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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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61/105

探すな

前書き


誰かを探すことが、


その人を助けることになるとは限らない。


見つけてほしい人もいる。


見つかりたくない人もいる。


そして。


「探さないでくれ」


という言葉が、


拒絶ではなく、


誰かを守るためのお願いであることもある。


第61話です。


⸻


第61話 探すな


 午前零時十九分。


 高架下の事務所。


 最終電車が通り過ぎてから、しばらく経っていた。


 桜井はスマートフォンの画面を見つめている。


 着信履歴。


 知らない番号。


 通話時間。


 二十七秒。


 内容は短かった。


『森川を探すな』


 それだけ。


 前原は向かいの椅子に座っていた。


「掛け直せ」


「もうやった」


「出たか」


「現在使われておりません」


「早ぇな」


 黒岩が眉を寄せる。


「プリペイド?」


「可能性はある」


「公衆電話じゃないのか」


「番号が残ってる」


「じゃあ」


 前原が煙草を指先で転がす。


「捨て番号か」


「そこまでしてるならな」


 桜井はスマートフォンを机へ置いた。


 木戸がソファから顔を出す。


「脅迫じゃん」


「どこが」


「探すなって」


「殺すとも、痛い目に遭わせるとも言ってない」


「でも怖くね?」


「怖いかどうかと、脅迫かどうかは別だ」


「法律って面倒くせぇ」


「お前が雑なんだ」


 川本が言う。


 木戸は再びソファへ沈んだ。


「じゃあどうすんの」


 前原が答える。


「探す」


「ですよね」


「聞く意味あった?」


「一応」


 敦は少し考えていた。


「ヨシさん」


「なんだ」


「逆じゃないですか」


「何が」


「電話した人」


 全員が敦を見る。


「本当に俺たちを止めたいなら」


 敦はゆっくり言葉を探す。


「もっと怖いこと言いません?」


 桜井が目を細める。


「続けろ」


「いや……」


 敦は頭を掻く。


「俺だったらですけど」


「うん」


「絶対探すなとか」


「次はないぞとか」


「家族がどうとか」


「そういうこと言うと思うんです」


 前原が少し笑う。


「悪役の才能あるな」


「違いますよ!」


「でも言いたいことは分かる」


 桜井が頷く。


「声は?」


 敦が聞く。


「怒ってました?」


 桜井は思い出す。


「……いや」


「じゃあ」


「焦ってた」


 沈黙。


 黒岩が腕を組む。


「脅してるんじゃない」


「頼んでる?」


 敦が言った。


 前原は煙草を置いた。


「あり得るな」


 電話の意味が少し変わった。


 森川を探すな。


 それは、


 森川を隠したい人間の言葉なのか。


 それとも。


 森川を守りたい人間の言葉なのか。


⸻


 翌朝。


 午前七時二十分。


 事務所の台所から、妙な音がしていた。


 ガン。


「……」


 ガン。


「……」


 ガガン。


「何してんだ」


 前原が覗く。


 隼人がいた。


「目玉焼き」


「それのどこに鍋叩く工程がある」


「フライパンくっついてんだよ!」


「油ひいたか」


「油?」


 前原は顔を覆った。


「お前、料理できねぇのか」


「カップ麺なら」


「料理じゃねぇ」


「お湯の量とかあるだろ」


「黙れ」


 昨日。


 腹が減ったと言って戻ってきた隼人は。


 結局。


 また泊まった。


 本人は、


「終電逃しただけ」


 と言っている。


 そもそも帰る家へ帰っていないので、終電は関係ない。


 誰も指摘しなかった。


「何してるんですか」


 翔太も起きてきた。


「朝飯」


「おお」


「失敗してる」


「見れば分かります」


「お前最近言うようになったな」


「ここにいると」


 翔太は前原を見る。


「移ります」


「俺のせいかよ」


「だいたい」


 隼人が笑った。


 昨日より。


 また少し自然に。


 その時。


 和子が入ってきた。


「おはよ――」


 止まった。


 フライパン。


 焦げた卵。


 飛び散った油。


 床。


