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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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52/105

残された隣人

前書き


建物はなくなっても、


そこに暮らした人の記憶は、


誰かの中に残っている。


だから、


話を聞くということは、


過去を掘り返すことではない。


そこに生きた人を、


もう一度思い出してもらうことなのかもしれない。


⸻


第52話 残された隣人


翌日の午後。


桜井と敦は、古い住宅地図を片手に住宅街を歩いていた。


昨日訪れた「あさがお」の住所から、一本裏手に入った路地。


古い平屋が並ぶ静かな一角だった。


桜井が立ち止まる。


「この家だ。」


表札には、


「山口」


と書かれている。


インターホンを押すと、ゆっくりと玄関が開いた。


白髪の男性。


七十代半ばくらい。


穏やかな目をしている。


「はい?」


桜井は警察手帳ではなく、名刺を差し出した。


「突然すみません。昔、この近くにあったアパートについてお聞きしたくて。」


男性は少し考え、


「ああ……あそこか。」


と、小さく頷いた。


⸻


縁側へ案内される。


麦茶が運ばれてきた。


「刑事さんじゃないんですね。」


男性が笑う。


「元、です。」


桜井も笑い返した。


「今は違います。」


「そうですか。」


男性は庭を眺めながら話し始めた。


⸻


「あそこは古い木造アパートでした。」


「家賃も安かった。」


「学生さんや若い子が多かったですね。」


敦はメモを取りながら聞く。


「どんな人たちでしたか?」


男性は少し目を細めた。


「普通の子たちですよ。」


「夜遅くまで騒ぐこともなかった。」


「朝になると仕事へ行って。」


「夕方には帰ってくる。」


「たまに皆でカレーなんか作ってね。」


敦は顔を上げた。


「皆で……?」


「ええ。」


「楽しそうでしたよ。」


⸻


桜井は静かに尋ねる。


「運営していた人は?」


男性は首を傾げる。


「毎日いる人じゃなかったな。」


「週に何回か、スーツ姿の人が来ていました。」


「若い子たちと話して、すぐ帰る。」


「怒鳴ったりはしてませんでしたよ。」


⸻


敦は複雑な気持ちになった。


暴力もない。


怒鳴り声もない。


近所から見れば、


ごく普通の共同住宅だった。


⸻


その時。


男性がぽつりと呟く。


「でも、一つだけ不思議だった。」


桜井が身を乗り出す。


「何でしょう。」


「ある日突然、いなくなる子がいるんです。」


「え?」


「引っ越しなのかな、とは思っていました。」


「でも、お別れも言わずに。」


「荷物も少ないまま。」


「次の日には、もう別の子が入ってくる。」


縁側に静かな風が吹いた。


⸻


「寂しかったですよ。」


男性は笑う。


「うちの孫くらいの年でしたから。」


「『頑張れよ』くらい言いたかったんだけどね。」


敦はメモを止めた。


この人は、


事件として話しているのではない。


近所の若者を思い出しているだけだった。


⸻


帰り際。


男性は二人を呼び止めた。


「一つだけ。」


桜井が振り返る。


「もし、あの子たちの誰かと会うことがあったら。」


「はい。」


「元気でやってるって、聞かせてください。」


敦は静かに頭を下げた。


「……はい。」


⸻


帰り道。


商店街を歩きながら、敦が口を開く。


「悪い話ばかりじゃありませんでしたね。」


桜井は頷く。


「ああ。」


「だから難しい。」


「全部が嘘なら簡単だ。」


「全部が悪なら捕まえられる。」


「でも、人を助けた事実まで否定はできない。」


敦は空を見上げる。


「じゃあ、俺たちは何を調べるんでしょう。」


桜井は少し笑った。


「人を助けたことじゃない。」


「助けた後、その人たちが本当に自由だったのか。」


その言葉に、敦は静かに頷いた。


⸻


その夜。


事務所では和子が夕飯を並べていた。


「今日は肉野菜炒めだよ。」


「やった!」


木戸が真っ先に席へ座る。


翔太が笑う。


ますみも小さく笑った。


前原はそんな光景を見ながら、昼間に聞いた老人の言葉を思い返していた。


「元気でやってるって、聞かせてください。」


前原は心の中で呟く。


(……それが一番難しいんだよ。)


誰かを助けることよりも。


誰かが、自分の意思で歩き続けられることの方が、ずっと難しい。


静かな夕食の時間が流れていった。


⸻


次回予告


第53話 「戻ってきた青年」


事務所を訪ねてきた一人の青年。


彼は「あさがお」で暮らしていた元入居者だった。


「悪い場所じゃなかった。」


そう語る彼の表情には、感謝と迷いが入り混じっていた。


そして彼の証言が、「助けること」と「依存させること」の境界線を、少しずつ浮かび上がらせていく。

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