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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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ココ、トテモヨイデス

前書き


この物語では、

「悪人」よりも、

「行き場をなくした人」を描きたいと思っています。


国が違っても、

言葉が違っても、

疲れる時は疲れる。


第3話です。


⸻


第3話 ココ、トテモヨイデス


雨だった。


また雨か、と岡野敦は思った。


ここ最近、

夜になると雨ばかり降っている気がする。


前原たちのいる古い事務所へ向かう道も、

濡れたアスファルトがネオンをぼんやり映していた。


敦はコンビニ袋を片手に歩いていた。


中身は安い缶コーヒーと、半額の唐揚げ棒。


最初は、

「もう行かない」と思っていた。


ああいう場所に慣れたら終わりだとも思った。


でも気づけば、

足が向いている。


理由は自分でも分からなかった。


鉄の扉の前まで来る。


コンコン、と軽く叩く。


中から前原の声。


「開いてんぞ」


敦は扉を開けた。


暖かい空気が流れてくる。


煙草。

味噌汁。

古い暖房。


いつもの匂いだった。


「おう」


川本竜司がソファに寝転がっていた。


ジャージ姿で、テレビを見ている。


「また来たのか」


「……はい」


「暇人だなお前」


「川本さんもじゃないですか」


「俺はいいんだよ」


なんでですか、と敦は思ったが言わなかった。


前原は奥で鍋をいじっていた。


「敦」


「はい」


「来るなら鍵閉めろ」


「……はい」


もうそれが挨拶みたいになっていた。


敦は扉を閉める。


カチ、と鍵の音。


その時だった。


コンコン、と外から音がした。


三人ともそちらを見る。


川本が眉をひそめた。


「誰だよこんな時間」


前原は鍋を止め、ゆっくり扉へ向かった。


ガチャ。


冷たい雨風が入り込む。


そこにいたのは、

若い外国人の男だった。


二十歳くらい。


細い。


びしょ濡れ。


服は泥だらけ。


片手には壊れたスマホ。


男は何か言おうとした。


「……スミマセン」


日本語だった。


でも、かなりたどたどしい。


前原は数秒黙って男を見た。


それから言った。


「カー坊。タオル」


「またかよ」


「いいから持ってこい」


川本が奥からタオルを投げる。


前原は外国人に顎をしゃくった。


「入れ」


男は戸惑っていた。


「……イイ?」


「外で死にてぇなら別だが」


男は小さく頭を下げ、中へ入った。


雨の匂いが一緒に入ってきた。


敦はその様子をぼんやり見ていた。


前原は外国人の顔を見た。


「名前」


「……グエン」


「グエン、な」


「グエン・ミン」


「ミンか」


グエン・ミンは小さく頷いた。


川本が怪訝そうに見る。


「日本語わかんの?」


「スコシ」


「どこから来た」


「……ベトナム」


敦は少し緊張した。


外国人とこんな近くで話したことがほとんどない。


グエンは何度も「スミマセン」と言っていた。


まるで、

そこにいるだけで謝っているみたいだった。


前原は鍋へ戻った。


「腹減ってるか」


グエンは少し迷ったあと、小さく頷いた。


「……ハイ」


「カー坊、茶碗」


「俺っすか」


「若ぇんだから動け」


「ヨシさんも若い気でいるでしょ」


「殺すぞ」


敦は少し吹き出した。


グエンが驚いたように敦を見る。


敦は慌てた。


「あ、いや」


グエンは少しだけ笑った。


飯が出てきた。


白飯。

味噌汁。

焼き魚。

昨日の残りらしい肉じゃが。


グエンは箸を持つ手がぎこちなかった。


敦はなんとなく見てしまう。


「……使い方、分かります?」


グエンは困った顔をした。


「ムズカシイ」


川本が笑う。


「まぁ最初はそうだわな」


前原は煙草を咥えた。


「スプーンあるぞ」


グエンは首を振った。


「ダイジョブ。ガンバル」


その言い方が、

少しだけ可笑しかった。


グエンは必死に箸を動かした。


魚を落とす。


また掴む。


落とす。


敦はつい笑ってしまった。


グエンも笑った。


前原が呆れた顔をする。


「お前ら小学生か」


でも少し口元が緩んでいた。


食事が少し落ち着いた頃。


前原が聞いた。


「なんで逃げてきた」


グエンの動きが止まった。


沈黙。


テレビの音だけが流れる。


グエンは少し俯いた。


「……コウジョウ」