 隼人。


「……」


「……」


 隼人が固まる。


「誰?」


「俺っす」


「そう」


 和子が笑った。


「片づけようか」


「怒らないんすか」


「なんで?」


「いや……」


 隼人は台所を見る。


「これ」


「失敗したんでしょ」


「はい」


「じゃあ次覚えればいい」


 それだけ。


 和子はエプロンをつける。


「まず火が強すぎ」


「はい」


「フライパン温めすぎ」


「はい」


「卵割るのは上手」


「そこ褒めるんだ」


「褒められるところは褒める」


 和子が笑う。


「ほら、もう一個」


「え」


「作るんでしょ」


「……はい」


 隼人は新しい卵を持った。


 敦は入口から、その光景を見ていた。


 失敗した。


 怒られる。


 そう思って身構える。


 でも。


 怒られない。


 次をやらせてもらえる。


 それだけのことが、


 この子にはたぶん、


 今まであまりなかったのだ。


⸻


「できた!」


 十分後。


 隼人が叫ぶ。


 目玉焼き。


 少し端は焦げている。


 黄身は潰れていない。


「おお」


 翔太が拍手する。


 グエンも拍手。


「スゴイ!」


「目玉焼きだぞ」


「スゴイ!」


「そんな褒められると逆に恥ずいわ」


 木戸が皿を持ってくる。


「俺食う」


「自分で作れ」


「味見してやる」


「いらねぇ」


「先輩だぞ」


「何の?」


 木戸が止まる。


「……居候?」


「最悪の先輩じゃねぇか」


 事務所に笑い声が広がった。


 前原はコーヒーを飲みながら、それを見ている。


 普通の朝。


 いや。


 たぶん。


 ここにいる人間の多くにとって、


 普通ではなかった朝。


 だからこそ。


 大事だった。


⸻


 午前九時半。


 桜井が戻ってきた。


 手には紙袋。


「何それ」


 黒岩が聞く。


「朝飯」


「遅くない?」


「食ってない」


 和子が即座に言う。


「座って」


「いや仕事が」


「座って」


「……はい」


 元刑事が従った。


 隼人が小声で翔太に聞く。


「あのおばちゃん何者」


「最強です」


「やっぱり?」


 桜井はおにぎりを食べながら報告する。


「昨日の番号」


「分かったか」


「契約者までは無理だ」


「ただ」


 紙を出す。


「発信場所はある程度絞れた」


 前原が見る。


「どこ」


「隣の市」


「広いな」


「駅周辺」


「まだ広い」


「そこに」


 桜井が地図を置く。


「例の施設系列の事業所がある」


 全員の顔が変わる。


「またか」


 黒岩が呟く。


「ただし」


 桜井が続ける。


「もう一つある」


「何」


「夜間の自立支援施設」


 佐伯が資料を見る。


「ここ」


「団体とは関係ありません」


「別?」


「完全に別法人です」


 前原が地図を見る。


 二つの施設。


 距離。


 徒歩十五分ほど。


「電話した奴がどっち側か」


「分からん」


「行くか」


「行く」


 隼人が聞いていた。


「森川って誰」


 前原が振り返る。


「知らなくていい」


「なんで」


「お前には関係ねぇ」


 隼人の顔が少し曇る。


「……そ」


 前原は気づかなかった。


 だが。


 敦は気づいた。


 その言葉。


 お前には関係ない。


 隼人は、たぶん。


 家で何度も言われてきた。


 大人の話だから。


 子どもには関係ない。


 口出すな。


 お前は黙ってろ。


 敦は前原の脇腹を肘で突いた。


「痛ぇな!」


「ヨシさん」


「なんだ」


 敦は小声で言う。


「言い方」


「何が」


 敦が隼人を見る。


 前原も見る。


 数秒。


「あー」


 理解した。


「隼人」


「何」


「悪かった」


 隼人が驚く。


「……何が」


「言い方」


「別に」


「森川ってのは」


 前原は机の写真を取る。


「今探してる男だ」


 隼人は写真を見る。


「この人?」


「ああ」


「なんで」


「子ども二人と消えた」


「誘拐?」


「分からん」


「またそれ?」


 木戸が笑う。


「ようこそ」


「何がだよ」


「分からない世界へ」


「うぜぇ」


 でも。


 隼人は写真を見ていた。


「この子ら」


「ん?」


「何歳」


「当時七歳と十歳くらい」


