃんと見てなかったから』


『僕が悪いです』


 何度も。


 何度も。


 周囲の大人が、


 もういいよと言っても。


 止まらない。


 そこへ高瀬が来た。


 そして。


『ユウ』


 穏やかな声で言った。


『どうするんだっけ?』


 ユウは。


 泣きながら。


『書きます』


 と言った。


 野々村は、


 その時初めて意味が分からなかったという。


「森川くんは」


 桜井が聞く。


「それを見てた」


「はい」


「高瀬に何て」


 野々村は目を伏せた。


「子どもに何教えてんだって」


「それから」


「かなり揉めました」


 前原が低く聞く。


「殴った?」


「殴ってません」


「森川、偉いな」


 黒岩が小さく言う。


「お前基準やめろ」


 桜井が返す。


「ただ」


 野々村は続ける。


「高瀬さんはずっと穏やかでした」


「何て」


「これはユウくん自身が決めたルールです」


「……」


「自分の行動を振り返るためです」


「誰かに責任を押しつける子にならないため」


 敦は。


 その言葉を聞いて。


 説明会を思い出した。


 高瀬。


 優しい。


 穏やか。


 共感してくれる。


 悪い人には見えない。


 今も。


 この話だけなら。


 善意にも聞こえる。


「森川は納得した?」


「いいえ」


 野々村が答える。


「森川くん」


「こう言いました」


 少し間を置く。


「十歳のガキが全部自分の責任にする方が」


「よっぽどおかしいだろ」


 前原が、


 小さく笑った。


「会ってみたかったな」


 桜井が見る。


「まだ生きてる」


「ああ」


「だから過去形にするな」


「分かってる」


 そして。


 この出来事の一週間後。


 美月とユウは施設から姿を消した。


 森川のところへ。


「じゃあ」


 敦が言う。


「森川さんが二人を連れ出したんじゃなくて」


「この喧嘩がきっかけで」


 桜井が頷く。


「二人が森川を頼った可能性がある」


「高瀬は」


 前原が聞く。


「今もいる」


「説明会に」


 敦が答える。


「会いました」


 前原は黙る。


「行くんですか」


「何が」


「高瀬に」


「まだ行かねぇ」


「意外」


 敦が言う。


「何で」


「今行ったら」


 前原は鼻を鳴らす。


「ぶん殴りそうだから」


 桜井が頭を抱える。


「お前は本当に成長してるのかしてないのか分からんな」


「殴らないって言ってるだろ」


「そこを褒める段階なのが問題なんだ」


 少し。


 笑いが起きた。


 けれど。


 敦の中には。


 一つの疑問が残った。


 高瀬は。


 悪い人なのか。


 本人も。


 本当に、


 「子どもの成長のため」


 と思ってやっていたのではないか。


 そして。


 もしそうなら。


 それは。


 悪意よりも。


 もっと厄介なのかもしれなかった。


---


 夜。


 隼人が事務所へ戻ってきた。


「ただいま!」


 グエンが先に叫ぶ。


「お前が言うなよ」


 隼人が笑う。


 翔太が顔を上げる。


「おかえり」


「……」


 隼人が止まる。


「何すか」


「いや」


 少し照れる。


「別に」


 靴を脱ぐ。


 揃える。


 リュックをいつもの椅子の横へ置く。


 そして。


 自然に。


「腹減った」


 と言った。


 木戸がソファから叫ぶ。


「俺も!」


「お前ずっといるじゃん」


「腹減るのに場所関係ないだろ!」


 和子が台所から顔を出す。


「今日はカレー!」


 グエンが両手を上げる。


「カレー!」


 隼人も。


 一瞬だけ。


 同じように手を上げそうになった。


 途中で気づき。


 止める。


 ますみが見ていた。


「今やろうとした」


「してねぇ」


「した」


「してない」


「見た」


「見るな!」


 笑い声。


 いつもの夜。


 でも。


 隼人はもう。


「今夜だけ」


 とは言わなかった。


---


 深夜。


 前原は一人。


 ユウの反省文を見ていた。


> ぼくがちゃんとできなかったから

> みんながおこりました。


「……馬鹿野郎」


 小さく呟く。


 子どもへではない。


 この言葉を書かせるところまで、


 追い詰めた大人たちへ。


 そして。


 少しだけ。


 昔の自分へ。


 前原にも。


 誰かへ。


 「お前が悪い」


 と言った過去がある。


 何度も。


 何人にも。


 言葉で。


 力で。


 黙らせた。


 今。


 その言葉の先にいる子どもを見て。


 初めて。


 昔の自分が、


 少しだけ。


 遠くから見えるようになっていた。


 その時。


 机の上の電話が鳴った。


 知らない番号。


 前原が取る。


「はい」


 無言。


「誰だ」


 しばらく。


 息だけ。


 そして。


 男の声。


『……三浦から聞きました』


 前原の表情が変わる。


「誰だ」


 沈黙。


『森川です』


 前原が立ち上がった。


 高架下の事務所。


 深夜。


 誰も起きていない。


 長い間探していた男。


 森川修平。


 その本人が。


 ついに。


 向こうから電話を掛けてきた。


---


## 後書き


第62話でした。


今回はユウの


**「僕が悪いです」**


の背景が少し見え始めました。


大きな問題が起きたから謝るのではなく、日常の小さな失敗まで「自分がちゃんとしなかったせい」と考える癖がついていた。


そして、その状況へ初めて強く疑問を持った大人が森川でした。


さらに重要なのは、当時そこにいた職員が**高瀬健**だったことです。


ただ、高瀬もまだ単純な悪役とは限りません。


本人は本当に「自立のため」「責任感を身につけるため」と信じていた可能性があります。


善意と支配の境界。


そこが、この編の核心になっていきます。


そしてラスト。


ついに、


**森川修平本人から前原へ電話が入りました。**


次回、第63話。


# 「森川修平」


いよいよ本人の口から、


美月とユウ。


高瀬。


あの施設。


そして三年前に何が起きたのかが語られ始めます。


ただし森川は最初に、前原へ一つだけ条件を出します。


**「子どもたちの居場所は、聞かないでください」**


前原がその条件を受け入れるところから、森川修平という男との本当の対話が始まります。


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