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WAY HOME ――行き場をなくした僕らの、小さな食卓――  作者: 和泉發仙


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行く場所のない顔

前書き


人生って、

大きな失敗で壊れるんじゃなくて。


「まぁいいか」が積み重なって、

気づいた時には戻れなくなってる。


そんな話を書きたくなりました。


この物語に出てくる人たちは、

たぶん世間から見れば

“ちょっと危ない人たち”です。


でも、

悪人ではありません。


ただ、

上手く馴染めなかっただけです。


第2話、

いきます。


⸻


第2話 行く場所のない顔


朝、知らない天井で目が覚めた。


岡野敦は数秒間、自分がどこにいるのか分からなかった。


薄汚れた天井。

黄ばんだ蛍光灯。

どこかから聞こえるテレビの音。


それから昨夜のことを思い出した。


裏バイト。

逃走。

ハイエース。

川本。

前原。


「……うわぁ……」


夢じゃなかった。


敦は顔を覆った。


起き上がると、体中が痛かった。

特に足。昨日転んだ時に打った膝がズキズキする。


部屋は狭かった。


六畳もない。

薄い布団が三組。

隅には段ボール。

誰のものか分からない服。


窓の外は曇っていた。


敦はゆっくり立ち上がった。


扉を開ける。


味噌汁の匂いがした。


「お、起きたか」


川本竜司がいた。


ジャージ姿。

コンビニの袋を漁っている。


昨日より普通のおっさんに見える。


いや、普通ではない。

顔が怖い。


「……おはようございます」


「おはよう」


川本は紙パックの牛乳を飲んだ。


敦は周囲を見回した。


昨日は暗くて分からなかったが、改めて見ると妙な場所だった。


事務所みたいでもあり、

誰かの家みたいでもあり、

休憩所みたいでもある。


壁にはホワイトボード。


『米買う』

『ガス代』

『誰か洗濯物回せ』


雑な字で書かれている。


ソファには知らない男が寝ていた。


「……あの」


「ん?」


「ここって、なんなんですか」


川本は少し考えた。


「さぁな」


「え?」


「気づいたらこうなってた」


敦は意味が分からなかった。


奥から声が飛ぶ。


「カー坊!! 味噌汁どこやった!!」


前原だった。


川本が面倒くさそうに返す。


「コンロの横っす」


「ねぇぞ!」


「鍋見てくださいよ!」


ガチャガチャ音がする。


敦は呆然としていた。


昨日、自分を怒鳴っていた男と同一人物とは思えない。


前原正義が姿を見せた。


ジャージ。

寝癖。

片手に鍋。


「……お」


敦を見る。


「起きたか」


「は、はい」


「腹は」


「……減ってます」


「よし」


それだけ言うと、前原はまた奥へ消えた。


敦は川本を見た。


「……何してる人なんですか、あの人」


「ヨシさん?」


「はい」


川本は少し笑った。


「俺もよく分かってない」


「いや絶対嘘ですよね」


「いやマジで」


川本は冷蔵庫を開けた。


中には卵、豆腐、缶ビール、謎のタッパー。


生活感がある。


でも誰の生活か分からない。


「相談乗ったり」


「はい」


「怒鳴ったり」


「はい」


「飯食わせたり」


「はい」


「人泊めたり」


「はい」


「昔の知り合い来たり」


「はい」


「役所行ったり」


「……」


「まぁ、そんな感じ」


意味が分からなかった。


その時、鉄の扉が開いた。


知らない外国人の男が入ってくる。


「オハヨゴザイマス」


「おう」


川本が手を上げる。


外国人はそのまま奥へ行った。


今度は別の女の人が来る。


四十代くらい。

スーパーの袋を持っている。


「マサ、冷蔵庫なんもないじゃない」


「あー?」


「若い子泊めるならちゃんとしなさいよ」


敦は固まった。


若い子。

自分のことか。


前原が頭を掻きながら出てくる。


「うるせぇな」


「うるせぇじゃないわよ」


女の人は敦を見た。


「あら」


敦は反射的に頭を下げた。


「お、おはようございます」


「怖がんなくていいわよ」


「……はい」


「この人ら顔怖いだけだから」


「余計なこと言うな」


前原が煙草を探している。


女の人は袋から卵を出した。


「アンタまた拾ったの?」


「拾ってねぇよ」


「はいはい」


会話のテンポが妙に自然だった。


敦だけが異物みたいだった。


朝飯は、卵かけご飯と味噌汁だった。


前原はソファに座り、新聞を読んでいた。


敦は向かいに座る。


沈黙。


テレビでは朝のニュース。


『SNSトラブル』

『闇バイト』

『若者の貧困』


そんな言葉が流れる。


敦は居心地が悪かった。


自分がそこに含まれている気がした。


前原が新聞をめくる。


「お前、今日どうすんの」


敦は箸を止めた。


どうする。


考えていなかった。


帰る場所はある。

アパートはある。


でも、帰ってどうする?