 隼人は少し黙った。


「……そっか」


 それだけ。


 前原は聞かない。


 何か引っ掛かった顔をしていたが。


 今はまだ。


 隼人自身も分かっていないようだった。


⸻


 午後一時。


 前原。


 桜井。


 敦。


 三人で隣の市へ向かった。


 今回は黒岩が事務所に残る。


「俺も行く」


 と言った木戸は、


「お前は留守番」


 で終わった。


「差別だ」


 と騒いでいた。


⸻


 駅前は、ごく普通の街だった。


 チェーン店。


 銀行。


 ドラッグストア。


 学習塾。


 少し歩くと、


 古い商店街。


 さらに先。


 一つ目。


 例の団体系列の事業所。


 表には、


生活再建サポートセンター


 と書かれている。


 綺麗な建物。


 受付。


 観葉植物。


 壁には、


「あなたの再出発を応援します」


 というポスター。


 敦は少し複雑な気持ちになる。


 悪の秘密基地には見えない。


 むしろ。


 役所より入りやすそうだった。


「普通ですね」


「だから厄介なんだよ」


 桜井が言う。


「いや」


 前原が訂正する。


「普通に助けてる奴もいるかもしれん」


 桜井が前原を見る。


「成長したな」


「うるせぇ」


 中へ入る。


 受付には若い女性。


「こんにちは」


 丁寧な対応。


 桜井が森川の写真を見せる。


「この人を知りませんか」


 女性は写真を見る。


「申し訳ありません。利用者の情報については」


「利用者だったかどうかだけでも」


「お答えできません」


 正しい。


 完全に正しい対応だった。


 前原も何も言えない。


「じゃあ」


 桜井が写真をしまう。


「三年前に、児童二名が所在不明になった件について」


 女性の表情が。


 ほんの少し。


 止まった。


「……存じません」


「本当に?」


「はい」


 奥から男が出てくる。


 三十代後半。


 スーツ。


 柔らかい表情。


「何かありましたか」


「森川修平について」


 桜井が言う。


 男の表情は変わらない。


「存じません」


「美月」


「……」


「ユウ」


「……」


「児童二名」


 男は微笑んだ。


「申し訳ありません」


「個人情報に関するお問い合わせにはお答えできません」


 それも。


 正しい。


 あまりにも正しい。


 前原は男を見る。


「名前は」


「私ですか」


「ああ」


「杉本です」


「杉本さん」


「はい」


「森川を探すなって電話した?」


 敦が驚く。


「ヨシさん!」


 直球すぎる。


 杉本は一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 前原を見る。


「何のお話でしょう」


「知らんならいい」


 前原は立ち上がる。


「行くぞ」


「え?」


 敦は戸惑う。


「もう?」


「ああ」


 三人は外へ出た。


 敦が聞く。


「なんで帰るんです」


「ここじゃねぇ」


「分かるんですか」


「勘」


 桜井が呆れる。


「一番信用できんやつだ」


「でもお前もそう思ってんだろ」


「……まぁな」


 杉本。


 何か知っている。


 それは確か。


 だが。


 電話の声とは違った。


 桜井もそう感じていた。


⸻


 二つ目。


 駅の反対側。


 古い雑居ビル。


 三階。


 看板には、


若者自立支援ホーム つばさ


 と書かれている。


 階段を上がる。


 入口。


 チャイム。


 ピンポーン。


「はい」


 男の声。


 扉が開く。


 三十代前半。


 無精髭。


 眼鏡。


 Tシャツ。


 どう見ても職員らしくない。


「どちらさま」


 桜井が写真を出す。


「この人について」


 男の顔から。


 表情が消えた。


「……帰ってください」


 三人とも止まる。


「知ってるな」


 前原が言う。


「帰ってください」


「昨日電話したの、お前か」


 男の目が揺れる。


 桜井が静かに言う。


「責めに来たんじゃない」


「……」


「森川を探している」


「だから」


 男は唇を噛む。


「探さないでください」


 敦が息を呑む。


 声。


 桜井が頷いた。


「お前だな」


 男は目を伏せた。


「……はい」


 前原が一歩出る。


 男が身構える。


 前原は止まる。