「工場か」


「ハイ」


「キツかった?」


グエンは苦笑いした。


「……スゴイ」


それだけで、

なんとなく伝わった。


前原はそれ以上急かさなかった。


グエンはゆっくり話し始めた。


翻訳アプリ。

片言の日本語。

身振り手振り。


全部混ざっていた。


最初、日本へ来た時は嬉しかったらしい。


アニメが好きだった。


日本のゲームも好きだった。


ベトナムでは、

日本は「すごい国」だった。


「オカネ、タメル」


「カゾク、タスケル」


「ニホン、カッコイイ」


そう思って来た。


でも現実は違った。


朝から夜まで工場。


暑い。


うるさい。


失敗すると怒鳴られる。


寮は狭い。


給料は思ったより少ない。


「ダイジョブ?」


と聞かれても、

「ダイジョブ」と言うしかなかった。


「ガンバレ」


「ミンナガンバッテル」


そう言われ続けた。


グエンはスマホを見せた。


画面は割れていた。


そこに、

家族の写真が映っていた。


母親。

弟。

犬。


グエンは少し笑った。


「イヌ、ナマエ、ポチ」


「ポチなんだ」


敦が思わず言う。


グエンは嬉しそうに頷いた。


「アニメ、ミタ!」


「影響されてんじゃねぇか」


川本が笑う。


でもグエンの顔は、

途中から少しずつ曇っていった。


「キノウ……ケンカ」


「工場で?」


「ハイ」


「ナグッタ?」


「イイエ」


グエンは俯いた。


「……ニゲタ」


その言葉だけが重かった。


逃げた。


敦の胸が少しざわついた。


それは、

どこか自分と似ていた。


派遣を辞めた時。


怒鳴られた時。


電話に出られなくなった時。


逃げた。


グエンは続けた。


「ドコ、イク、ワカラナイ」


「スマホ、コワレタ」


「オカネ、ナイ」


「……コワイ」


最後の「怖い」は、

妙に綺麗な日本語だった。


前原は煙を吐いた。


「まぁ、そうだろうな」


それだけだった。


説教もしない。


偉そうなことも言わない。


ただ、

分かる、みたいな顔をしていた。


敦はその顔を見ていた。


前原って、

こういう顔をするんだなと思った。


深夜になった。


雨はまだ降っている。


グエンはソファで、

ぼんやりテレビを見ていた。


日本語は分からないはずなのに、

なんとなく見ている。


敦は缶コーヒーを飲みながら聞いた。


「……なんで日本来たかったんですか」


グエンは少し考えた。


それから笑った。


「……ニホン、

 ヤサシイ、オモッタ」


敦は返事ができなかった。


ヤサシイ。


この国が。


自分には、

そんなふうに見えたことがなかった。


前原が横から言う。


「最初はみんなそう思って来んだよ」


川本が鼻で笑う。


「夢見すぎなんすよ」


「まぁな」


でも前原は、

どこか寂しそうだった。


その時、

テレビでニュースが流れた。


『外国人技能実習生の失踪問題――』


グエンは意味が分からないのか、

ぽかんとしていた。


でも前原たちは静かだった。


川本が小さく舌打ちする。


「またこれかよ」


前原は煙草を揉み消した。


「人間、

 生まれる場所だけは選べねぇからな」


誰も返事しなかった。


グエンだけが、

不思議そうに周囲を見ていた。


しばらくして。


グエンは、

温かいお茶を両手で持ちながら言った。


「……ココ」


みんなが見る。


グエンは少し笑った。


「ココ……

 トテモヨイデス」


沈黙。


川本が吹き出した。


「何その締め方」


グエンは慌てる。


「エ!?」


「いや、なんか変だろ!」


グエンは困った顔をした。


「……ワカラナイ」


前原が笑いを堪えながら煙草を咥える。


「変な日本語覚えやがって」


グエンはさらに言った。


「デモ……

 アタタカイ」


その言葉だけで、

部屋が少し静かになった。


敦は、

湯気の立つお茶を見つめた。


たぶん、

豪華な場所じゃない。


綺麗でもない。


未来がある場所かも分からない。


でも、

追い出されない。


それだけで、

人は少し安心するのかもしれなかった。


外ではまだ雨が降っていた。


でもその夜、

古い事務所の中だけは、

少し暖かかった。


⸻


後書き


第3話でした。


グエン・ミンは、

「可哀想な外国人」としてではなく、

“普通の若者”として描きたかったキャラクターです。


誰かを助けるというより、

同じ場所で飯を食う。


この物語は、

そんな空気を大事にしたいと思っています。

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