帰る場所がない人
第56話 「帰る場所がない人」
前書き
人は、
家があるから帰るわけじゃない。
待っている人がいるから、
帰ろうと思える。
もし、
どこへ帰ればいいか分からなくなったら。
その人は、
どこで夜を迎えるのでしょう。
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本編
三日後。
夕方五時。
空には夏らしい入道雲が広がっていた。
高架下の事務所では、いつものように慌ただしい時間が流れている。
グエンが野菜を運び。
木戸が「腹減った」を五分おきに繰り返し。
和子が「まだ早い!」と怒鳴る。
翔太は玄関の掃き掃除をしていた。
少し前まで、人の家を掃除することすら遠慮していた青年が、今では誰より先にほうきを持つようになっていた。
敦はその姿を見て、小さく笑う。
「翔太。」
「はい?」
「最近、自然に動くようになったな。」
翔太は照れくさそうに頭を掻いた。
「……落ち着くんです。」
「掃除してると。」
前原が新聞から顔も上げずに言う。
「居場所ってのは、そういうもんだ。」
「え?」
「自分から何かしたくなる場所だ。」
翔太はその言葉を胸の中で転がした。
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その頃。
ひだまり食堂では、夕方の営業準備が始まっていた。
佐々木恵子が味噌汁の味を見ている。
元プログラマーの青年――神谷直人が、慣れた手つきでコロッケを揚げていた。
「直人。」
「はい。」
「今日は子ども多そうだから、ご飯多めね。」
「了解。」
店の扉が開く。
ランドセル姿の姉弟。
「こんにちはー!」
「おかえり。」
恵子は自然にそう言った。
店では「いらっしゃい」ではなく、「おかえり」。
敦はその言葉が妙に印象に残った。
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六時を過ぎた頃だった。
入口の外で、一人の青年が立ち止まる。
二十歳くらい。
金髪。
耳にはピアス。
黒いパーカー。
暑いのにフードを深く被っている。
店を見つめる。
入ろうとする。
やめる。
また見る。
それを三回繰り返した。
神谷が小さく笑う。
「ああいう子、たまにいるんですよ。」
恵子は黙って頷く。
「声掛けないんですか?」
「掛けない。」
「え?」
「入るかどうかは、自分で決めることだから。」
その言葉に敦は少し驚く。
前原と同じだった。
無理に引っ張らない。
選ぶのは本人。
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十分ほど経って。
青年はようやく扉を開けた。
カラン……
店内が少しだけ静かになる。
「……あの。」
小さな声。
恵子は笑顔で迎えた。
「おかえり。」
青年は戸惑う。
「いや……初めてです。」
「知ってるよ。」
「……。」
「それでも、おかえり。」
青年の目が少し揺れた。
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「名前は?」
「……隼人。」
「苗字は?」
「別にいい。」
「じゃあ隼人くん。」
恵子は何も追及しない。
「お腹空いた?」
少しの沈黙。
隼人は小さく頷いた。
「……うん。」
「じゃ、ご飯。」
それだけだった。
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その夜。
隼人は夢中でご飯を食べた。
おかわりを二杯。
味噌汁も飲み干す。
誰も「ゆっくり食べなさい」とは言わない。
神谷がそっとおかわりをよそうだけだった。
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食後。
隼人は財布を出した。
「……いくら。」
恵子は首を横に振る。
「今日はいい。」
「いや。」
「働けるようになったら、その時払えばいい。」
「……。」
「払わなくても怒らないけど。」
隼人は財布を握り締める。
「なんで。」
恵子は笑った。
「今日は食べる日だから。」
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その様子を見ていた敦は、小さく前原へ尋ねた。
「ヨシさん。」
「なんだ。」
「こういう子、多いんですか。」
前原は静かに答える。
「最近増えた。」
「家出ですか。」
「それもある。」
「親と喧嘩。」
「学校。」
「借金。」
「SNS。」
「恋愛。」
「理由は色々だ。」
煙草を取り出しながら続ける。
「でもな。」
「共通してることがある。」
「何です?」
「誰にも迷惑掛けたくないって思ってる。」
敦は隼人を見る。
まだ子どもだった。
二十歳にもなっていない。
それでも、自分で全部抱えようとしている。
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食事が終わり。
隼人は店を出ようとした。
その時。
神谷が後ろから声を掛けた。
「隼人。」
振り返る。
「また腹減ったら来い。」
「……。」
「別に毎日じゃなくていい。」
「来たくなった時でいい。」
隼人は何も言わなかった。
ただ、小さく頭を下げる。
その背中を見送りながら、神谷はぽつりと呟いた。
「昔の俺みたいだ。」
敦が聞く。
「神谷さんも?」
「燃え尽きて、部屋から出られなくなって。」
苦笑いする。
「コンビニのおにぎり一個食べるのも面倒だった。」
そして食堂を見る。
「ここで飯食って。」
「もう一日だけ生きようって思えた。」
その言葉に、敦は何も返せなかった。
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一方その頃。
事務所へ一本の電話が入る。
桜井が受話器を取る。
「はい。」
相手の声を聞いた瞬間。
表情が変わった。
「……本当ですか。」
前原が立ち上がる。
「誰だ。」
桜井はゆっくり受話器を置いた。
「店長だ。」
「洋食屋の。」
「森川を見たという人が……」
一拍置く。
「思い出したそうだ。」
「森川は、一人じゃなかった。」
部屋の空気が静まり返る。
「誰といた。」
前原が低く聞く。
桜井は静かに答えた。
「子どもだ。」
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後書き
第56話でした。
今回は新キャラクターとして、
* 神谷直人(29)
* 元プログラマー
* 燃え尽き症候群で退職
* 現在は「ひだまり食堂」の料理担当
* 隼人(19〜20歳)
* 家庭事情を抱えた青年
* 詳しい過去はまだ不明
が登場しました。
そしてラスト。
「森川は子どもと一緒にいた」
この一言で、事件は新しい局面へ入ります。
ここからは単なる「行方不明者探し」ではなく、「森川はなぜ姿を消したのか」、そして「あの子どもは誰だったのか」という、物語の核心へ少しずつ近づいていきます。