「名前」


「……三浦」


「下は」


「健太郎」


「三浦」


「はい」


「森川は生きてんのか」


 三浦は答えない。


「それだけ教えろ」


「……」


「生きてんのか」


 長い沈黙。


 そして。


 三浦は。


 小さく頷いた。


「……はい」


 敦の胸が大きく鳴った。


 森川修平。


 生きている。


 三年前ではない。


 今。


 現在。


「どこにいる」


 前原が聞く。


「言えません」


「なんで」


「約束したから」


「誰と」


 三浦は前原を見る。


「森川さんです」


 前原が黙る。


「本人が」


「はい」


「探されたくないって?」


「違います」


 三浦は首を振った。


「じゃあ何だ」


「自分は」


 三浦の声が震える。


「見つかってもいいって言ってました」


「……」


「でも」


 拳を握る。


「子どもたちを」


「美月とユウ?」


 三浦の顔が変わる。


「名前まで……」


「知ってる」


 三浦は目を閉じた。


 もう。


 隠しきれない。


 そう悟ったようだった。


「森川さんは」


 静かに言う。


「自分が見つかることを怖がってるんじゃありません」


「じゃあ」


「二人が」


 三浦は言った。


「また“大人たちの都合”で居場所を失うことを怖がってるんです」


 前原の目が細くなる。


「どういう意味だ」


 三浦は扉を開けた。


「……中で話します」


⸻


 小さな相談室。


 三浦は三人へ麦茶を出した。


 手が震えている。


「俺も」


 三浦は座った。


「森川さんに助けられました」


 敦が顔を上げる。


「あなたも?」


「はい」


「いつ」


「八年前」


 三浦は笑う。


「ホームレスでした」


 三十代前半。


 八年前なら二十代。


「会社辞めて」


「家賃払えなくなって」


「友達の家転々として」


「最後は公園」


 どこかで聞いたような人生だった。


「森川さんが」


「飯くれたんです」


「自分も金なかったくせに」


 三浦は少し笑う。


「コンビニのおにぎり二個」


「一個ずつ食いました」


 前原は黙って聞く。


「それから」


「時々会うようになって」


「森川さんも住む場所転々としてた」


「でも」


 三浦の顔が少し変わる。


「子どもたちに会ってから」


「変わった」


「どう」


「逃げなくなった」


 敦が聞く。


「逃げなくなった?」


「自分のことなら逃げる人だったんです」


 三浦は言う。


「借金」


「仕事」


「人間関係」


「全部」


「迷惑掛けるくらいなら自分が消えればいい」


「そういう人だった」


 洋食屋の店長が話していた森川と同じだった。


「でも」


 三浦は続ける。


「美月ちゃんとユウに会って」


「初めて」


「自分が消えたら困る人がいるって気づいたんだと思います」


 前原が小さく息を吐く。


「それで二人連れて逃げた?」


「違います」


 三浦は強く否定した。


「森川さんは連れて逃げてません」


「じゃあ」


「子どもたちが」


 三浦は言う。


「森川さんのところへ逃げてきたんです」


 部屋が静かになった。


「二人で?」


「はい」


「夜中に」


「裸足で」


 敦の顔が強張る。


「美月ちゃんは泣いてて」


「ユウは」


 三浦は少し間を置く。


「ずっと」


「謝ってたそうです」


「何を」


「分かりません」


「ただ」


 三浦は目を伏せる。


「ごめんなさい」


「ごめんなさい」


「僕が悪いです」


「ずっと」


「それだけ言ってた」


 前原の顔から表情が消えた。


 敦は胸が苦しくなる。


 十歳。


 子ども。


 何があったのか分からない。


 でも。


 自分が悪い。


 そう思わされていた。


「森川は」


「警察へ行こうとしました」


「行った?」


 三浦は首を横に振る。


「ユウが」


「……」


「警察って聞いた瞬間」


 三浦は言葉を詰まらせる。


「過呼吸になった」


 桜井が静かに聞く。


「警察に何かされた?」


「分かりません」


「じゃあ」


「それ以上、聞けなかったそうです」


 前原は腕を組んだ。


「それで森川が匿った」


「最初は一晩だけ」


 三浦は苦笑する。


「次の日まで」


「週末まで」


「手続きができるまで」


「そう言って」