また求人を見るのか。

またコンビニ弁当か。


また何もない部屋で天井を見るのか。


「……分かりません」


前原は鼻で笑った。


「正直でよろしい」


川本がコーヒーを飲みながら言う。


「昨日みたいなの、また行くなよ」


敦は苦笑いした。


「もう懲りました」


「どうだかな」


前原が言う。


「人間、喉元過ぎると忘れんだよ」


図星だった。


敦は何も言えなかった。


その時だった。


前原が煙草を取ろうとして、右手を動かした。


敦は見てしまった。


小指が、なかった。


一瞬だけ、空気が止まる。


敦は慌てて目を逸らした。


でも遅かった。


前原は気づいている。


川本も気づいている。


沈黙。


前原は煙草を咥えた。


「……珍しくもねぇよ」


敦は何も言えなかった。


前原はライターを鳴らした。


「昔ぁな」


それだけだった。


川本が苦笑いする。


「ヨシさん、その話始まると長ぇんすよ」


「誰が話すっつった」


前原は煙を吐いた。


敦は胸がざわついていた。


この人、本当にそっち側の人間なんだ。


昨日から薄々感じていたことが、

急に現実味を持った。


怖かった。


でも不思議と、

帰りたいとは思わなかった。


昼頃になると、また色んな人が出入りした。


宅配の兄ちゃん。

作業服の男。

知らない若者。


前原はいちいち対応していた。


「おう」


「そこ置いとけ」


「メシ食ってけ」


まるで、この場所の管理人みたいだった。


でも管理人にしては雑だった。


段ボールは積みっぱなし。

灰皿は山盛り。

ソファは破れている。


それでも、人が来る。


敦にはそれが不思議だった。


夕方。


敦はようやく帰ることにした。


「……お世話になりました」


前原はソファでテレビを見ていた。


「おう」


「……ありがとうございました」


「礼はいい」


前原はテレビから目を離さない。


「仕事探せ」


「はい」


「あと」


敦を見る。


「変な求人は見るな」


「……はい」


「どうせお前、

 “簡単高収入”とか押すタイプだろ」


敦は図星すぎて黙った。


川本が吹き出す。


「顔に書いてあるっすよ」


敦は恥ずかしくなった。


帰り道。


空はまだ曇っていた。


敦はコンビニへ寄った。


安いコーヒーを買う。


アパートへ戻る。


古い一K。

冷たい空気。


電気をつける。


静かだった。


静かすぎた。


敦はコンビニ袋を置いた。


座る。


何もする気が起きない。


テレビもつけない。


ふと、昨日のことを思い出した。


ハイエース。

雨。

怒鳴り声。


そして。


『まぁ座りな』


敦は深く息を吐いた。


変な場所だった。


怖い人たちだった。


普通ではなかった。


でも。


自分が帰ってきたこの部屋より、

少しだけ、

人の気配があった。


気づけば、外は暗くなっていた。


敦はスマホを見る。


派遣会社から通知。


『来週のシフトですが――』


見る気になれなかった。


そのまま画面を消す。


沈黙。


敦は立ち上がった。


気づけば、財布を持っていた。


自分でも意味が分からなかった。


外へ出る。


夜風が少し冷たい。


足は、自然に昨日の道を辿っていた。


古い雑居ビル。


鉄の扉。


敦は少し迷った。


迷ったあと、ノックする。


中から前原の声。


「開いてんぞ」


敦は扉を開けた。


中は昨日と同じ匂いだった。


川本がカップ麺を食っている。


前原は新聞を読んでいた。


二人とも、敦を見る。


沈黙。


前原が言った。


「……なんだ」


敦は苦笑いした。


「……すみません」


前原は煙草を灰皿に押しつけた。


「だから謝んなってんだろ」


少し間。


それから、前原はソファを顎で示した。


「入るなら鍵閉めろ」


敦は扉を閉めた。


カチ、と音がした。


前原は小さく頷いた。


「まぁ座りな」


敦は、ゆっくりソファへ座った。


それが、

岡野敦が初めて“帰ってきた”夜だった。


⸻


後書き


第2話でした。


この頃の敦は、

まだ「仲間」ではありません。


ただ、

帰る場所が少しズレ始めただけです。


前原たちも、

まだ怖い人たちです。


でも、

追い返さない。


そこが、

この物語の始まりかもしれません。


次回は、

街の空気が少し広がります。

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