 少し笑う。


「結局」


「三年です」


 敦は。


 その言葉に、


 誰かを思い出した。


 今夜だけ。


 そう言って。


 事務所へ来た十九歳。


 隼人。


 昨日も泊まった。


 今日もいるかもしれない。


 今夜だけ。


 その言葉が。


 またここにあった。


「森川は今」


 前原が聞く。


「二人と一緒?」


 三浦は答えなかった。


「そこは言えないか」


「……はい」


「分かった」


 三浦が驚く。


「え?」


「言わなくていい」


「でも」


「本人が生きてるって分かった」


「それで十分だ」


 桜井が前原を見る。


 前原は立ち上がる。


「ただし」


 三浦を見る。


「一個だけ」


「はい」


「森川に伝えろ」


「……何を」


 前原は少し考える。


「逃げ続けるのも」


「結構疲れるぞって」


 三浦が目を見開く。


「それだけ?」


「ああ」


「会いたいとか」


「連絡しろとか」


「ねぇよ」


「……」


「決めるのは森川だ」


 三浦は俯いた。


 そして。


 小さく笑った。


「森川さん」


「あなたのこと嫌いそうですね」


「なんでだよ」


「似てるから」


「どこが」


 桜井と敦が同時に前原を見る。


「何だよ」


 二人とも何も言わない。


「おい」


⸻


 夕方。


 高架下の事務所。


 隼人は。


 台所にいた。


 和子の隣。


「火、弱め」


「はい」


「まだ」


「これくらい?」


「もうちょっと」


「めんどくせぇ」


「料理はめんどくさいの」


「じゃあ何で毎日やんの」


 和子は笑う。


「誰か食べるから」


 隼人は少し黙った。


 フライパン。


 卵。


 今度は。


 綺麗な目玉焼き。


「お」


 自分で少し嬉しくなる。


 その時。


 扉が開いた。


 前原たちが帰ってきた。


「ただいま」


 敦が言う。


 翔太が振り返る。


「おかえりなさい」


 グエンも。


「オカエリ!」


 隼人は。


 何も言わなかった。


 でも。


 フライパンを持ったまま、


 少しだけ前原を見る。


 前原が気づく。


「何だ」


「別に」


「焦げるぞ」


「うわ!」


 慌てて火を止める。


 和子が笑う。


「まだまだだねぇ」


「今のヨシさんのせいだろ!」


「俺かよ」


 事務所に笑い声が広がる。


 敦はその中で。


 今日聞いた言葉を思い出していた。


 一晩だけ。


 明日まで。


 週末まで。


 手続きができるまで。


 そして。


 三年。


 もしかすると。


 居場所というものは。


 最初から、


 「ここにずっといていいよ」


 と言って作るものではないのかもしれない。


 今日だけ。


 今夜だけ。


 もう一日だけ。


 その積み重ねの先で。


 気づいた時には。


 帰ってくる場所になっている。


 敦は。


 笑っている隼人を見た。


 そして。


 少しだけ笑った。


⸻


後書き


第61話でした。


ついに判明しました。


森川修平は生きています。


そして重要なのは、


森川が美月とユウを連れ去ったのではなく、


二人の子どもが森川のところへ逃げてきた


ということ。


さらにユウは、


「僕が悪いです」


と繰り返していました。


ここにはまだ、かなり大きな秘密があります。


一方で今回は、森川と隼人を意図的に重ねています。


森川も、


「一晩だけ」


から始まった。


隼人も、


「今夜だけ」


から始まった。


誰かを救うというのは、


大きな決断から始まるとは限りません。


「今日くらい、ここにいれば」


その一言から人生が変わることもある。


そして次回から、森川編はいよいよ核心へ。


三浦から話を聞いたことで、桜井は一つの疑問を持ちます。


なぜユウは「警察」という言葉を聞いただけで怯えたのか。


その答えを追う中で、これまで「怪しい団体」として見えていたものが、実は一枚岩ではないことも分かってきます。


内部には、


本当に人を助けようとしている者。


仕組みに疑問を持っている者。


何も知らない者。


そして――


知っていて利用している者。


それぞれがいる。


ここから70話前後に向けて、森川編の真相を一気に組み上げていきます。

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